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幻想世界物語  作者: 森 日和
分岐点
27/35

過去回顧

このたいそう大きな刑務所に幽閉されてからというもの、私たちの生活には活気が戻った。

最初こそどうなるのかと心底心配したのだが、今やそれも無用。私たちの日本語はアールが仲介に入ることで現地人たちにも通じるし、逆も然り。言葉が通じればみんな優しくて、何より彼らの感性には感服する。やはりここの人々は芸術には異常に長けているようで、過去についカッとなって人を殺したことがあるという奴がいたが、そんな危険な奴が平然と子猫の絵を描けば、そこらのプロより写実的に描いて見せた。

「凄い……私の友達で凄く絵が上手い人がいるのです。見せてあげたいなぁこの絵」

「何言ってんだ、こんなもん普通だぞ?」

「え……」

「お前も描いてみなよ」

「いやぁ…」

「描いてみな。遠慮するこたねぇ」

そうして私に強制的に子猫の絵を描かせては

涙を出しながら笑いやがった奴だが、根はいいので誤解してはいけない。

他にも個性豊かな囚人は沢山いた。

こちらでは名高い元急進派のテロリーダーだった奴にピアノを弾かせれば美しい音に涙を催し、もう百七十歳だという御年配がオペラを歌ったり…とにかく、見た事の無いあり得ない世界が広がっていたし、それが何より楽しく愉快だった。しかし私の中にある吝嗇の心は拭えなかった。史さんの事が心配で、何もできない自分がやるせなく思えた、何でもいいから何かしようと考えた。私は躍起になっていたのだ。


そしてある晴れの日の正午、昼の中庭

刑務所の閑散とした風景の中にポツリとある中庭、ここには安東さんが頻繁に訪れるのも頷けるほどの緑と極彩色の花々が咲き乱れ、幻想的に広がっている。私は中庭にある畦道を通って、安東さんの後ろ姿を見た。

「安東さん…史さんの事、気にならないのですが?」

私はとうとう、禁忌とも取れる質問をしてしまったのだ。私が話しかけた途端、安東さんは笑顔を消し去って、髪を風になびかせた。

「そりゃ、気にならない事は無いよ」

まるで、草木と調和していくような静かな声だった。

「でも、私は今の生活に満足しているよ」

安東さんの一言で、私の顔は少し歪んだ。史さんを蔑ろにしているとも取れる安東さんの雑言、今すぐにでも黙らせてやりたかったが、堪えて安東さんの顔をじっと見ていた。

安東さんは笑った。

「ここのみんなは楽しい。私は正直、ここで死んでもいいと思ってる。初めて現地人たちと話して、私はなんか感動したんだ。アールも何やかんや言って、すぐに私たちに打ち解けてくれた。まあ、まだ頑固だけどね」

私の堪忍袋は、静かに息を漏らすように切れた。

「そんな……じゃあ史さんは⁉︎」

「落ち着いて」

史さんは、まるで私の心の底を察したかのような顔をしている。しかしその顔は決して怖いものではなかった。寧ろそれは女神に似た、人々を安心させる何かがあった。

彼女は風になびく髪を抑えた。

「ここって良いよね、突然だけど…」

「はい。確かに凄い…」

「ね」

彼女は静かに歩き出した。


「史なら大丈夫よ、絶対に。だって私たちはこれまでもこれからも生きるもの」

「…はい」

「この言葉の意味、分かるかな?」

判然とは分からなかった。ただ、安東さんが何を言いたいのか、漠然とした雰囲気だけは伝わってきた気がした。私たちは生きていく、生きている限り絶対に会える……安東さんは、みんなの事を心から信じているのだ。

