第44話 予想外の強敵
第一アリーナに着いた千風。
会場内に入ると、やはりそこは千風のいたアリーナと変わることなく、物凄い熱気で包まれていた。
わっと歓声が沸き起こる。今しがた試合に決着がついたのだろう。
両者ともにボロボロだ。
息づかいは荒く、今にも倒れそう。ギリギリのラインで意識を維持しているといった雰囲気が痛いほどに伝わってくる。
千風から見て、右側の選手が倒れる。どうやら限界を迎えたらしい。
学園指定の制服でないあたり、外部からの参加者みたいだ。
勝ったのは名桜学園の生徒。
勝者を称える拍手が巻き起こるも、生徒は釈然としない顔をしていた。
千風が辺りを見渡すと、茶髪と薄い桃髪が隣り合っているのが見えた。
誠とイザベルだ。
こちらに気づいた誠が手を振っている。
「飛鳥は?」
二人の近くまで行き、短く用件だけを口にした千風に対して、誠は頷く形で返す。
「そろそろ出てくるはず……ほら!」
ドライアイスのような煙と共に、口にヘアゴムを咥えた飛鳥が現れた。
髪を結んでいない飛鳥の赤髪は肩甲骨辺りまで伸びていて、普段子供っぽい飛鳥ばかり見ていた千風には新鮮なものだった。
髪を下ろした飛鳥は少し大人に見えて、千風は無意識に息を呑む。
見惚れていると、横腹を両サイドから突かれた。
ニヤニヤしながら誠がこちらを見ている。
「なーに見惚れてるのさ」
「別に見惚れてなんか……」
「いいえ、完全に見惚れていましたよ? 千風もなんだかんだでお嬢様に気があるのでしょう?」
「そうだったのか~。いやあ、知らなかったなー」
などと、白々しいにもほどがある茶番が始まる。
最近になって気づいたことだが、誠やイザベルといると……だいたいこうなるのだ。
深いため息を吐く。
観戦席からアリーナに目を移すと、楽しそうに飛鳥が手を振っていた。
千風も適当に手を振り返し、席に座る。
「それで相手は?」
「まあ、飛鳥なら問題なく戦えるレベルかな。二年の須藤って人だけど」
当然、聞いたことのない名だ。
イザベルが、不思議そうな顔をする千風に補足する。
「千風が知らないのも無理はありませんね。彼は二年では有名な方ですが、それでも学園全体に名が知れ渡るほどの方ではありませんから」
「ひでえこと言うのな」
千風はやや引き気味で答える。
事実ですからと、薄く笑う。
「正直、お嬢様の相手にはなりませんね」
「うっわー言っちゃたよ……。俺がせっかくオブラートに包んでたのに」
「お前も大概だけどな」
飛鳥やイザベルがいると忘れそうになるが、誠も優秀な側の人間だ。
なんなら、彼は一年でも相当上位に入る学生で。
それは、二年の人にも誠が対処できる学生が多いことを示す。
誠が言うのだ。飛鳥なら問題ないだろう。
飛鳥が登場したときと同様に、煙から一人の男が姿を現す。
もちろん、飛鳥の対戦相手の須藤だ。
黒髪、中肉中背。特にこれと言った特徴がないのが特徴の、どこにでもいそうな風貌。
よく言えば真面目な印象、悪く言ってしまえば没個性。
装着している魔導器の個数は右に二つ、左に一つ。計三基だ。
一般的に、魔導器を三基装着できる魔法師は優秀と言えるだろう。
須藤は三基。それも魔法師としてではなく、まだ学生の段階であるにも関わらずだ。
やはりこの男も優秀な人間なのだ。
名桜学園は他の魔法師育成機関に比べて、とりわけ優秀な人間が多いと聞く。
それは、各地に点在する魔法師育成機関の実力を大きく上回ったもの。
【十二神将】の輩出数は一位。それだけ、層が厚く入るのも難しくなるわけだが。
しかし、これに並ぶとされるのが梅花と藤宮。
