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一騎当千の災害殺し  作者: 紅十字
第二章
56/64

第56話 対話

 きっといつまでも隠し通すことは不可能なのだろう。

 いつかはバレてしまう。

 けれど、それはここではないどこかでなければならないはずだった。

 だがそれももう、限界に近い。


「はあ、はあ……くそ、厳しいな……」


 額に玉の汗を浮かべ悪態をつくのは千風だ。

 乱雑に拭う手の甲には浅くだが傷がついている。

 振り払う腕から地面へと血が飛び散って――。


 彼らの前に立ちはだかるのは、カラミティア・セル。

 その数は有に五十を超えていた。


「千風――!」


 飛鳥が叫ぶ。

 その声は湿っぽく、彼女がそれだけ心配してくれているのが分かる。

 だが、今の彼には言葉を返すだけの余裕はない。


 バイナリズム不全。

 千風の身体を蝕む、呪いの枷。

 それはクラーケンとの戦いで魔法を使うものが破ってはいけない禁則を犯したことの代償。

 そのせいで今の千風は魔法が使えない。

 魔法師にとって魔法が使えないまま災害迷宮に挑むことなど、死にも等しい。



 彼と共に数多の戦場を切り抜けてきた頼みの綱である【迅雷鬼】も呼び声には応えてくれない。

【迅雷鬼】は自由気ままな奴だが、それでも千風が命の危険に晒されているときにはいつだって力になってくれた。

 しかし、今回ばかりはその力を使うことは叶わない。



 それは、今の千風の状態では【迅雷鬼】を扱う際の衝撃に耐えられないから。

 千風の持つ【迅雷鬼】は他の【憑依兵装】と比べると扱いにくく、使用者に対して大きく代償を要求するものである。

 もしも、今の状態――魔法が使えないまま使用することになれば、彼の身体は無事では済まされない。

 簡単に言ってしまうと、使えば間違いなく死ぬ状況にあるのだ。

 それだけは確定している。故に使うことはできない。


 普段は魔導器と身体がつながっていることで、無理矢理自身の体内に魔力をとどめておくことができる。

 そのおかげで何とか自我を保つことができているのだ。

 だが彼にはバイナリズム不全のせいで、その加護が今はない。


 彼の身体には魔力が流れていない。

 いわば常人と同じ状態と言えるだろう。




 周囲を取り囲む大小の化け物。

 流石にこの数に囲まれたままエリカ一人に頼るのは無理がある。


 エリカの横顔を覗けば、彼女も状況の悪さに気づいているのか、薄っすらとだが額に冷や汗のようなものを流していた。

 どう守るか、どう切り抜けるか。

 今も必死に彼女の頭の中では、高速な思考が巡っているのだろう。



 背後には誠と飛鳥。

 千風にとって何が何でも守らなくてはいけない存在がいる。


 その後ろにはエリカの部下が四人。

 彼らであれば、ある程度対処できるものの、これだけの数に囲まれてしまえば、どうすることもできない。


「差し違えてでも、みんなを守らないと……」


 小さくエリカの唇が震えた。


 強く唇を噛みしめる。

 覚悟の強さは口元を流れる血を見れば明らかだった。


「みんな逃げて――」

「待ってください!」


 自ら盾になるといわんばかりに、前へ進もうとするエリカの腕を千風は掴んだ。


「千風くん?」


 仮にも彼女はS級の魔法師。

 まさかその自分の加速魔法によって強化された肉体を掴まれるとは、思いもよらなかったのだろう。


「エリカさん落ち着いてください。俺に考えがあります――」


 そう言うと千風はエリカの耳元で囁く。


「本当にできるの?」

「時間はありません。俺はやります。アイツらを守りたいので」


 淡々とそう告げる。

 物腰の柔らかさから千風の落ち着き具合を感じ取り、彼女も一呼吸おいて瞳を閉じた。


「そう。ここまで一緒に戦ってきて、あなたの力はだいたい把握しているわ。じゃあ、任せたわよ?」

「はい」


 頷くと千風は駆ける。

 向かう先は眼前の化け物の中心。

 右手を突き出す。

【迅雷鬼】とは異なる()()【憑依兵装】を呼び出すために。




「――来い、【宵霞よいがすみ!】」


 その呼びかけに答えるように、突き出した彼の手中には刃渡り六十センチほどの小太刀が握られていた。

 刀身は赤黒く、煌々ときらめく星のよう。

 周囲には風を纏い、千風の髪を逆立たせた。


『あら、久しぶりじゃない? アタシに頼るなんて?』


 闇色の光とともに現れた小太刀は千風の脳内へと直接語りかける。


『アイツが使えないと分かったら、今度はアタシの番。随分と都合が良いのね?』

「うるせえ、いいから黙って力をよこせよ?」

『まあいけど。アナタのそういうところは嫌いじゃないし?』


 千風は上半身を前方へと傾ける。

 右足をねじり、力を集中させて――。


