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幻想世界物語  作者: 森 日和
承転記
18/35

秘密の場所

日が一つ過ぎて、私たち五人は全員円卓に集まった。史さんや谷山はいつもよりも暗い雰囲気を醸し出しており、昨日よく話したジェーンも今朝の円卓では無口であった。

何よりも、安東さんの容態が何よりも酷かった。安東さんからは血生臭い匂いがした。

「平気よ。いつか治るから、心配はいらない」

安東さんは、右腕の骨を折るだけでなく、ろくに身体を洗うことができなかったので激しい返り血の匂いを纏っていたということだ。私もさすがにその場から逃げたくなったが、安東さんに申し訳なかったので耐えた。

「それよりも、黙ってないで始めましょう」

安東さんは言った。谷山は息を一つ吐き、そして何か紙のようなものを円卓の上に音を立てて置いた。

「これですな、問題の…」

その紙は雨をも弾きそうな滑らかな質感であり、その紙の真ん中に大きく顔が写し出されていた。

私は絶句した。これは……

「どこからどう見ても史さんではないか⁉︎」

「そうなのです!」

谷山は机を叩き、我々に語りかけた。

「これは…何か裏があるのかもしれません…」

私たちは固唾を飲んだ。

「しかしまぁうまいですな、この絵」

谷山が素っ気なく正直な事を言うので、私を含め皆の緊張の糸はたちまちぷつりと千切れた。

「そういう場合ではありませんよ、谷山さん!」

「悪かった、お許しを!」

似顔絵の張本人は、無論お怒りである。

「二人とも落ち着いて。今問題なのは、何で例の怪物が史の似顔絵を持っていたかって事。それについて議論しないか?」

例え怪我をしていても、安東さんがいつものように皆をまとめてくれる。そんな安東さんを私は何故か誇りに思った。良い他人を見ると、何故かいつもそう思う……そういえば、安東さんの体から発せられる異臭に私の鼻も大分と慣れたようだ、とも思ったりする。

結局、この朝の円卓での話はそれから何一つ進展しなかった。



私たちは必ず一日三食食べなければならないという決まりはない。時には一日二食、或いは一食の時とあったという。

「当時は景気が悪かったのか何か委細は分からないが、とにかく市場の商品が無かったのです」と谷山が言っていた。

とにかくこの日は昼ご飯を作らないという事で、私はのんびりくつろいでいた。屋敷には私と史さんと安東さんがおり、ジェーンと谷山は折角の晴れの日だと言って外に出向いていた。

「ちょっと、いいですか?」

屋敷の大広間の椅子の上に座り手で遊んでいた私は、後ろから話しかけられ恥ずかしい思いをした。

「ま、まあいいですが…」

そして、私と史さんの二人が円卓に会した。


「何かありましたか?」

私が尋ねると、彼女は不安そうな顔をこちらに向けてきた。

「だって、私ってば狙われてるかもしれないじゃない。心配でどうしても落ち着けないんです…」

私には、彼女の気持ちが理解できなかった。ただその分頑張って励ましの言葉をメモリーから搾り出そうとした。

「まあ、そりゃポスターなんかあったらそうなりますよね」

心のこもっていない言葉だと、我ながら己が言葉に嫌気がさした。

「うん…」

彼女の顔が曇った。そしてそのまま、長い夜の静謐の如く沈黙がしばらく続いた。

だから、史さんが

「あの…少し付き合ってもらえませんか?」

と私に言ってきた時、まるで沈黙の夜に日が昇ったような感覚だった。

「つ、付き合う…?」

「ああ、そういう付き合うでは無くてですね…あくまで私の用事、用事と言ったらおかしいかもしれませんが」

「ああ…」

私は微塵もありえない期待を寄せた私を、そして内心ガッカリと肩を落とした私を殴りたくなった。

「して、用事とは何ですか?」

「簡単なことです」

史さんと顔を見合わせて話せているだけでもそこは天国なのだが、そんな彼女に頼まれ事とは、引き受けないわけがないだろう。

「私と一緒に、少し外に行きましょう」

私は英断的即決を下した。




晴れの日の昼過ぎ、私たち二人は屋敷から外に出た。

「路地裏はやはり暗いですね。先に行きましょう」

私は、足早と先々に進んでいく史さんに少し懸念の声をあげたくなった。彼女の今の状況からして、警戒を怠った外出など危なっかしくて見ていられない。

「史さん、今のあなたの御身を考えれば…あまり下手な外出は慎んだ方が良いと思うのですが?」

大体私にとっては十五歩ほどの距離で史さんは振り返った。

「さあ、行きましょう」

史さんは何も答えずに、ただ私に「行きましょう」と呼びかけるばかりであった。

私は小走りで彼女の隣に位置付けた。

「私は付き合います。だけど危険には注意して下さい」

「うん」

史さんは頷いた。雪のような美しさの中に子どものようなあどけなさがあり、私は彼女のその顔を上から目線で見ては、かなり焦った。

私が彼女のことを好きになっていくのを、本能が何と無く感じたのだ。私は首を振るしかできなかった。

そんなこんなで、私たちは路地裏から大きな道へ出た。日差しが眩しすぎるほど照っているが、暑くは無く寒くも無く風もあり…と、快適な気候だ、ここに住みたくなる。

というより、私たちはここに昔から住んでいたはずなのだが、なんともおかしな話である。

「こっちですよ」

私は、史さんに導かれるがままに導かれた。




私と彼女が歩いている姿を、客観的に想像してみた。

華奢な男が猫背気味で歩いている横に、女性が一人いる。男は置いといて、女性の方は美しい人物であり、彼らが互いにほくそ笑む時ほど、こちらとて笑ってしまうことはない。美男美女ではなかった。しかしそのカップルの雰囲気はまさに程よい彩度である。互いにくっつきすぎず、時には離れながら歩いているものの、やはり心の方向は二人同士常に見つめ合っている。女性の歩く速さは速くなったり遅くなったり、しかし笑顔が絶えることはない。男はそんな女性の自由奔放な姿と女性らしいたおやかな仕草を見守っているようであった。自由で可愛らしい女性と、優しくそれを包み込む男には、先述の通りついついと笑みがこぼれてしまう。

しかし、仲睦まじく、お幸せに!と言ってくれる人はいなかった。彼らはひっそりと誰もいない裏道を通った。

そして裏道の先には、何やら鬱蒼とした原生林があり、川が流れていた。小さな自然だった。



史さんがやっと私の方を向いた。

「着きました」と。

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