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幻想世界物語  作者: 森 日和
現実世界史
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イラストレイト

壮絶な幻想世界といえば、皆は一体、何を想像するのだろうか。


幻想世界とは架空の世界であり、架空故に生み出すも自由、殺すも自由の世界であり、一度幻想世界に迷い込んだが最後、現実という芝生の上で一生を生きていた私たちにとっては、幻想世界とはまさに隣の青い芝生である。


例えば、夢を支配、操ることができるとしよう。その時、皆さんは、どんな夢を創造するだろうか。


勇ましい王国の王となる夢か


悲しい戦争の夢か


一人の人として生を全うする夢か


そんなものは人それぞれであり、それがまた面白い。性に飢えた者ならば、例えば美女との愛の夢を頭の中に綴るかもしれない。生き物が好きな者ならば、広大な古代の自然の中にいる夢を見るかもしれない。


夢とは無限であり、我々が持てる唯一の幻想世界、ファンタズムなのだ。


もしも、この世界自体が夢ならば…


これは、あくまでも架空の話であるが、時々そう思うことはないだろうか?

人の世に生きて、人の営みに疲れた時や、幸福に満たされて現実が信じられなくなった時。

「夢のような光景」とは言うが、実際それが夢だったならば…




実際、私もそう思ったことはあった。


自身の努力が報われる時ほど、夢のような体験はない。ましてやそれが人生の大きな分岐点となるならば尚更である。

例を挙げるならば、受験なんてそうだろう。


私は思う、受験とは黒々しいものである。


本来、人とは、自分の感性を活かして生きていく自由な生物である。強制的に勉強をするものではないし、私もそれは間違いだと思っている。


例えば、私は幼い頃からお絵描きスクールに入っていた。

私はお絵描きが大好きだったから、絵画、特にキャラ絵の練習は真剣に行ったものだ。そして絵が上手くなり、コンクールに出品して、私は思う存分に好きなことを満喫したし、満喫できたのはやはり努力があったからこそである。


しかし、勉強は嫌いだ。

日本人のほとんどは、勉強が嫌いだと発言する…実際私だってそうである。勉強ほどうんざりする学問はない。よって私はこれまで、勉強と学問は分けて考えてきた。勉強とは感性や個性なんて皆無であるが、学問とは感性を活かした、自由な学びである。


上記の方式でいくならば、私は学問を修めたい。



私の夢はイラストレーターだ。お絵描きスクールで培った知識と、これから学ぶ知識と、自らの自由奔放な感性と、それらが噛み合わさって初めてイラストは生まれるだろう。

それが生まれるというのも、それこそまさに夢のような時であろう。


私が何のためにイラストレーターになるかって?

決まっている、好きだからだ。






まずはじめにはっきり言っておこう。

私は高校生。

好きな色は青。

好きな季節は冬。

分かるだろうか…私はとても静寂的で、明るい人間なのだ。


そんな私は、落書きに青春を注いでいた。英語のノートに埋め尽くされた顔だけ人間たちは、ページをめくるごとに立体的で表情豊かになっていった。最終的に、私の絵は男キャラ、女キャラ、萌えキャラ、リアル風など多岐のジャンルに渡り、英語のノートはまるでリオデジャネイロのサンバカーニバルばりの華やかさであった。

もちろん、英語の成績は危うく、ギリギリのところで私は留年を逃れた。


「うまいな」

アニメ好きで、特に作画厨の山尾にデジタルの絵で一泡吹かせることができたことは、特に私の自信となった。


「いや、お前さん、もう画家になれば?絶対大丈夫、保証する。お前さんよりも下手なのにイラスト描いてる人は何人も見てるし、お前さんはプロでも通用する。また教えてくれないかな?アタリの取り方とか色のやり方とかさ」



