第40話 二人の眷属
日の傾き始めた、夕暮れ時の生徒会室。
鏡峰紫水はただ一人、執務机に向かい書類の整理をしていた。
もうすぐ名学祭第一部が終わる。
一部が終われば、第二部──名桜杯が始まる。注目の株は六人。
名桜学園一年、如月千風。九月に編入してきたばかりの編入生。しかし、その実力は先月の迷宮攻略で幻獣型のカラミティアを討伐するほど。
そして、《紅蓮の雛》の異名持ち緋澄飛鳥。名桜学園ではこの二名。
残るは……。
梅花学院生徒会長にして《絶望姫》の神代アリス。書記の藍雨ヱオ。
藤宮高校生徒会長、月神蒼汰。会計、寿司。
この六人は間違いなく、勝ち上がってくるだろう。
特に如月千風、神代アリス、月神蒼汰の三人は要注意だ。
如月千風はこの中では一番未知数。
紫水は先ほど千風と相対したが、まだ何かを隠しているような、そんな危うさを感じた。
最後のあの瞬間、彼は何かをしようとしていた。最後の最後まで彼の瞳には闘志が宿り続けていたのを思い出す。
しかし、勝利を確信してしまった紫水は、その直前に魔法の発動をキャンセルしてしまった。
結果、千風はその何かを上手いこと隠し、その場を上手く逃れることに成功していた。
梅花と藤宮、両生徒会長は言わずもがな、その力は驚異的だ。
恐らく天王寺や生徒会メンバーでは話にならないだろう。
「都合よく優秀な人間が集まり過ぎな気もするが」
そんなことを考えながら、書類に目を通していると、ドアをノックする音が聞こえた。
「入れ」
短くひと言だけ発して、再び書類に目を通す。
ここを訪れるのは生徒会のメンバーと顧問の佐藤ぐらいだ。
そしてこの時間に用があるのは、昼間に頼んでいた案件の報告をしに来る天王寺くらいだろう。
案の定、天王寺が入ってくる。
「会長、例の件ですが」
「ああ、どうだった?」
「はい、イザベルはどうか分かりませんが、誠や緋澄の令嬢は恐らく、人並み以上でしかないかと……」
人並み以上。それは平均的な能力よりは遥かに優秀であるが、決してそれ以上──天才の領域には至っていないことを示す。
「【王の力】は?」
「いえ、使うまでもありませんでした。会長の方はいかがでした? 実際に交えてみて」
「想像以上だ。正直、【王の力】を使ったお前で、渡り合えるかどうかだな」
「それ程ですか……。やはり実際に戦うのと映像で見るのでは違いますね」
【王の力】。それは紫水の持つ、人を超越した不思議な力のことだ。
天王寺はその力の三割を紫水に預けられた。
だから、厳密にいえば天王寺の持つ【王の力】は本物ではない。
「もし明日、梅花もしくは藤宮の生徒会長何れかと当たるようなことがあれば、初めから力を解放しろ。出し惜しみをしていい相手ではないからな」
「ええ、それは心得ています。我らが王が認めるような人間ですから」
「その呼び方は止めろ」
「しかし、【王の力】を持つということは、会長のそのものが王ということになりませんか? それとも、会長にはそれだけの覚悟がないと、今さら嘆くおつもりですか?」
天王寺が不敵な笑みを浮かべる。
紫水はそれを一瞬で否定する。
「それはない」
「なら、何の問題もないでしょう。世界を救うのはあなただ。そのためには覇権を奪う必要がある。そして、いつの時代も覇権を握ってきたのは紛れもなく王。であれば、未来の王を今から王と呼んでいても全く支障はないはずです」
「くだらない論法だが、間違いではない。俺は世界を救う、そのために力をつけてきた。今さら引き返すつもりもない」
「それでこそ我らが王。私の親友を殺してまで、生徒会長の座に就いたのですから、今さらこんなところで立ち止まってもらっても困ります」
沈黙が流れる。
聞こえてくるのは二人の息づかいと、書類にペンを走らせる音だけ。
天王寺が窓を開ける。
