第63話 人と化け物の違いとは
千風をおいて災害迷宮から脱出した誠と飛鳥。
二人は現実世界に戻ってからも、千風を救おうと必死に動いていた。
彼らは武道館の廊下を走る。
向かう先は月影陽のいる控え室だ。
すでに館内は陽のコンサートを楽しみにする人々でいっぱいになっている。
こんな状況で陽を震源として災害が発生すれば、その被害は計り知れない。
誠たちの行動に千風や人々の命運がかかっている、そう言っても過言ではなかった。
「誠、急いで!」
「分かってる。でも、こうも人混みになってたら、闇雲に探しても見つからないんじゃ――」
糸を縫うように奔走する二人は、混雑する人の流れを読み取りながら進む。
二人の目的は、月影陽の捕縛。
災害迷宮から帰還する際、千風からエリカのライセンスを預かったのだが、その裏面にはメッセージ――思念が刻まれていた。
千風からの伝言。
その内容は要約するとこうだ。
――悪いが、お前たちに頼みたいことがある。
相手は吸血鬼だ。今回ばかりは俺の力でもどうにもならない。
が、現実世界にいる二人になら、俺を救うことができるかもしれない。
頼みたいのは、元凶となった月影陽の捕縛。
二人も気づいたかもしれないが、吸血鬼の容姿は陽に酷似していた。
そこで俺は、陽のアイドルとしてのカリスマは、吸血鬼が関係していると考えた。
陽を気絶させることができれば、もしかしたら陽とのリンクが切れて、吸血鬼を捕らえることができるかもしれない。
吸血鬼を倒すことができないなら、外側から干渉し、原因となる元を断てばいい。
相手は吸血鬼に囚われた身だ。くれぐれも油断はするな。
だが二人なら、十分に可能性はある――頼んだぞ。
「やっぱり、千風は諦めてなかった!」
「うん、千風は俺たちを生かし、俺たちに自分の命を預けたんだ」
別れ際の千風は諦めきった顔をしていた。
幻獣型のクラーケンを圧倒し、一人生還したあの千風が。
今回ばかりはどうにもならないと、二人を逃がすことだけを考えていた。
それほどまでに、あの吸血鬼という存在は強敵なのだろう。
だが、千風は最後の最後に仲間を頼った。
誠たちのことを仲間として認識し、危険な頼みをお願いしてきた。
誠はその事実がたまらなく嬉しい。
千風に信頼されていると思うと、それだけで胸の奥が熱くなる。
その信頼には、全力で答えなければいけない。
千風が二人の命を救ったように、今度は自分たちが千風の命を救う番だ。
「はあ、はあ……。どうやらここみたいだね」
「うん、気を引き締めるわよ誠?」
「分かってる。相手は吸血鬼に囚われた少女。最悪の場合、戦闘になる」
表札には月影陽の三文字。
この奥に事件の元凶がいるのだ。
基本的に、現実での魔法の使用は認められていない。
しかし、状況が状況だ。必要となれば、すぐにでも使用しなければならないだろう。
そのことを念頭に置きながら、誠は深呼吸をして。
「行くよ、飛鳥?」
「大丈夫、準備万端よ」
二人は頷くと、勢いよくドアを開けた。
「月影陽、あなたを捕縛します!!」
「あはっ~、やっと来てくれた!」
ドアの先で二人を迎えたのは、吸血鬼と同じ姿をした少女だった。
天真爛漫なあどけなさの残る笑顔で、両手を広げなら、誠の方へと抱きつこうとしている。
「って、え――!?」
その行動があまりにも予想外過ぎて、誠の反応が遅れる。
「しっかりして、誠!」
飛鳥が二人の間に割り込むと、陽の腕を掴み、投げ飛ばす。
しかし、陽は何事もなかったかのように着地すると、スカートの埃を払う。
「うん、そっちの子は戦闘慣れしてるね! 魔法より、近接戦闘の方が得意なタイプ?」
「速やかに投降してください。そうすれば展開中の魔法をあなたにぶつけることはありません」
すでに飛鳥は魔法を完成させていた。
