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一騎当千の災害殺し  作者: 紅十字
第二章
36/64

第36話 未来を知るという絶望

「そう、ですか」


 誠の答えにイザベルは悲しそうに笑う。


「では、血でむせ返るような泥にまみれ、ゲロを吐いてでも前へと進まなくてはいけないような理不尽に――あなたはこの先、耐えられますか?」


 イザベルの瞳は鋭利な刃物のように研ぎ澄まされていく。

 彼女のあまりの豹変ぶりに誠はたじろいでしまう。


 白を基調としたローブ型の制服が風に(なび)く。

 千風たちが羽織る制服は特殊なものだ。

 あらゆる衝撃、熱、寒さを防ぎ、魔法による影響さえも大幅に抑えることができる。

 魔法師を目指す少年少女が羽織ることを許された一種の栄誉とも言える。


 千風はイザベルに呼ばれ、屋上へと来ていた。

 だがその理由は普通の高校生とは違うものだ。


 普通、可愛い女の子から屋上に来てと言われて嬉しくない男子高校生などいないだろう。

 もしかしたら、告白されたりするんじゃ……なんて考えないこともない。


 しかし、そんな甘い展開など訪れるはずもなく、千風が浮足立つことはなかった。

 現実は理想には遥か遠く、恐喝にも近い交渉だった。

 誠がガタガタと震えているのがいい証拠だろう。


「イザベル、お前何が言いたい?」


 必然、千風の口調も低くなっていく。

 イザベルはまるで物事を見ていたかのような口ぶりだった。


「言葉通り――そのままの意味です。この先に待っているのは、あまりにも救いようのない地獄。人々が泣いて笑って絶望して………その度に喰われ、命を散らしていくだけの世界」

「話にならないな。お前の遊びにつき合っていられるほど俺は暇じゃない。用がないなら行くぞ?」


 踵を返し、動かなくなった誠を引きずっていく。


「何の真似だ。流石に今回の話は冗談が過ぎるぞ?」


 教室へ向かう千風の退路を腕を大の字にして塞ぐイザベル。

 彼女はいったい何がしたいのだろう?

 千風に対する嫌がらせか?


 しかし、イザベルが意味のないことをしないことぐらい千風も理解している。

 なら、彼女はあえて千風を怒らせようとしているのか?


 だが、そうは考えられない。イザベルは用があって千風、そして誠を呼び出した。

 さらにそれは、クラスメイトでもあり彼女にとって一番大切なはずの飛鳥にも聞かれたくない話のようで。


 なら、ここでそれを話す必要がある。

 千風が振り返ると、そこに誠の姿はなく、彼がイザベルを守るように立ちはだかった。


「千風がイラつくのも分かるけどさ、もう少しだけ待ってくれないかな? イザベルはこういうヤツなんだ。ひどく面倒くさくて、でもすっごい頼りになる」

「なら、お前が話すよう説得しろよ? 俺はもう戻るぞ?」

「えー。そこはもう少し待つとこでしょ?」


 誠が笑いながら語りかけるも、千風は待とうとはしない。


「はは、ごめんイザベル。俺が千風を引き止められるのもここまでみたい」


 屈託のない笑顔で誠は頭を下げる。


「いえ、あなたにしては十分上出来です。流石にこれ以上は難しいでしょう」


 彼らの会話から、千風はおおよそのことが予想できてしまう。

 つまり、誠とイザベルは初めから繋がっていて、この場の交渉は仕組まれていたものだった。


「そういうことかよ。で、提案したのはどっちだ?」


 ここまで来れば交渉は成功したとでも思ったのだろう。

 千風が呆れたように脱力すると、二人は目くばせで勝利を噛みしめていた。


「さすが千風! 理解が早くて助かるよ。交渉の提案をしたのはイザベル。でもって、その内容を聞いてこの場を用意したのは俺だ」

「やはり相談して正解でしたね。私ではここまで円滑に交渉に持ち込むことは出来なかったでしょう」


「分かったから、さっさと内容を言え。じゃねえと交渉もクソもねえだろうが」


 千風は半ばやけくそだった。

 ここまで交渉の前段階で茶番を挟んだのだ。

 それ相応の内容だと考えていい。


 イザベルが固唾を呑んだのが分かる。彼女なりに緊張しているようだ。


「ある未来を見ました――と言ってもあなたは信じないでしょう」

「当然だな。そんなことが起こるとは考えにくい。悪夢とは違うのか?」


 間髪入れずに千風は肯定する。未来を見たと言われて信じる奴の方がどうかしている。

 そんな戯言は信じるに値しない。

 だが、そんなことをわざわざ言うために茶番を挟んだとは考えにくい。


 なら、イザベルの言っていることが本当なのか?

 そうも千風は思えなかった。未来を見たなどという戯言を抜かす暇があるのなら、他に千風を信用させるに足る情報を開示するべきだ。

 それをイザベルはしない。頭のいい彼女ならすぐにでも言っていいはずなのに。


 ではイザベルには何らかの理由があって開示することをためらっている?

