第7話 水面下の攻防
また、始まった……。緋澄飛鳥は頭を悩ませていた。
目の前の男はどうしてこうも、弱い子に目をつけては襲うのだろうか? 同じクラスメイトとして嘆かわしいことこの上ない。
今回ターゲットにされたのは昨日転入して来た、如月千風という男の子だった。
自己紹介では、突っぱねるようなことを言っていたけれど、彼の容姿を見るにとてもそんな肝の座った男には見えなかった。
第一印象は担任の言った通り、きっと照れ隠しで言っただけのシャイな子なんだな〜だった。
だからこそ、千風はこの男に目をつけられたのだろう。蓮水は弱い子が同じクラスメイトとしてここにいることが許せないのだ。
「蓮水、ちょっと待ちなさい!」
飛鳥は彼の目の前に立ちふさがる。
千風は気を失っている。さすがにやり過ぎではないだろうか。
ここまで大ごとになると、クラス委員としては見過ごすわけにはいかなかった。
「転入生にいきなり暴力を振るったのはどう言った風の吹き回しかしら?」
「はっ……暴力? 違うな、教育の間違いだろ? 避けれないアイツが悪い。僕はただ、親切に教えてあげただけだ。僕の蹴りを避けれない程度のアイツにこの先、生き残れるだけの力があるのかな?」
蓮水は平然としてそう言い放つ。けれど、この学校に彼の不意打ちで放たれた蹴りを避けられるだけの実力者はそういない。
このクラスで可能だとすれば、飛鳥、イザベル……誠は受け身を取るのがやっとだろう。全学年あわせたって、きっと十人に満たないだろう。
悔しいが、蓮水はそれだけの実力を持ち合わせている。
だから皆、蓮水には意見できない。怯えて、この状況が終わるのを見て見ぬふりをしてやり過ごすしかない。じゃないとボコボコにされるのは自分なのだから。
以前、実力のともなわない、正義感の強い愚か者がいた。そいつはあっさりと蓮水に半殺しにされて、二度とこの学校に来なくなった。
なら、実力的に対等である自分が注意しなくてどうする? 飛鳥はこれ以上被害が広がる前に蓮水を止める必要があった。クラス委員としても緋澄の人間としても、彼女には弱き者を守る義務がある。
「あなたがこれ以上暴れるというのなら、私も全力で相手をしなければなりません。……場合によっては魔法の行使も否めません。それでも、退いてはくれませんか?」
威圧するように、彼女が得意とする炎属性の魔法を鱗粉のように周囲に煌めかす。赤髪を逆立たせ、彼女は妖艶に笑った。
「あ? 上等じゃねえか! 緋澄、今まで僕とサシで戦って一度でも勝ったことあったっけ?」
ムカつくほどに嫌らしい笑みだった。
蓮水の言う通りだ。飛鳥はこれまで二度ほど模擬戦で対峙したことはあったものの、彼に膝をつかせることは叶わなかった。純粋な戦闘能力で言えば、蓮水は飛鳥のそれをはるかに上回る。
だが、こちらとしても、勝ち目のない戦いに首を突っ込むほど愚かではない。
「そう、なら仕方ないわ。痛い目見ても、知らないから!!」
言って、バックステップで数歩下がる。間合いを取りながら、人差し指で宙に円を描いていく。
キーン。脳内をズタズタにかき回す不協和音。魔導機が共鳴し、指先に炎が灯る。周囲に埋め尽くさんばかりの火炎が生じ、形状を変化させた。
先日入手したばかりの、新しい魔導機だが、その威力は兄のお墨付きだ。
詠唱はナシ。不安定だが、蓮水を相手に詠唱している暇は残念ながら、飛鳥の実力では厳しい。なら、いっそのこと中途半端でも、手数の多い攻撃で彼の動きを封じる方が得策だろう。
飛鳥はあえて足止めのために魔法を使う。その思い切りの良さが彼女の強みでもあった。
従者のイザベルが合わせるように魔法障壁を展開して、クラスメイトを守る。
飛鳥は小さくうなずく。
これで周りの心配をする必要はなくなった。心置きなく魔法を放てる! 指揮棒のように人差し指を振るい、数多の火球に命令を飛ばす。
