第8話 魔法師としての覚悟
ドアが開き、一人の小柄な少女が現れた。
「あなたが如月千風ね? 少し話をさせてもらっても良いかしら?」
名前はたしか、緋澄飛鳥。かの有名な緋澄重工の令嬢だ。
勝気な瞳に、煌々と燃える炎のような赤い髪。無い胸を張り、ドヤ顔で佇む一人の少女。
彼女の左腕にはクラス委員長の証である腕章がついていた。
身長だってかなり小さい。140センチあるかないかだろう。
そんな彼女を見ているとなんだか、いたたまれなくなり、千風はそっと目をそらした。
「あ、ちょっと! どうして目をそらすのよ? わざわざこの私がお見舞いに来てあげたんだから、そこは泣いて喜ぶべきでしょ!?」
無視されたのがよっぽど堪えたのか、涙目になりながらわけのわからないことを早口にまくし立てる。
千風はため息を吐き出し、
「ごめんなさい、無理です、他をあたってください」
丁重にお断りした。
「ちょっとぉ! なんでそうなるのよ〜〜っ!」
ムキになりジタバタと顔を真っ赤にしながら暴れ出す緋澄。
感情豊かと言うべきか、情緒不安定と言うべきなのか……。
なんだろう……目の前の少女をぼんやり眺めているとだんだんこいつはポンコツなんじゃないかと、思えてきた。
と、突然、穏やかな雰囲気がガラリと変わり、保健室に一つの気配が現れた。その気配はポンコツ少女の脇を抜けると影のように千風に近づいてきた。
影に殺気が宿る。その影が懐から取り出したナイフが光に反射して妖しく輝いた。
千風と影との距離は約5メートル。素人ならともかく、千風なら反応しきれない距離ではない。
それを相手は知っているのだろうか。この距離でナイフを取り出したことを考慮するなら、それはあまりにも悪手ではないか?
知っていて襲ってくるのなら、それは暗殺者としては三流以下のすることだ。
なら、敵は千風の正体を知らない? 知らないで千風を襲う理由は?
グルグル、グルグル。かき乱される思考。脳内を電気的信号が高速で行き交う。
ここは仮にも学校だ。それも日本で知らない者などいない、魔法師を育成する教育機関ではトップクラスの実績を誇る。
そんな学校に三流の暗殺者が侵入できるとは到底思えなかった。侵入される前に教師の手により消されるのが目に見えている。
だから目の前の敵はおそらく学生。それも千風に対してなんらかの恨みがある者か……もしくは正体を知ろうと画策する連中の仕業。
前者は考えられない。千風は転入して来てまだ二日だ。さすがに恨みを買われるようなことをした覚えは……ないとは言えないが、それにしたって二日前に出会ったばかりの人間を殺しに来るほど暇な奴はいないだろう。
ともすれば、自然と後者の方が考えられる候補としては有力だろう。例えばそれは今朝の蓮水のような……。
そう考えれば、千風のとる行動は限られる。今朝と同じように、ぼうっと、ボヘーッと、ナマケモノのようなマヌケ面を浮かべていればいい。へらへら笑って、黙って痛みに耐えていればいい。無能で阿呆で、救いようの無いバカに成り下がればいい。
そうやって道化を演じるのだ。誰にも相手にされず、時間が経てば忘れられる存在になるために。
そうすれば、誠だって呆れて千風の側から離れるだろう。
彼だって暇ではない。目的をなすためには力が必要なのだ。いつまでも千風と友達ごっこをしているわけにはいかない。
誠はいいヤツだ。一日しか共に過ごしていないがその性格がわかってしまうほどに……。だから彼を自分と同じ、暗い世界で救いようの無い戦いに巻き込み、みすみす失うわけにはいかない。誠のような人間こそ、この世界には必要なのだから。
だから。千風はこれっぽっちも侵入者の存在に気づいていないと言わんばかりに、道化を演じる。ヘラヘラ、ニコニコと蓮水に蹴られた頰に痛みを感じながら、楽しそうにひどく冷めた目で。その彼に、彼の首筋にナイフが触れようとしたところで――
「待てよ」
誠が侵入者の腕を掴んだ。
「――っ!!」
ナイフを迷いもなく捨て、侵入者は後方へと下がる。
「い、一体なにが!?」
ここで反応しないわけにもいかず、千風は三文芝居のようなセリフを吐いた。おどおどと、今気づいたと慌て出す。
膠着状態を破るため、誠が睨みつけた。
