第51話 きっとそれは――世界が始まる物語
「【蒼龍影】――」
天王寺の瞳が冷めた色に染まる。
目下に映るのは一人の少女。
右腕に会長と書かれた腕章をつける、この学園のトップに君臨する少女だ。
その彼女を天王寺は冷めた瞳で見下ろしていた。
【蒼龍影】を使う天王寺の感情の起伏は著しく低下している。
これは【憑依兵装】を使うことによる弊害だ。
蒼い炎――すべてを焼き尽くす破壊の焔が生徒会長を包み込んだ。
それで終わり。
終わらせるはずだった。
彼女は腐っても生徒会長。
この学園ではトップの実力を誇る。
殺せるとは思っていない。殺そうとも思っていない。
だが、彼女の動きを止めることくらいはできると、天王寺は確信していた。
だが、そんな彼の視界では天地がひっくり返る。
何が起こったのか見当もつかない。
気づけば自身の身体は宙に浮き、次の瞬間には地面に叩きつけられ首筋に細剣を突きつけられていた。
「ぐ……」
圧倒的だった。
目の前に悠然と佇む少女の唇が楽しそうに歪んでいた。
「うん、思った通りだね。キミは強い。強いよ――天王寺光君」
屈託のない、今まで見たどの笑顔よりも素敵に微笑みかける少女。
彼女は優しく天王寺に笑いかけると、そっと右手を彼に差し伸べた。
立てる? そう、問いかけてくる。
さっきまでの殺伐とした雰囲気は消え去り、今の彼女にあるのは、思いがけないほどの温かさと――何もかもを包み込んでしまいそうな優しさだった。
「キミ、生徒会に来ない?」
それが彼女、名桜学園生徒会長――七咲流花との出会いだった。
***
「光、急げよ? 生徒会に遅れる!」
「分かってる! もう離脱する。準備はできた」
「オーケーそれじゃ、3、2、1で逃げるぞ! 3、2、1――」
災害迷宮区。
災害の大元であるカラミティアが存在する最奥の間。
そこに二人の学生がいた。
光と彼の友人――勇作だ。
彼らは二人、生徒会の命令で災害迷宮へと来ていた。
彼らに降された命令はレベル10の災害迷宮の攻略。
【切り離された残片世界】を介してカラミティアがが住まう世界へと来ていた。
目の前では青い柱が立ち上る。
この災害迷宮を作り上げたカラミティアを殺したことで、迷宮が崩壊しようとしている。
「くそっ! 今回も収穫なしか!?」
「仕方ない。会長たちも私たち二人で回収できるまでの成果は望んでないはず」
「それは分かってる。でも光だって欲しいだろ? 【憑依兵装】」
「それは……」
上手い言い方が見つからない。
これはどういう意図で放たれたのだろうか?
勇作の実力であれば、【憑依兵装】を持っていることは明白だ。
実際に見たわけではないがそれは確定できることだろう。
であれば、勇作の言葉の意味はそのまま捉えることはできない。
天王寺が【憑依兵装】を持っていることは勇作も知らないだろうが、おおよその見当はついている。
つまり、彼が言いたいのは、二基目の【憑依兵装】のことだ。
お互い【憑依兵装】の存在を知らないわけだはない。
それがどれだけの力を持っているのかも、それがどれだけ人の身体に影響を及ぼすのかも知っている。
学生の身で一基所持しているだけでも異常なことなのだ。
それなのに目の前の友人は二基目を欲し、手に入れられなかったことを悔しそうにしている。
彼は二基目を身体に宿しても無事でいるつもりのなのか?
それは、あまりにも傲慢な欲ではないだろうか?
