第50話 二年前の生徒会長
神代アリスの実力は想像以上だった。
話には聞いていたし、紫水から忠告も受けていた。
その上で天王寺自身も王の力を開放して対抗したわけだ。
しかし、その力は強いとか強くないだとか、そんな次元の介入する余地のないほどに圧倒的なもので……。
人が触れて――人が関わっていいような存在ではなかった。
終わりを告げる。
ナニカが空から舞い降りてくるような、そんな幻覚が天王寺の網膜に焼きつけられる。
アリスの【憑依兵装】が天王寺の体を貫く。
その瞬間に天王寺は理解した。
これが死だと。
自分がこれから死に向かっていくのだということを。
今までに感じたことがないような痛み、熱、不快感が天王寺の全身を襲う。
耐え難い苦痛だった。【宵闇の王】が常に蝕んでいた痛みなど、可愛く思えてしまう。
ただ背中から鎌で貫かれただけではここまでの痛みにはならないだろう。
これは別のナニカの痛み――熱だ。
ニヤリと背筋を凍りつかせる笑みを見せるアリス。その表情はどこかウットリとしていて。
頬に手を当て舌なめずりをしていた。
人の痛みを、苦痛で歪められる顔を見て、笑っているのだ。楽しんでいるのだ。
異常としか言いようがない。
アリスは人間ではない。化け物なのだ。
そんな化け物に天王寺は殺される。
これでは、何も変わっていないではないか。
悔しげに。痛みに顔を歪めながらも、天王寺は歯をくいしばる。
あの頃と何も変わってはいない。
それは天王寺が幼い頃に起きた悲劇だ。
両親を目の前で殺され、辱められた憎き記憶。災害因子によって引き起こされた天王寺の地獄。
自然と拳に力が宿る。
しかし、それは後に続かない。
悔しいことに、もうすでに一切の余力がないのだ。
戦う気力が残されていない。
あらゆる力が、生気が己の体から漏れ出てしまっていた。
瞳は胡乱に、両腕はだらりとまるで神経が焼き切れてしまったかのように垂れ下がっている。
視界が黒い。
光が一切入ってはこない。
暗い、冷たい。
今までに味わったことがなかった孤独感。
急速に失われていく己の体温、命。
風前の灯火の彼にできることなど、ほとんど残されてはいなかった。
【憑依兵装】は使えない。
王の声も聞こえなくなった。痛みも感じない。
もう天王寺の中にはいないのだろうか?
諦め、失望し、鏡峰の元へとその存在を戻したのだろうか?
であるなら、それでもいい。
そう天王寺は考える。
天王寺は死ぬ間際まで、紫水の厄介者にはなりたくはなかった。
自分が死ぬことで王の力が紫水のもとに戻らないのであれば、それは紫水の野望を、これまでの努力を無駄にすることになる。
それだけはどうしても避けたかった。
ここで死ぬのは自分だけでいいのだ。
才能のない人間はさっさと退場する、優秀な人間を前に進ませるだけの駒でさえあればいい。
その一端を担えたのなら、自身の人生にも意味があったと思えるかもしれない。
それ以上に望むことなど天王寺にはない。
老害はここで消えて、彼の――鏡峰紫水の物語を眺める傍観者となるのだ。
あわよくばその物語を少しでも彩るプレイヤーとして参加していたかったが、どうやらそれも無理そうだ。
自分の体の限界は自分が一番よく知っているのだから……。
鼓動が聞こえる。
心臓の音。命が潰えようとするカウントダウン。
静かに静かに。まるで最後の最後まで諦めまいと抗うように。
ドクンドクン。
トクン、トクン……。
心残りはいくつかある。
どうしても後悔しない、なんてことはないだろう。
ある人と約束をしたのだ。
その約束を果たせない。
それは、天王寺の中でも大きなしこりとして残っている。
あれはまだ、紫水がこの学園に来る前の出来事だ。
***
二年前、天王寺がちょうど名桜学園に入学したとき、彼はある少女と出会った。
桜の木が立ち並ぶ校門前。
天王寺はその花吹雪に鬱陶しさと華やかさを感じながら、荘厳な銀の門を見上げていた。
名門魔法師教育機関、名桜学園。
国内でも選ばれた者だけが入学を許るされる、魔法師を目指すものが憧れる学園。
「ここで最高峰の魔法教育が行われているのか……」
見上げる門は大きい。
そのまるで畏怖を感じさせるほどの存在感を見せつける門を見上げていると、この門をくぐったが最後、本当に今までの一般人に過ぎなかった自身には戻れないような感じがした。
「なんだ、今更怖気づいたのか光?」
隣でそう笑ったのは親友で命の恩人でもある勇作だ。
「そんな馬鹿な。これはただの武者震いだよ。ここで勇作と一緒に生き残っていくんだから」
「ははは、精々付いてこれるよう必死になるんだな。……っともうこんな時間か、悪い光。そろそろ職員室の方に行かなくては」
「分かってる。行ってきなよ、首席合格の生徒代表スピーチの準備でしょ?」
