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一騎当千の災害殺し  作者: 紅十字
第二章
32/64

第32話 最強の二人

 時は遡ること一ヶ月半。

 千風が迷宮攻略をしている間、時枝玄翠は部下を連れ、ドイツに来ていた。


 当然、遊びに来たのではなく調査の一環である。



 世界が割れる――否、【切り離された残片世界(レムナント)】の中の一部である一つの災害迷宮が崩壊を始めた。

 目の前の、伝説で語り継がれるような龍の姿をしたカラミティア。

 体躯は二十メートルを優に超え、背中から天を突くように伸びる蒼の双翼は、紛れもない龍を象徴するものだ。


 凶悪な覇気を纏うバケモノは、そこに存在するだけであらゆる生命の生気を略奪しかねない。


 今回、ドイツの大陸上で起きた永久凍土化の原因はおそらく、このバケモノの仕業と考えていい。

 本来カラミティアというのはレムナントである程度の時間が経過してから、【切り離された残片世界】――裏世界より、現実世界である表世界へと災害となって現出する。ただこれには幾つかの例外があり、そのうちの一つとして高位のカラミティアによる事前干渉がある。

 カラミティアの強さがそのまま現実世界に災害として干渉してしまうことが往々にしてある。


 現状の場合であれば、大陸を永久凍土にしたことだろう。

 したがって、時枝が予想していたような鏡峰紫水の介入は考えにくかった。


 眼前の氷龍が(いなな)く。

 その嘶きは、時間の概念さえ凍結させると錯覚させられるほどに強力なものだ。


「く――ッ! リューネ、サポートは任せたぞ」

「無茶は禁物ですよ、閣下? 危険を感じたらすぐに脱出しましょう!」

「ああ」


 時枝は駆ける。普段ならシミ一つ着かないはずの彼の白いコートは、すでにバケモノと己の血で真っ赤に染まっていた。

 駆けながら、時枝は右手にはめた三つの魔導器を同時に起動させる。それらすべてを短節で詠唱。なおかつ左手に【憑依兵装】を呼び寄せる。


「《転地・炎環・崩壊――道理を踏み外し者どもの・怨嗟・此処に集いて昇華せよ》」


 時枝の背後に魔法陣が現れる。その色は緑、橙、紫とさながら花火を彷彿させる美しさがある。


 彼の身体が浮き、消え――そして氷龍の背後を取る。

 突如、氷龍の頭上に現れた灼熱の環が首を切断するべく堕ちる。そのまま、首の位置で止まり収束を始めた。


 が、氷龍が何もしないわけがなく、覇気を首元に集めその魔法をかき消そうとした。


 そこに、あらかじめ時間差で発動するように定めておいた時枝の魔法が炸裂し、氷龍の足場を崩す。

 おまけに崩れた土塊は宙に浮き、時枝の足場となった。


「来い、【Lefelt(レフェルト) ()Calc(カルク)】!」


 空気が淀む。混沌とした空間に漆黒の光が爆ぜた。時枝の左腕を中心に影が時枝を空間ごと取り込み、そして一人の少女がどこからともなく現れた。


「はいは~い! 呼ばれて出てきちゃったよ? どうもバニーちゃんでぇす!」


 きゃぴ! と、頭に兎耳を生やした小柄な少女は笑顔を振りまく。


 時枝が以前に(くだ)し、屈服させた災害因子(インフェルノ)

 ふざけた態度で登場した少女だが、その声はすべての生物を魅了し、脳を犯す。その愛嬌はたとえ凍結した生命といえど、動かすという。

 つまり、目の前の少女は氷龍に並ぶ――正真正銘の化け物だ。


「ふざけてる場合じゃないだろ、レフェル?」

「あれれ、死にかけじゃん。トキくんでもあれは厳しい?」

「お前は俺を何だと思っている。人間だぞ?」


 レフェルと呼ばれた少女、もとい【憑依兵装】は笑う。その笑い方を見ている限りは、本当にただの少女にしか見えなくて……けれど、目の前にいるのは確かに人外の化け物なのだ。


「ふふふ、()を殺すような人間を本当に人間にカウントしてもいいのかな~?」

「ごちゃごちゃと五月蠅いな。いいから力を貸せ――そうしないとお前も死ぬぞ?」

「ま、いっか。あーしの位階はそれほど高いものでもないしねー。それに《嘆きの川》が相手じゃ、冗談を言ってられるほどの余裕もないよ。死ぬかもだし……」


 それでも、レフェルの態度は変わらない。あー怖い怖いと、まるでなにか勝算でもあるかのような口ぶり。緋色に染まった瞳は笑みを残したまま、氷龍を見据えている。

 思い出したように彼女は時枝を振り返ると、


「あ、そうそう! トキくんも知ってるだろうけど、あーしは戦闘向きじゃないから……そこんとこ理解しておいて?」

「そんなものは分かっている。お前に戦闘を任せるつもりはない。俺が出る、リューネと共にサポートを任せる」

「えー! あーしあの子ニガテなんだよー?」

「言ってる場合か? 帰ったらお仕置きだな」


「いやー! トキくんのエッチ!」


 何を想像したのか頬を赤く染め、キャッキャッとレフェルは全身をくねくねさせた。


 帰ったら……時枝は確かにそう口にした。それはつまり、生き残る意志があるということで。神獣と呼ばれる類の化け物を前に――人間に対応できる領分を遥かに超えたはずの敵を前にして、時枝の心は折れてはいなかった。


