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一騎当千の災害殺し  作者: 紅十字
第一章 始まりと終わりの道化
30/64

第30話 ようやく掴めたその先に

 イザベルが飛鳥と出会ったのは、彼女が六歳、飛鳥が五歳の頃だった。


「あんたが、私のじゅうしゃになるっていう……え、えーと」


 目の前でふんぞり返った少女は、従者の名前を把握していないのか、戸惑っている。

 名前くらい事前に調べておけと、腹が立ったが、第一印象は大切だ。命にも関わる。イザベルは優雅な動きで首を垂れ、名乗りを上げた。


神代(かみしろ)E(エリザベート)・ルイーザ。それが私の名前です、飛鳥お嬢様」


 そう、忌々しい実名を口にする。

 口にするだけで、吐き気がする。耐えがたい苦痛が、胸を締めつけた。


「そ、そう。あなたはこれから、私のどれいよ! かくごしなさい!」


 最悪な出会い方だった。

 仮にも日本のトップ企業として名を馳せる緋澄の人間。品行方正な令嬢を期待したが、やはり五歳児には無理があったようだ。

 イザベル――かつてのルイーザはバレないよう顔を(しか)めた。



 ルイーザが従者となって一週間が過ぎようとしていた。一週間も経てば、ある程度は家の事情が分かるというもの。

 どうやら、緋澄家での飛鳥の立ち位置は、端的に言えば――いらない子、である。

 というのも、飛鳥の上には兄が二人いる。名を大和(やまと)弥生(やよい)


