第6話 問題児だらけのクラス
――災害研究機関、本部。その執務室に一人の男がいた。
左眼に刀傷を負ったその男は唯一、単騎で災害魔獣の中でも最高位の神獣型――俗に天使や悪魔と呼ばれる化け物を討ち取った男だった。
時枝玄翠、それがこの国を救った男の名だ。
「ふん!」
先ほどまで部下である千風と対話していた端末を叩き割る。
破砕音に次いで、時枝が指を弾くと端末はいとも簡単に砂と化した。
「閣下、いかがなさいます? 今回の案件は流石に、千風様でも手に余るかと……」
時枝玄翠の秘書は申し上げにくそうに進言した。秘書と言ってもただの秘書ではない。単騎でカラミティアと対峙して無傷で帰ってくる程度には魔法師としても優秀な部下である。
葉巻の煙を吐き出しながら、時枝は答える。
「分かっているさ、ヤツには相性的にも分が悪い。だが、やってもらわなくては困る。我々はいつだって人手不足だからな。否が応でもあのバカには無茶をさせる」
普段はからかってばかりの時枝にも、千風を想う良心もあれば、愛する気持ちだってある。自分の子ども同然に育てて来たのだから。そんな息子に危険な任務を押しつけたのだ、毎度のことながら、今回は特に心配だ。
「しかし、よりによってこうも面倒ごとが重なるものかね? どうにも、作為的なナニカの動きがあるような気がしてならない。マキノ、至急リューネとクラウスの馬鹿を呼んでこい」
「彼らを、ですか? かしこまりました」
秘書、牧野は詳しくは聞かず千風と同じ十二神将の二人を呼びに行った。
時枝は灰皿に葉巻を押しつける。
「ふーっ……厄介なことになったな。こちらも早いこと駒を進めなくてはな。取り返しがつかなくなる前に……」
机の上に置かれた二枚の報告書を読む。千風より先に送り出した、千風の協力者となるもう一人の部下からのものだ。
二枚にはそれぞれ別の生徒についての詳細が書き込まれていた。一つは、各国で進む大陸の凍土化にその生徒が、関わっているのではないかという推測と、その考えに至るまでの経緯について。もう片方はある女生徒に関する記録。
どちらも下手をすれば、国家機密事項に抵触しかねない案件である。
「《氷結の都》に《災厄の魔女》。どちらから手を打つべきか? まったく五十を過ぎたロクでもねージジイに世界は一体何を求める?」
時枝が独り言を呟いていると、牧野が彼の影から音もなく現れた。
「閣下、リューネ様をお連れしました。残念ながらクラウス様の方は不在でして……」
申し訳なさそうに顔を歪める。
「気に病むな、マキノが悪いわけではない。マキノはもう下がれ、これから私とリューネはしばしC.I.を空ける。引き続き、頼んでいた任務に取りかかれ」
「はっ!」
敬礼して牧野はすぐさま自らの任務へ向かった。
「総帥……我々はどちらへ? 我々が離れたとなると誰がここを守――」
リューネの言葉を遮り、時枝は続けた。
「ここはクラウスの馬鹿に任せる。我々はドイツへ向かうぞ? 何やら不穏な動きがあるらしい。それがカラミティアか、はたまた人間かは定かではないがな……。どちらにせよ、放っておくわけにもいくまい。ドイツが堕ちれば、世界の均衡が崩れるやもしれん」
「それは、それは……了解しました。このリューネ=リンカー、できる限り総帥のお力添えを致しましょう」
不適な笑みを浮かべ、芝居めいたセリフをはく独特な口調。彼こそが十二神将として位階序列第一位に座し、【白羊】の名を冠す――現代における最強の魔法師だ。
