冤罪
「…うう……」
殴られた頭がまだ痛む。
「あれ……」
またか…そう私は思った。
気を失い、気づけばまた違う場所に私はいた。先ほどまでは幽邃な道を歩いていた私だったが、今私がいるのはどこかも分からない、ただ冷たい土があり扉があり、冷たい壁と冷たい天井で覆われている部屋であった。
「気づきましたか…?」
ふと部屋の隅を見ると、見慣れた顔があった。
「ジェーンじゃないか…痛てて…」
「まだ寝てるべきですわよ…」
私は痛みに耐えきれずにジェーンの忠告に従った。
彼女、ジェーンは引きつった顔をしていた。
この何もない部屋に誰も来ぬまま、起き上がらずに一歩も動かぬままであり、私は話がしたかったが、ジェーンの顔を見ると躊躇ってしまった。ようようと厭世の気持ちが心に湧き出てきた。
私は一言も話さず、ジェーンが話しかけてくるのをひたすら待った。天井を見ながら、天井に妄想の舞台を広げた。
「史さん、安東さん、谷山、みんなどうしているんだろうか…」
思索に耽り始めて早一時間は経っただろうか、その時であった。
突然扉が大きな音をたてて開かれた。頭痛で軋む頭が再び蠢き、私は頭を抑えた。
「ーーーー……」
私たちは何かを話す二体の巨大な怪人によって体を掴まれた。
「離せ!」
私は叫んだが、途端に頭が痛んだ。そして抵抗できないまま、そのまま手を引かれて連れて行かれた。扉の先には奥行きのある廊下が、まるで地の果てまで続くかのような大きな広がりを見せていたが、巨人の姿を見てすぐに、彼らにとっては普通の大きさなのだと感嘆した。それに圧倒された故か、私には抵抗する気力すらも無かったのもも、ジェーンはあまりにも無抵抗だった…不気味なくらい放心していた。
その時の私たちは、巨人に掴まれたまま何処かへと向かっていた。私は念入りに周りを見渡して、状況を察知しようと努めた。
「ここは…」
私の軋む頭の中に、ある一つの考察が生まれた。広い廊下の両壁にはまるでホテルのように幾つもの扉が等間隔で存在していた、しかし扉も廊下も、ホテルというにはあまりにも質素で簡単な造り、更には鉄格子のようなものが時たまに見られることから
「刑務所」
そこはまさに刑務所そのものであると確信した。そして考察を広げるてみるとこういう結果になる。
今ここにいるという事は、私たちは言わば“逮捕”され、そして何かの罪で“有罪”となったという事が必然的に成り立つ。
「冤罪だ」
まさしくそうである。私は頭の中を整理した。
如何にかして冤罪を認めてもらい、釈放してもらうしか無い。しかし私たちにどんな罪が着せられたのか、それが分からないと話にならない。
今はこの巨人たちに忠実に従おう…そう心に留めた。すると巨人が足を止めた。おそらくここが場所なのだろう…
「ーーー…」
“ここだ、入れ”とでも言っているのだろうか、連れて来られた部屋の扉を、巨人が親切に開けてくれた。
扉というにはあまりにも大きな扉。そして部屋の広さ…私たちは如何にちっぽけな存在なのか…と思い知らされながら、奥の部屋に入った。奥の部屋には幕があったが、めくるまでも無いほど高い位置にあったため、そのまま部屋に入った。そこにはさらに三つの、見慣れた顔があった。
「安東さん、史さん、谷山⁉︎」
私が思わず叫んでしまったために、玉突きのように巨人に飛ばされた。
「広人…あんまり騒いだら駄目」
安東さんの示唆を私は感じ、目の前にある二人分空けられた席にゆっくりと座った。
私とジェーンが隣、対面に安東さんと谷山が、そして史さんは巷で言う“お誕生日席”に着いていた。
「では、始めましょう」
口火を切ったのは史さんであった。しかし今日の彼女にはどこか違和感がある事が否めなかった。目の前にいる彼女が、何しろいつもの史さんとはかけ離れて見えたのだ。
