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幻想世界物語  作者: 森 日和
分岐点
29/35

忘れもの

「アール…詳しく教えてくれないか?」

おそらく私は、悲壮な顔をしていただろう、しかしその根本には、そもそも訳の分かっていない自分がいた。

「こっちに来て」

アールは私に促すように尻目でこちらを見た。私はその意図を探り、アールの後ろについて行った。

やがて彼女は、かの中庭に出た。神々しいまでの風が吹き髪を濡らす、刑務所の中に光る楽園のような場所だ。

アールは私の顔を見つめて告げたら。

「ますかけ酒は、代々伝わる秘宝であり、私にとっては悲報でもある。そして神を名乗るその女性は、多分私の姉よ…」

私にとってはさほど驚く事でもなかった。神とアールは似ているとは正直あまり思わなかったし、寧ろアールは史さんに似た美しさを持っていた。人を引き寄せるフェロモンのようなものを放ち、老若男女から好かれる、多分アールはそんな人なのだ。

一つ大きな風が吹いた後、

「脱獄…」

と、アールが、突然真面目な顔をし呟いた。そして私の元に寄っては改めて言った。

「広人、脱獄しよう」

泣き顔とも取れる顔だった。

「私も…姉の秘密が知りたい」

その時のアールの顔は、私の脳裏を焼き切ってしまうようだった。決意と不安が入り混じったような複雑な目は、何物も吸い込んでしまいそうだった。私はしばらく呆然として事の現実を受け入れる事は敵わなかった。

「脱獄って急に言われても…」

私がそう有耶無耶な反応をすると、アールは我を取り戻したのか、拒絶するように私に背を向けた。それもそれで良いものだと感じた。

「早とちりだね…まあ、考えてくれるだけでもいいよ」

アールはそう言って、こちらを振り返らずに足早に去ってしまった。まだますかけ酒について全く聞いていなかったのだが、彼女の気持ちは揺れ動いてるように見えた。とても私は執拗に彼女に迫る事はできなかった。

しかし、扇動されてしまった私の気持ちは収まる気配が無かった。それと同時に、私の心にぽっかり空いていた穴が埋められつつあった事に怒りを覚えた。

「アール」

私はアールを呼び止めた。その時の私は、殆ど突発的な激動で動いていた。

「私も行くさ…私にも、忘れ物がある」

私の言葉を受け止めるようにアールはしばらく間を置いて言った。

「明後日よ、いい?」







ここでの生活は全くもって苦ではなかった。

私は結局、この武家屋敷のような広い広い家と、自らを夫だ、王子だという図体と心の大きな人と、非現実な事にも慣れを覚えてしまった。

私はある日、ジードに一つ聞いたのだ。

「あなたはどうして日本語が話せるの?」

ジードは答えた。

「大切な人のためだ」

と…

私には甚だ馬鹿馬鹿しく感じた。まさか大切な人が私以外の日本人なんて、とてもじゃないけど信じられる事ではなかった。ましてや元々お嫁に行くはずであったケイという人物が何者なのかも分からない。私はじっと待つしかなかったのだ。




ある日、私は意を決して聞いてみる事にした。

「大切な人って、誰なの?」

私が聞くと、彼は答えた。

「俺は戦場に生まれて、そして戦場で死ぬはずだったんだ」

ジードは低い声で言った。靴磨きの最中らしく、場の雰囲気はとても落ち着いていた。私も彼の職人魂に影響されたのか、心が澄んだ気がした。

「それって、何かあったの?」

私が聞くと、ジードは靴を磨く手を止めて、その場に二足を置いた。畳の上に置かれた靴は光沢を持ち、美しかった。そして靴から手を離すと、彼は思いつめたような顔をした。その顔は彼の巨体をより一層際立たせた。

「俺は戦場で生まれた。だか捨てられた…そんな時に助けてくれたのが、フミさんだったんだ」

「………」

「ケイはそんなフミさんの子で、俺の嫁…お前だ」

「…私の名前は史であってケイでは無い。何回も言っているでしょう?」

「…ああ、だけど信じられないよ」

彼は私が何と言おうと、依然として態度を変えなかった。思いつめた顔で何処ぞを見つめ、まるで篝火の前で回想に耽っている老人のような彼の姿があった。

そして彼は言った。

「お前はケイにそっくりだ、どこまでも似ている。だから私はお前を愛する」

突然の告白に、私は戸惑った。だかしかし、複雑な心境である事も否定できなかった。

「…いずれあなたはがっかりしますよ?」

「ああ、それでも良い。ケイがいなくなって満たされていなかった俺の心も、君がいる事で満たされる。俺はこういう奴だから、お前を手放さないし、命懸けでお前を守る」

私は感じた。彼はとても魅力的で、一途で、だけどそれは気持ちだけで、私の顔をしっかりと見てくれた事はあまり無いし、何より彼は自分から私に話しかけてこない。だけど彼の顔が、ジードという巨人の本質的な部分を表象していた。即ち、彼はとても素晴らしい人で、側にいるだけで心が温まる。まさに日野打ち所の無いはずだが、私はやはり気に入らなかった。私と体格が違いすぎる…そう、私はそんな無下な理由で彼を心の奥底で拒んでいたのだ。


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