「気をつけろよ千風。……お前の通う学園は相当闇が深いぞ? どうやら儂もお前も地獄を引き当てるのが得意らしい……」
まだまだ世界は時枝を休ませる気がないみたいだ。
「何か気になることでも?」
「いや、何でもない。行くぞ――!」
こうして、世界の闇が動き始めた。
***
「へっきし!」
誰かが千風の噂でもしているのだろうか。彼は通学路の途中で盛大なくしゃみをかましていた。
すると、前から茶髪の少年がやって来た。辻ヶ谷誠だ。
「なに間抜けなツラしてんのさ、ほら」
爽やかに差し出されたティッシュを受け取る。
「おう、てか、その顔やめろ。見てて腹立つ……お前は俺の姉か?」
用意の良いイケメン野郎に、千風の理不尽な要求を突きつけた。
「いやいや、これは元々だから!」
それに対する返しすら千風には嫌味に感じられた。
そんな他愛もない話を続けていると、気づけば名桜学園の門をくぐり、教室についていた。
「なあ、誠。昨日言ってた蓮水って奴はどいつだ? 見た感じだとそれっぽい奴いねえんだけど?」
キョロキョロと教室内を見回すも、強いとはっきり分かるような奴はいない。
すると、首にヘッドホンをかけた少年が現れた。少年の喋り方からは、物腰柔らかい印象を受けた。
「僕になにか用かな? 探してたみたいだけど?」
「あ、いや、コイツから強い奴がいるって聞いたからつい……」
誠のことを指差して、気の弱い生徒を演じる。
それに対する蓮水の返答は意外なものだった。
「ふーん? それは本当かな……なんだか怪しくないかな? 昨日馴れ合いがどうたらとか、言ってて今朝会ってみれば、誠と親しくなっている……しかも、今僕の指先見たでしょ? 一体何を確認したのかな? ねえねえ、教えてくれる?」
蓮水の口角が三日月のごとくつり上がる。
「――ッ!」
――コイツ……鋭いッ! ……なるほど、これは確かに厄介そうだ。マズったか? もしや今のでバレた――か?
「……まあ良いや、よろしくね転入生くん?」
千風はほっと胸を撫で下ろす。
今のは危なかった。時枝の警告を受け、穏便に済ませようとしたら翌日にバレる――なんてことになっていたら……シャレにならないところだった。
蓮水氷室、コイツも色々と面倒だ。
「それよりもさ〜〜なんでお前が関わってんだよ――誠ッ! あ?」
蓮水の右手から物凄い勢いの拳打が放たれた。魔法によって加速された跡はない。純粋な力のみによる鋭い拳打。
「ぐあっ!?」
うめき声とともに、誠が吹き飛ぶ。とっさの出来事に満足な受け身が取れない。背中から机に叩きつけられ、肺の空気が無理やり吐き出さされた。
「げほ、げほ……いきなり何するんだよ?」
誠は口の端から流れ出た血を拭い、蓮水を睨んだ。
「あは、なんだよその目? まさか僕と殺り合おうってのか?」
第一印象とはまるで違う。今、目の前にいるのはまるで狂人だ。
「おい誠! 無事か?」
歩み寄り、傷の具合を確認すると思ったより大丈夫そうだった。
「うん、なんとかね? それより今の俺に構わない方がいい。氷室の標的になるよ?」
「んなこと言ってる場合か? 気にするな、相手にせず穏便に済まそう――」
言いかけた千風の眼前に蓮水の蹴りが迫る。その速さは先ほどの比ではない。魔法で加速され、強化され、当たれば誠のような軽傷では済まないだろう。
千風は選択に迫られていた。避けるか、避けまいか……もちろん彼にとって避けるのは容易い。だがここで避けることは果たして正しい選択と言えるだろうか?
