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一騎当千の災害殺し  作者: 紅十字
第一章 始まりと終わりの道化
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第21話 誠なりの答え

 脱出に成功した誠、氷室、イザベルの三人。


「戻ってこれ……た、のか?」


 手のひらを見つめる。視界が頭痛を伴いながら、霞んでいく。離脱用魔導器を使用した際の軽い後遺症だ。時差ぼけに若干強い痛みが加わったようなものだ。耐えきれないようなものではない。

 景色がガラリと変わる。粘着質の緑色物体が付着したような視界の最悪な状況から解放され、誠たち三人は現実世界への帰還を果たした。


 彼らの前に立ちはだかった幻獣型のカラミティア――クラーケン。その力は驚異的なものだった。生きて帰ってこられたのが、今でも不思議なくらいだ。

 バクバクと誠の鼓動がドラムのように鳴り続ける。奇跡的に無傷で帰ってこられた彼は辺りの状況を確認し始めた。

 彼らがいるのは真夜中のビルの麓。月明かりに照らされた彼らを肌寒さを残す風がゆるやかに過ぎ去った。


 近くに横たわるのは腹部の裂傷が激しい氷室。誠たちが救出に向かう前に化け物に襲われたのだろう。アスファルトに浸透していく鮮血がその凄惨さを物語っていた。気絶させたのが功を奏したのか、呼吸は浅いものの彼の表情に(かげ)りはなく、一命をとりとめることに成功した。


 あのまま、暴れていたら氷室はいまごろ傷口が開いて大変なことになっていたかもしれない。

 千風の判断は正しかったのだ。


 胸の奥を妙な突っかかりが襲った。なにかが腑に落ちない。大切なものを忘れてしまったような焦りにも似た違和感……。背中に押し寄せる圧迫感。それがどんどんと近づいてきて、誠は額に脂汗を浮かべた。


 ――千風?


「――ッ!」


 思い出したように振り返る。まだ何も解決などしていなかった。肝心の千風が帰ってきていない。それに飛鳥も……。

 誠が見た飛鳥の最後は最悪だった。あの状況で、加えてイザベルがすでに帰ってきていることを考えると……おそらく飛鳥は――。


 最低な考えが誠の脳裏をよぎる。考えるべきではない。人の死など。

 頭を全力で振り、自らの愚かさを否定した。


 (馬鹿野郎っ! あの飛鳥だぞ!? 簡単に死んだりするもんか! きっとまだ千風と一緒に戦ってるに違いない。二人とも無事に決まってる)


 誠は心を落ち着かせる。胸から腹あたりまで撫でおろし、深呼吸をした。彼は自らの思考を否定した。まるで幼子が嫌なものから目を背けようと現実から逃れるように。

 信じたくはない。信じるべきではない。


「俺がいまやるべきことは――」


 汗と泥にまみれ汚くなった茶髪をかきあげ、自分のなすべきことを全うしようと心に決めた。

 まずは、今にも死にそうになっている氷室の大馬鹿野郎を病院に運ぶことからだ。話はそれからだ。そのころには二人とも無事帰ってきていると。そう、願い――


「イザベル悪い! 俺はここを少し離れる。氷室の馬鹿を病院に連れて行かないと……飛鳥たちが帰ってきたらそう伝えといてくれっ!」


 そう言って血まみれの氷室を担いだ時だった。


「どうやらそのつもりはないようですよ?」


 ふふふ、とイザベルが妖艶な笑みを浮かべる。彼女の視線の先に、空間の裂け目が生じた。

 それは誠やイザベルが帰ってきたときと同じもので……つまり飛鳥と千風、ふたりの帰りを証明するものだった。


「ぷはっ!」


 息が詰まった空間から解放されたためか、呼吸を急ぐように飛鳥がかすかに喘いだ。

 彼女はろくに受け身も取らずに地面へと放り投げられた。

 いたっ! と声をあげ、涙目になりながらお尻をさする飛鳥を見ているとなんだか微笑ましい気分に誠は包まれた。


 自然と笑みがこぼれ、彼女のもとへと足早に駆ける。


 (そりゃそうだ。あの飛鳥だぞ? 飛鳥がいて千風を連れて帰ってこれないわけがない。心配する必要なんてなかった……)