この二つの学校は、優秀な人間は少ないものの、歴代【十二神将】の数で言えば名桜にも引けを取らない。
優秀な人間は少ないが、非常に才能にあふれた天才が混じっている。
そして、そんな天才が何人も一堂に会したのが、今回の名桜杯。
皆の心に、熱意の火が灯らないはずがない。
今回の名桜杯はあまりにも異常事態で、それだけ期待が高まるというもの。
実際、一回戦から千風の対戦相手もレベルが高かった。
彼女も千風が相手でなければ、いい線まで行けていたかもしれない。
三年生だったみたいだが、充分魔法師としても戦っていけるくらいの力はあったのだから。
しかし、千風がそのチャンスを奪った。涙を流しながら、会場を後にしていくのを千風は静かに見送っていたのだ。
彼女としてはどうしても、いい成績を残して《異名持ち》の称号が欲しかったみたいだが。
しかし、それも結果論に過ぎない。
勝者は千風で、それだけが事実なのだから。
あれやこれやと考えていると、実況による解説が入る。
「さあ始まりました、名桜杯第一アリーナ三回戦! 始めの対戦カードはこの二人~」
モニターに対戦相手、両者の名前が出る。
解説に合わせ、フィールドにいる飛鳥と須藤の両者にスポットライトが当たる。
眩しそうにその光を見上げる飛鳥。緊張感はないのか。
「赤コーナー、緋澄飛鳥! 言わずと知れた有名人。大企業、緋澄重工の令嬢にして、入試成績トップの首席入学者! 今年の一年生には優秀な人間が多いですねー。さあ、先輩相手にどんな戦いを見せてくれるのでしょうか!?」
実況の解説に気合が入る。
会場の興奮も冷めやらない。
「そして、そしてー! 青コーナー。我らが二年代表、須藤真一。彼は風紀委員の副委員長。学園の風紀を守るため動く彼は、上級生としての威厳を保てるのかー!? 注目の対戦だー」
あからさまに嫌そうな態度を顔に出す須藤。
呆れたようにため息を吐くと、飛鳥に語りかける。
「すまんな、うちの部下が。同じ二年として恥ずかしい。威厳も何も私は、強い人間がいる事に越したことはない。私はそこに容姿だったり、年齢だったりと、余計な要素は加えたくない。全力でかかってきてもらって構わない。君の実力が知りたいんだ」
「い、いえ、そんな。意外でした、先輩はもう少し……気難しい方だと思っていたので」
飛鳥が慌てたようにとり繕う。
彼女としても、真摯に対応されたことに驚いているのだろう。
「はは、確かに私は少し強情なところがあるかもしれない。けれど、私としては厳格ではあっても、気難しい人間でいるつもりはないよ。人に厳しく、自分にはさらに厳しくするものだから、よく誤解されるのだけどね」
恥ずかしそうに後頭部を掻く。
微笑んだ口元には白い歯が輝いていて。
飛鳥は無意識に瞳を細めた。
この人は強い。まず、間違いなく。
そう、確信する。何かを隠している。そんな気がしてならなかった。
気を抜いていいような相手ではない。
全力でかからないと負けるのはこちらなのだから。
もちろん、今まで戦ってきた相手に対しても手を抜いた、なんてことはない。
粛々と戦闘を有利に持っていき、勝利を収めてきた。
ただ、今回の相手はそうもいかない。今までの戦法では戦いにはならないのは目に見えていた。
戦いを始める前からそう思わされるだけの気迫と技量が、須藤にはある。
髪を結わえる。
いつもの、ポニーテール姿の飛鳥。
戦う覚悟を決めた、緋澄飛鳥だ。
「良い目をするね。どうやら覚悟が決まったみたいだ」
「はい、先輩は侮れません」
「はは、じゃあ今までは侮っていたのかな?」
須藤の瞳が細まる。声も低くなり、臨戦態勢といった感じだ。
飛鳥もそれに応えるように、腰を低く落とした。