 刹那、全身をばねのようにして爆ぜた。

 その速度は魔法を使わず、エリカのそれを遥かに凌駕する。




「なっ――!?」


 これにはエリカも流石に驚いたまま固まってしまった。



「俺の血でみんなを守れ、【宵霞】!」


 加速が最高点に達したところで、千風は【宵霞】を逆手に持ち替え自身の左腕を切り裂いた。

 血管を深く傷つけたことで、血しぶきが盛大に噴出する。


 舞い上がった鮮やかな血液はさながら花火のよう。


『相変わらずアナタは派手ね?』

「いいから力を――」

『分かってる。燃料をくれるなら、それだけの働きはするつもり……』


 噴き出した鮮血は重力に従うことなく、【宵霞】の方へと吸い寄せられていく。

 闇色に明滅する小太刀。

 その熱が腕を伝って千風の体内にも流れ込んだ。





「化け物の存在を霞めろ――【宵霞】!」


 千風の血液、その三分の一にを蓄えた【宵霞】を宙に放り投げる。

 瞬間、中空にとどまった【宵霞】から放射状に闇色をした血液が降り注ぐ。



「今です、エリカさん! 範囲破壊魔法を!」

「ええ、分かってる!」



 エリカの頬からひとしずくの汗が零れ落ちた。

 それを皮切りに彼女は左手を突き出し、高速で詠唱と法陣構築を始める。


 化け物の足元を覆いつくすように橙色の魔法陣が構築される。

 円環は廻り、巡り、明滅を繰り返す。





「《巡り、潤い、(ひとえ)に大地を(さら)す灼龍の眼差し――権威を示せ、灼熱の主(イフリート)》!」



 詠唱が終わると同時、魔法陣の中央から龍の形をした炎が生まれた。

 その熱量は凄まじい。

 降り注ぐ血液を一瞬で沸騰させ、蒸気に変えてしまう。



 エリカが振るった腕に従うように、炎龍は化け物を飲み込むべく口を開けた。


 瞬きを許さないほど一瞬の出来事だ。

 化け物に息をつく暇さえ与えない。



 肉を断ち、骨を砕く。

 化け物の断末魔の声を耳にしながら、千風は全身を使って呼吸をしていた。




「はあ、はあ……くそ、思ったように空気が入っていかない」


 化け物を除いて一番近くでエリカの魔法の影響を受けたのは千風だ。

 いくら直撃していないといえど、間近でその光景を目の当たりにすれば、のどが焼かれていてもおかしくはない。



 実際、かすかに違和感を覚えているのも確かで。

 今の彼は魔法の加護を受けれない生身の状態だ。

 満足に防御の態勢を取ることもなく直にその影響を受けてしまっていた。



「がはっ――!?」



 大きく血の塊を吐き出す千風。

 その血液の粘度は高く、やはり喉がかすかに焼かれているようだ。




「千風ー!」

「しっかりしろ、千風!」

「ちょっと、千風君!?」



 耳が遠い。視界が霞む。

 血を失いすぎたせいで千風の思考はどんどん低迷していく。



 誰かが千風の身体を抱きかかえる。

 その感覚すらも薄れていき――。


 千風はゆっくりと重たくなったまぶたを閉じ、意識を切り離した。





 ***






 身体が重い。

 だが動かないということはなかった。


 頭に鈍い、深部に突き刺さるような痛みが走る。

 それでも、思考が止まることはない。


 全身が重いはずなのに、身体の中が妙に軽いのはなぜだろうか?




 ――俺は一体……ああ、そういや【宵霞】のバカに血をくれてやったんだっけ?

 ――道理で身体に複雑な影響が出ているわけだ。

 ――で、ここはどこだ? 俺は災害迷宮にいたはずだが?



 重い身体を持ち上げ、辺りを見渡すも千風が見知った災害迷宮の景色はそこにはない。



 千風の視界に映るのは、ただ延々と広がる灰色の大地だ。

 淀んだ空気。

 くすんだ世界はふわふわとした白いオーブで埋め尽くされていた。



「あぐ――っ!」


 腹部に強烈な痛みが走る。

 それは熱にも等しい痛みだ。

 不思議に思って見てみると、小太刀が深々と突き刺さっていた。



「……また俺を連れてきたのか?」


 千風の声に呼応するように小太刀が輝き、その姿を変える。


「またも何も、アナタが無茶をするからでしょう?」


 光に包まれ、千風の前に現れたのは一人の少女。

 見た目は中学生ぐらいだろうか? 黒髪に赤のメッシュを入れたショートの髪型。

 線は細く、色白の肌は白磁を連想させる。



 オーブと一緒に宙に浮いた少女。

 その瞳はまっすぐに千風見据えていた。



 前にも一度、今と同じようにこの空間に呼び出されたことがあったのを千風は思い出す。

 その時も千風はギリギリの戦いをしていた。



「だが、お前の力を使わなければあの場で何人かは死んでいた」

「そうかもしれないけど、アナタとアタシは一心同体。いわばお互いの命を共有したようなもの。アナタが死んだらアタシも死ぬことになる。まあ、逆が成り立たないのはすこし癪だけど……」

