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一騎当千の災害殺し  作者: 紅十字
第二章
46/64

第46話 深紅のアリス

 翌日。

 名学祭三日目。第二部――名桜杯二日目。


 飛鳥たちと別れた後、千風は問題なく第四回戦へと勝ち進んでいた。

 残る選手は千風を含め、16名。

 128名もいた魔法師の卵たちは、二日目にしてその数を大きく減らしていた。


 千風の次なる敵は、外部からの参加者。

 藤宮高校二年の二年生。彼がどれほどの力の持ち主か定かではないが、紫水や紫水に実力の近い相手でない限り負けることもないだろう。


 時刻は午前九時。

 相変わらずの賑わいを見せる名桜杯。

 数が減るにつれ、粒ぞろいな魔法師候補生が集まるため、その期待に会場のボルテージも半ば、振り切れそうな勢いを見せる。


「相変わらず、暑苦しいなこの学園は」


 観客席の最上部から、千風は沸き立つ人々を冷めた目で見ていた。

 確かに彼らの感情もよく分かる。

 自分の持っていないものを持っている人間は輝いて見える。

 一般人にとって、千風や魔法師を目指す学生はそういった対象なのだろう。

 もちろん、それが悪いことだと千風は思わない。


 千風だって幼いころは、師に憧れ、同期を尊敬し、上へ上へもっと強くと目指したりもした。

 けど、魔法師の世界はそんな生易しいものではない。

 憧れていいいものとは、かけ離れたものだと言えるだろう。


 魔法師の世界は、一般の人々が考えているよりも遥かに醜悪で、欲望に溢れている。

 災害を――災害因子を殺すために時枝が開発したはずの技術は、今ではその目的以外にも使われることが多くなってきている。



 人を殺すために魔法を使うのだ。

 災害から人を守るために使われるはずだった力は、なぜかその人間を対象に牙を剥くことがある。


 災害を殺し、人を殺す――それが今の魔法の現状だ。




 千風の試合が始まるまではもう少し時間がある。

 飛鳥の試合はもうそろそろ始まるころだろうか。

 そう思い、制服の胸ポケットからカードほどの厚さしかない生徒端末を取り出す。


 厚さは紙のように薄いものの、その強度は鋼に匹敵する。

 千風は軽く端末を操作すると、誠に電話をかける。

 生徒端末には生徒手帳以外の機能にも様々なものがあり、その一つがこの通話機能だ。


 お互いに認証したものとだけ、通話ができるようになる。


「誠か? そっちはどうだ、飛鳥の対戦相手は?」

「もしもし千風? うん、こっちは問題ないかな。飛鳥の相手はたぶん、風紀委員の須藤さんと比べると問題なく相手できるよ。飛鳥が普通に戦えば、まず負けることはない」


 自信満々にそう答える。

 電話越しに、誠の胸を張る姿が容易に想像できた。


「本当、なんだろうな。須藤の時みたいになったら洒落にならねえぞ?」

「大丈夫大丈夫。今回は本当に問題ないから。ね、イザベル?」


 ほら千風からと、誠がイザベルに端末を渡したような会話が聞こえる。

 めんどくさそうに、イザベルはため息を吐いた。


「もしもし、千風ですか? そんなに心配しなくても、お嬢様なら問題はありませんよ。実際、隣にいる無能残念ヘタレ野郎でも勝てる相手です。それともお嬢様のことが心配で心配で、たまりませんか?」