会場が二人の雰囲気を感じ取り、静まり返る。
実況の開戦の合図とともに二人は動き始めた。
いち早く魔導器を起動させたのは飛鳥。
彼女が得意とする炎系統の魔法。
「《来たれ紅蓮、焼源をここに――超速炎弾》」
体を半身に、左手を正面に突き出し――そう、唱えた。
手のひらから生まれる二重に重なった、赤色に煌めく魔法陣。
その中央に焼源が生まれ、円環が双方逆に回転を始める。
ガトリング銃のような激しい音と共に、飛鳥の手のひらからこぶし大の炎が勢いよく射出された。
その数は有に二十を超える。
その全てが的確に須藤を襲った。
対する須藤は物怖じせず、的確に対処を始める。
彼の体躯が薄緑色に包まれる。それは、魔導器が起動した証。
淡々と紡がれる音節。
その不気味な声が一層飛鳥を震えさせた。
「《身体自己破壊×瞬間連続加速》」
飛鳥の表情が驚愕に彩られる。目を見開き、開いた口が塞がらない。
「瞬間加速術式!? それも、属性配合による混合型構築魔法――!?」
須藤の使った魔導器は普通のものとは違う。
少なくとも、一般的に魔法師や、学生に渡るような汎用型魔導器の性能を逸脱していた。
飛鳥も当然、緋澄製の魔導器に改良は加えているものの、その改良のプロセスは須藤のものとは全く異なる。
飛鳥の魔導器と須藤の魔導器を同列に見ていいはずがない。
須藤のそれは、飛鳥のものを遥かに超える性能だ。
カラミティアのレベルで言うなら同じ幻獣型のものかもしれない。
だが、須藤の魔導器は恐らく幻獣型と幻獣型の魔導器を重ね合わせたものだろう。
そうなったとき、飛鳥の魔導器では太刀打ちができない。
唇を噛みしめるように飛鳥の顔が歪む。
決して油断しているわけではなかった。
むしろ、警戒していた方だともいえる。
それでも、この男の方が一枚上手だったのだ。
魔法は飛鳥の方が早く完成させた。
通常、魔法というのは始めに出した方が有利になる。
じゃんけんとは真逆。先に出せば、それだけで勝利が着くこともある。
それにも関わらず、須藤は飛鳥の幻獣型のカラミティアから奪ったコアを搭載した、汎用魔導器のアレンジ魔法を凌いで見せた。
悔しいが認めるしかない。須藤は強い。
それも、飛鳥の実力では勝てるかどうか分からない相手だ。
三回戦になって初めて戦う、格上の存在。
千風は必ず上り詰めてくる。
ここを乗り越えないかぎり、千風との約束は果たせないのだ。
自分から見栄を、啖呵を切っておいて、ふたを開けてみれば約束は守れませんでした――では、話にならない。
自分で決めた、約束したのであれば、最後まで貫き通さなくてはならない。
「切り替えが早いね。数々の死線を乗り越えてきたと勝手に想像しよう。でもね、それは私も同じなんだ」
一、二……五、十。
容易く飛鳥の放った炎弾は避けられてしまった。
効力を失い、手前に展開した魔法陣の円環が破砕音と共に砕け散る。
しかし、飛鳥は諦めない。
右手の魔導器を起動させ次の一手を指すべく、意識を集中させた。
その間にも須藤の進撃は続く。
白色と緑色。須藤を彩る魔法の光。
二つの属性、系統。光と風。
両者の特徴をうまく混ぜ合わせた須藤の魔導器は、いとも簡単に飛鳥の二十ある炎弾を凌ぎ切ってしまう。
光――それは、自己の肉体の崩壊と再生を瞬時に行う、超回復の応用。耐え難い苦痛と引き換えに、筋肉を作り変える至難の業。
風――それは、肉体を加速させる、人の領域では到達できない速度を加える神の一手。
恐らく片方だけでは成り立たなかった魔法。
成るべくして、出会うべくして重なった、まさに運命とも呼べる出会い――。
光が風を、風が光を。
