第28話 静かに笑う道化
千風がこぶしを重ねてくれたことが、そんなに嬉しかったのか、飛鳥は意気揚々としている。
そんな飛鳥を見ていると、
――やっぱ、こいつには笑顔が似合うな……。
などと、柄にもなく微笑ましい気持ちになってしまう。
と、そこで、病室の前に二つの気配が現れた。殺気がないことから、こちらに対する悪意がないことがわかる。
それ以前にこれほどまでに気配がだだ漏れであれば、暗殺者としては三流もいいところだが。
スライド式のドアがゆっくりと開いた。姿を表したのは、おなじみのクラスメイト――誠とイザベルだった。
「なんだ、なんだ? 妙に騒がしいと思ったら、いい感じになってるっぽいじゃん!」
茶色の紙袋を抱えた誠は、気持ち悪い笑みをたたえながら、二人のもとへ歩み寄る。
イザベルが、ものすごい勢いで睨んでいるのが視界に入るが、とりあえず無視しておく。
「うっせえ、気持ち悪い顔すんな」
「うわ、ひどっ!? 人が心配して見舞いに来たのに~」
へらへらと笑いながら、誠は他愛のない冗談に乗ってくる。そして、目ざとく千風の表情の変化に反応し、質問をしてきた。
「それで千風、何かいいことでもあったわけ?」
学園に入るまでは、不愛想だの、可愛くないだの、クソジジイやC.I.の職員に言われ続けてきた千風だが、まさか学園に潜入した途端、ここまで表情が柔らかくなるとは、想像もしていなかった。
思いのほか、彼にとって学園は――飛鳥がいて、誠がいる……そして生意気だけどイザベルや蓮水のいる環境というのは、心地のよいものなのかもしれない。
だが千風は知っている。心地よくなればなるほど、依存すればするほど……やがてそれは、諸刃の剣となって自らを切り裂くということを。
自分にとって、より密接な関係になってしまうがゆえに、失った時の――壊されてしまった時の心的外傷は、はかり知れないものになる。
家族を失い、友を奪われ――数々の師が殺された。そんな道を歩み続けてきた。
三人を目にすると、過去の自分が記憶として蘇る。今よりもずっと無邪気で、浅ましかった自分。なんの根拠もないのに、すべてを救えると信じて疑わなかった。
己には力も知識もないくせに、なぜだか全能感に満ちていた。だから失った、だからこそ天罰が下ったのだ。
誠たちとの関係はここで終わらせるべきなのだろう。失いたくないのなら、また悲しむのが嫌なのだとしたら、今すぐにでも。
だが、それが千風にはできない。頭では理解していても、身体が言うことを聞いてはくれなかった。
まるでヤマアラシのジレンマだ。失うのは怖いくせに、傷つくのが嫌なくせに……一緒にはいたい。正負の感情がせめぎあう。傲慢とも呼べる人としての欲望。ひどく浅ましく、醜い欲望。そんな自分に反吐が出る。
彼、彼女らの存在は千風の中で大きくなりつつある。だから、彼は弱い。一つに絞れないから、他のもの一切を切り捨てるだけの覚悟が、あまりにも足りていない。
仲間を作れば、強い関係性を持てば、それだけで己の中の強さという概念が瓦解していくのを感じる。それでも彼は――
「ああ、それがさあ、さっきこいつが何でもするとかなん――もごもがぁ?」
「う、うわあああ! 言うな、ばかぁ――!?」
飛鳥は慌てたように飛びのいて、すぐさま千風の口を押える。どうやら彼女の中で、先ほどの出来事は、相当な黒歴史のようである。
「お嬢様!? そんな下卑た人間の口を押えるとは……はしたない。ささ、離れてください。妊娠させられてしまいますよ?」
冗談で言っているのだろうが、イザベルの目は笑っていない。あれは本気の目だ。冷徹とも言える。後ろから刺し殺されそうな勢いを感じる。
彼女には愛想というものが欠片も感じられない。が、見てくれだけはいいので、その種の趣味嗜好を持ち合わせた人間がここにいたら、それはもう、喜んだことだろう。
しかし生憎だが、千風にそんな趣味はない。
いきなりのことだったとはいえ、まさか口を押えられるとは思いもしなかった。
「ひどい言い草だな? 泣きそうな顔で主を救ってくださいとお願いしてきたのは、どこのどいつだ?」
「……その件については感謝しております。ですが、あなたのお嬢様に向けるその邪で、いやらしい視線はひどく不愉快です。このロリコンッ!」
もう、何もかもが滅茶苦茶だった。
「いやいや、そんな目で見てねえよ……!? 主が主なら、あんたもあんたで相当、ぶっ飛んでるな」
あらぬ濡れ衣を着せられ、千風の目は死んだ魚のように濁り始めていた。
そんな彼に、横から誠のフォローが入る。
「その様子だと、だいぶ元気になったみたいだね。一時期はどうなるかと思ってたよ」
