第39話 生徒会の力
千風たちの前に現れたのは、学園最強の男。
生徒会長、鏡峰紫水。
紫水はつまらなそうに誠を見下す。
その瞳はあまりにも冷酷で、人がするような目ではなかった。
興味を失ったのか、その視線が千風を射抜く。
「そう怯えるな、何も危害を加えに来たわけではない」
「誠に危害を加えた奴を信用しろと? それこそ無理な話だ」
「それもそうだな」
一人納得し、薄く笑う。
「千風?」
背後から飛鳥が心配そうに声をかけてきた。
「いいから行けって。イザベル!」
「ええ分かっています──お気をつけて」
イザベルは物分かりが早い。
飛鳥の手を引くと、誠を担いで教室から離脱した。
紫水の言い分では危害を加えるつもりはないらしい。
いくら彼が生徒会長と言えど、何もかも横暴が通るとは考えにくい。
ここは千風たちの教室。
魔法を使って戦闘を行えば確実に怪我人が出る。
最悪死者が出る可能性だって十分にあり得るのだ。
それを理解していない紫水ではないだろう。
紫水が来た目的は戦闘行為とはほど遠いものだと推測はできる。
しかし、万が一戦闘になった場合、千風では手に負えなくなるだろう。
なら、先に飛鳥たちを逃がしておくに越したことはない。
イザベルと紫水は面識があった。
そして千風も彼と噴水広場前で出会い、佐藤からは紫水が任務の対象であると聞かされている。
どちらにせよ、滅多に姿を見せないはずの紫水と、面識のある人間が二人同時に顔を合わせるの状況は避けておくべきだ。
「いいのか、お前は逃げなくて?」
紫水が千風に問う。
この問いは分かっていて聞いている類のものだろう。
だから、千風は鼻で笑い、
「あんたこそいいのかよ、あいつらを見逃しても?」
「なるほど………アビスを倒したというのもあながち間違いではないようだな」
何故紫水がその事実を知っているのだろうか?
千風が幻獣型のカラミティアを倒したことは公にされていない。
知っているはずがないのだ。
それなのに紫水は知っていて……。
あの日、千風が幻獣型を討伐したのを知っているのは、千風と佐藤だけのはずだ。
任務対象であるはずの紫水に、佐藤が漏らすとは考えにくい。
つまりこれは、確証のないデタラメを話しているだけに過ぎない。
千風に対して鎌をかけてきているのだろう。
紫水は千風を試している。
流麗な銀髪からのぞく瞳はまっすぐに千風を捉えて離さない。
わずかな隙でも見せようものなら、すぐにつけいられるだろう。
ここは乗るべきか、反るべきか……?
現に今ここで紫水と会話をする千風は、迷宮から無事に帰還していて。
なら、変に実力を隠して疑われるよりも、幻獣型のカラミティアを討伐できるだけの──その程度の実力であると誇示していた方がいいのではなかろうか?
鏡峰紫水は頭が切れる人間。
それは今までの会話からも容易に想像できた。
普通の方法では、紫水を出し抜くことは不可能。
そして、彼を出し抜けなければ負けるのはこちら側だということも自明。
であれば──
「なぜ、それをあんたが知っている?」
千風は前者を選択した。
悔しそうに口を歪め、こちらの手の内を明かす。
紫水の満足する答えを──提示してやった。
「やはり、噂通りか」
これも紫水のブラフ。
噂も何も、千風が倒したという事実は漏れようがない。
まだ信用してないのか、確認のために投げてきたのだろう。
ここで慌ててしまえば、紫水の思う壺だ。
「噂って何だよ?」
「知らないのか? 学園中お前の噂で持ち切りだぞ? アビスを討伐した一年がいるとな」
当然、千風がそんな噂を聞いたことなど一度もなかった。
「噂は噂だろ?」
「だが、お前は否定しなかった。つまり事実だということだ」
「……」
「なぜ隠そうとした?」
「別に隠そうとかそんな大層なことじゃねえ。アビスを倒せようが、倒せまいがその先にはいくらだって強い、優秀な人間がいる。現にあんただって俺よりも強い。違うか?」
