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一騎当千の災害殺し  作者: 紅十字
第二章
35/64

第35話 変革の兆し

「さっきも言った通り、世界は恐らく三年後には崩壊する。俺はそれをどうしても防がなくてはならない」


 紫水はこれまで視てきた未来について詳しく話した。

 母を失ったこと、今まで起きてきた、そして起きるはずだった事件の数々を。

 そして、三年後には世界が崩壊するという事実を。

 己の開示できるすべての情報は時枝に伝えたはず。


「だから、力を貸せ時枝。このままでは間違いなく破滅を辿ることになるぞ? 化け物が跋扈(ばっこ)し、人々を絶えず喰らい続ける――あれは間違いなく地獄そのものだ」


 あんなものを経験するのは自分一人だけでいい。

 誰も苦しまなくて済むのなら、それに越したことはないのだから。

 訴えかけるように紫水は睨みつける。

 それだけで時枝には、紫水が通常では考えられないほどの場数を踏んできたことが分かってしまう。


 その目で人を見るまでに何度も地獄を味わってきたのだろう。

 だから、時枝は沈黙の後、こう告げた。


「……ほう。だがそれを俺に言ってどうする? 俺なら世界を変えられると本気で思っているのか?」

「少なくとも俺よりは可能性があるだろう? あんたは実際に世界を救った側の人間だ。十年前のあの日、東京の都市部で12万人の命が一夜にして消え去った大災害。攻略難度(レベル)18、神獣型のカラミティア――あの雷獣を殺したのはあんただろう?」