相当心配してくれていたのだろう。
「そうだな、お前が先生を呼んでくれたんだってな? 助かったよ。正直、危なかった」
「そんな……間接的にしか力になってやれなかった。本当なら、自分で千風のことを救えたら良かったんだけどね……」
力なく、たははと笑う。誠の背中は、どこか疲れているようにも見えた。
そういえばと、千風は話を変える。
「蓮水だったよな? お前が担いで一緒に離脱した――あいつはどうした?」
すべての事の始まり、元凶。そもそも、今回の発端は蓮水を救うことから始まったのだ。
結果としてみれば、全員生きているからいいにしろ、‟蓮水が死んでいた”では、まるで意味がない。ここにいないことから考えると、あまりよい知らせは聞けないような気もするが。
「あー、うん。氷室の方も順調に快復には向かっているみたい。あと一か月もすれば、退院できるみたいなことを言っていたよ」
言いにくそうに、誠はそう伝えた。
「そうか……」
千風は思案気に窓の外へと顔を向ける。
一ヶ月後。誠は確かにそう告げた。だが、これはどういうことだろうか? 一ヶ月後ということは、計二ヶ月の入院をすることになるわけだ。
だが、これには不可解な点が二つある。
一つ。それほどの入院期間があるということは、千風よりもひどい傷を負っていたことになる。だが、千風たちが災害迷宮内で蓮水を見たとき、彼には二ヶ月も治療が続くほどの外傷は、見当たらなかった。仮に内臓器系に深刻なダメージがあったとしても、現代の医療技術であれば、二ヶ月もかかるなんてことは、まずありえない。
裏返せば、一ヶ月で治らない病、あるいは傷であれば、助からないとさえ言われている。
――誠が元気がない理由はこれか……?
二つ。つまり、【神雷鬼】の力を使用し、死の淵から生還した千風ですら、あと数日もすれば退院できるのだ。二ヶ月というのは考えにくい。候補として挙げるなら、クラーケンと戦う以前の傷、あるいは呪い。もしくは何らかの形で力を得たがゆえの代償。
――だが、それは何だ? 憑依兵装にしては代償が大きすぎる。けど、他に力を得る方法なんて……。
千風には思い当たらなかった。瞳の力を使えば、できないわけではないが、あれは千風だけの特殊なものだ。修練に励んだからといって身につくものではない。
「なあ、蓮水は意識を取り戻していたのか?」
「いや、昏睡状態だけど医者によると、一か月後には目を覚ますみたい」
「なるほどね……」
ナニを使ったのかは定かではないにしろ、蓮水は何らかの契約で力を得たのだろう。そして、その代償が二ヶ月もの昏睡。そう考えると、辻褄が合わないこともない。若干、思考が飛躍しているようにも感じるが、大筋は間違ってはいないだろう。
何はともあれ、誰も死なず戻ってこれたようだ。
千風はゆっくりと安堵の息を吐いた。思えば、ここ数日はずっと緊張の連続だった。皆が無事かと、これから先どう動くべきかと、常に頭の中では一手一手考え続けてきた。
「千風、ほら食えよ!」
誠が、千風に向かってリンゴを放り投げた。
「っと……!」
「土産だ。食ったことないだろ?」
むかつくほどのイケメンスマイルで、誠は八重歯を見せた。冗談はクソほどつまらないが……。
こぶし大のリンゴを受け取り、しばらく眺めてみる。何の変哲もないただのリンゴだ。それ以上でもそれ以下でもない。
でも、赤くて、大きくて……齧ると甘いのだ。脳に糖分が行きわたる。ほのかに甘く、優しい香りが千風を包み込む。少しだけ、リラックスできたような気がした。
「ほら、あんまり騒がしくすると千風の身体に響く。帰るぞー?」
誠はそう言うと、飛鳥の首根っこを掴んで病室を出て行ってしまう。去り際に、また学園でなと小さく呟いていた。彼の動作は無駄に格好いい。
それが千風の中では、無性に腹が立つ。ただの醜い、逆恨みにすぎないが。だが、いい奴であることは知っている。
首根っこを掴まれたままの飛鳥は、退院したら決闘だから! と、リンゴをほおばりながら叫んでいた。
ドアが静かに閉まる。残されたのは千風と、イザベルだった。なぜか彼女は動かず、病室から出ていこうとはしない。
「どうした? あんたもさっさと帰れよ。用は済んだんだろ? それに俺と会話すると妊娠するらしいし……」
冗談交じりに言ってみたが、イザベルからの反応はまるでない。ただ茫然と立っているだけだ。若干、へこむ。
「あなたと少し――真面目な話をしようかと」
淡々と、まったく感情のない声音でイザベルは口を開いた。こいつはいつもこんな感じだ。飛鳥以外のこととなると、感情が一切感じられない。
「嫌だよ、あんたと二人なんて」