「ちょ、それ俺のこと馬鹿にしてない!?」


 イザベルの誠に対する毒舌は健在で、彼のうるさい声が千風の耳を刺激する。

 千風は顔を顰めながら、端末を引き離す。

 少しだけ、時間を置いて端末を耳に近づけると、二人はまだ何か言い合っているようだ。


「今さら気づいたんですか? 当り前じゃないですか」

「カッチ―ン。普段温厚な俺でも、怒るときは起こるよ?」

「では、お聞きしますが、あなたはお嬢様の対戦相手に勝つ自信がないのですか?」


 ははんと、鼻で笑うイザベル。

 ぎゃあぎゃあと騒がしい二人の会話を呆れたように、千風は静かに聞いていた。


「な、別にそんなわけないじゃないか!」

「ほんとですか? ムキになるあたり、少々怪しいですね」



「おーいお前ら、俺はお前らの口喧嘩が聞きたいわけじゃねえんだ。仲がいいのはいいことだけどさ……」

「全然仲良くなんてないよ(ないです)!」


 二人の声が見事に重なる。

 いがみ合っているのか、会話が途切れる。


「仲いいじゃねえか……。」


 イザベルの悔しそうな声が聞こえる。コホンと小さな咳払いの後、


「と、とにかくお嬢様であれば問題はありません。失礼します」


 口早にひと言だけ告げると、通話が途切れた。


「切れたか……まあ、問題ないなら俺がわざわざ観に行く必要もないな」


 なら、俺がすることは……そう呟いて、千風は目を細める。

 目の前で始まろうとしている光景。

 第三アリーナの会場で、繰り広げられるであろう戦い。


 それは、神代アリスの戦いだ。

 彼女の姿、戦いを見るのは千風が初めてとなる。

 しかし、相手がベスト16まで勝ち進んだ人間となれば、アリスもある程度の力を見せることにはなる。


 もしも、アリスが紫水と同等の力を持つのであれば、千風はその戦いを目に焼きつけなければならない。

 紫水のように今後敵対、あるいは障害となるのであれば、その実力を知っておくに越したことはないだろう。

 第三アリーナには実況席の隣で紫水も観ている。

 千風と紫水の視線が交わることはない。


 どちらにせよ、この状況下で千風がアリスの試合を観戦する以外の選択肢は、考えられなかった。



 放送部の部員がマイクを片手に実況を始める。

 と同時、実況に合わせて煙の中から一人の金髪の少女が現れた。


「さあ、始まりましたあー。名桜杯二日目! 第四回戦、この第三アリーナで行われる初戦は……なんと、前回の優勝者――神代アリス! 梅花学院の生徒会長にして、《絶望姫(エンド)》の異名持ち(ネームド)。これまで秒殺で他の生徒を圧倒してきた彼女は一体どんな手を見せてくれるのか!?」


 実況室から、ガラスに張りつき食い入るようにして解説をする生徒。

 気持ちも分からなくはないが、もう少し落ち着いてはどうだろうか、などと千風は心の中で呟く。


 しかし、千風も千風で別の意味で、息を呑んでいた。

 それは彼女の、神代アリスの容姿があまりにも美しかったから。

 彼女の容姿はまるで完成された一種の芸術品のようで。


 金糸のように煌めく黄金色の髪。

 髪は腰まで到達し、流麗な川を作る。

 瑠璃色の双眸はさながらラピスラズリをはめ込んだように輝き、見るものを圧倒した。

 白磁色のしなやかな肢体。穢れを知らないのか、一切の曇りも見つけることの叶わない美貌。

 ゴシック調の、深紅と純黒に彩られたドレスも、彼女を際立たせる一つの要素に過ぎなかった。

 内側からドレスをわずかに押し上げるささやかな双丘もアリスには似合っていて。


 まるで人形。精巧に作られたとさえ錯覚してしまいそうな美しさ。


「対する相手は藤宮高校、新島――」


 思わず息を漏らしてしまうほどに、アリスは可愛らしく、美しい。

 千風の耳に、対戦相手の解説が届くことはなかった。


 放送部の解説が終わる。

 アリスは片足を斜め後ろ、内側に引き、もう片方の足の膝を軽く曲げると背筋は伸ばしたまま挨拶をする。

 貴族がするような流麗な動き。

 その動作さえ、一種の芸術性がみえて。


「始めましょうか?」


 ふっくらとした薄桃色の口唇が揺れる。


「は、はい! 行かせていただきます!」


 相手は委縮しているのか、肩を震わせている。


 気のせいだろうか、心なしかアリスの視線がこちらに注がれているように、千風は感じた。

 同時に背筋が凍りつくような悪寒が千風を包み込む。



 刹那、アリスは何故か千風に微笑みかけると、小さな右手に【憑依兵装】を顕現させた。


「な――!?」




 とても、アリスのか細い腕で振るえるとは思えない、身長を軽く超える大鎌を振りかざした。

 高速で移動するアリス。もはやその動きは、普通の人間が目で追えるような領域にはない。

 移動という言葉を使うことさえ、躊躇うほどの速さ。


 魔導器の起動は確認できなかった。

 それはあまりの速さによるものか、それともそもそも魔導器を使わずして、純粋に身体能力だけで行われたものなのか、はたまた【憑依兵装】による身体能力向上による恩恵なのか。あるいはその全てか……。それさえも千風には判断できない。