私も信じてみようと思った。自分を信じて、他人を信じて…そうしてみようと思った。私の中の邪念が無くなった瞬間でもあった。



翌朝の朝食は、いつも通り私たち四人とアール、合わせて五人でパンを頬張っていた。アールとはすっかり仲良くなってしまい、それはそれで問題だからだ。

「アールってさ、憧れとかある?」

大抵安東さんの素っ気ない話で始まって素っ気なく終わるこの朝食会は、やはり楽しいものだった。

「憧れか…あるのはある」

「へぇ、どんな?」

「私のお母さん、とか?」

「…ほう、なるほどマザコンか」

「ち、違う!」

今朝もこの通り、二人だけで会話が進んでいく。最近は安東さんが我が物顔でアールをいじる場面が多い気がする。アールはというと、毎回嬉しそうである。

「私のお母さんは凄いんだぞ…今はいないけどさ」

「あらら、何かあったの?」

「………さあね」

「ふうん」

私や谷山、ジェーンは耳を傾けながらも会話には加わらず、無心でパンを食べる。安東さんは一口が大きいので、会話しながらでもパンがすごいペースで無くなっていく。アールはいつの間にかパンが無くなっている。他愛のない事だが…

「ところで広人、その首にかけてる物って、笛ですか?」

だから、アールが唐突に私に話を振ってきたのには私も驚いた。

「うん、ああこれか…」

私は笛を握った。

「何て言えばいいかな…神様のお守り?」

「笛なのに?」

「うん」

アールの、微笑みながら

「おかしなの」

と愛嬌を含有した一言に、私のハートも砕け散りそうだった。

それも束の間、アールは

「神様に会った事あるんだ」

と、先程までとは一転して暗い声でそう呟いた。

「会った事あるよ、おかしな人だった」

安東さんが言うと。

「それ、女の人ですか…?」

と、恭しく尋ねてきた。私はそんなアールを見て、ここは安東さんに任せた方がいいと、そう感じて口を紡ぐ事にした。

安東さんはそんな事つゆ知らず、アールに受け答えした。

「確かに女の人だよ。名前は教えてくれなかったけど、氷のように美しい人だったね、見た目は…性格はまるで熱い石だ」

何だかよく分からない例えである。

「タンクトップだったしね」

確かにそうだったと、ジェーン以外みんな首を縦に頷いた。つまり、男が頷いた。

「へぇ……」

しかしアールだけは、何か考え込んでいる様子であった。頬杖を机について、顔を伏せて何かを考えている。おかげで男共は安東さんに睨まれる事はなかったし、みんなの視線がアールに注目した。

沈黙がしばらく続いてから、アールが顔をあげると、みんな目を見開いた。

「実は、私には姉がいるのです」

なんとも当然の告白であった。

「姉⁉︎」

「はい、実はその首の笛、姉の手作りとそっくりなのです。気のせいなら良いのですが…」

「そっくり⁉︎」

私たちは驚くだけだった。その時のアールはいつにも増して控えめな態度を取り、敬語をしっかりと使っていた。余談だが、容姿からしても達者な日本語からしても、とても日本人では無いと信じる事はできなかった。

私は笛を強く握りしめていた。するとアールが、また一つ告白した。

「実は私、交通事故に遭ったのです…それからというもの、姉と別れてしまって…」

「交通事故⁉︎」

先程から⁉︎ばかりであるが、私たちはもうそろそろで白目をひん剥いてしまっていたのではないか…と今になると思う。

「交通事故に遭って、何故かここにいるのです…」

「……それ転生ってやつ?」

「はい、その転生ってやつなんです!」

もう訳がわからなかった。

「ここに着いてから食べ物がなくて道端で倒れていたのを拾われてここに連れてこられて……囚人たちと話すうちに現地語も大体わかるようになって…なので私にとっては日本語が母国語なんです。ちなみに、あなた方も転生して来たんですよね?」

もはや私の中で確立されつつあった“怖い”アールは消え去り、目の前の、目を輝かせて好奇心を剥き出しているアールの印象が新たに出現し、まるで私の脳内で社交ダンスでもしているかのように入り乱れ、ぐちゃぐちゃになっていった。そんな頭でどう転生したかを思い出すと頭が軋むようだったが、白い霧の広がる中で不思議な体験をした事は覚えていた。あれは一体何だったのだろうか…

「広人のお陰ですわ」

ジェーンの時はよく覚えている。幽霊さんが私の新居に現れた事も、あの黒い影を追った事も、よく覚えている。

「主人があまりにもウザかったので」

谷山の転生の理由は何処かで聞いた事があったかもしれない。しかし覚えていない。

「覚えてないや」

安東さんは私には未だに謎多き存在だ。

三人とも、私も合わせて個々の理由があってこの世界に来たのは承知だ。しかし何故この五人だけなのか…それが不思議でならなかった。


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