かぐや
やがて、精霊たちが散っていくと、辺りには大小問わず、クロウムどもがひしめき合っていた。しかし、その時私は絶望すら感じなかった。何故なら、神の顔には余裕の笑みが浮かんでいたからだ。
神は前に出た。まるで、倒れているみんなや私を守ろうとしているかのようだった。神の前には数多のクロウムが、そして神の後ろには私たちがいる。
「君達…気に入らないや」
神はそうボソッと吐き捨てると、突然、神の髪がはっきりと赤みを帯びて、神の手から炎が繰り出された。私は驚嘆した、それは当然向こうのクロウムも…神の力の前には敵わぬと実感したのだろう、一目散に逃げ散った。
「ふう…」
衝撃の事態に、開いた口が塞がらなくなった。当の神は私の方を向いて、これだけ言った。
「神の力は偽物よ」
私にはその言葉の意味が分からなかった。しかし神の言っていることがもし本当ならばそれこそ、目の前の彼女は“似非神様”という事だ。しかし私はそんな気がしなかった。彼女がいくら偽物だと口では言おうが、それを目の当たりにしたからには、神の力は本当だと信じざるを得なくなった。
「さて、行きましょうか。その前に、彼らを安全な場所に送らないと」
そう言い神は地面に不思議な模様を描き始めた。それはここに来た当初、私が見たあの光景に似ていた。
「幽霊ちゃんの時とは似ているけど、ちょっと違う結界よ。外部勢力の完全遮断、即ちこれこそが噂に聞く、神の呪い」
その名を聞いただけで、私は何か震え上がるものを感じた。ネームバリューだけをとっても、その破壊力は凄絶なるものだった。だがこれのおかげでみんなが無事ならそれでいい。神を私は信任する。幽霊さん…ジェーンの時のような事にはならないと、私は信じるし、信じたからには私にも神にも責任が発生する。私はこちらを向く神に向かって頷いた。これが私の意思なのだ。
「さあ、行きましょうか」
私は気分が高揚するような、そんな不思議な気持ちに襲われた。この“最後”とか“クライマックス”とかいう感じの雰囲気に、たまらなく私は魅力された。
「はい」
私は少し違和感を感じながらも、返事をした。クライマックスであってクライマックスでは無いような、そんな不思議な気持ちだった。おそらく、神の心の奥底が全く読めない事に私は畏怖を感じていたのだろう。しかし神に対して敵対心は抱かなかった。どんな形であれ、神が我々に危害を加えない事は何故か確信できた。
「じゃあ広人、ちょっと集中させてね…」
神は私に背を向け、白いフードを被り直した。神は姿勢良く仁王立ちをし、右手を地面にかざす様な仕草をした。私の方からは白い背中しか見えなかったが、異様な雰囲気は離れていても感じ取れた。やがて、神の声が聞こえてきた。詠唱の様な声だった。
「……古に息し古に覇を唱えし龍よ、我が血の契りの元に表現せよ。我が魂の元に表現せよ。凍て付く大地の下より出で、我が体軀と命を共にする事を誓い、我の名を崇めて進ぜよ。精霊の神としてこれを汝に命ずる」
神が詠唱を始めると、凄まじい冷気が噴き出し始めた。気が付けば、躰を凍てつかせる冷気の風が、雲のように私たちの足元を白く染めた。
「汝これを持って、永年の封印より解き放たれよう…」
神はそう詠むと片手に短刀を持ち、そして…まるで自身を斬りつけるような仕草を見せた。しかし神は微動だにしなかった。
そして
「出でよ!」
そう神が声を張り上げた時、岩に打ち付ける波のような猛烈な風が我々に襲いかかった。その風の強さと冷たさに私はたまらず顔を腕で覆い、目を開くことができずにいた。そして風が収まり目を開いた時、私は驚愕した。
………本当に龍だった、白銀の光沢を持つ体はクロウムの三倍…十メートルはあるかという巨大さで、前脚に付く大きな翼を畳むようにして後脚で立っており、まるで鳩のようだった。そんな紛れもない龍が、私の目の前に存在していた。
「有り得ない…」
私は恐怖など全くなかったし、何処と無く感動していたのかもしれない。一際大きな体高の白い龍が私の方を見ていたが、私は龍に対して、隠しきれない賢明さを感じ取った。
「広人、おいで」
神に促されて私は歩み始めた。何故だか寒さを感じる事は無かった。それほど私の心では興奮、唖然、緊迫…様々な相反する気持ちが跳梁跋扈し、白龍の氷壺秋月な目と、神の軽佻浮薄な笑みがそんな私を見ていた。
「よく来たね…さあ行こうか」
神が白龍の目を見ると、白龍はしゃがんだ。神は後脚の方向から白龍に乗ると、私も神の真似をして白龍に搭乗した。
「振り落とされちゃ駄目だからね」
神がそう言った刹那、白龍は勢い良く翼を広げた。絢爛な鷹のような美しい翼だった。その翼を力強くはためかせると、白龍の筋肉が大きく隆起した。
やがて爆発したかのような大きな衝撃が来たかと思うと、私の目の前には夜空が広がっていた。私は怖くて下を見る事ができなかったが、多分鬱蒼とした森が広大に広がっていたのだろう。さぞ美しかろう、機を改めてまた見物したいものだ。それよりも私は頭上の星空に心を奪われた。星々が数多の色と光を持ち、夜空を極彩色に彩っていた。
「広人、この世界の事をどう思う」
唐突に神に聞かれたので、私は心のまま答えた。
「良いと思います…とても自然に溢れていて、素晴らしい世界です」
「そうかい」
神は続けた。
「ここはね…地球って言うの」
「……はい?」
