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一騎当千の災害殺し  作者: 紅十字
第二章
48/64

第48話 千風の選択

 千風は飛鳥の耳元で唇を開く。


「俺にキ――」


 言葉はそこで止まる。

 飛鳥に認識させるように、あえて言葉を遅らせる。


「ち、千風?」


 頬を朱に染めた飛鳥。

 彼女の表情には戸惑いが見える。


「何怯えてるんだ? 何でもするんだろ?」

「う、でもそれは……」

「今さら取り消すのか?」


「そんなわけないじゃない! いいわ、何でも言いなさいよ!」


 そう言って飛鳥は瞳を閉じ、唇を引き結んだ。

 閉じた瞼が震えている。

 怖いのか、緊張しているのか、千風に飛鳥の内心は分からない。

 それでも、彼は構わず飛鳥に――離していた顔を再び近づけた。


「千風は、千風だけはそんなことはしない人間だと思っていたのに……」

「失望したか?」

「ううん、ただびっくりしただけ」

「そうか、悪いな。俺はお前が思っているほどいい奴じゃねえんだ」


「はは、だね……」


 でも、それは私にとっては都合がいいから……。

 そんな言葉が飛鳥から洩れる。

 しかし、千風に届くはずもなく、彼はゆっくりと瞳を閉じた。


 覚悟は決めた。

 別に今覚悟したわけではない。初めから、飛鳥と戦い、勝負を決した際にはこうすると決めていたのだ。

 だから、それをするだけ。

 それだけのはずなのに、なぜか千風は何工程も無駄な、動作を挟んでいた。


「じゃあ……」

「うん」


 瞳を閉じたまま震える飛鳥の唇に、千風は自身の唇を――。




「俺に飛鳥が知ってるキヤミについての情報を全部よこせ」

「きや、え……?」


 千風が飛鳥の唇に自らのものを重ねることはなく、彼はそのまま耳元で小さく囁いた。

 瞳をぎゅっと閉じたままだった飛鳥は気の抜けた声と共に、目を開く。

 まだ、何が起きたのか理解していないのか、口を開けたまま呆然としていて。


 前にもこんなことがあったなと、千風は小さく笑う。

 千風の仕草に飛鳥は気づき、そこでようやく現状を把握したようだ。


「あんた――むぐっ!?」


 大声を上げようとした飛鳥の口元を千風が強引に押さえつける。

 目を見開く飛鳥。その瞳は驚きに彩られている。


「別にとって食おうってわけじゃない。ただ、情報が欲しいだけだ。俺の知らない、飛鳥が知ってるだろう情報を」


 輝闇(きやみ)


 それは、佐藤の口から出た一つの単語に過ぎないのかもしれない。

 けど、それをただの単語で済ませられるほど千風は楽観視していられる状況にはいなかった。

 その言葉が出てきたとき一緒に佐藤の言葉から放たれた企業、それは無視できないほど大きな名だ。


 緋澄重工、ヴィーナス製薬、C.I.、気象庁。

 この中に輝闇が混じっていたのだ。



 緋澄重工、ヴィーナス製薬。この二つの企業は魔導器を扱う企業としてはトップの業績と売り上げを誇る。

 C.I.、気象庁この二つは国を守る二大柱とも呼べる公的機関。

 これら四つのなかに入るほど有名な企業を千風が知らないのは異常なことだった。


 ましてや千風は元C.I.の職員。

 他の魔法師や企業に比べ、そのあたりの情報量は圧倒的に多い。

 そんな彼が輝闇の存在を知らないとなると、色々と問題がある。


 飛鳥は緋澄重工の令嬢だ。

 なら、彼女なら知っているのではないだろうか?