翻ったフードから薄桃色の髪をした女の顔が見えた。それは今朝、教室で見た女生徒のものだった。
「なんのつもりだイザベル? キミも氷室と同じように千風をいじめに来たのか? それともこれは、そこにいる飛鳥の差し金か?」
怒気をはらんだ誠の言葉に、飛鳥がびくりと反応する。
「え、え? どういうことよ、イザベル? 転入生を襲うなんて私聞いてないわよ!」
「はい、お伝えしていませんので……。あくまでこれはわたくしの独断であり、お嬢様は関係ありません」
しかし、冷たくそう言ったイザベルの表情はどこか儚げだった。まるで千風に期待していた“何か”を突き放され、諦めてしまったような表情。
「ですが、確かめたいことはもう終わりましたのでご安心を」
踵を返し、保健室を出ようとして、
「イザベル! お前……自分が何をしようとしていたのか分かっているのか? これは立派な殺人未遂だ。俺が止めていなければ千風が死んでいたかもしれないんだぞ?」
「ええ、もちろん。しかしあなたもご存知のはずでしょう? 名桜学園は初めからそういう場所です。弱い者は死に、強い者ですら気を抜けばあっさりと死ぬ。わたくしやあなた……あの蓮水さえも明日には死んでいるかもしれない――そういう場所です」
この言い争いは全くの無意味だとイザベルは主張した。
彼女の言う通りだ。ここは、千風たちの住むこの世界では、それが普通。ひと昔前の日本では考えられないほどあっさりと人間は死ぬ。
それが彼らの――魔法師、もしくは災害殺しと呼ばれる者達の宿命なのだから。
「お前、一体何を言って――」
千風の言葉はイザベルにかき消された。
「全く……この世界は皮肉の塊ですね……。頑張れば、頑張るほど死に近づくのですから……。おまけにひどく理不尽で、知りたくもない残酷な闇まで見せてくれるのです。ですから、転入生さん……あなたの実力がその程度なら、今すぐにでも退学をお勧めします。それがあなたにとっても、辻ヶ谷君にとっても最善の選択だと思いますよ? くれぐれも短絡的かつ楽観的な愚行に至らぬよう――」
従者が従者なら主も主だ。人の話を最後まで聞かず、
「言い過ぎよイザベル!! ちょっと来なさい!!」
若干放心気味だった飛鳥は我に返り、イザベルの手を引くと、彼女共々保健室を去って行った。
「一体何だったんだあいつら?」
本当にわけがわからなかった。何をしにきたのだろうか。ワーワー、ギャーギャー叫んだらすぐ去っていった。よくわからない連中だ。
「千風、どうして君はそんなに落ち着いていられるんだ? もしかしたらさっきので死んでいたかもしれないんだぞ!?」
死の瞬間にこうも落ち着いていられる人間などいない。そう言わんばかりに誠は食ってかかってきた。
彼はどうしてここまで他人事情に対して入れ込むのだろうか? 千風にはそれがわからなかった。
「そう言われてもな……慣れてるとしか……それにお前の前提はそもそも間違っている」
「……?」
「俺は死んでない。今だってこうしてお前と普通に会話してる。もしもも、なにも、無いだろ? あんま深く考えるな。他人の命に責任感じるなよ……。テメェーの心配だけしてろって!」
恥ずかしいセリフを、反吐がでるのを頑張って堪えながら吐き、遠回しにもう自分に近づくなと、関わるべきではないと伝えた。
「千風……君はやっぱり不思議なヤツだ。自分の身が危険にさらされてなお、俺の心配をするんだから……はっきり言ってヘンタイとしか言えないよ……」
「ああ″?」
なぜか誠は逆の意味でとらえたらしい。
「決めた! 千風は俺のチームに正式に入ることにしたから!」
「ざけんな! 俺の話、聞いてたか?」
こいつはもしかしたら、とんでもない阿呆なんじゃないかと疑いたくなる。
それでも目の前の男は笑った。
「いいだろ別に……どうせ行くあてなんて無いだろうし」
「んなこと言われてもなー」
保健室を静寂が包みこむ。驚くほど静かで、互いの息づかいが聴こえてきそうだった。
それにしても……。
今日だけで二度も襲われた。これ以上隠し続けることは不可能なのかもしれない。下手をすれば誠に危害が及ぶ可能性だってある。なら、その前に彼にだけでも本当のことを言うべきではないだろうか?