私の耳に狂いが無ければ、神の言葉からは間違いなく“地球”という言葉が飛び出した。
「地球って…どういう事ですか?」
白龍の筋肉にしがみ付きながら私は聞いた。風は強く私たちを濡らしていた。目の前にいる神はこちらを振り向かなかったが、笑っているように感じた。
「ここはね、君達から見れば未来の地球…私はこの世界の、純系な人類としての血を引き継いでいる」
「…未来の地球」
それが本当ならばどんなに嬉しい事だろうと私は思った。しかし、我々の汚染された世界が、かのような自然溢れる美しい世界になる事など想像が付かなかった。だが空を見ると、確かに天の川やベガアルタイルデネブがあった…
今は夏なのか…夏にしては蒸し暑くもない。私はいろいろな焦燥の念に駆られた。そしてようやく私から口を開いた。
「未来って…私のいた地球は人類によって汚されている。ここを地球とは到底信じる事はできないのです…」
私の質問に、神はフードを取って話した。それは私が想像する以上に壮大で、神話のような話であった。
「今から話す事は、これから地球が歩む道…壮大な物語。広人、よく聞いて」
私は固唾を飲まずにはいられなかった。そして、永遠に続くような、吸い込まれていくような…そんな物語が始まった。
「かつて人類は恒常的に争っていた。その中で人類が生み出した“最終兵器”は、世界を滅亡へと追いやった。名前は“白銀”。人類の意に反して地球を凍て付く惑星へと変貌させ、人類を滅亡させた。人類の滅亡の後、やがてその爪痕を残すように氷河期が訪れ、人類の文明は自然の治癒力によって全て揉み消された。人類は文明を失い、数を減らし続けたが氷河期を何とか乗り越えた。やがて氷が解け始めると、地球は第二の人生を歩み始めた。雪解けの清流と緑が生命を育み、人類は二度と同じ過ちを犯さぬように文明の技術を封印し、自然と生きる道を選んだ。しかし人類の代わりに現れた獣人や巨人が今度は独自の文明を発展させた。彼らは体が小さく賢明な人類を卑下し、人類が起こした過ちをまた繰り返そうとしている……私はそんな運命から地球を救いたいと思う」
その話はにわかには信じ難いものだったが、夜風が私の疑心暗鬼を打ち消した。そしてできた心の空洞を、今度は感慨の気持ちがそれを埋めた。
「私は何かしたいんだろうね」
神は独り言のように呟いた。しかし私はそれは独り言ではない気がした。まるで誰かに優しく語りかけているような口調だった。その時私は、神の心の中の葛藤を感じた。
「ケイ、刑務所から始めて脱獄犯が出たそうだ」
珍しくジードが口を開く事があるのだなと思いながら、私はジードからそれを聞いた。その時私は心の何処かで直感した。間違いなく、脱獄犯はあの人達だと。
「あらら、珍しい事もあるものね」
「珍しいところか、あの刑務所始まって以来の事らしい」
「へぇ……」
私はその時迷っていた。打ち明けるべきか打ち明けず心の中に留めておくべきか…ジードは果たしてどう思うのだろうか、その脱獄犯が私を迎えて来ていると知ると、その大きな体は、一体何を考えるのか。その時ふと、竹取物語が頭を過ぎった。
かぐや暇に迎えが来る時、翁や嫗、さらに使いの者までが泣き喚き、かぐや姫も泣き泣き月へと帰っていった。天上の人ながら天下の地上世界を敬ったかぐや姫の気持ちが、今なら分かる気がした。
「ジード」
気づいた時には、私の口は開いていた。
「私は月の裏から来たのです。もうすぐ迎えが来て、地上に帰らなければ…なりません」
竹取物語のかぐや姫のように…私がそう言った。するとジードは突然血相を変えた顔をした。その時私は始めて、ジードの事を怖いと感じた。私の目も見開いていただろうが、多分ジードの目はそれ以上にひん剥かれていた。
「君は……そうか」
一瞬激昂したジードが冷静さを取り戻すと、私は目に涙が浮んでいた事に気付いた。多分ジードに圧倒されたのだろう。
「俺は…なら俺は」
彼は葛藤するように俯いた。そして私の肩に両手を置いた。それは私たち二人にとって、初めての事だった。そしてジードは震えた声で言った。
「俺は…君を守るよ。例えそれが天上の存在でも、俺は神に刃向かう」
私は感じた…彼は報われない。
本当に竹取の物語通りに話が進むのならば、かぐや姫には間も無く迎えが来て、抗っても抗えない強大な力によって私たちは切り離される…嫌な予感がした。とてもとても嫌な予感が……
「こんな私を、あなたはどうして愛してくれるのですか?」
意地悪な質問だった。だけど彼は彼らしくなく、真っ直ぐに答えた。真っ直ぐな答えだった。
「愛しているからだ」
彼に恥じらいは無かった。寧ろ恥ずかしいのは私の方であって、彼の言葉は堂々としていた。普段は冷静でも、その内には熱い魂を持つジードに、今度は別の意味で圧倒された。
そんな中突然、屋敷の至る所から色々な騒めきの声が聞こえてきた。何事かと私はジードと共に外に出て状況を確認すると、皆が指差す先には白い光が、絢爛と輝いていた。
「まさか…」
私は察した、早過ぎる迎えが来たのかもしれないと。
「ケイ、ここで待っているんだぞ!」
「…え、どういう事?」
「俺は行く。いいか、絶対にここにいるんだぞ!」
彼に言いたい事は沢山あったが、全て跳ね除けるように彼は襖をぴしゃりと閉めて出て行ってしまった。その瞬間私は腹を決めた。
彼を追う事を、私は決めた。