 千風が驚いた時には、もう決着はついていた。

 だが、千風が驚いた理由は別にある。それはアリスが相手を一切の躊躇なく切り捨てたこと。

 アリスの足元には、対戦相手の半分に別たれた胴体と下半身が沈んでいる。


「ふふふふ! もう、いいかしら? お遊戯はおしまい。次の舞台が待っているの」


 楽しそうに笑う、嗤う。死体を見下ろし、(さげす)む。

 興味を失ったのか、彼女の瞳から光が消える。

 届くはずのない声。しかし、その声が聞こえていたのか、放送部員は顔を青ざめさせ、急いで試合に終止符を打つベく、マイクを握る拳に力を込めた。


 ガラス張りの実況室。

 放送部員の隣で高みの見物をする紫水。

 アリスの視線――その先には紫水がいて。


 彼女は楽しそうに、本当に楽しそうに口元を歪めて見せた。

 アリスは紫水を試しているのか、その視線を離そうとはしない。

 先に視線を逸らしたのは紫水の方。紫水はアリスを視界から外すと、千風を見据えた。


 まるで、初めから千風の視線に気づいていた、そう言わんばかりの自信に満ち溢れた瞳が千風の双眸を捉える。

 紫水の唇が動く。

 音は当然伝わらない。しかし、千風には唇の動きを読み取ることができた。


 一体どれだけの人間が紫水の言葉を理解できたのだろうか?

 恐らく彼の言葉の真意を図れる者は、今この場で起きた異常事態にも気づけているだけの人間だ。

 限りなく少ないかもしれない。それでも紫水は口に出さずに伝えなくてはならなかった。

 千風が唇の動きを読み取ることができていると信じて。


 鏡峰紫水が伝えたかった言葉は――こうだ。


『お前にも見えていたのだろう? 見えたから、見えてしまったから、俺と視線が合うことになったんだ。偶然じゃない、これは星の導きによる定めだ。そこにお前の意志、自由は介在しない。聞け、如月千風。理解していると思うが、この状況は異常だ。俺たちにしか見えていない。他の人間には新島がただ負けたようにしか見えていない。だが、実際は違う。新島は確かに死んだ。俺たちの目の前で殺された。トリックは分からないが、殺された事実だけは変わらない』


 紫水の言う通りだ。

 アリスの対戦相手、新島は確かにアリス自身の手によって殺された。

 それは紛れもない事実。

 だがそれには、不可解な点が一つある。



 それは、新島が今も目の前で()()()()()ことだ。


 死んだはずの新島が、自分が死んだことすら忘れたかのように――否、初めから殺されたことすらなかったかのように、今なお生き続けている。

 あり得ない。

 死者は蘇らない。これはどれだけ医学が、魔法が発展しようが変えられない事実。

 そんなものは遥か昔に答えとして出ている、絶対的な生命の摂理。

 抗いようのない鎖だ。


 では、どうして死んだはずの新島が生き続けているのか?

 それが一向に理解できない。完全に理解の範疇(はんちゅう)を超えている。

 そもそも、紫水の意図もまるで読み取れない。

 千風に対して読唇をさせたこと、そしてそれは恐らく紫水もできることだ。

 なら当然、紫水と同等の実力を持っていると考えられるアリスにもできる可能性があるわけで。


 頭の切れる紫水がそんな凡人のようなミスをするとは到底思えない。

 だからこそ、紫水の真意を千風は計り損ねていた。


 ヒントを得ようと、千風はアリスの方へと視線を移そうとして……再び紫水が唇を微かに動かしたため、ギリギリのところで踏みとどまる。


『アリスに視線を移すなよ? 魔法の効力が途切れる。途切れたら今までの計画が台無し――最悪、世界が破滅する』


 紫水とアリス。どちらが千風にとっての敵なのか、その判別をつけるのは難しい。

 あるいは両者が敵である可能性も十分に考えられる。


 千風は遅まきながらに気づいてしまう。

 紫水の口車にまんまと乗せられてしまった。


 紫水の唇を読み取れたこと、それがアリスへと視線を移さなかったことで気づかれてしまった。

 同時にアリスにも千風の素性が知られた可能性が出てきた。

 そして、それは千風の実力が露呈したことを意味している。



 紫水が笑う。冷徹な視線にはしかし、嘲笑のような嘲りはない。

 あるのは純粋に、己に近しい人間を見つけたことによる、喜びだ。


『驚いた。まさか、お前がそこまで出来る人間だとは……。想像もしていなかった。だが、これは好機だ。俺とお前なら世界を救える』


 意味の分からない発言をする紫水に、千風はついにしびれを切らし、答える決心をして。


 それは、監視対象の――敵であるはずの相手に、塩を送る行為で。

 それでも、ここで動かないわけにはいかなかった。

 どのみち、最初に反応してしまった時点で実力が割れたのはほぼ確実だろう。

 なら、今さら道化の面をかぶったまま、平々凡々な無能を演じることに何の意味がある?

