第25話 風、深淵に堕つ
佐藤の放った一言はこの場で切るには最適のカードといってよい。それでも千風は顔色一つ変えず涼し気に答えて見せた。
「で、それを俺に信じろと? 根拠はどこにある? 俺を動揺させる罠だという可能性は?」
「あはっ、随分と用心深いのね。でも残念ながらここに証拠はあるの」
ひらりと、時枝の署名の入った指令書をみせた。ムカつくまでの笑みでウインクを飛ばしてくる。
「それに、【十二神将】の素性を知るのはごく限られた一部の人間だけ。それだけだでも十分信用するに値する材料になるんじゃないかしら?」
【十二神将】の素性を知るものなどごく一部に限られている。その情報を得ようとするならば当然、それ相応の力がいる。
それを知っているというのだから、佐藤C.Iの上層部であることには間違いないだろう。
確かにこれだけの条件が揃ってしまえば千風も認めざるを得ない。
全力で顔をしかめながらも、千風は小さくうなずいた。
「それで、結局今回の任務は何なんだよ? 俺はあのクソジジイに何一つ聞かされないまま学園に放り出された。それ相応の内容でないかぎり俺は従わないぞ?」
「まああの方はいつも適当だから……おかげで私も牧野の苦労話はよく聞かされてたわ」
「おいあんた今なんて言った? 牧野さんの知り合いかよ……」
さらっと出たひと言に千風は戦慄した。
牧野と言えば千風が慕う時枝の秘書だ。その実力も折り紙つきで【十二神将】と比べてもなんら遜色がない。
「牧野は元気にしているかしら? 最近はなかなか会う機会がなくて……」
「ああ、しっかりとクソジジイの秘書を務めている。目は死んでたけどな。てか、あの人嫌いの牧野さんの知り合いってことは当然あんたもそのレベルってことだよな?」
クソジジイの秘書を呼び捨てにできる人間などそう何人もいるものではない。
千風は佐藤が先ほどこぼした一言を鮮明に覚えていた。どこかで見ていたのか、佐藤はクラーケンを――おそらくレベル14相当のカラミティアをあの程度と平然と言ってのけた。それはつまり、佐藤にとって神獣型一歩手前の幻獣型がとるに足らない存在であることの証左だ。
千風も何度か幻獣型とは対峙したことがある。それでも、あの程度と言うには些かなりとも己の実力不足を拭えずにいた。
それを簡単に言ってしまうのだから、佐藤も相当な実力者だろう。
C.Iの中だけでも上には上がいる。
千風の目標を達成するためにはまだまだ越えなければならない壁がいくつもあるのだ。それを彼は改めて実感させられた。
「まあ、昔の話よ。今の私に現役で最前線を駆け抜ける牧野ほどの力は残っていないわ」
どこまで本当か定かではないが、佐藤は否定はしなかった。
「話を戻しましょうか? どこまで話したかしら――そうそう、私がC.Iの人間だってところまでだったわね」
「ああ」
千風が小さくうなずくと、それに佐藤は続けるように話し始めた。
「大総統閣下、時枝玄翠様からの我々への指令はただ一つ。名桜学園生徒会長――鏡峰紫水の監視よ」
ドクン。
名前を聞いた途端、心臓が大きく跳ね上がる。まるで数多の戦場を駆け抜けた旧友と再会をはたしたような不思議な高揚感が千風を包み込む。
その名に心当たリはないはずなのに、なぜかソイツのことを理解できた。
「鏡峰紫水……あいつか?」
生徒会長の名を反芻する千風の脳裏にある記憶が呼び起こされた。
それは以前、学園の門をくぐった際にバカでかい噴水広場の前で出会った少年の存在だ。切れ長の琥珀色の瞳に、視線を合わせただけで人を射殺しそうな覇気を纏った身のこなし。特徴的な銀白色の髪。長身痩躯を純白のローブで纏った男。
あの男は近い将来間違いなく人の上に立つ存在だろう。