確かに普段は侵入することさえ赦されない災害迷宮である。それも幻獣型のカラミティアの討伐ともなれば、なおさら。
今回彼らはその実力を買われ、生徒会の指示のもと、二人で幻獣型のカラミティアに挑むことを許された。
本来幻獣型のカラミティアが住まう災害迷宮へはプロの魔法師が数十単位で挑むもの。
それを学生たった二人で挑むことじたい、無謀な挑戦だと言える。
だがその無茶な指令がまかり通った。通ってしまったのだ。
それが天王寺と勇作の実力。
生徒会長、七咲流花に認められ、生徒会に入ることになった二人の強さ。
幻獣型のカラミティアを相手に、彼らはお互いの手の内――【憑依兵装】を見せることなく倒してしまった。
それができてしまう。
だから、勇作は二基目を。
より強い力を求めてしまうのかもしれない。
「はあ、はあ……」
「勇作大丈夫? やっぱり結構ギリギリになるね」
「本当にそう思うか?」
勇作の瞳が一際鋭く天王寺を突き刺したような感じがした。
「え?」
「何でもない。行くぞ。会長に怒られる」
それ以上、生徒会に着くまでに勇作がしゃべることはなかった。
生徒会室のドアの前に佇む天王寺と勇作。
「入っていいわよ?」
天王寺がドアをノックしようとすると、中から凛とした会長の声が聞こえた。
「し、失礼します」
「会長、迷宮の攻略無事成功しました。ただ……」
勇作が悔しそうに唇を引き結ぶ。
それを不思議に思たのか、七咲が続きを促すように問いかけた。
「ただ?」
「災害因子核――【憑依兵装】の元となる存在の回収には失敗しました」
「そう? でもあたしはそこまであなたたちに求めたつもりはないわ。むしろたった二人で、幻獣型のカラミティアを攻略できたことは素晴らしいことだと思うし、誰がそんなことを責められるのかしら?」
「だってさ。勇作も一々頭が固いよ? もう少し肩の力を抜きな? そんなに神経張りつめてると疲れて老けるよ?」
そう言うと、笑って天王寺は勇作の肩をどんと叩いた。
「って! お前だけには言われたくないわ! 勇作に追いつかなくちゃ、勇作に追いつかなくちゃって毎晩毎晩布団の中で震えてるくせに?」
「な!? それとこれとは話が別だろ!」
唐突に自分へと矛先が向かってきて動揺を隠せない。
天王寺自身、思いつめているのは事実だし、勇作に対して劣等感も抱いている。
だが、布団で怯えたり震えたりしたような覚えはない――と思いたい。
しかし、予想だにしない攻撃に対して過剰に反応してしまったためか、それを会長にからかわれてしまう。
恐る恐る会長の方を見れば、彼女の瞳は嬉々として輝き、まるでおもちゃでも見つけた子供のように楽しそうだ。
「ん~? あはっ! なになにヒカル、可愛いとこあるじゃない!」
そう言って七咲は天王寺の肩をがっしりと掴む。
その際、七咲のささやかな胸が押しつけられたわけだが、そのことを彼女自身は理解しているのだろうか。
「からかわないでくださいよ、七咲生徒会長?」
「なあに? 照れちゃって~! かわいいなあ~」
「止めてくださいよ。別に照れてなど……」
言うものの、天王寺の頬は自身の醜態をさらされたことにより、ほんのりと赤く火照っていた。
「またまた~!」
「くっ!」
七咲はこのこの~と執拗に天王寺の脇腹を小突く。
天王寺が脇腹を刺激されることが弱いことを知っているのだ。
ふと、生徒会室に低めの声が響いた。
「おい、流花。あまり後輩をいじめるなよ? お前のいじめが原因で来なくなったらどうする?」
呆れた顔で天王寺たちの背後に現れたのは、生徒会のメンバーの一人。
