考察の行方
私なりに考察を広げてみた。
まず第一に、こんなふざけた額の大金を賭ける事ができるあり得ない大金持ちがいたとすると、其奴はかなりの権力者だろう。
そして史さんにこんな大金を賭けるとなると、其奴にとって史さんは特別な存在なのだろうと推察される。無論、なぜ其奴が会った事も無いはずの、はたまたここでは少数派である“人間”を欲しているのか理由は分からない。分からないが私なりに考察すると、化学兵器の実験には人間の個体が必須だとか、ほんな理由があるかもしれない。しかしそれならこんなふざけた大金は賭けない。いやそもそも一億六千万という数字自体、ここではそこまで大金では無いのかもしれない……いやそれは無い、だったらあんなに人が動くはずがない。
ともかくそこに首を突っ込んでも結局は分からずじまいである。私は何故史さんなのか、その目的に関しては“分からない”で保留として、経過についても考察を広げようと思った。
考えると、不可解な点がやはり幾つかある。
まず先日訪れ殺された怪人は、おそらくこの懸賞を賭けた其奴のパシリのような存在だったのだと私は推測する。これと酷似した紙切れを持っていた事から、間違いない事実だと豪語できる。しかしそれならば、あれ以来不審者が屋敷を襲う事はなく、とても平穏な日々でよく眠れた…そんな日常が待っているはずが無い。懸賞を賭けられ、仲間を殺され、最終的には平凡な人々にまで大金を餌に協力を要請した……そんなに史さんが大切ならば、私たちはとっくに屋敷ごと火をつけられて蒸しダコになっているだろう。
駄目だ…分からない。
私は頭がはち切れそうになり、考える事を辞めた。この真相を求めるにはやはり情報が足りなかったのも然り、何より今は考え事をしている暇がないとようやく悟ったのだ。
「みんなに伝えなければ」
私は人の波から抜け出して路地裏の方に体を向けた時、突然人々が大きな歓声にも似た声を出しながら走り出した。まるで恐竜が動き出したかのような大迫力に、私もほぼ無意識に足を止めていた。しかし次の瞬間、私の脳裏に浮かんだ事実は、私を震え上がらせた。
「そういえば、みんな屋敷には居なかった…」
私は偶然首に掛けていた、神から貰った笛のようなものを握りしめて走り出した。
屋敷にはみんな居なかった、そして人々が一斉に動き出した……つまり!
「あっちにみんながいる!」
私は人の波から離脱して、路地裏の裏道を通って人々の歓声の方向へ向かった。遠回りだか、こちらの方が早く辿り着けるのは明らかだと思っての行動だ。しかし民の熱狂ぶりは、私の想像の一回り二回り上を行った。
普段誰も通っていない、誰もいない閑散とした路地裏でさえ、火をつけられたかの如く燃え上がっていた。鬨の声を上げる人々を彷彿とさせるくらい、凄まじい歓声が聞こえてきて、私は
「みんな…」
と細い声を出すばかりで、哀々父母に陥るかのような顔をしていたのだろう。
私は諦めたのだ。
もしも私が、今の私が、エイプリルフールに呆気なく騙されていたのだとしたら、それはどんなに良い事だろうか…嘘であってほしい嘘であってくれ!と心の中で悲嘆する事しかできなかった。
だかそれも儚く散った。
気づいた時には鬨の声は遠のいていくばかりであった。そして私は途方に暮れながら、屋敷への帰路を辿る事にした。
つまり、私は逃げたのだ、逃げてしまったのだ……
呆気ない、馬鹿では言い表せない程の滑稽極まる現実に期待して、弱気になって、私は逃げた。唐突すぎる現実が、私の心を呑んでしまった。
だが天は、私に逃げる事を許さなかった。ここらでは見たことのないような人だかりが路を支配しており、私は屋敷へ通じる道に辿り着くことはできなかった。
私に残された心当たりはたった一つであった。
「広人!」
草むらの中から聞こえたのは、紛いもない安東さんの声であった。
「みなさん、ここに居たんですね!」
私が安心しきった顔を浮かべて草むらを覗きに行くと、唐突に手を掴まれて引っ張られて、そのまま体ごと地面に叩きつけられた。
「な…⁉︎」
「馬鹿、バレるだろ!」
それもそうであった。
「あ、確かにそうですね、すみません」
申し遅れたが、私が訪れた心当たりのある場所というのは、私と史さんが初めて訪れた例の秘境であった。
「広人、何なんだこれは…一体何が起こっている…」
「私にも分かりません…ただ窮地である事は確かです」