「まずあなたたちが王女陛下を拉致した事件について、心当たりがあるかしら?」
「え⁉︎…」
私は唖然とした。他のみんなも初耳だったらしく、驚いた顔が隠せない様子だった。おそらく、冤罪というのはこれの事なのだろう。
「待って」
安東さんはあまりにも酷すぎる事実に、我慢できなかったようだ。
「あなたの名前を教えてくれる?」
安東さんは優しく質問したが、それに対して史さんは安東さんの顔を見ながら、あり得ない事を口にした。
「そんな事、今は不必要でしょう?…まあ、どうしてもってなら教えるけど?」
相手も優しい口調で話してくれたが、あり得ない。史さんはこんな顔をした事が無かった。このやり取りで私は確信した…彼女は史さんではない。史さんに似た誰かだという事を。
「私はアール」
「アール…」
「ええ、ここで囚人として暮らしている。ここでは唯一日本語が話せて、おかげで殺されずに済んでるわ」
「日本語…確かに、じゃあ現地語も話せるって事⁉︎」
「当たり前です。日本語の他にもたくさんね…じゃなきゃ通訳として生きていけないわよ」
驚いた。私は純粋にこの人の凄さを体感した。牢獄に入れられても諦めず、必死に見返してやろうと勉強して、そして自分の道を作った…私は何だか、過去を抉られた気がした。
「それで、話を戻しますよ。王女陛下拉致事件についてはどんな考え?」
日本語に多少の違和感があるものの、我々には過不足なく通じる。対してこちらは、安東さんが代表して話し合ってくれた。
「王女陛下拉致事件については私たちは列記として有罪ではありません!」
「……もっと簡単な日本語でお願いします」
私は、一瞬垣間見えたアールの可愛さを見逃さなかった。殆ど同じ容姿で、史さんは美しく魅力的で、アールは可愛く快活、そんな女性のオーラの違いに心を揺さぶられた。
私の事を誰か殴れ…
そう私が阿呆な思考を爆発させている中で、安東さんとアールによる話は進んだ。
「私たちは王女陛下を拉致してないっ!」
「でも証拠が無けりゃ」
「……拉致した証拠も無いでしょう?」
「いやだって、現行犯逮捕だったじゃん…」
「え…?」
現行犯逮捕…それは一体どういう事だ⁉︎
「通訳を任されている人として、あなたたちに伝えた事はこれで全てです。特に私個人的に…あなた達を許しませんから!」
思考が螺旋を描いたまま、彼女は部屋を後にして、巨人が私たちの体を掴み、また牢獄への帰路についた。
「一人で歩けるから…」
そう言っても巨人には言葉が通じず、何だか虚しくなった。仕方なく私は、ひたすら頭で先程の会話の内容を考える事にした。
女王陛下拉致事件……
考え出すと、頭がまた軋んだ。
ここは果たしてどこなのでしょう。
私は大きな人たちに連れられてある場所に連れて来られた。しかしそこで待っていたのは、有り得ないと目を瞑りたくなるような現実の数々であった。
部屋に入れと指示された私は、襖のような扉を開けて畳が敷かれた部屋の真ん中で座り込んで、そのまましばらくみんなの事を考えていた。安東さんたちは全員捕まって何処かへ連れて行かれてしまい、私たちは離れ離れ…しかし何故か涙も出なかった。
そして軽く一時間くらい経った頃、ドンと大きな扉の音が聞こえ、外から大きな顔が私を覗いていた。
そこらの巨人なんかよりも…比べ物にならないほど大きな巨人だった。
巨人は低く震えた声で私に話しかけてきた。
「まだ用意は終わっていないのか…?」
「え…どういう事ですか…」
「どうした、具合でも悪いのか…我が妻よ」
「え…」
巨人がまさか日本語を話すとは思わず、私は言葉が出なかった。それよりたくさんの事で頭の中がぐちゃぐちゃになって、記憶のメモリの仕分けをする為の時間があまりにも足りなさすぎた。理解不能な事実が連鎖して、もう生死の区別さえ出来ない程に混乱していた。