噴水広場にある金の時計を見れば、確かに入学式の三十分前だ。
新入生代表としては色々とすることがあるのだろう。
「ああ」
勇作は一言だけ言い残すと、天王寺の前から姿を消した。
天王寺は周囲の音に耳を傾ける。
聞こえてくるのは、合格した喜びの声や、これから始まる学園生活に期待を寄せるような笑い声。
それと同時にギリギリの成績で入学したが故の留年や退学を恐れた不安だ。
やはり入学式直前ともなると多少のざわつきは誰にだってあるだろう。
それを感じさせない勇作はなるべくして主席となったのだ。
ふと眼前を何か過ぎ去るような気配がした。
それと同時、桜吹雪が一際大きく舞う。
まるで嵐のような舞が天王寺の全身を包み込む。
しばらくして視界が明るくなると、そこには一人の少女がいた。
「ふふ、驚いた? 驚いたって顔してるわね。ということであなたは今、驚いたわけ」
不思議な喋り方をする少女。
制服の胸あたりについたポケットに施された刺繍の色から、学年は三年。つまりは上級生。
「先輩が私のような人間に何の用でしょうか?」
「あれ? 意外と驚いてない? おっかしいなー」
ぶつくさと一人だけの世界に閉じこもってしまい、帰ってくる気配がない。
「用がないなら失礼します」
天王寺が軽く会釈をしてその場を立ち去ろうとした時だった。
「ちょっと待って!」
制服の裾をしっかりとつかまれてしまう。
「……」
「あれ? 怒ってる?」
「要件は何ですか?」
「んー珍しいね。あたしを目の前にして正気でいられる異性って中々いないもの。その点ではキミに声を掛けて正解だったかな?」
「話が進みませんね。用がないなら、本当に失礼しますよ?」
天王寺はだんだん面倒になってきた。
「まあまあ、そんなにカリカリしないの。あんまり我慢できない子は女の子にモテないぞ?」
「……」
天王寺は小さくため息を吐く。
ため息を吐いたのはいつぶりのことか。
少なくともここ一年は吐いていなかった。というよりも吐く余裕がないほどに忙しく、死に物狂いな生活を送っていたわけで。
おかげで、いまだ遅れはとるものの、彼と比べても遜色がない程度には力をつけることができた。
「よく見て――」
そう促され、彼女の右腕に視線を移すと、華奢な腕には生徒会長と書かれた腕章がついている。
腕章が意味することは、彼女がこの学園のトップでそれに近い実力を持っていることの証左だ。
「うん、キミの思ってることは大体正しいかな。試してみる? あたしはすごいよ?」
満面の笑みで先輩が笑う。
その笑顔は明るく、優雅で可愛らしく……けれど、妖艶さと儚さ、恐怖をなぞらえた――深淵に覗かれたような形容しがたいものだった。
ぞわりと、背筋を凍りつかせる殺気が天王寺を襲う。
その殺気は本物だ。まず間違いなく彼女は強い。
洗練された天王寺の感がそう告げている。
彼女の指先がは小さく鳴る。
瞬間、天王寺は彼女と二人、白い空間へと誘われた。
「ここは?」
「ふふ、やっと驚いてくれたね」
嬉しそうに笑う。
「ここはあたしが作り上げた小さな世界。あたしだけの、誰にも干渉されない部屋」
「そんな馬鹿な……。空間丸ごと別世界に転移したとでも言うのですか、あなたは!?」
人差し指を唇に当て、思案気な顔を作る。
「んーそれは、少し違うかな? 転移っていうのはそれこそあたしのような半端物にはできない代物だよ。あたしはあくまでその上辺をなぞらえただけ。簡単に言うなら、現実世界の一部を歪めたに過ぎないの」
歪めて、拡げて……で、その中に世界を構成する要素を注ぎ込んだだけだから――目の前の先輩は簡単にそう告げてしまう。
だがそれは信じられないことだ。
天王寺には想像もつかない次元の話をされている。
話の一片として理解することは叶わない。
「あはは、ぽかんとしてる顔も可愛いね。お姉さん、キミのこと好きかも?」
なんて屈託のない笑みを見せる。
「これが名桜学園の生徒会長……」
「そんなに怯えないでよ。それとも呆れられてるのかな? まあ、何にしてもあたし、怖がれるのは嫌いなんだ。別にキミを殺したいわけでもないし……」
珍しく彼女の顔が不安そうなものになる。
その表情は普通の女の子がするようなもので。
目の前で世界を構築したような少女がするようなものには到底思えなかった。
「ではここで一体何を?」
「うん、キミの実力が知りたいの――天王寺光君。次席で合格したキミの力が」
そう、屈託のない笑みを浮かべる。
それは年相応に幼さを感じさせるものだ。
とても今から、自分の力を試そうとするような人間には見えない。
「いいから、いいから……。見せてよキミの力」
空気が一変する。
彼女の黒髪が宙を舞う。
一人でに、うねるように。