 もはやそこに意味はなく、あるとすれば道化の面を放り投げた千風の後ろ姿くらい。


 目を閉じ、呼吸を整える。

 覚悟を決め、千風は黒目がちな瞳に静かに闘志を宿す。


『そりゃどうも。あんたが何を言ってるのかはさっぱりだが、それでも俺を出し抜くだけの頭脳と力を持っているのは、よく理解した』

『如月、順当にいけば……違うな。ほぼ確実に準決勝でお前とは戦うことになる。勝ち上がって来い――格の違いを身体に叩き込んでやる。叩き込んだうえで、お前を生徒会に引きずり込む』


『ははは、上等だ。せいぜい痛い思いでもしながら、俺の目の前で跪けよ?』


 売り言葉に買い言葉。

 中指を立てる。

 お互い、本心を述べることは決してしない。二人にとっては腹の探り合いにもならない、くだらない茶番劇の一幕。


 お互いを挑発する言葉を残して、両者は踵を返した。







「勝者、神代アリス! ここで彼女のベスト8出場が決まりました!」



 歓声が沸き起こる。

 あまりにもうるさい、熱波のようなうねり。

 地が轟き、怒号を散らす。


 ベスト8。

 それは、魔法師として有望な人材と認められ、異名を与えられる者の栄光の証。

 異名持ち(ネームド)として、国を守る魔法師として、認められた者にのみ名乗ることが許された、英雄となる第一歩だ。




 千風、紫水、アリス。

 三人の若き人材が一堂に会す、名桜杯。


 ここに来て初めて死人が出た。

 その人物は自身が死んでいるのかも判断できていないわけだが。


 名桜杯において殺人は禁忌とも呼べる。

 場合によっては、魔法師としてのライセンス取得の権利さえ剝奪(はくだつ)される重罪といえるだろう。

 それでもなお、アリスは一抹の躊躇を挟まず、新島を殺して見せた。

 観客は愚か、教職員さえもその禁忌に気づいていない。

 完全犯罪とも呼べる事件だ。だがそれに千風は、紫水は気づいた。


 アリスが人を殺したことには何らかの理由があるのだろう。

 だが、それは決して許されることではない。

 千風が尊敬してやまない師である時枝の、人々を救いたいと願って生み出したはずの技術が、人を殺す道具として利用されたのだ。

 それを目の前で見ておいて、黙っていられるほど千風は人間としてできていない。


 静かに、沸々と腹の中に沸き起こる怒りを抑え込むのがひどく困難に感じて。


 それでなくても、千風は勝ち進まなくてはならなくなった。

 それは紫水と戦うためではない。飛鳥との約束を果たすためでもない。

 ――勝ち進んでくる飛鳥をアリスと鉢合わさせないためだ。


 もしも、アリスが飛鳥と対戦することになれば、躊躇なく飛鳥を殺めるだろう。

 それだけは何が何でも防がなくてはならない。


「鏡峰紫水に神代・E・アリス……。正直、俺の手に負える相手か分からねえ。一人ならまだしも、二人も相手となると本当に不味いかもな」


 はははと、乾いた笑みを浮かべる。千風の背中には大量の冷や汗が流れる。

 まるで、その気配を気取られないために無理しているようににも見えて。


「クソジジイやってくれたな。全く、とんでもねえ学園に飛ばされた。佐藤もあれから接触してこないし……」


 どうしたものか……。

 半球状になったアリーナを見上げる。

 ちょうど、太陽が真上に差し掛かったころのようで、千風はあまりの眩しさに顔を歪める。





「ふふふふ、始めましょう、始めましょう。世界の終わりを、世界の始まりを――」


 不敵に嗤うアリス。

 血だまりに溺れた新島をひどく冷めた瞳で見下しながら……。


「始まりは此処――全てが始まり、そして終わりを告げた、神々の宿る街――()宿()で」


 クスクス、クスクスと。

 一人嗤う楽しそうなアリス。

 深紅のドレスをひるがえし、踵を返す。

 影に沈むようにして、神代アリスは会場から姿を消した。




 カチリ、カチリ――――カチリ。

 そんな不穏な音が聞こえたような気がした。


 歯車は止まらない。




 歪な音を立てて、世界が回り始めた――

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