 千風が知らない情報を飛鳥が持ち合わせている。これは非常にマズい状況だ。


 潜入したばかりの千風なら無視できていたかもしれない。

 だが、千風は名桜学園に転入して、たくさんの人と関わってきた。否、関わってしまったと言った方が正しいかもしれない。


 飛鳥、誠、イザベル。

 氷室、鏡峰、そして佐藤。


 人との関わりを避けてきた千風だが、なぜか飛鳥や誠と一緒に行動するのが日常になっていて。



 もう、飛鳥や誠がいない日常など、考えられなくなっていた。

 非日常に戻りたくないと願う自分がいるのだ。


 だが、イザベルはこう言っていた。

 数年後、飛鳥が死ぬと。

 そこにイザベルはいないのだと言う。一番飛鳥の隣にいないといけないはずの従者(イザベル)がいないのだ。

 しかし、千風は側にいるようで。

 でも飛鳥を救うことは叶わない。


 そんな未来は考えられない。あってはならない。耐えられないのだ。

 きっと今の千風は飛鳥を失えば精神を崩壊させるだろう。




 だから飛鳥を失う状況だけは回避しなくてはならない。



 そのためには飛鳥が知っていて、千風が知らない情報があってはならない。

 それが大きな組織の名だとしたらなおさらだ。


 輝闇の存在は必ず把握していなければならない。

 飛鳥が落ち着きを取り戻したのを見計らって千風は手を離す。


「き、きやみ?」


 聞いたことがない言葉なのか、飛鳥は不思議そうな顔を千風に向ける。


「緋澄重工の令嬢なら、その名に心当たりがあるんじゃないのか? 俺が知りたいのはそのキヤミって名の企業の事詳細だ」

「……知らない。そもそも私はそういものとは意図的に切り離されてきたから。だから、企業同士の争いだとか内情には詳しくはないの」


 千風の推測は的を外れたらしい。

 飛鳥ならば知っていると考えたが、それも肩透かしで終わってしまった。


「千風はどこかの企業のスパイなの?」


 飛鳥が心配そうに見上げてくる。

 そんなに思いつめた顔でもしていたのだろうか。

 飛鳥の顔には動揺が見える。


「……悪い、今のは忘れてくれ」


 知らない飛鳥にこれ以上余計な情報を渡すわけにはいかない。

 飛鳥が知らないならそれはそれでいいのだ。

 むしろ知らなかったことを喜ぶことの方が正しいと言える。


 知らなければ、飛鳥が輝闇に関係して事件に巻き込まれることもなくなるだろう。

 なら、わざわざ飛鳥に情報を渡す必要もない。


「まって千風!」


 立ち去ろうとした千風の袖を飛鳥が掴む。その手は震えていて、飛鳥が怯えているのが手に取るようにわかる。


「どうした? 俺が聞きたいことは済んだ。もう言うことを聞かなくていいぞ?」

「そうじゃない。そうじゃないよ千風! 今自分がどんな顔してるか分かってる?」

「俺はいたって普通だ――」


 千風の言葉にかぶせるように飛鳥がまくし立てる。


「泣きながら、笑う人間が千風の中では普通なの?」


 気づいてと、飛鳥はつま先立ちをして千風の瞼についた雫を拭う。

 ほら、と飛鳥が見せてくる。

 見てみると、それは確かに涙で。

 千風は自分でも知らないうちに涙を流していた。



 以前にもこんなことがあった。

 全く悲しくないのに、痛くないのに、自然と涙が頬を伝ったのだ。

 確かその時も同じように右目からだけ流れていた。

 指摘されるまで全く気付かず、時枝に散々馬鹿にされたのを覚えている。


「悪い……」

「何で千風が謝るの? 千風は私に勝ったんだよ? なら、何でも言ってよ。さっきのことは私も聞かなかったことにするから」

「そうだな。とりあえず誠たちのところへ戻ろう」

「うん」







 飛鳥との戦いが終わり、誠のもとへと戻った千風。


「おかえり千風! 飛鳥もお疲れ」

「ん、ありがと」


 飛鳥が元気なく返事をしたのを見逃さなかった誠は、千風の脇腹を小さく小突く。


「ちょっと千風、飛鳥の元気がないけど下で何を話してたのさ?」

「別に何でもねえよ。気になるのか?」

「そりゃあ、気にならないって言ったらウソになるでしょ!」


 でも、千風が教えてくれないのは分かってるし、俺としてもそこまで無理に聞くものじゃないのも理解してるからね。

 そう、誠が付け加える。


 誠にもできることなら、輝闇についての存在を明らかにしたくないのは事実だ。

 だが、色々と内緒にしているのも事実。このまま全てを秘密にし続けていけば、誠が一人で探りを入れ始めないとも限らない。

 それは非常に危険だ。

 千風の身辺を調べさせることはあまりにも。

 数々の敵、悪意が誠に襲い掛かることになってしまう。


 千風の周りは理不尽なほど力と権威と闇で溢れかえっているのだから。



 そっと誠に耳打ちする。

 輝闇の存在を明らかにすることはない。

 ただ、軽いジョークを流すだけだ。

 それで、誠の気を別方向に向けることが出来れば御の字。


「デートの話だよ。言わせんな恥ずかしい……」


 全く恥ずかしげもなくそう、告げる。

 輝闇の存在を知られないための苦し紛れのブラフだ。


「へえ、やるじゃん千風」

「まあな」


 口元に笑みを浮かべる誠。

 やっとそこまで進展したかと、一人頷いている。


「それで、飛鳥は何処か行きたいところとかあるの?」

「へ? 何のことよ?」


 急に話を吹っ掛けられ戸惑う飛鳥。


「何って、千風とデートするんでしょ? 行きたいところとかあるんじゃないの?」