「皮肉だな、逆だよ。確かに俺はあの場で化け物を降した。推定死亡者数は320万人――それを12万人に抑えた。結論から言えば、世界を救ったと言えるかもしれない」


 空を見上げ、肺の中の空気を吐き出す時枝。

 彼は紫水を疲れ切った瞳で見つめると、こう付け足した。


「だがな、それはとんだ買い被りに過ぎない。俺は12万人の命を救えなかった――見殺しにしただけの悪魔だ」

「それでも、あんたがいなかったら――」

「俺の話はいい。話を戻そう、もし仮に三年後に世界が破滅するとして、そんな未来が絶対に起こるとお前は証明できるのか?」

「それは……」


 言葉に詰まる。

 当然だ。100パーセント起こるなどという確証など何処にもありはしない。

 彼はあくまでも可能性としての未来を視ただけで、たとえそれが99.9パーセント起きる事実だとしても、断言することはできない。

 それでも前に進まなければならないのだ。

 今まで防げなかった未来はすべて現実のものとして起こってしまったのだから。


 事実、ここに紫水がいるのも、彼が時枝と共にこの場にいる未来を視たから。

 何度も何度も繰り返し脳内で再生した。

 ここで時枝を引き込むために、あらゆる可能性を考慮してこの日に臨んだ。

 勝算は十分にあり、実際ここまでの問答で死なずに生き延びている。

 これは今まで視てきたあらゆる未来に存在しなかった現在(いま)の姿。

 未来は確実に良い方向に向かっている。


 拳にグッと力を込める。

 紫水は確かな手応え感じていた。

 もう少しなのだ。時枝を説得できれば、あの最悪な結末を回避できる。


「責任はとれるのか? 俺を拘束するんだ、それなりの覚悟はあるんだろ?」


 時枝の瞳が鋭く細まる。その眼光だけで小動物など軽く殺せそうな勢いがある。


「俺一人の命で払えるのなら好きにしてくれて構わない。煮るなり焼くなり、死ぬまでさんざん弄び、辱められたって覚悟の上だ」


 一分の間もなく紫水は告げる。

 強い意志の感じられる瞳。

 ここまでやってきておいて今さら逃げる気にもならない。


 それを見たリューネが呆れて首を振る。彼の視線には明らかな侮蔑が浮かんでいた。


「話になりませんね。それではまるで子供の戯言。貴方を少しでも聡明な方だと思った私が馬鹿だったようです」

「ははっ。そう言ってやるなよリューネ。ガキの戯言にしちゃあ、あまりにも出来過ぎだ」


 そう言って時枝は胸ポケットから煙草を取り出すと、煙を吹かした。


「どうやら本当に覚悟は出来ているらしいな」

「当たり前だ。何のためにここに来たと思っている?」

「それもそうだ……」


 …………。


 辺りを静寂が包み込む。

 静寂の中、紫水の首筋から一滴の汗が滴り落ちた。

 紫水の顔がわずかに歪む。しかしその表情はすぐに消えた。


 ここで弱みを見せるわけにはいかなかった。

 世界最高峰の魔法師を相手にするのだ。緊張の一つや二つしたってなんらおかしくはない。

 むしろ今まで平然と交渉してきた紫水を褒めるべきだろう。


「今、顔に出たぞ。まだまだガキだな。今回は許してやる。それじゃ――」


 時枝が咥えていた煙草を放り捨てる。

 それと同時、煙草を中心として灼熱が生じた。

 地獄の火炎にも似た業火が空気を焼きつくすように燃え広がった。


「――っ!」


 ただならぬ危機感を感じた紫水は、あらかじめ一歩退いていた。

 先の未来を紫水は知らない。これは単純に紫水の本能部分での危機感が彼に伝えたのだ。

 間一髪のところで、焼死体になることを避けた紫水。


 しかし、そんな彼の目前には次なる危機――音速まで加速された白刃が迫っていた。


「く、そ――が!」


 首筋にねじ切れるような痛みを感じながらも、それを無理矢理押さえつけ限界まで上体を逸らす。

 しかし、そのあとに迫る一手は回避することが不可能なものだった。


 時枝は遊んでいた。

 紫水が反応できるギリギリの速度で魔法を、ナイフを紫水へと放つ。

 そうして避けきれなくなったタイミングで本命の刀を鞘から抜き放った。

 風を切る高い音。


 紫水に避ける手立てはない。

 このまま胴体を真っ二つに寸断されるか、致命傷覚悟でそれを防ぐ――どちらにせよ彼に残された選択肢は大きな代償を背負うものである。


 紫水は異空間にストックしていた武器のすべてを、時枝の放った一撃を防ぐ盾として使う。

 時間にしてコンマ三秒の世界。

 刹那、あらゆる金属を砕く甲高い音と共に、紫水は消し飛んだ。


「まあこんなもんだろ」


 気づけば時枝は再び煙草を咥え、紫水の飛んで行く姿を眺めていた。


「今の、お前には見えていたかリューネ?」

「はい、辛うじてですが」

「はっ。お前もまだまだだな」


「お恥ずかしながら、仰る通りかと」


 悔しそうに顔を歪める。気のせいだろうか、彼の表情には焦りのようなものが感じられた。


「だが、あいつには恐らく見えていなかった。なら、どうして防げたと思う?」

「感でしょうか?」

「半分正解と言ったところだな。あいつのは感の類とは一線を画す」


 含み笑いを浮かべる時枝の真意がリューネには測れない。

 では何だと言うのでしょう? そんな言葉が喉まで出かかるが、続く時枝の言葉に遮られてしまう。


「追うぞ。あいつはまだ生きている。死にかけだがな」


 今はまだ教えられない、そういうことだろうか?