副会長であり、七咲の幼馴染でもある。
「ひーくん、もう帰ってきたの?」
「なんだ、オレが帰ってきたら不服か?」
「別に? ただ、ヒカルをいじめられなくなるから……」
さらっととんでもないことを口にした七咲。
彼女にとっては次席で名桜学園に入学した天王寺も、おもちゃのようなものなのかもしれない。
寝ぼけ眼を擦り、面倒くさそうに欠伸をあげる副会長。
彼の瞳には光が宿らず、まるでやる気というものを感じることができなかった。
ボサボサで僅かに赤色の混じった茶髪。高身長の体躯は猫背でだらしなく、全身が脱力しきっている。
それでも名桜学園の副会長が務まるのだから、彼も相当な実力者であることに違いはない。
天王寺が彼の実力を垣間見たことはないわけだが……。
だが、七咲から絶大な信頼を得ていることは確かであり、それは何も彼が七咲の幼馴染であるからというわけではない。
「で、ひーくん、お願いしていた災害迷宮の調査は終わったの?」
「んあ? あーあれね? 三時間ぐらい前に?」
何の気なしに、今の今まで忘れていたと言わんばかりの声音で副会長は答える。
「ちょ、じゃあ今までどこにいたのよ?」
「んー昼寝? 今日は妙に心地の良い天気だろ? こんな日に昼寝しないなんて損だ。だから屋上で寝てた」
くあっーとまだ眠たいのか、目じりに涙を浮かべて気だるそうに背中を掻いている。
七咲の眼光が鋭く尖る。その視線だけで後輩なんかは逃げ出してしまうだろう。
「ひーくん? ちゃんと調査は終わってるんだよね?」
笑う生徒会長。
声は笑っているものの、顔がまったく笑ってない。
それどころか、こめかみ辺りの青筋が先ほどからピクピクと動いているのが天王寺は気になってしょうがなかった。
「流花が欲しいのはこれだろ?」
そう言うと副会長は、小さなスティックのようなものを七咲に向かって放り投げた。
「何これ?」
「ああ、【憑依兵装】」
「へっ――?」
間抜けな声を上げたのは、七咲だ。
彼女がそんな声を上げることなど滅多にない。
天王寺が七咲の驚いた表情に関心を抱いている間にも、目の前の状況はどんどん変わっていった。
「だってお前、【憑依兵装】欲しいって言ってたじゃん?」
「そりゃあそうだけど……。あたしがひーくんにお願いしたのは、あくまで迷宮を攻略するための構造把握よ?」
「んあ? じゃあ要らねーのか?」
「誰もいらないなんて言ってないじゃない!」
ぷくりと頬を膨らませる七咲。
副会長の前では完璧であるはずの彼女も普段天王寺たちに見せないような顔をする。
それを知ったのは、生徒会に入ってしばらく経ってからのことだった。
今では普通の光景であるが、最初は驚いたものだ。
生徒会に入って天王寺が感じたのは、彼女は確かに信じられない力の持ち主だが、意外と子供っぽいということ。
負けず嫌いで、強気で勝気……でもそれ以上に普通の女の子なのだ。
そんな七咲に天王寺は惹かれつつある。
彼女のそのカリスマ性に。彼女のその無邪気さに。
無垢で清く、手を伸ばしても決して届くことのない高嶺の花。
この心情は一体なんだろうか? 今まで感じたことのない心の変化だ。
「ひーくんにお願いしたのは攻略難度13だったのよね? それをもしかして一人で殺して辱めたっていうの?」
「お前だってオレにそれができるから頼んだんだろ? それとも何だ? オレが了承しなかったらコイツらに頼むつもりだったのか?」
顎で天王寺と勇作を指す。
それはまだ彼らにレベル13の災害迷宮は任せられないと言っている。
だが、それは何故だ? 実力が足りない?