これは警告。速やかに投降しなければ、こちらには制圧するだけの準備があるという脅しだ。
広範囲を埋め尽くす爆炎系の魔法。
飛鳥は本気でその魔法を陽に向けていた。
遅れて、誠も完成させた魔法の射程圏内に陽を入れる。
「いいね、その容赦のなさ。ここ、屋内だよ? そんなことしたら民間人にも危害が及ぶんじゃない?」
けらけらと、まるで緊張感を感じさせることなく、陽がかわいらしく笑う。
その笑いは、人前で見せるようなものとは違う。
可愛い容姿からは想像のつかない傲慢さだ。
「それじゃあ、どっちが強いか試してみようか?」
「後悔するわよ?」
「どうかな? こう見えてぼく、結構強いよ?」
陽は好戦的な笑みを浮かべて、自身のアイドル衣装に手をかけ――ためらいもせず破き捨てた。
「なっ!?」
「あはは、男の子の反応かわいい~~。そりゃあ、かわいい女の子が目の前で服を脱いだりしたら、びっくりするよね~」
「警告はしました。《咎人たる聖者の礎、その不条理たらしめる天秤の下、凱歌の焔を築き給え――華粒炎》!!」
飛鳥は躊躇せず、魔法を放つ。
現状彼女が扱える、最上級の魔法だ。
飛鳥の周囲を幾重にも囲む魔法陣。
その中央からあらゆる豪炎が飛び交い、それらはやがて円環となり宙へと舞った。
「炎熱系かあ~見た目通りかな。でも爆破属性も付与してある……速いうえに厄介だね! これはセカイと契約してなかったら危なかったかも?」
陽は飛鳥の放った魔法をいとも簡単によけながら、そう分析する。
彼女の服には焦げ後の一つも付かなかった。
「うそ、なんで……」
「そう、おびえた顔しないでよ……傷ついちゃうからさ。ぼく、みんなが憧れる国民的アイドルだよ?」
だからこそだ。
飛鳥の魔法はアイドルが避けていいようなものではない。
プロの魔法師を目指す学生の大半が、この魔法一つで沈むような代物なのだ。
誠ならよけるのが精一杯、氷室であれば反撃の一手を奪うほどの効力がある。
それを目の前の少女はこともなげによけてしまった。
その事実が飛鳥には信じられない。
千風に無力化されるのなら、仕方がない。
生徒会長に詰め寄られるなら、諦めがつく。
だが陽は魔法師ではない。アイドルなのだ。
千風が気をつけろとは言っていたが、これはあまりにも予想外だった。
「飛鳥、下がって!!」
「くっ――!」
「《東西別つ土御門の――》」
飛鳥が後方に飛ぶ。誠が胸の前で両手を合わせる。
それと同時、飛鳥のいた足下に土の柱が生まれた。
飛鳥へと襲いかかる陽を分断するようにせり上がっていく。
そのまま左右に広がり、陽を炎の海に閉じ込めようとして。
「うわっ~、むごいことするね。あたしを閉じ込めて蒸し焼きにするわけだ。キミは魔法の構成を熟知しているね」
顔色一つ変えずに、陽はスカートから取り出したナイフを壁に突き立てる。
そのまま、壁がせり上がる勢いに任せ天井に達すると、簡単にこちら側へと侵入してきた。
「よっと! それじゃ、まずキミの方から――」
「はやっ……冗談だろ!?」
着地と同時、陽が誠の眼前から消える。
誠の背後に現れ、加速した勢いのまま裏拳をたたき込む。
誠は吹き飛ぶと、壁に叩きつけられた。
「がっ――!?」
「誠っ!!」
「うん、まず一人だね」
アイドルの小さな拳から放たれる威力でなかった。
ただの裏拳で人間が吹き飛ぶ……ありえない。
「ふたり、ほんとに千風の仲間なの?」
「なんで、あなたが千風を知ってるの……」
「直接面識があるわけじゃないよ、セカイを通して流れてくるんだ」
飛鳥には陽の言っている意味がまるで分からない。
つまらなそうに飛鳥を見つめ、拳についた血を頬で拭う。
「で、どうする? さっきの魔法が奥の手なら、ぼくを捕まえることは不可能なわけだけど?」