避けてしまえば、千風の実力はすぐにバレてしまう。蓮水の放った蹴りはそういった類の蹴りだ。常人がまぐれで回避できるほど甘い蹴りではない。角度、タイミング、距離感……こちらの死角からの初動、どれもが完璧と言える状態で放たれている。
蓮水の実力は明らかに学生の域とはかけ離れていた。今なら誠が注意しろと言ったこともうなずける。
先ほどの短い会話で怪しまれた千風は、目の前にいる男に試されているのだ。
第三の選択に受け身を取ることも、候補としてはある。が、これに失敗した時のショックが一番でかい。なにせ、威力を抑えたとしても痛い思いはしないといけないし、なおかつ実力までバレてしまうという最悪手になりかねない。
受け身は本来、実力の拮抗したもの同士の戦いか、自分よりはるかに劣る相手の時にしか使えない。
正体の明かせない千風の場合、はたから見たら千風の方が格下なのは火を見るよりも明らかだ。そんな中、受け身を取ろうものならそれこそ自殺行為と言えるだろう。
だから……千風はこれだけのことを一瞬のうちに考えながら――
――うわー、これ当たったら相当痛いやつじゃ……? 嫌だなー、当たりたくねえー! でも、それしか……。
反射的に瞼を閉じたように見せかけ、素直に全威力を顔面で吸収することにした。
「へぶっ、――!?」
間抜けな声を残して千風の身体はたやすく宙に浮いた。水切りの石のように机上を二転、三転と跳ね……窓ガラスに激突した。
「ぐっ……」
立ち上がろうとするも、脳が揺さぶられ三半規管が麻痺していた。無意識のうちに膝を折り、前のめりに倒れこんでしまう。
「千風ッ! ……クソ。いくらなんでもこれはやり過ぎだぞ、氷室!! 何を考えている! 彼はまだ転入して来たばかりなんだぞ!?」
誠が怒鳴るが、蓮水はそれをまるで相手にしない。
「ちっ! あーやめやめ。そいつとんだ腰抜けだよ。興が冷めた。二度と僕の前にその醜い面さらすなよ?」
顔面がボロボロになった千風を鼻で笑い、そう言い残すと、氷室は自分の席へと向かって行った。
「蓮水、ちょっと待ちなさい!」
そこへ、彼の行く手を阻むように、一人の小柄な少女が両手をめいいっぱい広げて立ちふさがった。
――赤い髪……緋澄の令嬢、か……? く、そ、が……。
千風は薄れ行く意識の中、その特徴的な赤髪を見た。そして意識を深い谷底へと落とすのだった。
***
「…………?」
千風が目を覚ますと、嗅ぎ慣れた薬品の匂いが漂う、保健室だった。どうやら、蹴られた時の衝撃で気絶していたようだ。
「あ! 起きたか千風?」
ぬっと、千風の視界に誠が現れた。彼がずっと付き添って看病をしてくれていたらしい。
「俺は気絶させられたのか? はは、情けないな」
本当に情けなかった。蹴りを一発喰らっただけで気絶してしまう自分がどうしようもなく哀れで、惨めで思わず乾いた笑みが漏れてしまう。
こんなどうしようもなく不甲斐ない身だから、昨日言っていたように、誠にも憐れまれたのだろう。
「なんて、顔してるんだよ? んな顔しても誰も喜ばねえぞ?」
努めて、軽口を叩くように――誠が思い詰めなくてもいいようにと。笑ってやる。
けれど、誠は今にも泣き出しそうな顔で謝ってくるばかりだった。
「ごめん! 本当にごめん……俺のせいでこんな――」
「ばーか。お前のせいじゃねぇよ。俺が好きで選んだことだ」
誠はどう解釈したのだろうか? きっと千風が穏便に済ませようと努力したこととして捉えてくれたことだろう。
自分が気絶した後の状況を聞きだす。
「うん、今回も飛鳥のおかげでどうにか収まったよ。本当、悪かった! 氷室は何かと文句をつけてはああやって襲ってくるんだ……先に言っておくべきだったね」
「そうか……。そういや、蓮水俺のことなんか言ってたか?」
言いにくいことなのか、誠は口ごもり中々言いだそうとはしなかった。千風が言えと睨みつけたことでようやく話し始める。
「ひどい腰抜けだってさ。二度と汚い面見せるなとも言ってた。……不意打ちをしといてよくもまあ、そんなことが言えるよね? 」
「腰抜け、腰抜け……ね? はは、ごもっともだ」
口元を押さえ、楽しそうに笑う。大人しく蹴られた甲斐があったというものだ。
時計を見ると、すでに午後五時を回っていた。この分だと今日の授業は全部すっぽかしたことになるのだろう。
「なあ、昨日今日とまともに授業を受けていないんだが……単位とか大丈夫かな?」
千風が転入して来たのは九月。四月に入学した同学年の生徒とはすでに、五ヶ月分もの差が出ているのだ。それに加え、初日はずっと居眠りをし、今日に至ってはそもそも一時間目からここにいたことになる。
さすがに色々とマズイのではないか? もしかしたら、退学の恐れがあるのでは……。
千風が今後について色々心配していると保健室のドアがガラリと開いた。
「あなたが如月千風ね? 少し話をさせてもらっても良いかしら?」
そこにいたのは一人の少女だ。小柄で勝気な瞳。特徴的な赤髪をさらりと搔き上げると、全力なドヤ顔でふんぞり返り、そんなことを言い出した。
千風はあからさまに顔を歪める。
彼の目の前に現れたのは、緋澄重工の令嬢――緋澄飛鳥、だった。
彼の元にまた新たな厄介ごとがやって来た瞬間である。