私はその瞬間、あまりの嬉しさに昇天した。

山尾は昔からいい奴なのか悪い奴なのか分からなかったが、私は山尾に対して、一瞬で手のひらを返してしまった。


私は同じく美術の柿田先生に絵を見せたところ。

「この立体的な絵は高校生じゃ描けないわよね〜。一つ言うならば、絵全体を見ると静かな雰囲気なんだけど、もうちょっと個性とか、激動的な感じを出してもいいと思うよ」

などなど、二時間もぶっ通しでお褒めの言葉を貰った。

そして、自信がついた。


しかし今になって、それがいけなかったのかもしれない。


ともかく、そこからの私はまさに韋駄天の如く、出世街道を駆け上がる。



「この英語の成績じゃあなぁ…」

「だったら、イラストで大学行きます」

私はそう、担任にきっぱりと言った。担任は呆気ない顔をしていたが、止めはしなかった。



「お前さん、イラストで高校行くのか」

「大学な、高校受験じゃ無いし」

山尾と久しぶりに一緒に帰った時、感慨深そうに私にそう話してきた。

「あ、確かにそやったな。高校受験ちゃうわ……それは良いとして、まあでも、お前さんなら絶対大丈夫」

山尾が何か言いたそうなのに、直前だその口を噤んだことは私も察しがついた。

しかし、そんなこと私には関係ない。

何を言われようと、私は絶対にイラストレーターになってやるんだから。

「そやな、行くよ、絶対有名になったる」

私ははっきりと笑いながら言って、山尾の驚く顔を見て楽しんだ。

山尾は私を上から見下ろしながら莞爾の笑みを浮かべた。

「まあ、頑張れよ、将来性はある」

山尾の口調が何気に気に入らなかったので

「佐藤くんみたいやな、その言い方」

そう言い返してやった。

高校三年の、忘れもしない、九月の大切な思い出だ。



私か大学を通ることができたのも、彼がいたからだろう。

「ありがとう」

「いやいや、僕の方こそ」

久々に会った翌五月に、私は感謝を伝えた。



「うますぎるだろ…」

「ちょ…教えて!」

大学に入ってからも、私はデジタルイラストの道を突き進んだ。友達に見せてはうまいと言われ、アニメの原画を担当したこともあるという、実績のある先生に見て貰っては

「これは…私より凄い」

と言わしめたり。


私はどんどんと自信をつけ、そして自分はイラストレーターになる夢、いや確信を更に強いものにした。


だけど一つ、気に入らないことがあった。

「確かに君のイラストは凄いけど…もうちょっと個性を出してもいいと思うんだよな」

初対面で、しかも同い年。イラストを見せると、私の腹わたが煮えくりかえってしまうような質問を平然と、真顔ではっきりと言う男だった。

その時は私も我慢できたが、さらに気に入らなかったのは

「お前と並ぶイラストレーターがこの学校にいる」

と、入学当初耳に聞いていた某イラストレーターさんこそが、かの男だったと言う紛れも無い事実である。



しかもそれが、同じ学科だったとはな…いや、よくよく考えれば当たり前か。同じイラストレーターとしての道を歩むのだからな。



それでも、私は自分が一番であるという腐ったプライドだけは立派であった。



そうして月日が流れ、私たちは何事もなく大学の単位を修めて、晴れて社会人としての一歩を踏み出したのだ。

だが私に待っていた結末とは、あまりにも酷いものであった。


「おい、お前生きてるか?」

五年ぶりに山尾から連絡を貰った、その時の、大卒二年の私はというと、安いアパートに住む無職で貧乏な一回人でしかなかった。私は何故ここまで落ちぶれたのか…


その答えは、上の通り、高校時代に抱いた私の嫌な予感というやつだ。

確かに私には才能がある。しかし絵の才能だけでは生きていけないことが、よく分かった。

私は馬鹿なのだ。

大卒一年で私は難なくゲーム会社に就職でき、イラストレーターとして、キャラデザとしての人生を歩み始めた。

しかし、入社早々、私の絵を指摘してきた先輩に対して

「上手くないくせに口出ししないでください」

と言ってしまったし、そこから同僚から、先輩から、距離を置かれたのは言うまでもなく分かるだろう。

初めての給料を貰って買ったゲームでマルチプレイをしても、みんな私には辛辣な態度をとった。

何かを言われるたびに反応し、論点のずれた、自分勝手な反論をして、私はどんどん奈落へと突き落とされた。


能力はあっても、人徳がなかったのだ。


今もそうである、自分で自分のことを「能力がある」と言っている地点で、それはおかしなことだ。



例え自分自身の言っていることが摂理に反していても、例え自分が相手より劣っていようとも、それを強引な主観論によって捻じ曲げ、強引に自分が正しいと思考する…

私はそんな人間になってしまったのだ。


「生きてるよ」

山尾にそう言った私の心を荒廃していた。もはや私は、社会にいじめられ続け、自業自得でいじめの的になり、この世の人間を全て消し去りたいとも思うほど、人間不信に陥っていた。

