できごと
あの出来事から四回、日が昇った。
今は、どこかのどかなこの異界の地に、私と史さん、そして安東さんというスレンダー美人なお方と、谷山という白髪の生えたお爺さん、更には幽霊さんは、ジェーンと名乗った。ここに来て私は自分の名前の一部ではあるが、記憶のガラクタの中から取り出すことができたのは、やはり神の恩恵かはたまた善因善果の結果なのか或いは…
と、まあこんな感じで私たちは、例の不気味な路地裏の屋敷に引きこもって暮らしている。
特に安東さんは3LDKの自分の家を持っているらしく、昨日など、ジェーンと史とがこぞって安東さんの家でお泊まりしたがったので、私は谷山と苦痛な二人きりの夜を送った。
日が明けるのを、どれだけ私は心待ちにしたやら…真に阿鼻、叫喚であった。
「おはよう〜、朝ごはん♪」
女子組がやって来たところで、毎朝五人が一会に集い、円卓会議のようにテーブルの周りを囲む。私と谷山、そして丸いテーブルを挟んで向かい側に史さん、安東さん、ジェーンが座る。今日の朝ごはん…最近は六食連続で魚だ。訳を聞くと、
「魚が余りに余ってさ…食べなきゃ腐るんだよね」
と、安東さんが嘆いていた。
このメンバーの中では、私と史さんが同い年で一番年上であった、いやしかし思い返してみると更に上には谷山がいた。そんなイレギュラーを除いてなら、姉御肌の安東さんがてっきり年上だと思われがちだが、実は私たちの二つ下である。
「そろそろさ、食料を調達すべきだと思うんだけど、どうかな?」
円卓の中で、安東さんが谷山に向かって問うた。
「魚も腐っちゃってるからさ」
「まあ、確かにそうかも知れぬ」
谷山は手に顔を乗せて、何かを考え始めた
「どうせなら、新入りたちにも教えるべきじゃあないかな?食料調達」
安東さんがそう言ったとき、私も含め、ジェーンや史さんがすっと顔を上げた。食料調達とは何ぞや……この世界の人間には果たして私たちの伝えたいことが伝わるだろうか否、ない。そう言うことも含めて、私はその会話の内容が気になった。
「むむ、ならば今夜の夕市辺りを狙いますかな」
「そうだね、そうしよう」
私たちのわからない言葉を使いながら安東さんと谷山が二人だけで会話をしているのを見て、その時はてっきり私たちには無関係な話だと高を括った。
「広人さん」
昼前になって、腐った魚の処分を谷山と共に行い、余りの地獄絵図に呻吟していた私に対して、気さくに話しかけてきたのは、私と同じ年齢の史さんであった。その瞬間の史さんは、私にとっては真優なるものであった。
「安東さんが家に来ないか?とのことですが……」
「安東さんがですか!」
私は驚いた。私にとって安東さんの家とは、私や谷山が百年かけても攻略できない女子組の難攻不落の要塞である、と認識していたが、こうも容易くその中に入ることができる機会など、寧ろ私が行かないと決意する可能性の方が低いだろう。
「行っていいのでしょうか?」
「なんかそう言ってますが……あ、谷山さんもどうぞ」
「ほ、本当ですか!」
谷山はさぞ嬉しがった。
そうしてその昼、安東さんによって全員が彼女の家に集められた。唯一同じ男組の谷山は、なぜ集められたから何も知らないという。聞けば、これは突拍子に安東さんが私たちに呼びかけたそうだ。
「あ、その前にシャワーに入りなさい。毎日力仕事、お疲れ様」
安東さんが私たちの顔を覗く仕草を見せた時に、ジェーンや史さんも続いて「お疲れ様」と言ってくれた。私は純粋に嬉しくなった、そしてたまらず笑みをこぼしてしまった。
労いのシャワーを終え、いよいよ五人がリビングルームで何かを催すことになった。
「さてまずはみなさん、今日はお集まりいただき有難うございます!」
安東さんが開催宣言をし、私たちは握手し合った。私はどちらかと言うと、握手していたと言うよりも、ただ単に手を叩いていた。
「ありがとうみなさん!そしてこの時より、私たちの仲間として、新たなる三人を迎え入れることになりました!」
私は刹那動揺してしまったが、それは皆も同じらしい。拍手が三つ減った。
「ではみなさん、自己紹介をあなたからどうぞ!」
実況は、史さんに指をさした。史さんはキョロキョロと辺りを見渡して、そしてようやく、指を指されているのは自分であると気づいたようだ。