 しかし、飛鳥は意味が分からないと反論を始める。


「はあ~っっ!? 誰が千風なんかとデートなんてするのよ!」

「なんだ? 飛鳥は俺とデートしたくないのか?」


 意地悪にそう、言ってやる。

 飛鳥の顔は瞬く間に真っ赤になり、慌てたようにまくし立てた。


「べ、別にしたくないなんて言ってな――うわああああ! 何言わせんのよばか!」


 自分でもとんでもないことを口走っていることに気がついたのか、飛鳥は奇声のような大声を出す。


「ていうか、誤解を招くようなこと言わないでよね!?」


 ぷんすかと膨れ顔になる。

 どうやら機嫌を損ねてしまったようだ。

 イザベルの胸に泣きついた飛鳥を彼女がよしよしとなだめている。


 そんな光景を横目に、千風は真剣な顔で誠に話す。


「他の連中の状況は?」


 雰囲気を瞬時に察し、誠は臨機応変に態度を変える。


「うん、どこも拮抗状態とはいかないけど割と長いこと試合は続いてる。まだ試合が終わったのは千風たちだけだよ」


 アリーナを見つめ誠は付け加える。


「ただ、もう少しで副会長と神代アリスの試合は終わりそうだけどね。見なよ、あの副会長が圧倒されてる姿なんて初めて見るよ」


 そこにどういった感情が内包されているのかは千風には判断がつかないが、誠の声は少なからず震えていた。

 促されて千風も天王寺の様子を伺う。


 と、ちょうど試合が終わったようでアリーナ全体をわっと歓声が包み込んだ。

 だが、千風は一人その結果に目を見開く。


「おい、誠一つ訊いてもいいか?」

「ん? 何?」


 そう、何事もないかのように誠は言って。

 それだけで千風には答えが分かってしまう。

 にわかには信じられない話だが、認めるしかないだろう。


「お前にはあれが何に見える?」

「何って……変なこと聞くね千風。天王寺副会長もとんでもない人だけど、それ以上に神代アリスがすごかったって話だよね? 実際、副会長が負けたわけだし?」


 事実を事実としてそのままに告げる誠。

 つまり、誠が――観客が見ている現実ではそうなっているのだろう。

 だから、歓声が沸き起こるのだ。

 悲鳴は上がらず、ざわざわと不審な声も全く聞こえはしない。




 皆の目には、ただアリスが勝ったように見えているだけなのだから。


 だが実際には違う。

 天王寺はアリスの出した得体の知れない大鎌の形状をした【憑依兵装】で胸を貫かれている。

 端的に言えば――殺されたのだ。


 誰もその異常な光景に気づかない。

 イザベルも飛鳥も、この学園で優秀と言われている生徒のほとんどが気づけないのだ。


 強力な幻惑魔法が発動していると考えていいい。

 恐らくアリスが使った魔法によるもの。


 幻惑系の魔法は発動条件が厳しいが一度発現したら、自力で解決することは不可能に近い。

 術者が発動を無効化するか、他者による介入がどうしても必要になってしまう。


 非情にマズい状況だった。

 皆が幻惑魔法にかけられている状況がというよりは、この広範囲にわたる魔法を誰にも気づかせることもなく発現させたアリスの実力がだ。

 間違いなく、アリスはこの場にいる誰よりも最強と言っていいだろう。

 そう、言えるだけの魔法力を彼女は持っている。

 もしもアリスがその気なら、この場で全員が死んでいてもおかしくはない状況なのだから。


 今この最悪な状況を把握できているのは恐らく二人だ。

 佐藤と紫水。この二人は天王寺が殺されたことを理解しているだろう。

 佐藤と紫水は互いに目を合わせていた。そこでどんなやり取りが行われたのかは分からないが、それでも二人がこの状況を把握していることは間違いないだろう。


 藤宮高校の生徒と戦っているはずの紫水と目が合う。

 彼は戦いながら口元を動かしていて。

 唇の動きを読み取ると、紫水はこう言っていた。



『如月千風、お前には二つの選択肢をやる。お前と俺がこうして視線を交わし、尚且つこうして言葉をくみ取れるような関係なら、俺はお前に協力を要請したい。神代アリスを殺すための力を貸せ。だがもしもお前が、俺の言葉をくみ取れないようなら、今すぐにでもこの場から去れ。力のない人間が生き残れるほどこの世界は甘くできていない』


 紫水としても状況がガラリと変わってしまったのだろう。

 若干、彼から焦りのようなものを感じた。


 当たり前だ。部下が、大切な仲間が目の前で殺されたのだ。

 焦らない方がおかしい。


 紫水が続ける。


『安心しろ。責任は俺が取ってやる。協力するというのならあらゆる力を駆使してお前を守り抜いてやる。だから、共闘するなら何かしらの行動を示せ。戦わないのなら一度だけ瞼をゆっくりと閉じろ』


 告げられたのは共闘の申し出。

 乗るか、反るか?

 究極の二択。

 間違えられない選択肢。


『お前の野望は? 欲望は何だ、如月千風? アリスを生かしておくことはお前にとって障害にはならないのか?』



 野望、欲望……。

 胸の内で反芻はんすうする。

 そんなものは決まっていた。

 誰よりも強くて、誰よりも馬鹿な時枝を救うことだ。

 大切な仲間を、飛鳥や誠……イザベルを死なせないことだ。



 だから千風は。

 今まで独りぼっちだったはずの、ちっぽけな存在でしかなかった道化は――




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