 大抵の魔法師は神獣型(インフェルノ)と対峙しただけで心が折れてしまう。しかしそれは仕方のないこと。普通の魔法師の反応としてはそれが正常。彼らが相手にするのは文字どおりの地獄(インフェルノ)なのだから。


 むしろ平常心を保っていられる時枝や、リューネの方が異常なのだ。


「ちぃ――!」


 《嘆きの川》と呼ばれたバケモノが距離を詰めてくる。その巨躯からは計り知れない速度だ。移動しただけで波動が生じる。大気が震え、空気は燃える。


「《慈愛の風、星の息吹――大気を癒す祝福を》レフェル!」


 時枝はレフェルに呪詛を流し込む。


「あん! はいはい、身体強化ね。りょうーかい!」


 甘い吐息を吐きながら鼻歌まじりにレフェルは歌う。

 すると、時枝とリューネの身体が黄金色に輝いた。

 彼らの身体にまとわりつく心地の良い鱗粉。それが、みるみるうちに身体を癒していく。


「俺が切り開く!《大海を別つ万象の揺らぎ――獅子なる咆哮を以て顕現せよ》リューネ、背後を!」


 時枝が一際大きな魔法陣を構築する。

 魔法は、魔導器に流す魔力量に比例してその力を変貌させる。


 魔法師の中に流れる、魔法を発現させるための源――魔力。

 魔力は本来、人間に初めから備わっているものではない。

 だが、魔導器を身に着けることで人間の中にも魔力が生まれる。正確には接続した際に生じる神経回路からカラミティアの呪いが身体中へと駆け巡る――それが血液と混ざり合うことで魔力となる。


 つまり、魔法師は己の血を代償に魔法を発現しているわけで……。


 魔力は溢れるほど無限にあるわけではない。

 かつて最強と謳われた時枝と言えど例外ではない。

 むしろ、複数の魔導器を身に着け、複数のカラミティアから呪いを受けた状態が常である魔法師ほど、体にかかる負荷は大きい。


 それなのに時枝は惜しげもなく自らの命を削る。


 時枝が装着している魔導器の数は十五基、その全てがアビス以上のカラミティアから奪ったものだ。必然呪いの質も、複雑に絡み合った神経回路の扱い憎さも、各段に跳ね上がる。

 それでもなお、意識を失うことなく自由自在に扱える時枝は、成るべくして最強となったのだろう。


 ちなみに千風が装着できる魔導器の限度は九基。現在最強と呼ばれるリューネでさえ、十二基。

 時枝がどれだけ常軌を逸しているのか、それは魔導器の装着可能数からもうかがい知れる。


 だが、そんな時枝でさえインフェルノが相手では苦戦してしまう。


 全身を血で濡らし、己が魔力を消費し、その上でさらに大量の魔力を食い潰す魔法を使用しようものならどうなるか?