「妻…?」
「お前まさか、記憶を失いでもしたのか」
「い、いや……」
喉がどんどん重くなり、声を出すだけで顎が外れそうになり、吐き気を催す程に私の精神と肉体がぐちゃぐちゃになっていく…そんな途方も無い絶望感が私を覆った。
「あの…」
私は腹を決した。固唾を押し込んで、枯れた声を出した。巨人は、私を深く澄んだ目で見つめていた。
「多分、私じゃ無いです、それ」
「…お前はお前だろう?」
「人違い、です…おそらく」
「何を馬鹿な事を言ってるんだ…」
巨人はその図体に似合わず賢者なようで、私が支離滅裂で意味不明な雑言を連発している状況においても、常に冷静に取り計らってくれた。おかげで私にも、少しだけ落ち着ける時間ができ、彼は私の様子を察しながら、時々寡黙な態度をしてくれた。
彼は体は大きくても、優しくて気の利いた、そして全てを包み込んでくれるような人だった。
「あなたの、名前は?」
失礼を承知しながらも躊躇いなく聞くと
「ジードだ、頼むよケイ…」
と穏健な笑顔を浮かべてくれた。
「ケイ…私が?」
「そうだよ、君の名前はケイ」
「ふーん…」
これからというもの、今度は私が黙って口を利かなくなった。見兼ねたのか、巨人は襖の扉を開けて、頭を下げながら部屋の中に入ってきた。そして私の横に、不愉快にならない程度に近づいてきた。
「俺の顔を見て」
ジードがそう言って初めて、私たちは互いに互いを見つめ合った。
「これでも、まだ思い出さない?」
ジードが目を見開いてそう言っている事がなんだか馬鹿馬鹿しく滑稽に思えて、笑いそうにもなったが、今はそんな場合じゃ無い。
私は結局笑えなかった。笑えない分、口が動いた。
「私は記憶喪失なんてしてません。そもそも、私はケイじゃ無いですから…私の名前は史、人違いです…多分」
私は申し訳程度にジードの目を凝視して、そう言ってやった。だがその時のジードは何かおかしかった。目を見開いたと思えば冷や汗を全身に垂れ流し始め、座り方を胡座に整え直し、あからさまに不自然な態度をとった。しかしそれも束の間の出来事だったが、私はジードの反応から大きな手応えを感じた。いや、それは違和感とも言えるだろうか。
「ふぅ…ごめん取り乱したよ」
だが、彼が言わずとも自分が動揺した事を認めた事で私の違和感もかなり薄められた。
そしてジードは、一つの告白話を始めた。
「昔、俺の大好きな人がいてさ…その人の名前がフミだったもんで…何せ驚いたんだ。顔までそっくりだとは思わなかった」
「へぇ…いいですね」
「快活で明るくて美人だった…まさに太陽だったんだ」
「青春じゃ無いですか!その人は?」
「死んだ」
「…そうなのですか」
切り捨てるように言われた“死んだ”という言葉に、私はジードの計り知れない過去と、それへの想いを悟った。もし彼が私の知る人間ならば、私は彼の優しさに惚れ込んでいただろう…しかし彼は普通の人間から見ればただの怪物、私とは立場が違う…
広人さん…突然はっきりとあの人の顔が脳裏に浮かんだのも、その時であった。
「とにかく、時間がないから早く準備だ」
「準備とは?」
「本当に忘れたのか?俺らの結婚祝いに、宴が開催されるんだよ」
「へぇ、宴は楽しみですね…」
「そう、そして私たちは正式に妻となるんだ…王子ジード、王女ケイとして、後継者になるんだ」
「王女…」
それを聞いて、私は思い出せそうで思い出せない何かが心の中にある事を感じた。
それは一体何なのだろう…今まで起きた出来事が、順をなして少しずつ繋がってくるように心が感じている。しかしそれが何なのかという明確な答えは出してくれない、いずれにせよ、やがてそれがとても大きな存在になりそうな…そんな予感がした。