「どうしてあなたは、ボロボロ――いえ、死にかけながらも、お嬢様を救ったりしたのですか?」
こちらの要求など、完全無視で話し始めた。もはや、何を言っても無駄なのだろう。とりあえず、千風は話を聞いてみることにする。
「いや、救えと言ったのは、あんたの方だろう? 俺はそれに従っただけだが?」
別にイザベルから助けてと、お願いされたから救ったわけでもないが、話が無駄にこじれそうなので、そのまま進める。
「それはそうですが。普通は出会ったばかりの、見ず知らずの人間を、命を懸けてまで救おうとしますか? 私ならそんなことはしませんし、大多数の人間にとってはそれが普通でしょう。ですが、あなたは違った――あなたは普通の人間ではありません」
淡々と、そう思ったことを吐き出し続ける。
「どこかネジが飛んではいませんか? 狂っているとしか思えません」
流石にここまで言われて、黙っているわけにはいかなかった。
「何が言いたい? 別に結構なことじゃねえか? みんなが笑ってハッピーエンド。それのどこが悪い?」
千風の語気にはわずかにだが、苛立ちが含まれている。
「別に悪いとは思っていません。ただ、あなたは本当に――人間ですか?」
一瞬、イザベルの質問の意味が分からなかった。問われていることの真意がくみ取れなかった。
「それは、どういう意味だ?」
「そのままの意味です」
静かにそう告げる。
日が傾き、イザベルの影が大きさを増した。彼女の瞳に鋭さが宿る。
試されているのだろうか?
「私は現段階であなたを人間とは判断していません。あなたは人間とは別のナニカ、そう例えば――人型の異形。そのような生命体だと仮定すると、納得がいきます」
ホムンクルス。イザベルは確かにそう、口にした。その名は一般の魔法師を目指す学生が、知っていていい言葉じゃない。つまり、こいつは何かしらの組織に所属していることになる。
おそらく、緋澄重工の中でも深部まで関わっているのだろう。
人型の異形――ホムンクルスとは、魔法師の成れの果て。分不相応の魔導器を使い続けたがゆえに、人を襲うことになった存在のことだ。
ホムンクルスになった時点で、人としての記憶は失われる。恐怖や痛覚をまったく感じないことから、兵器として使われることになるだろう。そう、C.I.の所長――時枝玄翠が口にしていたのを、千風は思い出した。
「あなたをホムンクルスだと仮定するのなら、死に対する恐怖の欠如。感情の死滅した魚のように濁った瞳で世界を見ているのも――うなずけます」
さらっと、ひどいことを言われる千風。
「あんたは、俺をそういう風に見ていたのかよ……」
心外だと、言葉を吐き捨てる。それに対するイザベルは、なおも挑戦的だった。
「では、あなたは自らを人であると、証明できますか?」
少々面倒なことにはなったが、後々のことを考えるのであれば、ここでいらぬ疑いを解消しておくに越したことはない。
千風は戸棚の上から、果物ナイフを持ち出すと、左人差し指の腹に押しつけた。
「これで、文句ねえか?」
ゆっくりと果物ナイフを手前に引く。かすかな痛みと共に、血がぷくりと盛り上がる。赤い――人であることを証明する色だった。
それは正真正銘、人の証で――ホムンクルスの流す緑色のものとはかけ離れていた。
イザベルの瞳がより一層、細くなる。
「……それです。それこそ私が、あなたを恐れている一番の理由です」
イザベルはきっぱりと言い放った。まるで軽蔑するような眼差し。
まんまと誘導された。初めからこれが狙いだったのだろう。
「あなたが人間だと、言い張るのであれば、そこは躊躇うべきでしょう? なのに……あなたには、それがない。迷うことなく、自身を傷つけた」
「それは……」
「異常ですよ、あなたは。もはや、狂気さえ感じてしまう。その傷つくことに慣れすぎた今の状態が、あなたから人間味を奪っているように思えます」
反論の余地がない。イザベルの言っていることは、正しくて……千風は世間一般から見れば、異常なのだ。
「あなたは今、ホムンクルスでないことを証明しただけです。残念ですが、人間であるとは信用できません」
イザベルの手元に鈍色の暗器が現れる。おそらく隠していたのだろう。
「お嬢様は悲しむかもしれませんが、ここで終わりです」
その動きは、速い。迷宮内で見た彼女の実力とはかけ離れていた。おそらく、今のイザベルは飛鳥さえも凌ぐ。
――なるほど……これだけの従者が傍にいれば、緋澄の人間としては心置きなく飛鳥を学園に行かせられるわけだ。
イザベルの動きのすべてを千風は見通せる。
しかし、手負いの彼には防ぐ手立てがない。
だから、千風は笑って……。