「どうやらあなたにも心当たりがあるようね。鏡峰紫水の実力はまず間違いなく【十二神将】レベル。おまけに彼は何か企んでるみたい――彼には国家転覆の容疑がかけられているわ」
国家転覆。可能かどうかはこの際おいて置くにしても、それを実行に移す奴が存在することに千風は驚きを隠せなかった。
確かに鏡峰は強いのかもしれない。実際対峙した千風だから分かるが、あれは下手をすれば自分でさえ危うい敵だ。
だからといって鏡峰に国家転覆が成せるとは微塵も思わなかった。
千風より強い人間がいくらでもいるように、鏡峰より強い人間だって山のようにいる。それは【十二神将】であったり、クソジジイだったり……。いくら個人が強くてもその力には限界がある。この世界はそういう風にできているのだから。
出る杭は打たれる。その言葉が示すように、悲しいまでに世界は容赦なく個人を壊すようにできている。誰かが頑張れば、ほかの誰かがそれを阻む。そうやってできてきたのが歴史であり、世界なのだ。
それに抗うにはそれらすべてを覆し、ねじ伏せるだけの力がいる。その象徴が【神将の帝】であり、千風が救ってやりたいと思う存在だった。
「にしても、国家転覆ね……」
千風が顎をなぞりながら思慮にふけっていると、佐藤から思わぬ発言がこぼれた。
「あ、そうそう! ここ何週間か療養中の大和くんいるじゃない? 彼を病院送りにしたのも鏡峰紫水の仕業って噂、あなたは聞いたことがあったかしら?」
「――っ!? ……いや、知らなかった。初耳だ」
大和というのはとある【十二神将】の本名だ。
千風にとっては特別な思い入れのある人間。千風が学園を訪れる以前に大和が入院していると聞いた時には、彼に何があったかと問い詰めたが、大和から答えが返ってくることはなかった。
「大和が……今回の件に関わっていた!? それは、あのクソジジイが言っていたのか?」
「まあーそうなるわね。あの方のことだから、あなたには伏せていたのだろうけど……」
あちゃ~、言っちゃまずかったかなとまったく悪びれた素振りも見せず、佐藤は自らの頭を小突いた。
そのしぐさは女の子がやれば可愛いのだろうが、残念なことに佐藤はどう若く見ても20代前半が関の山だ。千風の胸中にときめきなど起きるわけもなく、より一層殺意が湧いた。
というかむしろ、佐藤がそうなるように仕向けているとしか千風には思えなかった。先ほどからの言動と言い、佐藤は千風を困らせようとしているようにしか感じられなかった。大和の話もそうだ。おそらく千風の動揺する姿を見て楽しんでいるだけなのだろう。
「一つ訊こう。急に俺に接近してきたのはなぜだ? 俺がジジイからもらった指令書にはこちらからコンタクトを取るまでは不干渉と書いてあったが……?」
なんの足がかりもなく協力者を探し出せというのもおかしな話だが、基本的に指令書の内容は絶対だ。それが破られたとなると、考えられるのはおそらく――
「状況が変わったのよ、あなたがどんな指令を受けたのかは分からないけれど、私の方には上手く立ち回れと書かれていた。で、予想より早く状況が変わってしまった。本来なら機を窺い、ゆっくりと事を進めるはずだったのだけれど……そうもいかなくなった」
つまりは、こちら側がしっかりと準備を整えてうえで鏡峰の監視につくことが難しくなったわけだ。
「そこに都合よく、カラミティアの発現が確認された。もっとも、想定のレベルとはかけ離れていたみたいだけれど、ね?」
その点も千風は強く疑問に思っていた。気象庁が10ほど差があるレベルを誤認するとは到底思えなかった。だが、もう過ぎたことだし、今は直接任務には関わってこないだろう。この件については後々調べておけばよい。