正しい、正しくないは別として、ここでその選択をしなくてはならない。そんな気がした。
だから、千風は。馬鹿にされると知っていながらも、
「なあ、もしも俺がお前より――」
案の定、誠は腹を抱えて笑いだした。
「ぷっ、おかしいな? さっき誰かさんが俺になんか言ってたような……」
「チッ、あーやめやめ! やっぱ今のなし! 何でもないわ」
照れ隠しで誠から目をそらした途端。
ビービーと、校内全体に警報が鳴った。
不安を無理やり掻き立てる不気味な警報だった。
「おい、誠! この警報はなんだ?」
「これは……クソッ! いくら何でも早すぎるだろ!?」
いつになく慌てる誠。その表情はやや青ざめ、どこか怯えているみたいだった。
「落ち着け誠! 一体これは何だ?」
「カラミティアだ……この警報は近くにカラミティアが出現したことを意味する。そして、俺たちはその戦場へと駆り出される!!」
誠の言葉と入れ替わりで、放送が流れた。
耳をつんざく不協和音。機械的に、マニュアル通りに台詞を吐くような電子音。
「『緊急警報、緊急警報。校内ニイル全生徒ニ告グ。至急第四会議室ニ集合セヨ』」
無機質な電子音はそれだけ告げると、ぶつりと放送を切った。
「……そういうことか。ふざけた放送流しやがって。第四会議室ってのはどこだ?」
「怖くないのか千風は? 死ぬかもしれないんだぞ!?」
その瞳は真っ先に死ぬのは千風だと、君は何も知らないから呑気でいられるのだと、そう訴えてる気がした。
「そうだけどよ……一学生に攻略できない難度のカラミティアは学校側だって寄越さないだろ? 自分達から戦力を減らすような馬鹿な真似、連中がするとは考えられない。いざとなれば、プロの魔法師が駆けつけてくれるわけだし……気楽にいこうぜ?」
生徒を失って学校側が有利になるようなことはありえない。それでもやはり、絶対に安全な戦場なんてのは存在しないわけだが。
戦うには誰かが死ぬことだってある。それは千風も重々承知の上だ。覚悟なら、遥か昔にできている。じゃなければ、彼はこんな場所に笑いながら立っていることは不可能。ここよりずっと劣悪な環境で生き延びてきたのだ。もはやこの程度のことで狼狽えるわけにはいかない。
だが、誠は? 緋澄や蓮水、イザベルなんかはどうだろう? 彼らは強いといっても、やはり学生。プロの魔法師でもなければ、戦闘慣れした強靭な精神を持ち合わせた狂人でもない。
まだこの歳で数回戦場に立っただけの雛だ。飛び方だって満足に習ってないのではないか?
そんな奴らが戦場に出るのは危険だ。
「なあ、千風。俺と約束してくれないか? お前は死なないと……俺はもう、あの時みたいに仲間を失うのは嫌なんだ……だから頼むよ」
誠の言った“あの時”が何を指すのか知らないが、推測はできる。おおかた、前回か前々回のカラミティア出現のことだろう。そこで誠は仲間を失った。その代わりに新たに千風が転入してきたのだから。
「それでお前の気が休まるなら……俺は死なない、とだけ言っといてやるよ」
そう言って千風は保健室を出る。
後を追う誠。彼が背中にかけた言葉は、
「カッコつけてるとこ悪いけど……君会議室の場所わからないでしょ?」
どうやら、軽口が叩けるくらいには落ち着きを取り戻したみたいだ。
出口で止まり、振り返る。
「……それもそうだ。教えてくれよ、誠クン?」
そうして始まるのだ。
二人の生き残るための戦いが。
誰かを死なせないための戦い……
――大切な人を守るために、災害を殺して殺して……殺しまくる。……狂った世界で、それでも狂わずにいるための少年少女の物語が――
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