これは千風の本音だった。
まだまだ千風には越えなければいけない人間が星の数ほどいる。
幻獣型を倒せた程度で一々騒いでいる場合ではないのだ。
そんな暇があったら、多くの人間を超えるため必死に頑張っていかなければならない。
「それだけの実力があってなお、謙虚でいられるか。面白い」
「何様だよ」
「俺は俺だ。この学園の法であり秩序たる生徒会長様だ」
紫水は思案気な顔で顎に触れた後、
「合格だ、如月千風。一度死んでみるか?」
そう言って目を見開くと、腰に携えた剣柄に手をかけた。
「な──っ!?」
風を切り裂く音速の銀閃。
足を滑らせ体勢を崩した千風の髪が空を舞う。
「何考えてやがる! 人がいるんだぞ?」
「案ずるな」
紫水の言葉と同時、彼の指先に光が灯る。
魔導器を起動した際に生じる特有の光だ。
刹那、教室に五人の人間が出現する。
「生徒会!?」
千風を囲うように現れたのは、迷宮攻略で一緒になった生徒会の面々。
迷宮内で顔を合わせることはなかったため、その力は未知数。
「やられた、最初からこのつもりだったのか?」
「案ずるなと言ったはずだ。戦うのは俺一人。あいつらには一切手出しはさせない」
千風を取り囲むように円陣を組んだ五人は同時に魔法を唱え始める。
「「《集え此処に。悪鬼羅刹、異類異形を封印せし五行門──絶ナルモノノ鎖》」」
千風と紫水、二人を覆うように五色に彩られた鎖が収束する。
それは天から放射線状に広がり、半球状のドームとなって二人を閉じ込めた。
対象を捉え、空間ごと拘束する座標固定魔法。
完璧なタイミングで発動され、千風には為す術もなかった。
「知りたいのはお前の本当の実力だ、如月千風。お前はただの愚者か、それとも道化の仮面を被った英雄なのか」
「さっきも言っただろ、俺は幻獣型を倒すのが精一杯な人間だ。だから隠した。目立つのが嫌だから、目立って余計な──実力に見合わない化け物と戦わされるのが嫌だから」
「だからそれを決めるのは、この俺様だ。お前に決定権はない。本気を出せよ? ──死ぬぞ?」
紫水の目は本気だった。
「暗黒庭園」
紫水の魔法に詠唱はない。
たった一言呟いただけで、魔導器の起動から詠唱、魔法陣構築、発動までの四つのプロセスすべてを纏めて行っている。
生徒会の構築した座標固定魔法に合わせ、二人を中心に煙幕が生じる。
これで完全に二人の動向を外部の人間が観測することは不可能になった。
ここで生き残らなければ後はない。有無を言わせぬ覇気を纏っていた。
だから、千風は動いた。
生きるため、紫水が柄に触れるよりも早く。
千風が勝つには短期決着しかない。
それは紫水も分かっているようで、千風との間合いを取りながら魔導器を複数起動させた。
「魔法は使わないのか?」
「あんたを相手にそんな余裕があるかよ」
そう言っている間にも一度でも触れてしまえば致命傷になりかねない銀閃が飛び交う。
銀閃の速度はあまりにも速い。
目で確認してから行動しているようでは、何回死んでいるか分からなくなるだろう。
千風は半ばカンと、己の経験から来る予測を頼りに、避け続けていた。
しかし、避けているだけでは一向に勝機は見えてこない。
このままでは良くて敗北、最悪死が待っている。
紫水の得物は細剣。
速さを活かした剣戟を得意とするタイプのようだ。
一つ一つの剣戟に重さはない。故に弾くこともできるだろう。
しかし、それは紫水の魔法によって牽制されていた。
魔法が完成する。
「《轟け──紫電》、《使徒を喰らえ──炎熱》」
時間差で放たれる二属性の魔法。
紫電の槍が千風を襲う。
雷速で迫りくる三本の槍。
一つをギリギリのところで躱し、一つをナイフを放ち雷を吸収させ、紫水へと返す。
そして、最後の一つは机を蹴り上げ、相殺した。
机はバラバラに砕け、木片を飛び散らかす。