途端、穏やかな風とともに人々の楽し気な声が聞こえてきて。
「いよいよ明日、ですね」
「ああ、俺が二人の生徒会長を降し、仲間に引き込めるかどうか──全てはそこで決まる」
失敗は許されない。もう、二度と。
明日のために出来るだけのことは全てしてきたつもりだ。
後は己の力が二人に通用するかどうか。それだけが気がかりだった。
「話は変わるが、お前が災害迷宮で戦闘になったという例の一年はどうした?」
「蓮水氷室ですね? まだ意識は取り戻していませんが、一ヶ月後には」
「そうか、奴も【王の力】を?」
「ええ、まず間違いなく。ただ、彼も私と同じく、別の人間から譲り受けたものだと考えますが」
天王寺はあの日、災害迷宮で一緒になった一年のことを思い浮かべる。
彼の名は蓮水氷室。飛鳥と同じく優秀な人間の一人。
氷室は名桜学園に次席で入学したが、その実力は教師の折り紙つき。
実際、天王寺自身も氷室と戦ってみてその実力は確認済みだ。
***
突き抜けるように高い天井。
暗いジメジメとした空間。
むせ返るような暑さの中、天王寺光は目の前の男に苦しめられていた。
「光先輩!」
書記の小野寺が心配そうに叫ぶ。
「心配はいらない。キミたちは先に安全な場所──」
言い終わる前に目の前の男、否、バケモノが加速する。
「く──っ!」
剣を交えただけで、天王寺の身体は軽く吹き飛んだ。
壁に叩きつけられる直前でバランスを整え、威力を緩和させる。
「驚きました。まさかあなたも王に縁のある人ですか? と言っても、意識はないようですが……」
氷室も【王の力】を授けられた人間だと、天王寺は直感的に理解した。
目の前の化け物はまず間違いなく、第三者を母体とした別の王の眷属だ。
ではそれは誰か? そこまでは流石に目途も立たないが。
しかし、バケモノが王の眷属として【王の力】を振るうというのであれば、こちらもそれ相応の覚悟と力で臨まなくてはならない。
バケモノはケタケタと嗤いながら、氷室の身体を使って天に語りかける。
「《Code;7、8、8……開錠。七天に集いし我らが御柱――【黄昏の王】……理の輪より外れし因果を欺き、我が――」
「まさか、王そのものを降霊させるというのか!? 高々人間風情が耐えられる代物ではないはずだ!」
天王寺が叫んでいる間にも、バケモノは降霊の句を続けていく。
氷室を見れば、嗤いながら泣いていた。
瞳から異なる色の雫を流す人間。深紅と紺青。それはもはや、人ならざる異形の所業で。
皮膚は内側から裂け、枝のような翼が無数に生えたものが突き出ている。
額には一筋の切れ筋が生まれると、そこから割れるように第三の目が姿を現した。
あまりにも冒涜的で、生命の理から外れた姿の異形からは、言葉では表せないほどの嫌悪感。
宙に浮き、首の関節を外した、かつて氷室だったモノがこちらを見据える。
「これが第四の王──【黄昏の王】の真の姿。我らが王の目指す、王としての風格……」
信じられないほど醜悪な姿に、天王寺は度肝を抜かれる。
毛という毛が粟立ち、恐怖のあまり全身からは滝のように冷や汗が流れた。
「勝てるのか、いやそもそも私は生きてこの場を──」
そんな思考を頭の中で巡らせることすら烏滸がましかった。
神にも等しい異形の姿。名状し難きバケモノは、もはや神さえも凌駕した存在だと天王寺は錯覚した。
圧倒的なまでの威圧感。目の前に顕現した化物は、ただ悠然と天王寺という人間を見下ろしていた。
『浅はかで傲慢な醜き人の子よ、今一度我と相対することを望むのか?』
直接脳内に語りかけてくる無機質な声。
その声は、人の恐怖を駆り立てるには十分すぎた。何という圧だろうか。
並大抵の者では意識を保つことすらままならない。それどころか、脳がその声を受け付けることすら不可能であろう。