 そうも考えられない。

 なら、残された解はこうだ。


 ――千風を信頼させるには至らない情報ではありながらも、それを千風には伝えなければならない状況。

 つまり、状況はあまり芳しくないのだ。切羽詰まっているということだろう。


「悪夢、確かにそう言えるかもしれません。しかし、あれは悪夢ではないでしょう。恐らく近い未来、訪れる現実です」


 断言するイザベルはどこか、いつもの彼女らしさを欠いていた。

 千風の瞳が細くなっていく。


「なぜそう言い切れる?」

「私は先ほど未来を見たと言いましたが、正確には違います。――ある方に見せられたのです」

「ますます意味が分からねえな。頭でも打ったか? 何なら病院ぐらい連れてくぞ?」


 千風がおちゃらけてみるが、どうやら逆効果みたいだ。


「ふざけないでください! 私は本気であなたに交渉しているのです」


 こんなやり取りを以前にもしたような気がした。

 だが今重要なことはそんなことではない。

 見極めるべきことは別にある。


「あんたを唆したのはどこのどいつだ?」

「あなたも知っている人です」


 イザベルはそう言うと、口を一度閉じ、一拍置いた。


「名桜学園生徒会長――鏡峰紫水。私はあなたと同様、あの方に一度お会いしているのです」


 屋上のすべてを掻っ攫うように突風が吹き荒ぶ。

 荒れ狂う大海に揉まれるように千風の黒髪が逆立つ。


「鏡峰紫水……ね。おかしな話だ。俺が副会長様から聞いた話だと、生徒の前には滅多に姿を現さないはずだが?」


 千風の脳裏に紫水の姿が浮かぶ。

 銀色の長い髪に、髪の隙間から覗く人を射殺さんばかりに研ぎ澄まされた刃物のような琥珀色の瞳。

 あれは、明らかに人がしていい目ではなかった。


 千風も紫水のことは不思議と簡単に思い出すことができた。

 それだけ名桜学園の生徒会長とのファーストコンタクトは衝撃的なものだったのだから。

 あれはどう考えても学園(ここ)に居ていいような人間ではない。

 恐らく現段階ですでに、【十二神将】と同等の力も持っている。それは間違いない。


 しかし、イザベルの口から生徒会長の名を聞くことになるとは、思いもよらなかった。


「はい。実際私も学園に入学してからは一度もあの方にはお会いしていません。お会いしたのは二年前に一度だけ」


 千風が紫水との出会ったのは転入して初日のこと。

 そして時枝から受けた極秘任務の内容はその鏡峰紫水の監視。

 加えて今イザベルの口からも紫水の名が出た。


「どうも何か仕組まれているような気がしてならないな」


 口元を押さえ、思案気に呟く。

 不思議に思ったのか、イザベルは首を傾げこちらをまじまじと見つめる。


「どうしました? 何か気になることでも?」

「あ、いや。別にどうでもいいことだ」


(どうも雲行きが怪しくなってきたな。キナ臭いというか、裏で誰かが手を引いているのか? だが、それは誰だ。そいつは一体何がしたい?)


 あーだこーだと考えてみるが、余りにも判断材料が少ない……。これでは何も糸口は見つけられないだろう。

 千風は雑念を振り払い目の前のことに集中する。


「なるほど。あくまで出会ったのは、学園に入学する前だと。じゃあ、あんたは何故そいつが鏡峰紫水だと判断できた? そもそも俺とあんたが出会った人間が同一人物だという確証は?」


 質問ばかりですね。とイザベルは若干引き気味に眉をひそめる。

 しかし、答える義務があることは理解しているのか、千風の質問に一つずつ手際よく答えていく。

 イザベルに飛鳥のような反応を求めるの間違っていようだ。

 飛鳥であれば、質問されたこと一つ一つを理解するのに苦労し、慌てふためく姿が期待できるのだが。


「あの方はご自分の名を自ら口にしました。そしてこうも言いました――『俺の名を確かめようとする奴がいずれ現れる。そいつが現れたらこう伝えてやれ。俺はお前の知る鏡峰紫水だ。そうだろう、如月千風』と」

「ふむ、確かに俺の知る紫水と口調は似ているな。まさかここまで予想して行動していたのか?」


 だとすれば、紫水は自分が千風たちの監視の対象となっていることも理解しているのだろう。

 知っていてなお、挑発を仕掛けてきている。


「予想ではありません。これはあの方が見た未来そのものなのです」

「未来、ねえ……」


 と、訝しむように千風は呟いてみる。

 まことしやかに信じられるようなことではないが、それでもこれだけの条件が揃ってしまえば、少しぐらいは信用してもいいような気がしてきた。


「未来が見える見えないはこの際おいて置こう。このままではいつまで経っても話は平行線のまま進まないからな。それでイザベル、あんたは何を伝えるために俺を呼び出した?」

