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幻想世界物語  作者: 森 日和
承転記
23/35

背中合わせ

屋敷に着くと、谷山もジェーンも集合していた。

「さて、緊急円卓会議ですかな?」

「円卓、は要らないよ」

「そうですかな、ジェーン殿」

「円卓って付けちゃったら仲良くって意味になっちゃうでしょ?」

「…そうですか」

残りの三人は谷山を見かねているのか、また怒っているのか、はたまたジェーンの言っている事に感嘆しているのか、口を開かずただ立ち尽くしていた。



「じゃあ広人、説明頼めるかな?」

「はい。えーっとまあ…何故かは知らないけれど、史さんが懸賞?の対象になってしまったんですよ。詳しい事はさっき説明した通りですが…」

「はい、私もさっき広人さんから聞きました。やっぱり前の雨の日の件と何か関係があるのですね」

「クロウムですな…うーむ、不思議だ」

「ん、谷山は何が不思議なの?」

「今までのクロウムは、私たちの持っている食料などの物を奪っていくだけだったのですが…今回は地下室にまで来てしまっておりますな」

「うん。あいつらはまともに戦っても勝てないから、雨の日は地下室。そりゃ地獄だわ」

「安東さんの言う通りです。私たちは雨の日は、地下室に逃げ込んでいました。しかし地下室にまでクロウムが迫って来たのは初めてです」

「おかしいねぇ…そもそも奴らは史の顔を見た事がないわけでしょう?なのに…」

「いや、心当たりが少しあるんです…」

「何かあるのですか?」

「うん。初めての盗みの日…確か私は安東さんから骨つき肉を受け取って、道脇から屋敷へと帰ろうとしました。すると、路地裏を通る私の後ろに、大きな影が見えたのです」

「大きな影とは何ですかな?」

「多分雨の日のクロウムです。大きさもそれくらいでした」

「ふむふむ…て事は、史さんは顔を見られたのではないか、という事ですね」

「はい谷山さん」

「うーむ」

謎が謎を呼び、私たちはそこから黙りこくってしまった。外はもう真っ暗で、屋敷の中では白い光が所々で点けられている。円卓の中にある電球は点いたり消えたり、点滅を繰り返す。私たちは下を向いて、しばらくは清き静謐に身を任せていた。

「ここから逃げよう」

安東さんが言った時、電球の光がプツリと消えた。

「逃げるって…本気ですか」

「ええ、このままここにいても危険なだけよ。やってみなくちゃ分からない…」

「……」

目の前は暗い、それよりも更に、安東さんの声の方が暗かった。彼女がどうしてそこまで“生きること”に拘るのかは私には分からない。しかし

「そうですよ…やってみましょう」

そう史さんが立ち上がって言った事にはまるっきり理解できなかった。

「今外に出るのですか?…」

それに対して、私はカッとなってしまったのだ。

「ここにいる方がずっと安全では無いのですか⁉︎自分が助かりたいからって…それはあまりにも酷過ぎます!私たちまで危険を冒すような……」

それ以上の言葉は出なかった。

「すみません…ついカッとなって」

この時の私は、もはや我を見失っていた。哀れは人間の奥底の、底辺の感情を剥き出しにしていた。自己誇張、怠惰傲慢、自分勝手、人間不信、顔面頑固、暴力主義、感情尚早、曖昧模糊…そんな底辺の感情を、この時の私は彼女に対して露わにしてしまったのかもしれない。

「広人」

安東さんの声がした。

「例えここに残ったって、いつかは見つかる。なら今リスクを冒してでも、ここは博打に出るべきだと思うの…逃げるなら早いうちがいいし、夜だから気づかれる可能性もまだ低い。広人が嫌なら別に、付いて来なくて構わない」