「それは理解している」

「なら、もう少し自分の身を大切にしてくれるかしら? アタシはまだ死にたくはないの!」


 ぷくりと頬を膨らませた少女――【宵霞】んは人差し指を千風に向ける。


「だいたいあの時だって……ルシフェルだっけ? 天使だか悪魔だか知らないけどさーあんな意味わかんない強さのバケモノに挑むことなんてなか――むぐぅ!」


 べらべらと一人早口でしゃべり続ける【宵霞】の口を無理矢理塞ぐ。

 じたばたと暴れるが、それでも千風が放してくれないの理解したのか、大人しくなり目でごめんなさいと訴えてくる。


「けほけほ……」

「それで、今回はどれくらい喰った? ここに呼んだってことは足りなかったってことだろう?」

「そうね、話が早くて助かるわ」


 咳払いをして呼吸を整えると、少女は真剣なまなざしを千風に向けた。


「今回の場合、あのバケモノの存在を薄めるためには、予想以上の血液が必要だった。アナタは三分の一を想像していたみたいだけど?」

「ああ」

「けど実際には違った。アタシが今回喰らった血液の量はおよそ45パーセント。知ってると思うけど半分も血液を失えば心停止でやがてあなたは死ぬでしょうね」


 本来なら三分の一以上失っただけでも命を失う危険がある。

 それでもあの場で皆が助かるために、魔法の使えない千風ができることといえば、【宵霞】の力を借りる以外にはなかった。



「だから、これは警告。分かるでしょう? もう今のアナタはただの人以下、よ?」


 少女の言うとおりだ。

 魔法は使えず、【迅雷鬼】の声も聞こえない。

 おまけに【宵霞】の力を使って、存在を消すことも叶わなくなってしまった。

 この状況ではどう見ても、小太刀を持っただけの人間でしかないのだ。


「そうだな」


 事実を突きつけられてなお、千風は平然としていた。


「迷宮攻略は諦めなさい。これ以上血を流すことは許されない。アナタも理解しているのでしょう?」



 当然だ。

 理解していないわけがない。

 千風がこれまでどれだけの迷宮を攻略して来たと思っているのだろう?

 彼女とはそれこそ【迅雷鬼】と同じくらい長い時を過ごしてきた。


 お互いについて知らないことなど、そうそうない。

 ここが引き際だということぐらい千風は理解していた。


「それに……」


 珍しく【宵霞】が言いにくそうに目をそらす。


「どうした、まだ何かあるのか?」

「嫌な予感がする。何だが感じたことのない、うねりのようなものを」




 ぶつぶつ顎に手を当てながら一人思考の海に落ちる少女。

 その姿を気だるげに見つめながら、千風は考える。


 これまでに【宵霞】が何かを気にとめたことがあっただろうか?

 記憶を辿ってみるものの、それらしいものを見つけることは叶わない。

【宵霞】が気にかけるとなると、よほどのことなのだろう。


 だがそれでも、千風は飛鳥たちの元へと帰らねばならないことは確かで。

 であれば、こんなところに長居する理由など、もはやないに等しい。


「【宵霞】、残り4パーセントでどれくらいの力を出せる?」

「アナタ本当に死ぬわよ? 下手したら死よりひどい状態になるかもしれない」

「何だよそれ?」

「そう、知らないのね。アナタはまだ人間で、その輪――理からは外れていない」

「さっきから何を言って――」

「知らないならいいの……。そうね、運がよくてカラミティアの攻撃を一回防げるかどうかってところかしら」



 あきれたと言わんばかりに伏せた視線が千風の瞳に突き刺さる。


「それ以上はダメ。アナタが人間だから。人間である以上、頭を飛ばされれば死ぬし、心臓が止まれば動かなくなる。それは必然」


 まるでその言動は突き放すようなものだった。

 悲しく潤んだ瞳を伏せ、少女は空を仰ぐ。


「人間は脆いから、いくら医療が発展して、魔法が便利だからと言っても――即死級のダメージを喰らって無事で居られることはないわ」



 それが世の理だから……。

 少女はそう付け足した。



「一回、あるいは威力を落として四回が限度。それ以上はアタシ自身が内側からアナタを食い破ることになる」

「分かってる」

「別にアタシの意志と関係なくアナタは死ぬことになる。アタシよりずっと高位のシステムがそうさせるから。食い破って、暴走してそれで終わり」



 アナタも、アタシもね?

 それは嫌でしょう?

 痛いのも嫌、なら生き延びなきゃでしょ?


「それじゃあ、行ってきなさいよ!」


【宵霞】はそういって笑った。


 どんと、背中が押される。

 次第に視界が歪んでいく。

 戻されるのだ、元の世界――災害迷宮へと。


 災害迷宮には守るべき仲間がいる。

 救うのだ。誰一人欠けることなく、迷宮を脱出する。

 それが千風がすることで。



 景色が歪む。

 睡魔が千風の脳を犯す。

 千風はその不快の中にも暖かさの混じった痛みに身を委ねるようにして、再び眠りにつくのだった。


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