もしも天王寺が王の眷属でなければ、それだけで脳が破壊されていたかもしれない。
三割ほど人ではないナニカと混じりつつある天王寺だからこそ、生き延びることができたと言えよう。
「私は王に忠誠を捧げた身。私が生きて帰らなければ王は、世界は救われない」
自問自答し、高らかに笑い声をあげる。
そうでもしないと、恐怖で頭が可笑しくなりそうだった。
「とはいえ、私の力でどうこうできる相手ではないこともまた事実。……であれば、離脱するほかあるまい」
『あなた程度の人間が逃げられると思いますか?』
言って、氷室の中のナニカが腕を天に翳した。
それだけで景色が一変する。暗く昏い、黄昏時のような紅が視界を真っ赤に染め上げる。
天王寺は思わず舌打ちをした。
あからさまに焦燥感を募らせる。
やられた……。
一瞬の出来事だった。瞬きする間もなく、魔法を完成させられた。
目の前の氷室の形をしたナニカ、もとい【黄昏の王】は結界を施したのだ。
それも相当高度な結界。天王寺が【切り離された残片世界】から逃れられぬよう、檻の中に閉じ込めたのだった。
文字通り、天王寺は現実世界から切り離された。
こうなってしまえば、彼も腹を括るしかない。
ここから脱出するためには目の前の異形を殺すか、何らかの方法で封じ込めなければならない。
天王寺は両手を握り、動作を確認した。
一瞬の読み違い、判断ミス、行動の逡巡が死につながる。
ほんのわずかでも気を許せば、彼が二度と目を覚ますことはなくなるだろう。
だから彼は、天王寺という人間は、腕に、足に、全身に……ありとあらゆる感覚器官にまで、全神経を集中させた。
これほどまでに緊張した状態で戦闘に入るのはいつぶりだろうか?
緊張と恐怖で筋肉が軋む。
だが、その感覚さえ彼は心地よく感じた。
不思議な感覚だった。血が沸き、肉が躍る……そんな比喩表現がぴったりなほどに天王寺の全身は高揚していた。
「七天に選ばれし我らが王──【宵闇の王】。眷属たる不肖、天王寺光にささやかなる寵愛を与えたまえ!」
白髪の奥に隠された闇色の瞳。
明滅を繰り返していた瞳に、幾多の魔法陣が刻まれる。
目の前のバケモノのように王そのものを宿すことは天王寺にはできない。
それでも、意識が飛ぶギリギリのラインで力を引き出すことは可能だ。
「さて……手合せ願おうか? 七天の王が一柱──【黄昏の王】ッ!」
両足に力を籠めると天王寺は駆け出した。
そこからは、人の立ち入ることの許されないバケモノどうしによる、殴り合い。
聖戦を繰り広げる二体のバケモノ。
地が割れ、空間が爆ぜ、大気は結露する。
およそ人の身では起こせない奇跡が数多と顕現する。
歪曲する時間、響く金属の懺悔。
発現する魔法、血飛沫をあげる肉体。
「うおおおお!」
咆哮と共に振り下ろされる、紺碧の剣。
【黄昏の王】は軽々しく受け止めると、それを泥に変えてしまう。
背中を突き破った鎖が天王寺の右手を拘束する。
「しまった──!」
瞬時に右手を切り落とし拘束を解く。
右腕を振るい、吹きあがる鮮血でバケモノの視界を奪う。
しかし、そんなものは気休め程度にさえ、なりはしない。
触手のようにうねる鎖は、どこまでも天王寺を追尾した。
「くそ、このままでは……」
痛みに耐えながら健闘するも、あまりにも血を流しすぎた。
思うように体が動かず、動きが鈍る。
その隙を逃してくれるはずもなく、天王寺は左肩を貫かれた。
「っぐあああ──!」
地を這いつくばる、そんな暇さえ与えられない。
動きを止めればそこで終わるのだ。
「何か、何かきっかけさえあれば」
相手の実力は遥かに上。
では、どう立ち回るのが正解か──そんなものは初めから決まっていて。
一刻も早くこの場から逃れることだ。
ではそのために必要なことは?