 この二人があまりにも優秀すぎて、飛鳥は存在しない子として扱われていた。

 飛鳥ももちろん優秀であった。しかし、それでも二人の兄たちの前では霞んでしまう。

 それでも緋澄の人間として鬼のような訓練は続く。


 そんなある日、いつものように庭園で稽古が始まった。


「はああああ!」


 子供サイズの木刀を手に、飛鳥は駆けた。

 迎え撃つは初老の執事。かつて軍に所属していた屈強な男だ。

 勝負は一瞬。当然、執事に軍配が上がる。


 容赦のない一撃だった。後方へと五メートルほど吹き飛んだ飛鳥は、壁に激突して意識を失った。



「目を覚ましたか、お嬢様?」

「る、ルイーザ? ん、私はいったい……どれくらい寝てたの!?」


 寝ぼけまなこを見開いて、飛鳥はルイーザの膝枕から急いで飛び起きた。


「たったの三十分です。もう少しお休みになって下さい」

「だめ、けいこに戻らないと……おとうさまに叱られちゃう」


 強迫観念にとらわれたように、朦朧とする意識の中、飛鳥は覚束ない足で訓練場へと向かう。

 恐らく飛鳥の左足は折れている。それでも彼女は足を引きずったまま、訓練場に降り立った。


「お待ちくださいお嬢様! そのけがで戦うのはいくらなんでも無茶です!」


 ルイーザは叫ぶ。

 だがその声は、飛鳥の耳には届かない。


「それでこそ、緋澄の血を受け継いだものです。ご立派ですぞ、飛鳥お嬢様」


 うんうんと、執事が深く頭を下げる。


「うわああああああ!」


 叫びながらの突進。あまりにも無策で、愚かしいにもほどがある。

 このまま二人がぶつかってしまえば、飛鳥が負けることなど目に見えていた。

 ゆっくりと執事が木刀を構える。その洗練された動きは本物で、一目で飛鳥の敗北が決定する。


 助けなさい――ルイーザの脳裏に声が届いた。

 何者の声か定かではないが、聞こえたと同時、ルイーザは駆け出していた。


 どうしてそんな愚行に走ったのか、自分でも分からない。けれど、どうしようもなく救わなければいけない衝動に駆られたのは確か。

 助ける――目の前で消え入りそうになっている尊い少女を! そうルイーザは、戸惑いを隠せずに駆ける己へと暗示をかけ、


 瞬時に飛鳥へと追いついた。


「すみません、お嬢様。少しの間、お休みになってください」

「えっ? ルイーザ……?」


 何が起きたか分からないといった表情だ。

 首筋に手刀を叩き込まれた飛鳥は静かに地に伏せる。


 しかし、ルイーザは止まらなかった。腰の短剣を引き抜き、迫りくる木刀へと切りかかる。

 木刀をへし折り、あわよくば戦いを中断させるのが目的だ。


「がっ――ぁ!?」


 一瞬の出来事だった。ルイーザの目ではとても追いきれない。破壊するはずだった木刀は視界から外れ、気がつけば彼女の喉を直撃していた。


「かはっ! あ、ぐ……」


 えずく。むせ返る喉は、喘いで空気を欲した。胃の中のものが……赤い粘り気のあるものと混ざり合い、石畳を(けが)す。


「どういうつもりだ? たかが下女風情が。ルイーザと言ったか? ふん、神代家の汚点がいい気になるなよ?」


 執事は汚物を見るようにルイーザを見下ろした。その瞳には侮蔑が、怒りが……憎しみが込められていた。

 けれど、ルイーザは決して屈しなかった。震える足腰を奮い立たせ、声の限り叫ぶ。喉が裂ける、そんな感覚にとらわれながら。


「お待ちくださいエドワード卿! 数々の戦場で数多の戦果を残してきたあなたが、何のために負傷した少女をいたぶるのです!? あなたほどの力を持ったお方が、力の使い方を誤るはずがありません!」

「小娘が……私を(さと)そうというのか! 私は当主様より命を頂いた身、それを全うするのが私の宿命だ」

「で、ですが! お嬢様はもう意識がありません。意識のない人間を一方的に(なぶり)り殺すことがあなたの騎士道なのですか?」

「勘違いするな。私は騎士ではない――軍人だ。上の命により任務をこなす。当主様からは使えなくなれば、殺せと命じられている」


「そんな……」


 あまりにも残酷な通告に言葉を失う。実の父が、必要なければ殺しても構わないのだという。

 これを飛鳥が聞いたらどう思うだろうか? そんなことを考えたらゾッとした。


 ――似すぎている。私と、お嬢様は!