そのうちの一つが千風の太ももを深く抉る。
「あ──ぐっ!?」
「はは、全く恐ろしいな。これのどこがアビス止まりの人間だよ」
笑う紫水は返された雷槍を軽々と躱し、木片を細剣で無力化する。
親指を弾く紫水の合図とともに、空中に停滞していた炎の柱が龍が如く走る。
「クソが」
吠える千風。
彼は床に這いつくばった状態から無理矢理跳ねる。
大腿部に走る激痛。それを堪えながら紫水へと向かって走る。
床への着弾と同時、爆風が千風の背を押す。
背に感じる熱と共に、彼は弾丸のように爆ぜた。
紫水の視界から消える。
勝機はこの一瞬、紫水の顎に掌底を叩き込まんと──肉薄した。
だが、それが仇となる。
紫水の背後にはもう一つの炎柱。
紫水が横に飛ぶと同時、避けられないタイミングで灼熱の柱が叩き込まれた。
完全に失念していた。
「中々面白かったぞ、如月千風」
「クソがぁ! 【宵──」
千風は苦し紛れに左手で右手首を押さえ、突き出す。
最終手段だ。これ以上は、ない。
が、
空間内に響く親指を弾く音。
それは紫水が魔法をキャンセルした合図で。
千風に迫りくる死の炎は、眼前で静かに霧散していった。
「どうやらお前はどうしようもないほど道化らしい」
そう一言だけ告げると、千風は隔離された空間から解放された。
瞬く間にクラスメイトが集まってくる。
「木片が刺さったみたいだ。処置をしてやれ」
紫水は何事もなかったかのように教室から出ようとして。
苦悶の表情を浮かべながら、千風はそれを引き留めた。
「待てよ、まだ話は終わってねえ……」
「終わりさ。今回は偵察が目的だからな。言い忘れていたが、お前は十分強いぞ。二年前に出会ったルイーザと同じくらいには」
「な、それはどういう……待てよ」
「待つさ、名桜杯でな」
不可解な言葉を残して紫水は消えてしまった。
その言葉をもう一度思い起こす。
──二年前に出会ったルイーザと同じくらい。
この一言にはあまりにも多くの情報が隠されていた。
一つ、紫水はイザベルの本名を知っている。
二つ、紫水とイザベルは実際に二年前に会っていた。
三つ、イザベルは何らかの理由で実力を隠している。そしてその力は、千風に迫るという。
「何なんだよ全く。意味わかんねえ」
千風が呟くも答えが返ってくるはずもなく。
「わりい、医務室まで運んでもらえるか?」
「あ、ああ」
側にいたクラスメイトにそう、お願いした。
***
「これで分かってもらえたかな?」
映像端末を見せ、ニッコリと微笑む白髪の男。
彼の目は半開きのまま、飛鳥たち三人を見つめている。
飛鳥を庇うようにイザベルが前に出る。
彼女の肩は震えていた。
それもそのはず、目の前にいるのは生徒会副会長、天王寺光。
実質この学園で二番目に強い人間。
「これは一体どういうことでしょうか? 私たちのような一年に、生徒会長や副会長が関わるなんて」
「いやあ、こちらにも色々と事情があってね。これはそのほんの一部に過ぎないよ。多少の強硬手段にはなったかもしれないけど、これで分かってもらえたはずだ。彼、如月千風君は強い。キミら三人が纏めてかかったとしても、恐らく勝つことはできない」
「……」
その端末に映っていたのは、先ほど飛鳥たちを逃がした千風と紫水による戦闘シーンだった。
生徒会長の実力は凄まじいものだった。ここにいる誰も彼と対等に渡り合える者はいない。
それは戦闘が始まってからすぐに理解させられてしまった。
だから、誰もが言葉を失ったまま動けない。
しかし、それよりも驚くべきことは、千風が紫水の攻撃一つ一つを的確に流し、あわよくば反撃を打とうとしていたこと。
千風は自分の魔法技術が会長に劣ると瞬時に気づき、それからは一切魔法を使わずに挑んだ。
魔法師にとって魔法は最も大切な仕事道具だ。
魔法を使って戦うのが普通なのだ。それを放棄してまで、戦いに臨めるものなど滅多にいない。