「せめてほんの少しでも動きを封じてしまえば……」
バケモノを睨みつけるも動きを止める気配はない。
氷室の身体は自壊を続けながら、殺戮をまき散らす。
動きを止めるのは早くても一分後。
しかし、それを天王寺が待っていられる余裕はない。
一分もあれば彼は四度は殺されるだろう。
「そうか!」
脳裏にこの状況を打開する解決策が浮かぶ。
考えている時間はない。
一か八か、天王寺は行動に出る。
「《祈り、誓い、再び祈る──降り注げ、祈りの星雨》」
天王寺の短節詠唱と同時、バケモノの頭上に光の槍が降り注ぐ。
光の槍が注がれた場所へと急ぐ。
当然それが当たるはずもなく、あっさりと避けられてしまう。
しかし、本命は別にある。
避けられるのが分かっているのであれば、避けさせてしまえばいい。
初めから目的は別。
破壊された床から飛び降り、逃げる。
逃げるために道を作ったのであれば上手くいくことはなかったかもしれない。
だが、バケモノに避けさせる前提で──相手の能力の高さを逆手に逃げ道を作るのであれば、例外だ。
下のフロアには先ほど逃げた仲間の姿が見えて。
「小野寺、すぐに離脱するぞ! 失敗だ、ここにはもう留まれない!」
「はい、先輩」
天王寺は反転し、追ってくる王と抗うため力の限り全力で魔法障壁を構築する。
彼の最強の盾も、王前には紙も同然。
だが生徒会メンバーが離脱するだけの時間は何とか捻出できた。
左手の五指を手前へと折りたたむ。
呼応するように、残していた光の槍が王の背中を穿つ。
これで呪いは、天王寺たちを閉じ込めていた結界から解放される。
小野寺の詠唱が終わると同時、天王寺の左手が彼女の肩に触れた。
優しい、穏やかな藍色の光に包まれると、生徒会メンバーは【切り離された残片世界】から姿を消失させる。
誰一人欠けることなく、災害迷宮からの脱出に成功したのだった。
***
「彼、蓮水氷室も私と同じく王の眷属でした。加えて僅かながらも、第四の王──【黄昏の王】の降霊に成功していました」
「……まずいな。王を出されたら、こちらに勝ち目はない。蓮水は何としてもこちら側に引き入れろ」
「はい」
それではと、天王寺は紫水の足元に跪き首を垂れると、生徒会室を出て行った。
一人残された紫水はこれから先の未来について考える。
「四人目の【王の力】を持つもの、一体誰だ?」
【王の力】は世界を塗り替えてしまうほどに強力なものだ。
誰が持つにせよ、その力は必ず世界に影響を及ぼす。
善なる者が持てば善に。悪なる者が持てば悪に。何れにせよ影響が出ることは避けられない。
であれば、その力は善なる者が振るうべきと、紫水は考える。
そのためには力を正しく使えるものを引き入れ、悪用しようと企てている者を始末しなければならない。
「だが、それ以前にもっと多くの力が必要になる。王と交えるのはそれからでも遅くない」
如月千風、神代アリス、月神蒼汰。
この三人を引き込むことができれば、他の王とも渡り合うことが可能になるだろう。
「やはり明日。明日で全てが決まる、か……」
紫水の独り言が誰かの耳に届くことはない。
窓の外に視線を移すと、空は闇色のに染まり始めていて──
まるで、この世界の未来を暗示しているかのようだった。




