第5話 ひとりぼっちの道化
誠と別れて、帰路につく。
店を出たとたん、誰かに監視されているのを千風は感じた。
店内までは入って来なかったこと、今千風を尾行していることを考えるに、目的は十中八九千風だ。
だが、その意図は? なぜ千風をつけ回す? 考えられる理由はいくつかあった。
一つ、千風の正体を知る――高校生としてでなく、災害研究機関にいた当時の彼の存在を知る者による仕業。
しかしこれは考える線としては、非常に薄い。そもそもC.I.にいた彼の実力を知る者なら、この程度の尾行能力で彼をつけ回すことが不可能なことくらい分かるはずだ。だからこれはナシだ。
二つ、男をつけ回す、奇特なストーカー。
これくらい平和なら、優しい世界で済んだろうに……、残念だがナシだ。
三つ、千風の実力を確認するため学校側が放った刺客。これがもっとも有力な候補だ。
では、どう出るべきか? 簡単だ。相手は千風の実力が知りたいのだ。なら、無能だと、警戒するに値しないと思わせてしまえばいい。
要するに尾行に気づかないフリをしながら、逃げ切ればいいだけのこと。
そのための布石は、すでに打ってある。素人なら、自らが尾行されていると気づけば、肩が強張る。緊張する。だが、そこは千風、伊達にC.Iの暗部として活躍してきたわけではない。この程度のことでいちいち慌てたりはしない。
千風の想像する、どこからどう見ても普通の高校生の日常風景を、誠には悪いが演じさせてもらった。
我ながら完璧な振る舞いだったと思う。千風は小さくガッツポーズをとる。
ただ、そのためか、誠にはツンデレやらなんやらと、いわれのない不名誉な勘違いをされてしまった。弊害と言えばそのくらいだろう。
後はテキトーに尻尾を巻いて、おさらばすればいいだけのこと。
後ろからちゃんとついてきているのを気配で確かめながら、交差点を右に曲がる。しばらく歩き人気のない路地裏へと入る。
面白いほど慌てて走り出す黒服の男三人。こちらまで足音が丸聞こえである。
逃走ルートはあらかじめ何通りか用意していた。頭の中で地図を広げ、ここから一番近い逃走ルートへと向かう。
路地裏を抜け、スーパーに向かう。商店街にはあまりにも似つかわしくない格好の黒服たちに周囲の主婦らはヒソヒソとなにやら話している。適当に買い物を終え、外へ。
鼻歌交じりに人混みに紛れ、宿泊しているホテルとは反対方向へと向かう。
千風は現在、ホテルに滞在していた。というのも、災害研究機関を追放されて以来、行く宛てがなかったのだ。もちろん経費で落とす事はできず――そんなことをすれば、それこそ秘匿任務がバレてしまう――悲しいことに自腹だった。
幸いなことに、金だけはそこらの社会人より遥かに持っているので、まったく困ることはなかった。
意外としつこく尾行してくる黒服。途中で犬にでも噛まれたのだろう、スーツの裾に噛みつかれた痕がある。
ファミレスへバイトとして入り、挨拶を交わして裏口へ。もちろん事前に金にモノを言わせていた。
「ふむ、どうやらここまでか」
店の裏口へ出たところで、追っ手の足は止まっていた。素人にしては中々頑張ったのではないか?