魔法を使っていかに立ち回るか、常に念頭に置きながら戦う彼らにとって、魔法なしで戦うことなどまず考えようともしない。
それを千風は容易く乗り越え、あまつさえ、格闘術のみで渡り合って見せた。
これがどれほど異常なことなのか、それは飛鳥たち自身が一番理解している。
「何が言いたいのですか?」
「分からないかな? 如月千風から手を引けと言っているんだ。彼はキミたちと一緒にいていいような存在ではないんだよ。キミたちの手にはどうしても有り余る」
突きつけられる事実。
何処かで飛鳥自身も気づいていた。きっと初めから気づいていたのかもしれない。
それでも、気づかないふりを、見て見ぬふりを続け、今までやり過ごしてきた。
そうしないと心が折れてしまうから。千風の隣にいられなくなってしまうから。
「わ、私は……」
飛鳥の声が震える。
「私は千風の隣に立つと決めた。だから、千風がどんなに遠い存在だと関係ない! 私は私の意志で千風の隣にいるから。だから──」
「それが彼の身を滅ぼすと言っている! 分からないなら教えてやろうか? キミたちでは力不足なんだ! 彼を守ることは愚か、彼にその身を守らせてしまう」
「──っ!」
「大人しく手を引いてくれ。これから彼には生徒会に入ってもらう。もうその手続きは済んでいる。後は彼が承認すれば、すべてが終わる」
天王寺はつまらなそうに三人に冷笑を浴びせると、踵を返してしまう。
それを引き止めたのは、誠だった。
「待ちなよ、まだ話は終わってない」
「雑魚に興味はないよ」
「確かに俺は弱い。イザベルや飛鳥、千風に比べれば遥かに、ね。そんなことは自分が一番理解してるさ。けど、そんなことは関係ない──俺たちは千風と一緒にいると、一緒に笑って泣いて喧嘩して、そうやって共に進んでいく仲間だ。四人の中の誰も欠けてはいけない。四人で初めて俺たちは俺たちなんだ」
誠はそうぶつける。
あの日、ファストフード店で千風は頬をわずかに赤くしながら三人にそう話した。
それに何の迷いもなく三人も同時に頷いた。
なら──
「千風は裏切らない。そしてそれは俺たちも同じ。決して千風を裏切らない、諦めてやらない!」
「雑魚は黙ってろよ──」
ドスの利いた天王寺の声が響く。
誠の視界が90度回転した。
校舎裏、雑草のまばらに生えた大地に、誠は頭を叩きつけられていた。
「ぐあ──っ!?」
「まこと!」
「目障りなんだよ、弱い奴が力もないくせにギャーギャーと喚くのは。見ていてうんざりする」
飛鳥は瞬時に魔導器を起動させ詠唱に入る。
「イザベル! 《我、照源を望む者、汝その呼びかけに応え、答を示せ──」
「お任せをお嬢様」
「──閃光妃》」
イザベルが駆け出したと同時、飛鳥の詠唱は終わり、魔法陣が形成された。
魔法陣の中心から放たれたのは一つの光源。目眩まし用の光魔法。
光源に包まれたイザベルが、光の影に、霞む。
光に紛れ、天王寺の背後を取った。
「はあ!」
裂帛の気合。イザベルは全力の回し蹴りを天王寺の首筋に叩き込む。
しかし、天王寺は別段驚いた様子もなく、呆れたと、ため息を吐きながら足を掴んだ。
「だからさあ、キミたちでは手に負えないって言ってるでしょ? 何で分からないかなー」
「く──っ」
「きゃあ!?」
イザベルの身体が悲鳴と共に飛鳥の方へ飛んでいく。
避けるわけにもいかず、飛鳥は小さな体でイザベルを受け止めた。
「全く二人がかりでこのざまだよ。そんなんでどうやって千風クンと対等にいるつもりなのか……。悔しかったら、明日勝ち抜いてきなよ。そうしたらもう少しだけ考えてあげるからさ」
まあそれも無理な話だけどね、と天王寺は笑う。
「明日の名桜杯はこれまでのものとは格が違う。最低でも会長クラスが二人、千風クンクラスが三人はいると思った方がいいよ?」
絶望的な言葉を残して天王寺は校舎裏から立ち去った。