私は、山尾でさえ信じられなくなっていたのだ。


「バンドやらない?できればさ、バンドのロゴみたいなの…描いて欲しいんだ」

気楽に、まだ私が善であった昔と変わらず接してくる山尾に、私は酷く憤慨した。


「ほっとけ、カス!」

私は人生の転機を逃した。

今思えば、この後呆れて連絡を切る山尾は、私の全てを見透かしている気がした。私が病んでしまったことも、エゴに冒瀆されてしまったことも、全て知っているように彼は溜息を吐いていた。

「お大事に」

最後に、彼はそう言った。


そのさらに四年後、偶然テレビをつけた時に、歌番組で彼のバンド「bastars」が出演していることにも、私は強く刺激を受けた。

その歌の歌詞は、彼の歌声は、とても私を魅了した。



「郷愁」

作詞作曲、山尾

歌、bastars



雨上がりの土を踏みしめて

光に照らされたあの日の朝

底なし沼だった過去の後悔が

可愛らしく思えた


私を存分にからかった

君の顔すらも忘れてしまいそうで

雫の枝垂の水晶玉が

こぼれてしまいそうだった


故郷の緑が恋しいと

バスの窓から思い巡らせる

私も少しくらいは

親孝行できてたのかな?


時計の針の重みが無くなって

未来へ歩んでる気がしないよ

もう一度 もう一度

色彩の時間を過ごせたらいいのにな


嗚呼 嘆き嘆きの毎日に

追われるだけの毎日を

生きていくための勇気をくれた

心に灯る 僕らの思い出が


息苦しさに耐えるだけで

我慢の連続に耐えるだけで

楽しすぎた日々が皮肉にも

私の今を暗くしている



不思議だった。心に届いてきた。そして、私は彼に心底嫉妬した。

だけど、正当化はできなかった。

「俺の方がうまい」とも思えなかった。

圧倒的な実力差を見せつけられて、ただテレビの前で指をくわえて、悔しい思いをするだけの自分がいた。

いや、実力差ではない、これは努力の差だ。


私も、イラストの努力をしたからこそ、ついていけなかったとはいえ、最初はイラストの道を拓くことができた。夢を叶えるためには努力は欠かせない。私はそれを自負していたつもりだったのだが…どうやらそれすらも忘れていたようだ。


ふと、初心に帰った。


「私は好きでイラストを描いていたんだ」

なぜだかその瞬間から、とてつもないやる気に満ち溢れた。そして、机に向かって鉛筆をとった。


「こんなもんかな」

誇り高く、かっこよく、だけどどことなく繊細で……bastarsとは、こんなバンドなのだろうか、いや違う、何か違う…

そうして試行錯誤を繰り返して私が納得したのは、高校時代の山尾をイメージして描いたロゴであった。

「やっぱり…これだな」

私が何故、bastarsのイメージとは真反対の、淡い色を使ったロゴに決めたのか…はて、一言で表すのなら、それは「直感」だ。

だけど、私は、私の心には、高校時代の山尾の顔が、今でも思い出せた。多分あれは私にとって、とても特別で満ち足りた時間だったのだ。確かに、夢に向かって突っ走っていたあの頃の私は輝いていた。今とは違って、輝いていた。

「なんだ…私は馬鹿だな」






以下、雑誌「イラストレイト」

5月号より


でも恥ずかしながら、荒れ狂う私の人生を変えてくれたのは、bastarsの山尾君でした。あの時の私は…思い出したくもないです。しかし、たまたまテレビをつけた時に山尾君が歌っていた「郷愁」っていう歌を聴いて、なにか、忘れていたものを取り戻した感覚になり、そこから私は漫画を描いたんです


ーその漫画が、世界的に大ヒットした「triple!」なんですね。ー


そうです。

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