「えっと…」
「起立して!」
「はい!」と、驚いた小動物の如く彼女は飛び跳ねた。皆の目線が一点集中する中で、彼女は黒髪ロングを揺らしながら、そして声をやや震わせながら自己紹介を始めた。
「えっと、史です。年齢は…確か二十六です、こう見えて腹黒いです。
みなさんのお世話になるのは少し申し訳ないですが、私とてそうしないとここでは生きていけないので…どうかよろしお願いします」
普段の雰囲気とは全く程遠い、自虐ネタを交えた自己紹介であった。
それに対して、谷山が横槍を入れた。
「腹黒くは見えないですなぁ。純粋無垢で可憐な乙女ではないですか」
「いえ、私とて奥が深いのです」
「そう思ってるのはきっとあなただけですよ。内心あなたは、とても優しい人です」
「そんなことはありません、私は過去、自分に陶酔して我を見失い、危うく人生の危機に立たされるところだったのです」
「それを理解しているからこそ、今のあなたがあるのですよ。私ももう歳ですが、今なら過去の自分を一発ぶってやりたい、そんな気になるのです」
「なるほど…ありがとうございます」
「どういたしまして、そして頭を上げなさい」
「はい」
二人の会話は終始ワントーンであった。感情の起伏がなく、それを聞いていた私たちにとっては、心温まる談話を聞いているような気持ちであった。私はこの出来事で、谷山に対しての尊敬の意を少しばかり持った。人生経験が豊富な彼こそ、普段は白髪を生やして頼りなく眼に映るが実は一番しっかり者なのではないだろうか。
そして後に、我々に重たい沈黙が襲った。
「はーい、終わり!」
安東さんが口火を切ると、まるでそれを見計らったかのように皆が瞬時に顔を向けたので、私は円卓の端っこで危うく笑いを吹いてしまうところであった。
「じゃあ今から夕飯の支度をしなくちゃね☆」
その瞬間、意味深にほくそ笑んだ安東さんと谷山を見て私は寒気がした。そして一刻も早くここから離れるべく試行錯誤しようと試みたが、すぐに無駄な事だと悟り、やがて自分の運命を呪いながら腹を切る覚悟でその場に居座った。
「広人と史は私についてらっしゃい。ジェーンは谷山が面倒を見てくれるから」
「合点承知!」
ジェーンは谷山の、ガタイの良い肩の上に乗って、そして我々の拠点、即ち二階建ての屋敷への帰路についた。
そして、残されたのは私と史さん、そして安東さんであった。正直に話すと、私は美人二人に囲まれてさぞ浮き足立っていた。尤もそれは恥辱なる行為であるが、私という人間を理解してもらうためにありのままに本音を暴露しようではないか。
「さあ、市場に行きますか」
「はい」
私の予想と相反して、安東さんはいたって真面目そうに市場に行くと言いだした。私はそこでほっと、一つ安心した。
「史は何が欲しい?」
安東さんが史さんの方を見ている。私は二人の邪魔だけはせぬと、周りの景色を見渡していた。
二人の話が、無意識に耳に入る。
「私は…特に、強いていうなら甘い物」
「甘い物かぁ、ここには少ないなあ」
「そうなんですか」
「うん。ここの人々はそこまで甘党じゃなくって、でも辛党でもなくって…多分あれ、グルタミン酸?だったっけ…旨味とかジューシーさとか…とにかくここの食べ物は甘くもなけりゃ辛くもないのに、やたらと美味いのよ」
「へぇ、なんかビックリです!」
「そうなのよ!もし甘い物をご所望ならば、私がドーナツでも作ってあげようか?」
「え、本当!」
勘違いなきよう言っておく。今までの会話は確かに二人だけの会話であった。しかしドーナツをご馳走になるという話を耳にして、私は二人の睦まじい話の中に亀裂を生んでしまったのだ。つまり、安東さんのドーナツ作る発言に反応したのは史さんではなく、私だ。まこと、唾棄すべき我よ。
「大丈夫よ、広人にも作るからさ!」
「あ、ありがとうございます…」
安東さんの優しさに私は呑まれそうになった。安東さんの優しさと自分自身の失態があって、私は顔を赤らめた。そして安東さんに感謝した。
「さて、雑談もここまでにして、やりますか。食料調達」
見ると、確かに周りには人がちらほらと見かけられた。そしてその目が時たま、私たちの方に向けられていた。