 奥歯を噛みしめる。強すぎたのか、口内を鉄の香りが充満した。だが、そんなことに構っていられるほどルイーザの心中は穏やかではない。


 駆け抜ける。銀閃が二閃、三閃と舞い、執事に襲い掛かる。

 それを物ともせず、エドワードはルイーザの短剣を弾いた。


 石畳に吸い寄せられた短剣が、甲高い金属音を上げた。

 勝負は決した。誰もがそう確信する局面で、なおルイーザは諦めない。


 腕を振り上げたまま硬直した、一瞬の隙を見逃さない。懐に忍び寄り、今度は短剣よりも一回り小さなナイフを取り出す。


「ほう、腐っても神代家の人間というわけか?」


 エドワードは驚くわけでもなく、ただ口元に笑みを浮かべるだけ。その笑みは嘲笑だ。人を嘲きった瞳が、ゆうにそう物語っている。

 気づいた時にはもう遅い。ルイーザの視界は瞬く間に反転した。


「思い出したよ、神代の忌子(いみご)――ルイーザ。その無能っぷりから勘当された哀れな虫けらが」

「……ぐっ!」


 額を踏みつけられる。鼻先を流れる鮮血。痛みなど感じはしなかった。

 痛みを感じるだけの痛覚が麻痺していたのかもしれない。

 だからこそ、彼女は動けた。


「私を――その名前で呼ぶなあぁ!」

「何っ!?」



 それから先のことをルイーザは覚えていない。どうやって切り抜けたのか、はたまた誰かが助けてくれたのか……その真相を知ることはなかった。


「う、うぅ……」


 嗚咽が聞こえる。少女の小さな嗚咽が。喉を震わせ、鼻をすする音。

 頬に温かな雫が落ちた。後頭部には柔らかな感触がある。

 ルイーザはゆっくりと瞼を持ち上げる。視界に映ったのは、ポロポロと涙をこぼす飛鳥の存在だった。


「お嬢……様?」


 どうして泣いておられるのですか? そう言葉にしようも、声が出ない。きっと喉を突かれた痛みが酷かったのだろう。

 それでも、ルイーザは絞り出すように声を出した。


「どうやらご無事のようです、ね。よかった」


 微笑みかけるルイーザに飛鳥は飛びついた。

 顔をぐちゃぐちゃにゆがめ、涙と鼻水でひどい有様である。そこにいたのはいつもの気の強いお嬢さまではなく、一人の少女だ。


「ばか! どうしてあんな危ないことするの? あんたが死んじゃうかもって心配したんだからっ!」

「申し訳ありません。ですが、お嬢様の身を守れたこと、誇りに思います」

「そんなのどうだっていいよ! 私の命とか、誇りとかそんなもののために自分の命を犠牲にしたりしないでよ!」


「お嬢様……」


 初めて、飛鳥の深部に触れた――そんな気がした。


 いつも強くて強情で、人の言うことなどまるで聞かない飛鳥が、ここまで心を開いてくれている。そんな事実にルイーザは心地よさを覚える。


「お嬢様、ご自分の命をそんな軽視するようなこと言わないでください」

「うるさい、うるさい~! あんたが言える立場なわけ?」

「そ、それは……。ですが私はお嬢様の従者で、お嬢様を守るのが役目です。ですので……」


 続く言葉はしかし、小さな手から繰り出される張り手によって止められる。


「うっさいばか! あんたが私のじゅうしゃを名乗るなら、私のじゅうしゃらしく私を守りなさいよ! ――私の前からいなくならないでよ!」


 泣きながら震える飛鳥はひどく繊細で、触れただけで壊れてしまいそうなほど不安定だ。

 飛鳥は従者を――ルイーザという人間を欲したのだ。


 生まれてこの方、必要とされたことはなかった。いつもいつも優秀な姉と比べられ、虐待を受け……実の両親に蔑んだ目で見られるだけだった毎日。

 緋澄の家に来て、飛鳥の従者となって――初めて必要とされた。

 こんな日が来るなんて夢にも思はなかった。


「お嬢様……」


 ゆっくりと飛鳥の瞳を見つめる。飛鳥の瞳にはひどく情けない顔をした自分の姿が映る。

 幸せを感じた。満ち足りた幸福感を。


 ――ああ。きっと私は、お嬢様に仕えるために生まれてきたんだ。


 自分の命に役割が、意味がある。必要とされ、ここにいる。それだけで充分、ルイーザの中で生きる理由ができた。


「ねえ、ルイーザ。名前で呼ばれるのは嫌い?」


 ルイーザ、忌々しき名。その名を呼ばれる度、殴られ蹴られ、血を流した。叩きつけられた数々の罵詈雑言。


「どうしてですか?」

「だって、エドワードと争ってた時、その名前を呼ぶなって……ごめん、きこえてたんだ」


 申し訳なさそうにルイーザの顔色を窺う飛鳥。もじもじしながら何か言いたげにしている。


「どうされましたか?」

「あのね……よかったらだけど私があなたの名前――考えてあげよっか?」


 嬉しい言葉だった。自分に生きる理由をくれた主が、自分のために名前まで考えてくれるのだという。

 ルイーザには否定する理由がない。むしろこれは生まれ変わるチャンスなのだ。忌子として罵られ続けてきたルイーザから、飛鳥の従者として仕える身になった――もはや同じ人間として生きていくつもりはない。であれば、新たな名も必要になる。


「では、お願いしますお嬢様」


 ルイーザは満面の笑みで受け入れる。

 飛鳥の顔がぱっと明るくなった。


「そうね、神代・E(エリザベート)・ルイーザ……。エリザベート、ルイーザ。こうしましょ! あなたはこれからイザベルよ!」


 なんて輝かしいまでの笑顔で言ってくる。まるで、あらかじめ考えていたかのように早く、ルイーザの――イザベルの名が決まった。

 イザベルは自分の名を噛みしめるように反芻(はんすう)する。


「イザベル、イザベル……素敵な名前です。ありがとうございますお嬢様」

「よかった……これからよろしく、イザベル! あなたは私の紛れもない――じゅうしゃだからね!」



 ***



 微かな咳払いが病室に響く。


「お嬢様にはたくさんのものを頂きました。命も場も、役割も……そして大切な名を。ですからお嬢様には恩返しがしたいのです。お嬢様にはこれ以上、この国の闇に触れてほしくないのです。――少々話しすぎましたね。ここでの会話はすべて忘れてください。……それでは私はこれで」


 失礼しますと、丁寧にお辞儀をしてイザベルはドアに手をかけた。


「ああちょっと待った。イザベル、一つ訊いてもいいか?」

「何でしょう?」


 振り返った彼女の顔にはいつもの無表情が張りついていた。


「あんたは何のために魔法師を目指す? 飛鳥を守るためか?」


 千風の問いはいたってシンプルなものだ。

 魔法師という危険な道を選んだのなら、それ相応の理由と覚悟がある。それを千風は知りたかった。


「それもありますが……一番は()()()()()ためです。お嬢様はこれ以上、何も知らなくてよいのです。ですが、私が弱いままではお嬢様に守らせてしまいます」


 お嬢様の性格は知っているでしょうと、同意を求める。


「ああ。確かにあいつはそういう人間だな。誰彼構わず救うような綺麗な人間だ」

「ええ、だからこそ私が強くならなければならないのです。自分の身は自分で守り、お嬢様が救いたいと思う方は私が救う――そうして、お嬢様を戦いに明け暮れた日々から解放するのが、私の務めです」