大小さまざまな炎が、蓮水を焼き焦がさんと放たれた。
まるで楽しんでいるように蓮水が笑う。
「――おもしれぇ!」
二、三と避けたところで蓮水が動き始めた。ゆったりと右腕を突き出した。
「あの炎を喰い殺せ――氷結豹魔!」
刹那、彼の腕を螺旋状のナニカが伸びた。バチッと小さな放電のようなものが起こり、彼の掌から魔法陣が生まれる。
顕現式を使った魔法の行使。空間から突如現れた双剣が蓮水の手に堕ちた。
これには流石に飛鳥でも驚愕を隠しきれない。
「うそ!? 【憑依兵装】……それも相当高位な――!?」
【憑依兵装】。それはカラミティアを殺した際、その核となるカラミティアル・コアをなんらかの器に憑依させたものだ。
蓮水の場合なら、二本の短剣である。おそらく二つに分割することでその制御をなんとかしているのだろう。
肌を通して伝わるその圧倒的なまでの存在感から、かなり高レベルなカラミティアを取り込んだ物だと窺える。
魔法と分類されるものには、二通りある。それが【憑依兵装】と魔導機を使ったものだ。一般的に簡単と言われるのが、魔導機を用いたものなのに対し、【憑依兵装】は魔法師としての器が試される。
カラミティアを無理矢理、器に取り込んで抑えつけるのだ。それなりの腕と精神力を持っていないと扱うことは到底不可能な代物だ。
蓮水は確かに【憑依兵装】を好んで使う。これは以前までの戦いですでに分かっていたことだ。しかし、これほどまでに高位なカラミティアを封じ込めたものなど聞いたことがなかった。
二本の短剣が火球に触れる。それだけで火球は存在を、いとも簡単にかき消されてしまう。
「くっ!」
防御の魔法を展開しようにも、【憑依兵装】の恩恵で身体能力の向上した蓮水の動きが速く、間に合わない。
「遅えよ」
一瞬にして接近され、完全に間合いを潰された。
首を掴まれ組み伏せられる。叩きつけられた衝撃で見苦しい声とともに空気を求め、喘ぐ。
「がっ!」
「へえー、とっさに衝撃吸収に炎を供給したんだ……でもこれで――」
蓮水の右腕が視界から消える。否、消えたと錯覚されられるほど速く動いたのだ。
気づいたら、白銀の刃が首筋に添えられていた。一ミリでもその侵攻を許せば彼女の命の灯火は潰えるだろう。
「終わりだ」
そう告げると、ひどくつまらなそうに飛鳥を見下した。
完全に飛鳥の負けだ。あまりにも鮮やかに、無様な敗北を晒すことになった。
この男はどこまで上に行くのだろうか。もはや今の彼には飛鳥のことなど眼中にないのだろうか? そう思えてしまうほどに自分と蓮水との間には圧倒的な差があった。
けれど、それでもこの場を収めたのは彼女たちだった。
「そうね、私たちの勝ち……よ」
苦悶の表情を浮かべながらも、飛鳥は笑って見せた。
蓮水の背後には銃を構えたイザベルと、ナイフを突きつける誠がいる。
蓮水はそっと飛鳥の首筋から短剣を外し、霧散させた。両手高く上げ、降参の意を示す。
「僕の負けだ。……全くたった一人殺すのに大将が死んでどうするんだよ?」
「生憎、私の部下は優秀でね。たとえ私が死んでも、戦争は終わらない。平気で私の屍を越えていくわ」
お嬢様、とイザベルが手を差し伸べてくれる。
「ありがとうイザベル、もう平気よ。蓮水、あなたもこれ以上はもう十分でしょ?」
「ああ、僕もまだまだだね。僕の【憑依兵装】は使うと視界が狭くなる、おまけに体力も結構持っていかれるんだよね。そこが敗因かな? 初めから緋澄にサシで戦うつもりはなかった。それを見抜けなかった結果がこのザマだよ……」
やれやれと、くたびれながら蓮水は自分の席に戻って行った。
「誠もありがとう、借りができたわね」
「そんな、助かったのはこっちの方だよ。それじゃ、俺は千風を保健室に連れていくから」
誠は千風を背負って教室を出て行った。
「少しいいでしょうか、お嬢様?」
イザベルは深妙な顔で、他の者たちに聞こえぬよう彼女に耳打ちを始めた。