彼女の背後に黒いオーラのようなものを天王寺が見た気がした。
「……ッ!」
余りの豹変ぶりに天王寺は息を呑む。
目の前の彼女は先ほどまでの存在とは違う。
今目の前にいるのは――
「全力で防御に徹しないと死んじゃうよ?」
そう嗤った。
刹那、大気が共鳴した。
彼女の身体が加速すると同時、波動によって地面が軽く抉れる。
音速での移動。彼女の動きを目で捉えるのが精いっぱいで。
天王寺は半ば感を頼りに左に飛んだ。
彼がいた場所を風が通り過ぎる。
たったそれだけで、その場は空間ごと爆ぜた。
彼女は腕を水平に薙いだだけ。
たったそれだけのはずなのに、空間は歪み、現実世界へと干渉してしまった。
「次元干渉――本当にそんなことが可能なのか?」
しかし、実際に目の前で起きてしまったからには納得できなくても、認めるしかなかった。
額に脂汗が滲む。
もしも今、感を頼りに行動していなかったら彼はこの場で驚くこともできなかっただろう。
「あっちゃー。またやっちゃった。今ごろあっちでは凄い被害になってるんだろうな……」
などとそんな呑気なことを言っている。
天王寺が避けたと言うことはそのしわ寄せを現実世界の生徒が受けるわけで。
笑いごとではなかった。
あれだけの力だ。
人間が受ければ確実に死ぬ。
平然と人が死ぬ魔法を使ったのだ。
「まあ、あーちゃんが何とかしてくれるから大丈夫だよね?」
独り確認するように生徒会長は呟いて。
「何を考えているんだあなたは!」
気がつけば天王寺はそう怒鳴り散らしていた。
人が死ぬのが耐えられないだとかそんな偽善者ぶるつもりはない。
ただ、魔法が――カラミティアという存在が人を傷つけ、殺める存在であることを軽視ししている彼女が許せなかったのだ。
魔法は人を殺す道具ではない。
魔法は災害を殺すために作られた技術なのだから。
「魔法は――この技術は決して人を殺すために作られた力ではない! 未来を、人々に笑顔をもたらすために作られたものだ!」
そうでなくてはいけないのだ。
声を荒げる。
反動で息を切らし、肩が上下に上がる。
両親をカラミティアに……魔法の元になった存在に奪われたことがフラッシュバックする。
幼き天王寺は災害だと、自然に殺されたのだとそう思い続けていた。
だがそれは違ったのだ。
天王寺の両親を殺したのはカラミティアで。そいつは自然の産物などではなかった。
むしろ、災害の原因がカラミティアだったのだ。
諦めは次第に怒りに、そして自らを奮い立たせる勇気に変わる。
魔法師の存在を知り、勇作の家で魔法師になるための訓練を今までずっと続けてきたのだ。
そうしてようやくたどり着く。
この名桜学園という最高峰の実力者が集まる場所に。
だというのに目の前の生徒会長は人を殺めるために魔法を行使して……。
許せるはずがない。許していいはずがなかった。
睨みつける。
敵意むき出しの眼差し。
受け身に徹していてはいけない。
相手との距離を測らないと。
どれだけ強大な力を持つのか。
格上だと分からないほど、愚かではない。
それは先ほどの展開力をみても明らかだ。
間違いなく、自身よりも上手なのは承知。
それでも、立ち向かわないわけにはいかない。
「――」
すっと息を吸い込む。
天王寺の唇が微かに震えた。
音節を紡ぐ――【憑依兵装】を呼び出すための言の葉を。
「あはっ。それ、【憑依兵装】でしょ? そっか、キミも使えるんだね」
楽しそうに笑う。
まったく驚くことなどなかった。
これは、誰にも見せたことのないもの。
勇作だって天王寺が【憑依兵装】が使えることは知らない。
見せる必要がなかったから。
恐らく、勇作も使えるはずだ。
それでも彼が見せることは一度としてなかった。
天王寺と同じ理由だろう。
彼にとっても見せる必要のないものだったのだ。
お互い、本当に必要になった時のために残しておきたかった。
最後の切り札として、常に自身の胸の内に秘めておくことで、己がまだ世間に通じていることを把握して。
だがそれは、もう通じないのだ。
目の前の会長には通じない。
普通の力では、魔法では対抗できないのだ。
その領域に彼女はいる。
天王寺の右腕へと龍を模した蒼い炎が渦巻く。
腕から肩、肩から首へ。
ゆっくり、ゆっくりと立ち上っていく。
やがて蒼龍は天王寺の背後からその正体を見せた。
「【蒼龍影】、力を貸して下さい」
天王寺の体が沈む。
と同時、彼の体躯は一瞬にして爆ぜた。
会長との距離を無にし、彼女の背後に一瞬で現れ首を狙う。
反応はできていない。
会長とはいえ、天王寺が【憑依兵装】を使えることは予想外だったのだろう。
「舞え」
身動きの取れない彼女を斜め上から見下ろしながら、天王寺は全身を覆う蒼龍に指示を出した。