確かにそうだ。魔法を軽々しく避け、誠を卒倒させるだけの実力がある。
一対一では陽には敵わないかもしれない。
そんな考えが脳裏をよぎる。
「でも、私は千風と約束したからっ。守るって、ずっと一緒にいるって!!」
「うん? でも、力がなければそれは叶わないよ」
「分かってる! そんなのは自分が一番理解してる。だから――」
飛鳥の身が爆ぜる。足下の魔方陣を発動し、爆風を利用した加速を遂げる。
誠は戦闘不能だ。頭数に入れることは出来ない。
だからこそ、使える技だ。これは制御が効かないから。
暴走して、理性を失うから。
でも、仲間に危害を加える心配がないのなら――。
「私はまだ、戦えるっ! 《来たれ紅蓮、焼源を此処に――超速炎弾》」
「さっきよりも低級? そんなんじゃ、ぼくには……」
「お願い、きて――【華炎刃】」
炎を隠れ蓑にして【憑依兵装】を権限させた。
飛鳥の右手に突如、炎が収束する。
やがてそれは、一振りの剣の形成していき。
剣の周囲を煌めく炎が螺旋状に渦を巻く。
蒼と橙の灼熱が、飛鳥を中心に業火をまき散らす。
「あ、憑依兵装は予想外だ。防ぎようがない」
「――さようなら」
飛鳥の冷めた瞳が陽を見据え、横に薙ぐ。
華炎刃が陽の腹部を捉える。
視界を覆う、閃光にも匹敵する発火。
地震を想起させる振動が館内を襲う。
「けほっ。はあ、はあ……さすがに、ぼくじゃ……受けきれなかっ――」
そう残して、陽は気絶した。
「やったよ、千風。これで私……」
ふっと、意識が遠くなる。
【憑依兵装】を使った代償だ。
飛鳥にはまだ、華炎刃を使いこなすだけの力はない。
それでも、ひとまず……自分たちの役目は終えたのだと、安堵の息が漏れる。
そう思った途端、全身の力が抜け、飛鳥も気を失うのだった。
***
「――王位解放、隷属しろ【黄昏の王】」
「なっ……それは!」
ドクンッ。千風の心臓が脈打つ。まるでナニカに反応するように。
千風の中で何かが渦巻く気配が感じられる。
「黄昏の王? ははっ、これは傑作だ!」
世界が目を見開いて笑う。
彼にとっても、この状況は予想外なのだろう。
「当たりじゃないか! この場に王が二人も……予定変更。君も仲間にしよう――」
次の瞬間には空の眼前に世界がいた。
まるで目で追うことが出来ない。
「近づくな吸血鬼!」
空が腕を振るう。
たったそれだけのはずなのに、神速に匹敵した腕は、世界の片腕を切り落とすには十分だった。
「があっ!?」
「くっ!」
その衝撃で千風も後方へと吹き飛ぶ。
「千風、君も王の力を使うんだ。目には目を、王には王だ」
世界が腕をくっつけながら、苦悶の表情でそう告げる。
どこか余裕がないようにも見える。
吸血鬼、それも始祖を名乗る世界を圧倒する人間。
それは果たして、人間と呼べるのだろうか。
世界の横顔を尻目に、ふと、そんな疑問が浮かぶ。
あまりにも強大な力。
強大な力に抗うには、それを上回るほどの力が必要になる。
まるで際限がない。
力、力、力……。
どこまでいっても力が必要なのだ。
もう、空は人間じゃない。
人の形をしてはいるが、その力は、人が手にして良い物とは到底思えなかった。
そして、それに対抗しうる力を持った千風もまた、人間ではないのかもしれない。
そもそも、迅雷鬼や宵霞を飼っている時点でもう、人の理を外れてしまっている可能性がある。
あまりにも多くのものを犠牲にして、千風はここにいる。
後戻り出来ないところまで来てしまっていた。
コツコツと軍靴をならしながら、空がゆっくりと迫る。
切っ先を千風の顎に添え……。
「使えよ、千風。お前のナカにもいるんだろ?」
空の背後は空間が歪んでいる。
無理矢理曲げられて、その中から異形の瞳がギョロギョロと千風を見つめていた。
青白い、生気の抜けた無数の手足が、外に出ようと蠢いている。