「さっきの男、千風と言いましたか? 彼、なんだか怪しいです。うまく言えないのですが……なんとなく、底が知れないというか……」
いつもスパスパと物事を片付けていく彼女にしては煮え切らない。
「それは、どういう意味?」
「い、いえ。ただのカンと言いますか……うまく表現はできませんが、とにかく危険を感じました。今日の放課後あたり、彼の正体を確かめたいのですが?」
確信が持てないためか、イザベルは言葉を濁す。
「分かったわ。あなたがそう言うのだもの。信じておいて損はないわ」
今まで数々の助言をもらってきた飛鳥だが、一度としてイザベルの言ったことに間違いはなかった。最も信頼してる部下なのだ、それを信じてあげずしてどうする。
少しでも怪しいと思った線は潰しておくことに越したことはない。
「如月千風……中々面白そうじゃない!」
イザベルに不信感を抱かせる男、如月千風。
その彼に、飛鳥は興味を持つのだった。
***
放課後。
千風が保健室に行ってから、何事もなく今日の授業は終わり、飛鳥とイザベルの二人は保健室へ向かっていた。
「お嬢様に言っておきたいのですが、今回の件はこのイザベルにお任せください。お嬢様はドアを勢いよく開けて、注意を引きつけてくれるだけで構いません。わざわざ、お嬢様の手を煩わせるまでもありませんので……」
イザベルには一つ、考えがあった。蓮水が千風を襲撃した時に感じた違和感。それを確かめるには、ある程度距離が離れたところから攻撃を仕掛けるのが一番効果的である。
と言うのも、ある程度距離を置いた位置から攻撃を仕掛けることによって、あえて相手に猶予を与えるのだ。
そうすることで、相手に回避か撃退か、あるいは逃亡か……いずれにせよ、ある種の選択肢なるものが生まれる。
そこを突くのが今回の作戦だ。イザベルの攻撃に対し、千風からなんらかのアクションがあれば、それは彼の正体を知る大きな手がかりになる。
懸念材料があるとすれば、それは千風を看病するために、一足先に保健室へ向かった誠の存在だ。彼がイザベルの襲撃に気づき、千風を守ろうものなら、今回の作戦は失敗に終わるかもしれない。
ただ、そこはイザベルの立ち回り次第でどうとでもなる。第一撃に失敗しても、二撃、三撃と攻撃のチャンスはある。今回の目的はあくまで千風の正体を見破ることにあるのだから……。
それでも出来れば一発で決めてしまいたい。と言うのがイザベルの本音だった。回数を追うごとに、時間が経過すればするほどに、効果は薄れてしまうのだから。
「……ル? ちょっと、聞いてるのイザベル? そんな怖い顔して――」
あまりにも作戦に没頭しすぎたみたいだ。飛鳥が怪訝そうな顔で彼女の瞳を覗き込んでいた。
イザベルと飛鳥の身長差はおおよそ二十センチほどある。ただこれは、イザベルが大きいわけではない。イザベルは精々平均身長より少し大きいくらいだ。理由は飛鳥の方にあった。飛鳥の身長は百四十センチと小、中学生並みにちっこいのである。
そんな飛鳥がイザベルの顔を覗き込もうものなら、必然とつま先立ちになる。
プルプルと震えながら、心配そうにこちらを覗いている飛鳥を見ると、イザベルはたまらなく愛おしくなってしまう。思わずぎゅっと抱きしめてしまいたくなる。
「ちょっと! イザベルってば!!」
愛玩動物のように可愛らしい飛鳥を見ていると、再び怒られてしまった。
「(すいませんお嬢様)。あまりにも可愛いいので、ついヨダ――いえ、なんでもありません」
口元をさっと拭い、何事もなかったように笑顔を向ける。
「全く……バカにしてるの?」
「いえ、そんなつもりは……」
「もういいわ。とりあえず私は注意を引けばいいのね?」
保健室のドアに手をかけ飛鳥が最終確認をした。
それにイザベルは小さく頷く。
「それじゃあ……行くわよ――!!」
そう言って、飛鳥はドアを勢いよく開けたのだった。