そして千風はタクシーを拾い、ようやくホテルへと向かうのだった。
***
ホテルの一室。夕食を済ませた千風は魔導器の手入れをしていた。アタッシュケースに厳重に保管された魔導器を取りだし、付け替える。
今日における魔法とは、カラミティアから取り出した物のことを指すのが大半だ。災害を現象として現界させるカラミティア。その化け物を殺す事で手に入る魔核結晶。それを使って現代技術で作り上げたものが、俗にいう魔法だ。
魔導器。魔法を発現させることからそう呼ばれる。形状はアクセサリーとなんら変わりはない。最も一般的なのは指輪だろう。
千風は左右の指に指輪型の魔導器をそれぞれ四機づつ装着した。
「ぐっ……」
電流を流し込まれたような痛みが全身に走る。魔導器を接続した際に起こる、突発的な痛みだ。人間には本来存在しないはずの神経が、指先から心臓へ――植物がツルを伸ばすようにグイグイ伸びてくる。
こうして生じた神経に意識的に血液を注ぎ込むことで魔法が発現する。当然、存在しているのか、いないのか霧のようにおぼろげで不安定な神経を扱うのだ、並大抵のことではない。一般の魔法師であれば、三つの魔法を所持――つまり、三機の魔導器を接続できていれば優秀といえる。
カラミティアの強さは異常だ。だから基本的には役割ごとに魔導器を持ち合わせた魔法師の集団によって討伐が行われる。
例えば、攻撃魔法特化の魔法師、支援魔法型の魔法師、全体防御、妨害工作……などなどそのあり方は様々だ。
千風が装着したのは、攻撃×3、支援×2、防御×2、妨害×1の一人で対峙しても、ある程度は生き残れるバランス型だ。
そのうちの6つを透明化させ、見えなくする。無論、勘づかれないためだ。
他人には千風が魔導器を二つ装着しているようにしか見えていない。
「だぁぁー! もう疲れた! 寝るぞ、俺は寝る!」
室内で一人叫び、寝室へ向かう。千風の滞在しているホテルは一室が異常にでかく、一部屋でパーティが開けるほどだ。
同年代と話すという不慣れな体験をしたためか、精神的に疲れていた。ばふりと、キングサイズのベッドに飛び乗り、眠りの世界へとダイブする。
程よい柔らかさが全身を包み、千風は安らぎの中へと溶け込んでいく。意識がまどろみ静寂が訪れ――
と、小さな電子音が鳴り、千風の意識を優しい世界から引き剥がした。
「……チッ!」
キレ気味に携帯端末をポケットからむしり取る。ホーム画面に映し出された相手は時え――クソジジイだった。
「――んだよ? 要件は?」
さっさと終わらせてしまいたい衝動を抑えるつもりもない千風は挨拶もなしに要件を訪ねた。
「『がっははは! ようボウズ、すこぶる機嫌が悪いじゃねぇか!! あと少しで眠れそうだったんだろう?』」
千風とは対照的にものすごく機嫌のいい時枝。彼の言動からするにどこかで見ているのは確実だ。人の不幸を際限なく楽しんでやがる。
「あ? いい加減にしろよ、クソジジイ!」
「『まぁそんな怒るなよ、緊急の連絡だ』」
そんなことは分かりきっていた。このクソジジイは用もなしにからかってきたりはしない。流石にそこまで外道ではない。だから、千風も彼の遊びにつきあっている。
それで、と、続きを促す。
いつもより早く茶番は終わった。それだけ急を要するのだろう。
「『手短に話すぞ? この会話が終わったらすぐに端末を破壊しろ。連中も馬鹿じゃない。仮にも第十席が席を空けたのだ。この瞬間にも盗聴しようとすでに二件が引っかかっている。椅子取りゲームは時間の問題だ。それはそうと、お前の調査先はドイツだったな? 聞いた話によると池が凍ったらしいな? そいつは危険だ。ドイツではあまり例を見ないから、注意しろ。あーそれと、もう連絡を取り合うこともなくなるだろう、こっちも大忙しだ。お前はゆっくりでいい、確実にいけ。……だから、死ぬなよ? あ――これ以上はマズイ、これが最後だ――』」
ブツッ。強制的に通信は切断された。盗聴が介入したのだろう、これ以上は聞かれると判断したらしい。
「あ、おい!? クソ最後はなんだよ––––!? ……チッ! 灼け」
瞬間、魔導器が橙色に煌めくと千風の手に炎が灯り、端末を焼き尽くした。
聞き取れた範囲で、時枝の言っていたことを解析する。
第十席、まずこれは千風のことだ。日本最強の戦力を誇る十二人の魔法師、通称――十二神将。その位階序列第十位に最年少で座していたのが、公称【磨羯】を冠した千風だった。
千風が十二神将であることを知る者は、同じ十二神将の魔法師と、時枝を含めたごく少数の人間に限られる。
だから千風が十二神将であることはそう易々と暴かれたりはしない。
時枝が伝えたかったのは、千風が降りたことで――表向きには失踪したことになっている――空いた席に座ろうと躍起になる連中の存在だ。
十二神将が一人でもいれば戦局は大きく変わる。その存在は計り知れない。連中が躍起になるのも無理はない。
だが、連中に対するなんらかの処置はこちら側では不可能だ。時枝の方で……C.I.が上手くやってくれるだろう。
次に、時枝はドイツと言った。ドイツ遠征に向かうはずだった千風の任務を直前で無理やり捻じ曲げたのは、時枝本人だ。だからあれは間違いなく、ブラフ。盗聴していた連中に対するあからさまな陽動だった。
そして池が凍っている。これは、事前情報としてドイツでは急激な寒波が襲い、街が冷凍保存されていることを指すのだろう。原因はおそらく高レベルの災害因子による仕業。
それを調べるのが、千風の本来の任務だった。
だが、そんなことを伝えるためにわざわざ連絡をよこすはずもない。何か別の意図があるに決まっている。
千風は脳をフル回転させる。グルグル、グルグルと思考が巡る、巡る……巡る。与えられた情報は少ないが、解決の糸口は必ずある。時枝はそういう男だ。普段は酒ばかり飲んでるただのもうろくジジイだが、非常時に頼りにならなかったことは一度もない。
――街全体が凍土と化しているのにあえて池を強調したワケは? おそらくそこが肝だ。池、いけ……イケ? 違う、英語ならレイク。レイ……ゼロ? ドイツ語で零はヌル、ヌルヌル……クソッ――!? 分かんねーぞ! ……いや、もっと単純な話か――ッ!?