「ようやく話を聞く気になりましたか」


 肩を思い切り脱力させるイザベルは額に玉の汗を浮かべ、どっと疲れているように見えた。

 その状況を作り上げた張本人は言わずもがな、千風なわけだが。

 しかしそれも仕方のないことだろう。千風からしたら訳の分からないことに訳の分からないまま付き合わさせられるのだから。

 これくらいの嫌がらせで済むのだからイザベルには少しくらい疲れた顔を見せてもらわないと割に合わないというものだ。


「では改めて……私は生徒会長からとある未来を見せられました。その未来とは――」


 口に出すことを恐れているのだろう。イザベルの肩はこれまでにないほど恐怖に震えていた。

 瞳には薄っすらと涙が浮かび、頬を伝うようにゆっくりと滴り落ちた。


「私が見た未来はお嬢様の死です。お嬢様が亡くなる未来を私は見たのです」



 ドクンッ。


 千風の鼓動が早鐘を打つ。

 イザベルは耳を疑うようなことを口にした。

 信じられない。もう一度聞き返そうとするが、千風は踏みとどまる。


 目の前のイザベルが泣き崩れたからだ。

 彼女はそのまま床にへ垂れ込んでしまい、普段のイザベルからは想像もつかないほどしおらしく泣いていた。

 誠がそっとイザベルに寄り添う。肩をさすり、彼女を落ち着かせながら千風の方を見た。

 その瞳はまるで「これで分かっただろ。イザベルは本気で悩んでいるんだ」と訴えかけているようだ。


 千風の声が低くなる。彼の瞳はすっと細まり、今までのふざけた態度を改める。


「誠、今の話は」

「たぶん本当のことなんじゃないかな? 俺もイザベルの話を聞いたときは信じられなかったけど、嘘を言っているようにも思えなかった」

「原因は? そうなる前の過程があるはずだろ? なぜ赤髪が死ななくてはならない?」

「それは……」


 誠が答えにくそうにしていると、イザベルは立ち上がり詳細を話し始めた。


「お見苦しいところを見せました。もう大丈夫です。私はお嬢様が死ぬという未来を回避したいのです。しかしそれにはあなたの力が必要不可欠。どうか力を貸しては貰えないでしょうか?」

「力なら貸す。俺にできることなら、どんなことでもな。だから話せよ。なぜ赤髪が死ぬことになる?」


 ここでふざけたりはしない。

 千風は決めたのだ。

 病院で目を覚ましみんなの笑顔を見たとき、失わないためにできることはどんな事だってすると自分自身に誓った。

 今がその時だ。


「私が見たお嬢様の死は恐らく二年後、任務で突入した災害迷宮でのことだと思われます」

「難度は? どういった任務でその災害迷宮に行くことになる?」

「それは分かりません。しかしその場には私の姿、そして辻ヶ谷君の姿もありませんでした。そこに居たのはあなただけだったのです」

「どういうことだ? なぜ従者であるはずのあんたが赤髪の側にいない!? 可笑しな話だろう! 俺よりもあんたの方がずっと一緒にいなきゃいけないだろうが!」


 千風は怒鳴る。

 飛鳥の最期にイザベルがいない? そんなことはあってはならない。

 そしてそこには千風がいる。飛鳥を救うこととできなかった無能の虫けらが。


「あなたは災害迷宮の中、お嬢様の亡骸を胸に抱えたまま声の限り泣き叫んでいました。カラミティアが目の前にいるにも関わらず、脇目も降らず一人泣き続けて――そして怒りに身を任せた理性の吹き飛んだ獣のようにカラミティアを圧倒していました。そしてお嬢様を抱いたまま、一人生還していました」


 最悪だった。それは度し難いほどに最悪なシナリオだ。

 飛鳥が死ぬ? 誠やイザベルが居ない? 今の千風には考えられないほど、彼らの存在は千風の中で大きくなりつつある。

 それを失うのは千風のとしてはどうしても避けたい。


「そして、これには続きがあります。あなたが生還した――お嬢様が亡くなった後、世界は一年の年月をかけ緩やかに荒廃していきます。そして世界はあの方が見たという世界の崩壊に繋がります」


 イザベルの言った言葉は千風の耳には届かない。

 それどころではなかった。飛鳥の死という言葉が千風に重くのしかかる。


「今すぐにどうという話ではありませんが、このまま対策をせず時間が過ぎてしまえばお嬢様の死は免れないでしょう。私はどうしてもそれを回避したいのです。正直世界が崩壊とかそんなものは私の中では些事なこと。私はお嬢様を救えればそれでよいのです――協力してはくれないでしょうか?」


 一息にイザベルが続けたところで、一限目を知らせるチャイムが鳴る。


「どうやら協力してくれるみたいだね。千風の瞳がそう言ってる」


 誠がはにかむ。その顔はあまりにも整いすぎていて、心を覗かれているような気がして……ぶん殴りたくなるほどいい笑顔だった。




 チャイムが鳴り終わり、空を見上げると。

 先ほどまでの眩しすぎるくらいに快晴だったはずの空は、今はどんよりと曇り始め、すぐにでも雨が降ってきそうだった。


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