そんな空の姿を、後ろで見ている氷室は絶句している。
当たり前だ。こんなものは、人が手を出していい領分を――遙かに逸脱していた。
「なあ、空……俺たちは人間なのかな?」
「お前も分かってるんだろ? 誰かを守りたいと願うなら、同じ土俵にいることは赦されない」
ボクたちは血を流しすぎた。空は悲しそうに言う。
あまりにも理性を保ったまま、バケモノを使役して。
「ボクたちは魔法師だ。化け物じゃない。人を災害から守る存在……なら、理性を保って人間を辞める必要がある」
「それでも俺は、人間でいたいよ。あいつらと一緒にいたい……」
千風の脳裏には飛鳥や誠、イザベルの姿が浮かぶ。
どうしても守りたい存在。
こんな窮地に立たされてなお、三人の事を常に考え続けている。
「なら、お前も王を遣え。理性を手放すな」
「それは傲慢過ぎるよ。バケモノを凌駕する力を持っておきながら、人間を名乗るなんて、虫が良すぎるとは思わないかい?」
どちらの言い分もきっと正しい。
三人で一緒にいるには、途方もない力がいる。
そしてそのためには、人間でいる訳にはいかないのだ。
だが、化け物になるわけにもいかない。
「さあ選べ、千風」
「千風、君はワタシの味方だろう?」
前方から空が、隣から世界が、手を差し伸べてくる。
「悪いな空。それでも俺は、人間を辞める気にはなれないよ。あいつらの側にいてやらなきゃいけない」
「そんな甘えが通じないことくらい、理解しているだろ?」
千風はゆっくりと立ち上がる。
「けど、それぐらいの気概がなきゃ、この世界では守りたいものすら守れない」
「いつまでそんな子供みたいな話を……」
「世界、お前は俺の仲間だよな?」
「ああ。君の仲間さ、千風!」
「馬鹿なこと言ってる場合か!? ここで殺さなきゃ、ボクたちが……」
世界の表情が明るくなる。
腕も完治し、千風の隣に並ぶ。
「君は話が分かるね、千風」
「なら、お前が俺を利用するように、俺はお前を利用する」
「構わないよ、それでワタシの願いが叶うなら」
「決まりだ。空、理解しただろ?」
「そうか……なら――」
空は目を伏せ、覚悟を決めたようだ。
お互いの視線が交錯する。
「おや、これは……?」
その瞬間、世界がガクンと、バランスを崩す。
恐らく、飛鳥と誠が陽の捕縛に成功したのだろう。
それを確認して千風は、
「やれ、空。俺なら無事だ。帰るぞ――」
「……そうだね」
空が王の力を振るう。
その先には世界と、千風がいる。
到底回避出来るものではない。
千風ごと世界を斬り伏せるつもりだ。
「世界、お前が仲間なら、現実に来い――っ!」
「なるほどね、それはそれで面白い。この場で誰も失わない方法だ」
二人分の血飛沫が舞う。胴体が宙を飛び――それで決着だった。
吸血鬼はこの程度では死なないだろう。
だが、戦闘不能には出来た。回収し、現実世界に帰ることができる。
千風は、彼が普通の人間なら、死ぬ。
だが、千風ももう、人間じゃない。王を宿している。
それは空も肌で感じていた。同じ継承者の一人なのだから。
だからこそ、この手法がとれた。
すぐに帰って、緊急治療をする必要がある。
それで、何もかもが元通りだ。
災害迷宮が瓦解する。
主を失い、その存在性が曖昧になったためだ。
「待たせたね、氷室。帰ろう」
そう笑う空はどこか狂気じみていて。
氷室は言葉を発する事が出来ない。
「まだ、早かったかもしれないね。でも……これが魔法師の世界だよ?」
「……っ!!」
「さあ、千風を背負って。直にここは崩壊する……マキノさんも無事だといいけど」
四人が青白い魔方陣の光に包まれる。
向かう先は彼らの住む、現実の世界。
「帰ったら、色々と話すことがありそうだね……」
そうして、災害迷宮から四人は姿を消した。