刹那、脳内に電流が走った。
――今一度、思い出せ。時間がない時でも茶番を繰り広げるのはクソジジイの悪い癖だが、緊急時にそれをするか? だとすると――
顎に手をあて、千風は時枝の茶番を反芻してみた。
「がっははは! ようボウズ、すこぶる機嫌が悪いじゃねぇか!! あと少しで眠れそうだったんだろう? ……つまり、これはどこかで俺のことを見ていたということだ。監視、池、凍った、危険……なるほど、読めてきたぞ!」
千風の脳裏にある記憶が浮かび上がった。それは今朝の出来事。早朝に名桜学園に向かった千風の目の前に現れたとある男のことだ。自らを生徒会長と名乗り、法であり秩序であると謳った一人の男。千風があまりの傲慢さに鼻で笑うと、景色が一変したのを覚えている。
尋常じゃない魔法の展開速度だった。あの速度で魔法を発現できる魔法師は千風の知る限り、十二神将ですら半分に満たない。
「あの光景を見ていたのか――!?」
もし、あれを見た上で時枝が下した評価が……“危険”であるなら、それは相当に“マズイ”状況だ。少なくとも十二神将クラスの実力を保持していると見て間違いない。
千風としても、十二神将を相手に無事でいられる自信はない。
「冗談……だろ?」
あまりの驚愕な事実に、真実の口なみに頬の筋肉が緩んでしまう。真実を現実として受け入れられない千風がそこにはいた。
そしてある仮説が彼の脳内を埋め尽くした。それは今回のドイツの一件の首謀者が、カラミティアではなくあの生徒会長では? と言ったものだ。眉唾物程度の仮説ではあるが、無視することのできないほどの威力を持っていることは確かだ。
千風が聞き取れた、時枝の最後の言葉は“死ぬなよ”だった。それはつまり、時枝からの『十二神将のお前でも手に余る任務だろうからくれぐれも注意しろよ?』という警告である。
時枝に死ぬなよと言われたのはこれで三度目だった。過去に言われた二度の任務で千風は死にかけた経験がある。
二度あることは三度ある、三度目の正直。矛盾することわざだが……どうせなら、後者であってほしい。
考えても仕方がない。今重要なのはどう生きのびるか模索することだ。
千風は右眼に触れた。自分を救ってくれた女も時枝も“お前の瞳は特殊だ”と言った。それを隠し通せとも。
この十年、自分なりに瞳について調べたが、これといった有力な情報は得られなかった。それでも、この瞳が強大な力を秘めていることだけは分かった。この瞳のおかげで一度命を救われたのだから。
必要とあらば、再び使う時がくるかもしれない。
何はともあれ、これで災害研究機関のバックアップも、時枝の支援も実質ゼロだ。その状態で十二神将に近い実力を秘めた生徒のいる学園に潜入したのだ。
十二神将は言うなれば、化け物殺しのエキスパート。化け物よりも化け物じみたバケモノだ。そんな奴に目をつけられたとなると、とんでもない。
「クソッタレが……よくもまあ、ふざけた任務を押しつけやがる。難易度高すぎだろうが!!」
彼の嘆きはしかし、時枝に届くはずもなく、儚く霧散した。