 かっかっかと楽しそうに笑う時枝を見るのは何時ぶりだろう。

 そんなことを考えながら、リューネは静かにうなずくと、時枝の背中を追って空を駆けた。




 ***




 人間が飛んでいい距離だとは思えないが、紫水は先ほどいた地点から五百メートルも離れた場所で見つかった。

 紫水は全身に裂傷を負いながらも、意識を手放すまいと必死に奮闘していた。

 彼の足元から太もも辺りまで伸びた氷塊。

 どうやら自身の足を氷漬けにして意識を保っているらしい。


 しかしそれは裏を返せば、そうでもしないと意識を保つのが困難だと言っているようなものだ。

 自身の足だけでは立っていられない。そんな醜態を晒してでも、倒れようとはしない紫水には執念にも似た気迫を感じた。


「まだ、意識があるのか? 大したものだ。一先ずは合格、そういうことにしといてやろう」


 良いなリューネ。と、時枝は振り返る。

 その顔は「見たか? こいつはこういうヤツなんだよ」と言わんばかりのしたり顔で溢れていた。

 まるで自分と似た考えを持つ仲間を見つけたような無邪気な子供のようだ。

 こうなってしまっては、時枝を止めることは誰にもできない。


「仕方ないですね。しかし一つだけ質問を――なぜ貴方はそこまでして世界を救おうと躍起になるのです?」


 質問を投げかけられた紫水の瞳には光がない。もうすでに限界なのだろう。

 焦点などまるで合っていない。

 しかし、耳にその言葉は届いていたのか、紫水は辛うじて一言発した。


「約束――だから、だ」


 紫水の魔力も底をついたのか、氷塊がダイヤモンドダストとなって空中に溶け込む。

 陽光が差し込み、一際きらびやかな世界を演出する。


 その光景は息を呑むほど美しいもので。

 こんなに綺麗な世界ならまだ救う価値はあるのかもしれない。

 そう、リューネに思わせた。


 意識を失い、紫水は倒れる。

 それをリューネは優しく抱きかかえると、小さく呟いた。


「約束、ですか」


 それは誰との約束だろうか?

 当然、リューネにはその答えは分からない。

 しかし、リューネは親近感を抱き始めていた。

 己が戦いに身を投じると決意したのも同じ理由だ。


「約束、約束……。鏡峰紫水、貴方の真意を私が本当の意味で理解することはきっと叶わないでしょう。それでも今は貴方のその言葉、その覚悟に敬意を」


 胸に手を当て黙祷する。

 空を見上げると美しいまでの青空が広がっていた。


「決まりだな」

「はい」

「俺達は世界を救う。三年後の破滅を防ぎ、世界をより良い方向へと導く。皆が笑い、皆が幸せに溢れた世界。平和ボケだ何だと退屈になりながらも、小さな悩みで必死になる――そんな世界」


 理不尽に人が死なない。災害に悩まされることなく、日々を送っていける世界。

 時枝は己の理想を口にする。

 そうするために今まで数え切れないほどのことをやってきた。

 死体も見た。犠牲も出た。ありとあらゆるもの代償にささげた。


 どれだけ世界は変わることができたのだろう?

 それは分からない。

 それでも前に進むしかないのだ。


 仲間が一人増えただけ。やることは変わらない。

 犠牲を払って、泣いて喚いて……。

 人間はどうしようもなく弱いから。一歩ずつでも歩み続けなければならない。


 足搔いて足搔いて、足搔きまくる。そうして最後に世界を救えばいい。

 そのための準備は抜かりない。

 神魔を降し、天使を唆す。

 ありとあらゆるパーツはそろいつつある。



 ――反逆の時は近い。



 世界はこれから変わっていく。

 そう確信する。


「休んでいる暇はないぞリューネ。日本に戻る」

「はい」


 時枝が翳した右手には歪曲する空間。その先には、東京の街並みが見える。

 リューネはそのさらに先を見据える。

 人間は、自分達はもはや引き返せないところまで来てしまった。


 未来が視えるとはどういうことだろう? 瞬時にワープができるような空間を生み出す理屈は?

 魔法を使い、化け物を殺す。神を利用し、神を殺す。

 それは、あまりにも矛盾しているのではないだろうか?


 時枝が黒い穴の中へと姿を消した。

 しかし、リューネはすぐには追いかけなかった。


 担いだ紫水の状態を確認し、振り返る。

 氷漬けの湖。草木の生えない死んだ大地。

 聞こえる声はなく、静まり返った民家の数々。


 またしても手遅れだった。

 ドイツという国を救ったのは確かだ。しかし、この街を救うことは叶わなかった。

 人口にして八万。あまりにも多すぎる犠牲だ。

 既に半分顕現していた嘆きの川(コキュートス)の爪痕は人類に大きな影響を与えていた。


「閣下、貴方の救うという世界――変えたいと思っている世界は()()()()()()()()()()()()なのですか?」


 人類は触れるべきではない禁忌に右手で触れた。

 左手ももうすぐ触れてしまう。


「なら次は……全身を突っ込むおつもりですか?」


 誰にもその声は届かない。

 リューネは静かに黒い穴へと消えていった。




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