そこにいたのは安東さんだけであったようだが、ともかく、最低限私は安東さんと合流する事ができた。次に私は、安東さんから聞きだせる事はないかと企んだが、その前に史さんの事が最優先である。安東さんが居るならば僅かな希望が見出せるはず、だから今は外の状況を知るために外に出るべきだ。
「安東さん、多分草むらに身を隠すなんて事はしなくていいと思いますよ」
私は安東さんに、知りうる情報を全て伝えた。
「多分奴らの狙いは史さんですよ」
私が言うと、安東さんは何かに閃いたように右の拳を握りしめて思い切り振った。
「だからか…さっき大勢の狂った人間に追われて…」
「追われたって…やっぱり史さんと一緒だったんですか⁉︎」
「まあね…でも別れちゃった」
「あら……」
しかし、こうしている間にも、史さんはあんな大勢から逃げ回っているのだ。私もこの地点ではとっくに気が変わっていた。一度は諦めた事だったが、史さんを思うと、ついさっきの自分などまるで嘘のようだ。私は覇気に満ちていた。
「でもやっぱり…探しましょう!」
「勿論、そう言ってくれると思ったわ広人!」
それは安東さんも同じだったようだ。
「どうしよう…これじゃあ人が多過ぎて通れませんよ」
「広人、落ち着きな」
大観衆を目の前にして、私たちは立ち往生していた。安東さんも渋い顔で何かを考え込んでいる。何か良い策があれば…そう思いながら、私は首にかけていた神の笛を吹いてみた。
「………なんじゃそれ?」
神の笛は、私が吹くには早過ぎたようで、全くもって音を発してくれなかった。私はたいそう赤面していた事だろう。
「…何でもありません」
私は年下相手に恭しくそう答えた。そしてしばらくは二人とも一言も話さず…沈黙であった。少し気まずい感じすらした。
「とにかく…打開策が絶望的に無いね」
「はい、ひょっとしたらもう捕まってるかもしれません…」
「それは…そうかもね」
その時、一時の木枯らしが道端に散乱していた紙切れを宙に舞い上げた。そして我々の元に、その内の一枚が形を乱して飛んできた。
「これって…」
「あ…」
二人とも間の抜けた声を出した。
「これは…ふっ」
突然、安東さんが吹いた。ゲラゲラと顔を歪めて、腹を抱えながら上下運動を繰り返した。
「これって…私の顔じゃんか…」
「え⁉︎」
そうそれはまさしく安東さんの顔であり、紛いもない。
「どうして安東さんが⁉︎」
「あ、ああこれは…」
安東さんは笑い喘息を起こしながら話した。
「これは広人達が来る前から貼ってあったものよ。だから今回のような騒動にはならない」
「あ、そうだったのですね。何だ…」
「ん、何ってなあに?」
「いやぁ、また走らないといけないのかな〜と思って」
「なるほど、確かに私もヘトヘトだわ」
二人で顔を見合わせて笑った時、私は思った。人はどんな状況でも些細な事で笑う事ができるのだと…そしてそれに少しばかり感動した。
「後さ、史を幸せにしてやってね」
「ん、何か言いましたか?」
「ああ…いや。さて、史を助け出そう!」
「そうですね!」
安東さんは肩幅に足を広げてその場で何度か飛んだ。まるで長距離ランナーのようなストレッチを始めたのだ。
「えらく元気そうですね」
私が言葉をかけた時には、安東さんは壁に手をついて肩とアキレス腱の準備運動をしていた。まったく…どこまで本気なんだろう。
史さんは空を見上げていた。
「やっぱりさ〜、どんな状況でも元気が無くっちゃね!」
「そうですね」
私が言うと、安東さんは急に暗い顔をした。妖艶で、哀愁で、泣きそうな…とてもじゃないけど、言葉で表すのは難しい。
「うん…あの人の言葉だよ…」
ボソッと、安東さんは何か言った。
「ん?」
「いや…さて、行きましょう!」
悲しい顔をして空を見上げる安東さんも、やがて何処かへ行ってしまった。私はまるで、夢を見ているような気分になった。
その時…
「あ、広人さん!史さん!」
と、左から大きな声が聞こえてきた。私たちはその声を聞いて、顎を外した。
「史さん、何故ここにいるのですか⁉︎」
「何で…⁉︎」
私たちが呆気にとられた顔で彼女の体を揺さぶると、彼女は不思議そうな顔をして
「いや…怪しい人に追われて史さんと別れたしまって…心配になって出てきたんです」
と言い、私と安東さんをたいそう困らせた。
「でも二人が無事なら安心です。早く屋敷に行きましょう」
「ええ…安心はこっちのセリフよね?」
安東さんは史さんの言った事に対して、首を傾げながら私の様子を伺った。