 そんなことは彼自身が一番よく分かっているだろうに。

 時枝は笑って己の最大魔力を魔導器へと注ぎ込む。


 つまり、ここまでしないと目の前のインフェルノには対抗できないということだろう。


「くっ――! いけません閣下、それ以上は……!」


 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたリューネが、慌てて時枝の方へ反転した。


「ここで閣下を失うわけには――レフェル! 私にありったけの祝福を――」


 リューネの脳裏に十年前の光景が浮かぶ。

 かつては時枝に最も近い存在として恐れられていた逸材。

 常に己の目標であり、ライバルであった一人の魔法師。

 リューネより先に【白洋(アリエス)】の名を賜ったはずの【十二神将】。


 しかし、そいつは十年前のあの日、たった一人でインフェルノに挑み、命を落としてしまった。




 もう二度とあんな惨劇を目の当たりするわけにはいかなかった。



 だから。

 リューネは時枝をサポートするため詠唱途中だった魔法を破棄し、新たに彼を守るための魔法を構築し始めた。

 リューネのβ神経がひとりでに崩壊する。

 叫びたくなるような鋭い痛み。しかし、リューネの顔色はまったく変わりはしない。


「顕現を(こいねが)う! 《白亜無き事象の結露、霧散せし森羅の継承》」


 白い魔法陣がリューネの足元を覆い、一瞬にして彼の姿をかき消した。

 刹那、リューネは時枝のもとへと転移し、時枝はリューネがいた位置へと移動させられる。


 移動の上位互換とも呼べる転移の魔法。

 距離、などといった低俗な概念はなく、ただ淡々と点を結びつけ、線を潰す――神なる所業。

 使える者はごく一部に限られる。高位の魔法の一種だ。


「リューネ! おま――」

「すみません閣下、今あなたを失うわけにはいかないのです。この国には、いえ……この世界にはあなたが必要だ。そのための犠牲が私一人で済むのなら――」


 ――安いものです。



 リューネは時枝に微笑みかけ、そして最大出力で魔法を展開した。

 時を刻む音と共に、リューネの目の前に白亜の壁が競り上がる。城壁を模した、聖なる輝きを放つ堅牢な盾。

 圧倒的な光を放つ盾に、氷龍の(アギト)が迫る。


「リューネ――ッ!」


 時枝の叫びに、リューネの生み出した盾の破砕音が重なる。

 彼が誇る絶対的な盾でさえ、インフェルノ相手には紙も同然だった。


「く、やはりここまで!?」


 苦悶の声を上げ、リューネは態勢を整えようとする。が、それは空中ではままならない。

 氷龍の速度には全く反応できていなかった。

 彼の全身を顎の影が覆う。もはや絶体絶命だった。


 だが、リューネの死を女神が許さなかった。


「あんたのことは嫌いだけど、そのトッキーに対する忠誠心だけは誇りに思いなよ? 少なくともあーしに守らせるだけの価値はあるんだからさ」


 けだるげにそう告げると、レフェルはリューネの前に現れた。

 彼女は人間には聞き取れない音節を紡ぎ、


「《嘆きの川(コキュートス)》……随分とご大層な名前じゃない! でもね……位階は低いと言えど、あーしは曲がりなりにも神の一座に身を置く者。そんなあーしに歯向かうんだから、覚悟は出来ているんでしょうね?」


 レフェルの瞳がゆっくりと細まっていく。それと同時に、彼女の周りの空間が静かに共鳴を始めた。



 空間が、割れる。大気が爆ぜた。

 レフェルの歌声に呼応して氷龍――《嘆きの川(コキュートス)》の築き上げた災害迷宮は一瞬にして灼熱をまき散らす煉獄と化す。


 当然、時枝とリューネには一切の影響を及ぼさない。ただの幻術にすぎない代物。しかし氷龍に対してだけは実際の事象として牙をむく。

 言わば、理想的な幻術――否、もはやこれは理想そのものの体現だった。


 魔法の規模が違った。()が使うものと人間の使うものでは、比べることすらおこがましいとまで思えてしまう。



「ガアアァァァ――!」



 灼熱に身を焦がし、嘆きの咆哮を上げるコキュートス。背後は完全にがら空きだった。


「あとは任せたよトッキー? 英雄の力、見せてよね」

「ああ、リューネを頼んだ」


 静かに頷き、レフェルと入れ替わる。


 世界を裂く銀閃一筋。渾身の一撃は、災害迷宮ごとインフェルノ――コキュートスを葬り去った。




 ***




「はぁ、はぁ……流石にインフェルノ相手に二人で挑むのは無理があったか?」


 何とかインフェルノを討伐し、現実世界へと戻ってきた時枝とリューネの二人。ちなみに【憑依兵装】であるレフェルは再び時枝の中に取り込まれた。


 彼は屈託のない笑顔で笑う。


「無事かリューネ? お前でもインフェルノにたった二人で挑んだのは初めてだろう?」

「はい、というか私は死さえ覚悟しましたよ。神の加護がなければ今頃……」


 地に伏したまま思い出したようにリューネが語る。


「レフェルはああは言っていたが、実はお前のことは結構気に入っているからな。流石は《最優の魔法師(ノブレスオブリージュ)》といったところか?」

「やめて下さいよその名で呼ぶのは。それに私は――」

「か、は――っ!?」


 リューネの言葉をかき消して、時枝は前触れなく夥しい(おびただ)量の血を吐き出した。

 その量は目を逸らしたくなるほど絶望的なもので。


「閣下!」


 駆け寄るリューネの胸倉を力なく掴む。

 時枝の瞳は、大丈夫だ心配はいらない――そう訴えかけるも、明らかに無事な状態とは考えられなかった。


 抱きかかえる時枝の体から急速に体温が消えていく。

 顔面は瞬く間に蒼白となり、もはや時枝の身体からは生気が感じられなくなりつつあった。


「しっかりしてください閣下! 何が、一体何が起こっている? レフェル! 聞こえているなら反応してください。このままでは閣下が――!」


 衰弱しきった時枝の胸を叩くがレフェルが反応を示すことはなかった。


「くそ、今の私には治癒系統の魔法が……」


 リューネの持ち合わせに治癒系統の魔導器はなかった。


 絶望に打ちひしがれたリューネの背に声がかかる。

 年齢としては16、7歳ほどだろうか? この場にはあまりにも場違いで、ひどく幼く感じた。


「その御仁、救ってやろうか?」

「誰だ?」


 振り向いたその先にいたのは、



 特長的な白を基調とした制服に身を包んだ少年。腕章には会長の二文字。

 名桜学園生徒会長――


「鏡峰紫水……」

「驚いた……まさか認知されていたとは」


 風が吹き荒れフードが(なび)く。

 琥珀色の鋭い三白眼。

 癖のない銀髪が風のように流れる。


「く……っ!」


 紫水の持ち合わせた風格は時枝のような高貴さと異端さを【十二神将】であるはずのリューネに植えつける。


「それじゃあ……始めようか?」



 紫水は嗤って腰の細剣を引き抜いた。


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