両者が互いを互いに高めあう。
風に対して光が、加速についていける肉体を構築する。
光に対して風が、肉体構築を行う細胞にまで干渉して。
そうして、形を成したのが須藤の魔法だ。
須藤は魔導器を三基しか装着できなかったわけではないのだ。
彼は装着しなかっただけなのだ。
強いて言えば、他の魔導器を装着することで余計な神経を割くわけにはいかなかっただけのこと。
須藤の魔導器は二つで一つ。
実質四基装着しているようなものだ。否、実際にはそれ以上の効果を発揮している。
これは、よくファンタジー世界であるような、古代兵器のようなもの。
二つで三つ、それ以上の効果を発揮しているのだから。
名づけるなら――《超魔法》。
現代魔法を超えた魔導古文書のような存在。
過去の遺物でありながら、現代の技術を遥かに凌ぐ、神秘の具現。
実際にこの世界にはそんなものは存在しないから、机上の空論とも呼べる空言に過ぎないわけだが。
強いて言えば、【憑依兵装】が一番近いものだと言える。
災害因子核を武器に搭載した、対災害因子用個人兵器、通称――【憑依兵装】。
その力は絶大だ。
魔導器の性能とは桁が違うと言ってもいい。
ただ、難点を挙げるとすれば、使用者が極端に少なくなってしまうこと。
余りにも強大な力を持つ性質上、幻獣型以上のカラミティアの災害因子核しか搭載できない。
必然、その使用者の範囲は狭まってしまう。
魔法師界隈で言われているのが、【憑依兵装】を使えるのは魔法師全体のおよそ五パーセント。
学生で使える人間などほとんど皆無。
それが、兵器と呼ばれる所以。空言の存在に匹敵する――もはや神秘だ。
神秘と災害の殺し合い。
本物の魔法師はそういった領域で戦っている。
最後の炎弾を交わしきった、須藤。気づけばすでに、飛鳥に腕が届きそうな距離まで侵入を許していた。
目を見開く飛鳥。左手の魔法陣は砕け、魔力の残滓だけが微かな粒子となって空気に溶ける。
須藤が腰に帯刀した刀に右手を添える。甲高い金属音。
引き抜かれた刀身は黒く輝いていた。
反転する黒刃、峰を飛鳥の腹部へと添えるように侵入させる。
だが、飛鳥はまだ諦めていない。
腹部に侵入させるよりも早く、第二の魔法が完成している。
その光の色は白。光属性特有の発光と共に、魔法陣が炸裂した。
「《砕け、揺蕩え、宙を塗れ――閃光波》」
身をひねり、黒刀の峰が触れる瞬間のところで回避する。
炸裂する魔法陣。中央から放たれた光源が勢いよく爆ぜた。
一瞬の出来事。
須藤には予想もできなかったはずだ。
飛鳥が得意とする属性は火。
一般系統として存在する火や水などに比べて、異質な存在として扱いが少々難しいの言われているのが、特異系統と呼ばれる――光・闇属性なのだ。
ましてや、飛鳥の髪の色は混じりけのない純粋な深紅色。
これは彼女が炎系統の魔法を最も得意とすることの表れで。
だからこそ、飛鳥が光魔法を使うなどとは、想像もしないだろう。
そこに抜け道が、須藤を出し抜くための勝機を――飛鳥は見いだしていた。
勝負は一瞬。
飛鳥は音も立てず、須藤の背後へと回り込む。
生半可な攻撃が通じないのは飛鳥も理解している。
かと言って、ここで大掛かりな殺傷能力の高い魔法を使うほど飛鳥も馬鹿ではない。
なら、どうするか。
それは――
可愛らしい声が空気を振動させる。
「お願い、きて――【華炎刃】」
その声は異質な雰囲気を纏っていて。
飛鳥の右手に突如、炎が収束する。
やがてそれは、一振りの剣の形を象った。
剣の周囲を煌めく炎が螺旋状に渦巻く。
「始めましょうか、先輩?」
やや口調の大人びた飛鳥がそこにはいた。