「やっと帰ってきたか、二人とも! まったく心配させるなよなー」


 が、そこで誠はようやくことの異変に気がついた。

 たった一歩、その一歩がなぜだか踏み出せなかった。

 彼の歩みを、見えない大きな壁が阻んだ。


 もう一人いるはずの、いなければならない人間がそこにはいなかった。ほんの数瞬前まで笑いながら別れを告げていた男――千風の姿はどこにも見当たらなかった。


 余裕をかましていたあいつは誠の前に現れることはなかった。

 待てど暮らせど千風は現れない。


「えっ――?」


 誠の瞳が揺れる。動揺を隠しきれない。思考がまとまらずその場に立ち尽くす。

 意味が分からなかった。飛鳥は目の前にいる。傷だらけで、血にまみれてはいるものの、生きてこちら側へとしっかり帰ってきた。だが千風は? 彼の姿だけが欠けたパズルの一ピースのようにこの場にはなかった。


 震える声を絞りだし、かすれたながらも誠は飛鳥を問いただした。


「ねえ……飛鳥、千風は? 千風の姿が見えないんだけど――?」

「……」

「飛鳥――?」



「……」


 聞こえてないということはないだろう。依然として沈黙を続ける彼女の無言の言葉だけが千風の状況を痛いほどに物語っていた。


「お嬢様……」


 飛鳥の魔導器が破壊されたことを知っているイザベルだからこそ、彼女はすべてを理解してしまった。複雑な心境だった。何ともいえない虚無感に襲われる。千風はイザベルとの約束どおり、自分の役割を最後までまっとうして飛鳥を現実世界へと送り届けたのだ。

 震える飛鳥の肩をイザベルは優しく抱きすくめた。そうしないと今にも消え入りそうなほど飛鳥は心も体も衰弱しきっていた。

 虚ろな瞳で虚空を見つめる飛鳥の頬をひとしずくの涙が伝った。それからは一瞬だ。こらえきれなくなったのだろう、今までためてきたものを全部ぶちまけるように飛鳥はわんわんと泣き出してしまった。


 それが、誠に対する飛鳥の答えだった。ここに戻ってこれたのは自分だけだと、千風を【切り離された残片世界(レムナント)】に置いてきたと……飛鳥の涙がすべてを物語っていた。


「くっ――! なんでそんなことになった!? 飛鳥が一緒にいたんだろ? お前なら幻獣型のカラミティアにだって今まで勝ってきたじゃないか!?」


 こらえきれなかった。とてもじゃないが自分の感情を抑制することなど誠には不可能だった。どんな状況であれ、女の子に手をだすことは許されない。見苦しいと思う。ひどく醜悪な顔をしているだろう。それでも理屈じゃない、彼の人間らしい部分が友の死を認められなかった。


 現実を見ようとはしなかった。駄々をこねる赤子のように飛鳥やイザベルに怒鳴り散らす。


「ふざけるなよ――っ! なんでそんなことになるんだよ! なあ、冗談だろ? 答えろよ飛鳥ッ!」


 飛鳥の胸倉に掴みかかる。人形のように軽い彼女はそれだけで軽々と浮いてしまい――


「いい加減にしてください! 何を考えているんですかあなたは!?」


 掴みかかる誠の手をイザベルが払いのける。我に返った誠は押し黙り……。


「ごめん、冷静じゃなかった……」


 ただ否定してほしかったのだ。飛鳥とイザベルには、すぐにでも否定してほしかった。己が脳裏をよぎった友の死という最悪の三文字を。否定を求めたがゆえの反動だった。

 しかし、彼が求めた答えはついには得られなかった。それは目の前の状況を目の当たりにしてしまえば否応なしに。夢さえ、理想さえ現実というものは見せてくれる気がないらしい。

 改めて実感した。自分たちが生きている世界とは初めからそういう場所だったと。理不尽であふれかえった、どうしようもなく腐りきった救いようのない……。現実はこうも残酷で、あまりにも理想とかけ離れていた。


 誠の求めた答えは得られない。それどころか、彼に反旗の刃を突き立てたのだ。


 全身が脱力するのが分かる。さながら、糸につるされた人形のようだ。魂の抜け落ち、こと切れた少年は、絶望を張りつけたままその場にくずおれた。

 何もかもがどうでもよくなる。生きる意味だとか、戦う理由だとか、それらすべてがくだらなく思えてくるほどこの世界に興味がなくなってしまう。


 なぜ戦うのだろうか? なぜ生きているのだろうか? 友を見殺し、女の子を泣かせ、その先に得た自らの生に一体どれだけの価値があるというのだろう?


 くだらない、分からない。何が正しくて、何がいけないのか?

 理由など初めからないのかもしれない。

 それでも、誠は存在しない答えを求めた。渇望した。喉をかきむしるほどに。


 だが、数多の犠牲の上に成り立つ誠のもとにその答えは降り注がない。神は決して弱者に甘くないのだろう。


 重い。あまりにも重い。弱者に科せられる罪としてはひどすぎるのではないか? なぜ自分だけがこんなにも苦しまなくてはいけないのだろう? 別に悪いことをしたわけでもない。ただ弱いから、純粋に力が足りないから、ここまで苦しめられるのだろうか? 