「大体の状況は把握した。それで? 一体俺は何をすればいい? 両腕を失って今やただの人間以下に成り下がった俺をあんたはどう使いたい? 少々癪ではあるが今回ばかりはあんたに使われてやるよ」
皮肉気に鼻で笑う。変な薬を飲まされ会話ができるほどには回復したが、相変わらず神経はズタボロのままだ。このままでは魔法はおろか身体だって満足に動かせないだろう。
「それは、また追々話すとしましょう。他の連中に聞かれたくないことは大体話せたし。正直、今のあなたは使い物にならないわ。帰って療養に励みなさい。別に今すぐにでも、というわけでもないのよ。少なくとも一か月の猶予はある……その間にできる限りの準備は整えるつもり。今回あなたに接触したのはそれを伝えるためよ? ――ホントこういう時に【切り離された残片世界】は役に立つわね」
レムナント――現実世界の裏にある、もう一つの世界。
カラミティアが住まう数多の災害迷宮の集う世界。特殊な電磁波が飛び交うその空間ではあらゆる通信機器が意味をなさない。
佐藤はそれを逆手に取ったのだ。そのためだけにやってきた。
現実世界は常に人間同士の争いで溢れかえっている。
人と人、企業と企業、国と国。あらゆる欲望が渦巻く腐った世界で、今の話を盗聴されればそれこそ世界を巻き込む大戦争に発展しかねない。
そんなバカげたことを一体だれが望む?
99パーセントの人間が関わりたくないと思うはずだ。
だが、それでもやる気に満ち溢れた残りの連中がそれを始めてしまう。そして悲しいことに、その被害を受けるのはやる気のない側の人間なのだ。
やる気のある奴はなぜか死ななくて、やる気のない――戦いを望まない人間からばたばたと死んでいく。
あまりにも理不尽で、腐った瘴気に満ち溢れている。
きっと世界は初めからそういう風にできているのだろう。
――1パーセントの人間だけが生き残れる世界。
虫唾が走る。反吐が出る。
不条理の汚泥にまみれたどうしようもない世界。
そんな世界を千風は望まない。クソジジイはそんな世界を変えようとしている。そして、目の前の女もどうやら千風と同じらしい。
だから、千風との接触を【切り離された残片世界】でとったのだ。そしてこれは千風に対する警告でもある。
不用意に私に近づくなと、現実世界で盗聴されようものならすぐにでも世界は戦争を始めるぞという脅し。
「もう他に質問はない? あまり長居すると近くの迷宮に取り込まれるから早く帰りたいのだけれど……」
「ああ、そうだな。さすがにそれは俺も困る」
千風としてもこの状況での連戦は御免だった。
「そう、なら気絶しなさい。助けに来たのにあなたが無事だと不自然でしょ?」
「はあ――っぐ?」
トンッ。と、腹部に小さなナニカが優しく触れた。どうやらそれは、佐藤の肩が千風の胸に触れる形で接触したみたいで……。
佐藤がゆっくりと引き下がったことで視界にようやくその光景が焼きついた。
じわり。
腹部を中心に赤い波紋が千風の中からゆったりと広がり始めた。
次第に泉のように湧き上がり、蛇口をひねったように口の端からも吹きこぼれた。
「かはっ! おま、シャレになんねーぞ?」
傷口を左手で押さえ、もう片方の腕で掴みかかろうとしたところで遅まきながら消し飛んでいたことに気づく。
心の底から楽しそうに笑う佐藤の両手には、本当に小さな――しかし、人を殺すには十分な短剣が握られていた。
ぬらり、てらりと妖しく反射する血染めの手をゆっくり振りながら、
「あはは~ホント、男の子の苦痛に歪められた表情は最高ね! ゾクゾクしちゃう! それじゃあ、また一ヶ月後かしらね? それまでしばしのお別れ――」
そこまで聞いたところで、千風の意識は深い深い、底のない深淵へと誘われた。