否。
実力が足りる足りない以前の話なのだ。
天王寺や勇作では生きたまま帰ってくるのが限りなくゼロに近い。
それを七咲も副会長も知っている。
「それは……」
申し訳なさそうに、七咲の瞳が天王寺と勇作を捉える。
「お前も分かっているはずだ。コイツらにはまだ任せられない。任せるだけの実力がない。だが、全くその適正がないかと言えば――そうでもない」
「ひーくん……」
「それが分かっていて、コイツらの実力を、将来性を認めてるからお前は生徒会に誘った。違うか?」
副会長の言ったことに七咲は続ける言葉がなかった。
全部お見通しなのだ。長年幼馴染をやっているとお互いの考えることなど手に取るようにわかるのかもしれない。
七咲の唇が一文字に引き結ばれる。
副会長の言ったことに一つの間違いもない。
全て的確に七咲の真意をくみ取った物だった。
「でもひーくんがそれで死んだらどうしてたの?」
「ばーか、テメーの力の限界くらいテメーが一番知ってるだろう?」
「う……」
言葉に詰まる。
先ほどから副会長のペースのままだ。
いつも後輩である天王寺や勇作をからかっているときの彼女ではない。
「それにオレが行かなきゃお前が行ってただろう? 調査して、いけると判断したから化け物をぶっ殺して心臓をぶち抜いた。それだけだ」
そう言うと、心底だるそうに副会長は椅子にもたれかかった。
その目はいまだに七咲生徒会長を見据えている。
「で? お前が【憑依兵装】を欲した目的は? 言えよ、この場で。どうせ後から知らせることになるんだ。早めの方がいいだろう。それともなんだ、今さら躊躇してるとでも言いたいのか?」
「ひーくんはそれを望むの?」
「お前が決めたことだろう? ここで降りるのか?」
「あはは、相変わらずひーくんは厳しいなあ」
「お前ほどじゃないさ。お前の強さはオレが一番よく知ってる」
副会長の瞳がわずかに緩んだ気がした。
それを機に七咲会長がふう、と深呼吸をする。
彼女の瞳に迷いはない。天王寺と勇作に真剣な眼差しを向ける。
「二人ともよく聞いて。これから話すことは他言無用――そして、聞いたからにはあなたたちにも覚悟を決めてもらわなければならない」
いつになく会長の瞳には覚悟の色が窺える。
生半可な心構えでこんな瞳をすることは不可能だろう。
それこそ、命を懸けたような、命を懸けてまで目的を遂行しようとする意志が窺える。
すーっと、大きく長い深呼吸。
それはまるで、二人にこの部屋から退出するだけの機会を与えているかのような長さだ。
そしてそれだけの長さがあれば、天王寺も勇作もこれから始まることの重大さを知ることはできるし、知ったうえで退出することも可能なはずだった。
しかし二人は微動だにせず、それどころか顔も合わせないまま、大きく頷いた。
天王寺は笑う。
今にも泣きそうな、ダムが決壊しそうな張りつめた緊張感の中で思いつめる少女を――見て見ぬふりなどできなかった。
「らしくないですよ、会長。貴女は私たちの前でくらい自信満々の先輩でいてくださいよ?」
「おうおう、珍しく意見が合うじゃないか、光!」
「勇作は黙ってなよ?」
「とか言って、ホントはビビってるんだろ?」
「そんなわけないだろ」
そう言った天王寺は確かに、これから起きることであろう物事に一切の恐怖を抱いてはいなかった。
それは、周りに皆がいたから。
勇作がいて、学園最強の生徒会長がいて、そして彼女を守るように副会長がいる。
この空間は今までに感じたことがないほどに安心感と温かさで包まれていた。
この四人なら、否、正確には別の調査中で今いない書記のメンバーも加えた生徒会のメンバーなら何だってできる気がしていた。
だから、天王寺は笑って目尻に涙を浮かべた会長の手に優しく自らの右手を重ねると、
「何処までも付いていきますよ、七咲生徒会長」
そう、自らの意志ではっきりと答える。
その瞳は何処までも真剣で。
その白髪はどんな人間のものよりも清廉潔白なものだ。
そんな天王寺に七咲は気圧されたのか、瞳を潤ませる。
「うう~、ヒカルのクセに、ちょっとかっこいいぞ……」
照れたように天王寺の胸に顔を埋める七咲に、天王寺は不思議なむずがゆさを感じながらも、ゆっくりと彼女の頭を撫でたのだった。