そう、安東さんにとっては私の事を思っての、私の意見を尊重しての言葉だったのかもしれな。しかしこの時の私はこう思った。

「見捨てられたのだ」と。

私はどうしてそこまで“生きること”に拘るのだろうか…悪口雑言を浴びせるがいい、この哀れな人間に。




「広人さん、少しいいですか」

部屋の扉を開けて入って来たのは史さんだった。

「一意専心中、失礼しますね」

彼女の言葉の含意に、私の心にも思わず笑いが灯った。

すると、史さんは私の方へと近づいて来て、やがて私は背中に、湯たんぽのようなほのかな、落ち着く温かみが広がった。

私たちは背中同士をくっ付けていた。

「これは…一牛鳴地ですね」

私が言うと、彼女は

「牛の声が聞こえるほど近いですか…いや、ひょっとしたらそれより近いかもしれませんね…」

と、再度意味深長な事を言ったので、私はまた笑いを隠せなかった。

「あなたは知勇兼備な人だ。先程あれだけの事を言った私に対して、優しく接してくれるなんて」

「人間が間違えを犯すのは当たり前です。しかし、間違えは正す事ができます。悪因悪果という言葉はありますが、それを繰り返して人間は極限まで聖に近づくのです。最初から優れた人間なんていません……私もたまに夢で見るのです…絵描きの才を誇示しては威張り散らす夢を」

「夢ですか…そうですね。夢の中では自由奔放に歌を歌っていますかね」

私は微笑みながら言ったが、おそらく彼女には見えていないだろう。しかし、彼女の笑った声だけは私に届いた。

「あなたは氷壺秋月な人だって、安東さんが言ってましたよ」

「え…何ですかその言葉は?」

「とても清らか人、という意味で使われるのです」

私は絶句した。私は先の件で、みんなに対して悪口雑言を浴びせたムードブレイカーである。その私が清らかだと…

「その言葉は、私には荷が重すぎます」

私が言うと、

「何故ですか?」

と、史さんが聞き返してきて、私が口を開く前に続けた。

「人の為に躍起になれる人は、本当に素晴らしいと思います。さっきは上手く言葉にできなかっただけで、本心では、屋敷のみんなの安全を誰よりも願っているのでしょう?」

その単なる彼女の一言が、私に勇気を取り戻させてくれたのだ。私はハッとして天井を見上げた。

「みんなの事を思っているからこそできる行動ですよ。広人さん」

私は複雑な心境だった。それは様々な感情が交錯して、という意味ではなく、彼女の言っている事に少し曇りが見えたからである。後々思い返すと、その時の私はおそらく『本当に私がそんな人間なのか』…と、自己不信に陥っていただけなのだろう。

会話が止まり、背中の彼女の温もりを感じて、私はこの世の無常さを深く感じていた。

すると、神秘的な静けさの中で、史さんが言った。

「本来ならば、私が広人さんに謝らなければいけないのです」

「そんな事はありません!」

彼女があまりにも支離滅裂な事を言ったもので、私はまた声を荒げてしまった。だが今回は、彼女は笑っていた。

「自分勝手なのは私なのです。確かに私は今日の出来事があって、とても…怖かった。でも、怖がってばかりじゃいけませんでした。無闇にこの街から出るなんてことを言って、広人さんが怒るのも当たり前ですね」

「史さん…」

私は彼女の心の葛藤を少し感じて、そして心なしか悲しくなった。私を気遣ってくれる史さんの思いやりに胸が痛んだのだ。

すると彼女は、ある一つの事を打ち明けた。

「安東さんね、三年前に、尊敬していた人を殺されたらしいの。前みたいに大きな怪物が襲ってきてね…その人がみんなの前に立って、みんなを逃がしてくれたって。

その人が最後に言った言葉が“生きて、また会いましょう”だったみたいなんだけど、結局会えなかったって悲しんでた」

私は敢えて何も言わずに、言葉の無い暖かな目線を彼女に送った。彼女は私の背中に寄るように座り直して、続けた。

「だから多分、安東さんが逃げる事を勧めたのは私たちのためだと思うの。例えリスクを冒してでも、今じゃなくて、これからを安全に暮らせるように願ってると思う。

あの時もそうだったけど、安東さんはみんなよりも真っ先に自分の身を投げ出そうって、多分そう思ってる。安東さんの“尊敬する人”が安東さんを導いてくれたように、私達を導いてあげようって思っているんじゃ無いかな?」

「……私は」

私は喉を振り絞った。喉を締めて締めて、枯れた声を絞り出した。

「…私は、私は安東さんに導かれたい。導いてもらいたい」

泣いているとも誤解されそうな声が、暗い部屋の中で聞こえた。史さんは私の肩に頭を垂れた。

「一緒に、行くのですか?」

「はい。」

私は勇ましく返事した。

「良かった、嬉しい…」

史さんはそう言い残した。やがて、背中の温もりが無くなり、扉を開く音が鳴った。

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