「そうか。ホントあんたは飛鳥のことになると生き生きとしだすよな」

「当然です。私の全てですから」


「そうか」

「はい。お嬢様にはこれからの人生を、今まで以上に楽しんで欲しいのです」


 一瞬、間が空く。

 何かをためらうように、イザベルが胸元にあてた手を強く握る。


「……ですから千風さん。もしもお嬢様があなたを望み、あなたがそれに全力で応えるというのなら、私は何も言いません。……お嬢様の幸せが私のすべてですから」

「はは、生憎だがそれはねえよ。飛鳥の態度、見ただろ? あれは惚れたやつのすることじゃねえ。一時の気の迷いだ」


 突き放すようにそう言い放つ。

 だが事実、千風には飛鳥に好意を抱いていられるだけの余裕はない。

 ようやく手に入れることができた。ようやく救うことができた。守る者、守りたかった者を失い続けて十年――ようやくだ。


 いつ失うとも知れぬ恐怖に耐えながら、生きていかなければならない。

 一ヶ月に及ぶ昏睡状態、身体はかなり鈍くなっている。魔法も使えない。今の千風はいっぱいいっぱい。余裕がないのだ。


「あなたも意地の悪い方ですね。いつまでその態度を続けるのですか? お嬢様が好意を寄せているのは明白でしょう?」

「さあな、でもあんたはその方が嬉しいだろ?」


 どうやら飛鳥の気持ちにも、千風の態度にも気がついているみたいだ。

 理解している。千風だって鈍感なわけではない。けれど飛鳥の好意に応えられるだけの力を持ち合わせていない。その状況ではどうしても無責任に、うんとは頷けない。



 だから千風は演じるのだ。演じてきた――道化を今までも、これからも……。


「そうですね……安心しましたよ。あなたがそういう人で」


 帰りますと告げたイザベルを、千風は再び呼び止める。


「待てよ」

「何ですか? もう話は済んだ――」


 あからさまに不機嫌そうな態度だ。

 この短い間で、千風はイザベルの分かりにくい表情の変化に気づけるようになりつつある。嬉しいのか、嬉しくないのかは別として、それでも仲間の感情に気づけるようになったのいいことだ。


「戦いは――争いは嫌いか?」

「何を当然のことを……嫌いに決まっています。私がお嬢様を悲しませるようなものを、好むと思いますか? もちろんあなたのことも大嫌いです」

「はは、そりゃどうも……けど、それを聞けて安心したよ。悪かったな引き止めたりして」


 千風は別れを告げ、今度こそイザベルは病室から出ていった。


「そうだよな、誰だって争いは嫌だよな……。失うのだって、泣くのだってみんな嫌いなはずなのに。――やっぱ頑張らねえと」


 起こしていたベッドを倒す。身体を預けると心地の良い感触が千風を包んだ。

 右手を伸ばす。手のひらを見つめる。

 この手のひらは本当にたくさんの人々を救い、そして大切な人たちを失い続けてきた。


 けれど、それでも……。今回は上手くやれた。

 病室に残された千風は深く、肺の中の空気すべてを吐き出す勢いで深呼吸をする。


 日が傾きかけた黄昏時。道化はただ一人、夕日に沈む紅を見つめるのだった。


「ようやく、ここまで来たか」


 失って失って、失って……。失い続けた十年間。

 血のにじむような鍛錬だった。何度も死にかけた。死んだ方がましだと、どれだけ思ったことか。

 それでも諦めなかった。救えるはずだと信じた明日を夢見て――そしてようやく救うことができたのだ。


 ここから、始まるのだ。失って失って、失って……そのたびに前を向き歩み続けた少年の――




 取りこぼさないために守り続ける――非情の物語が。




 第一章 始まりと終わりの道化――fin.


これで一章は終わりになります!


長い間、お付き合いいただきありがとうございました!

どうかこれからもよろしくお願いします。

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