 誠の胸の内を怨嗟にも似たどす黒い感情が這いずり回る。

 真っ黒な悪感情。すべての色を塗りつぶしてしまいかねない。嗚咽の漏れる口の端はなぜだが異常に吊り上がり、彼の意志に反してケタケタと嗤い始めた。


「……千風、キミは初めから死ぬつもりだったのか?」


 彼の脳内に千風と交わした会話がよみがえる。


『そうか……期待してるよ』千風は確かにそう言った。だがその時の彼の表情は?


 笑っているような、泣いているような……今思えば、とてつもなく複雑な表情をしていたように思える。

 千風が言った言葉は、その言動とは裏腹にまったく期待などしていなかったのではないだろうか?

 誠はそこまで考えて、はっとした。


 (最初から千風には離脱する意思がなかった? でもそれはなぜだ……まさか、死ぬつもりで残ったとでもいうのか!? あり得ない。自殺志願者にしてはあまりにも(たち)が悪すぎる!)


 そうだ、そんなことはまず考えられない。


 (なら、別の意図があって災害迷宮にとどまったと考えるべきか?)


 いつしか誠は千風が生きている可能性について考え始めていた。精神的に大きな傷を負った誠はありもしない千風の幻影を追い始めたのだ。


 (千風が残ることで得られるメリットとはなんだ? それは死ぬ可能性を天秤にかけてまででも得たいものなのか? だとしたら千風は一体……?)


「……ま、誠?」


 地面に額をこすりつけたまま動かなくなってしまった誠を訝しみ、飛鳥が恐る恐る声をかけた。

 その声はわずかにだが震えていた。それもそのはず、飛鳥は誠のあんな取り乱した姿を見たのは初めてだった。

 いつもクールで、それでいて仲間思いの彼はクラスメイトからも慕われていた。そんな誠があんな風に取り乱したのだ。


 正直言って怖かった。あんなに目を血眼になって睨みつけられたら恐怖の一つだって植えつけられてしまうだろう。彼はそれだけ必死だったのだ。千風を失ってしまって取り乱すのも無理はない。


 (千風が弱い、まずこの認識は改めるべきだ。少なくとも俺よりは遥かに強かった。それはあの化け物(クラーケン)と対峙したときに思い知らされた。だが、その強さまでは計れなかった。飛鳥と同程度なのか、はたまたそれを遥か上に行くのか……どちらにせよ、現状それを知る術はない。けど、もし仮に飛鳥を凌ぐほどの実力を千風が備えているとしたら――)


 誠は不安定な精神状態の中、目まぐるしく思考を加速させる。が、うまく脳が働かない。千風の意図が全く読み取れなかった。


「キミは一体何を考えているんだ? キミの考えが知りたい」


 悔しそうに拳を握る誠の脳裏に再びある記憶が舞い戻った。

 それは千風の奇妙な言動と不可解な行動をたどってようやく見えてくるものだった。思い返せば彼にはおかしな点がいくつもあった。


 (そう、例えば……千風は俺たちに気づかれることなくマジックトラップを完成させていた。俺やイザベルはともかく、人一倍トラップの類には敏感な飛鳥にも感知させなかった。どういった理屈だ? そんなことが可能なのだろうか? そんな化け物じみた人間、名桜の一年にはいやしない。それこそ生徒会クラスの人間でもない限り……)


 だが、千風が生徒会に並ぶ実力を持つかと問われれば、誠は首を傾げずにはいられない。そこまで彼が強いとは断定できなかった。それでももし千風が生徒会と同じ強さを隠し持っていたとするならば――


「――っ!? まさか、千風は本当に生きているのか……?」


 背筋に電流が走った。暗闇に霞んだ影をわずかだが捉えられたように感じた。

 ふらりと立ち上がる。その姿はまるで幽鬼そのもので……ただならぬ気配を感じ取ったのか、飛鳥がびくりと腰を抜かしたまま後ずさった。


「なあ……飛鳥、もし仮にだ。もし仮に千風が生きているとしたらどうする?」


 その言葉に彼女は分かりやすく反応する。

 それは地獄に垂らされた一筋の蜘蛛の糸だ。深淵から地上を見上げる彼らに与えられたわずかながらの光明。

 藁にも縋る思いで導き出した誠の答え。それに満面の笑みを浮かべ飛びついてきたのは飛鳥も同じだった。


 ビルの連なる真夜中の東京。吹きすさぶ風は彼らの心さえもかっさらおうと東京の街を疾走していく。

 闇夜に紛れ自我を失いかけた少年少女たちは、突如舞い降りた希望に――再び前を向いて歩み始めた。


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