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一騎当千の災害殺し  作者: 紅十字
第一章 始まりと終わりの道化
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第18話 笑顔の飛鳥

 そいつは……僕の目の前に現れた如月千風という人間は尋常じゃなく強かった。もはや比べる次元が一つ違うのではないかと、そう無理矢理にでも認めさせられてしまうくらいには強かった。


 特徴的な身体つきではなく、いたって普通の人と変わりはしない平々凡々な少年。若干艶がかった黒髪に、右目の下に泣きぼくろのあるだけの特徴がないそいつは、笑いながらアビスを相手にしていた。


 如月千風が魔法を唱える。


「《紫電の雷光、貫け! 穿て! 刺し貫け! ――紫穿光(ライトニング)》!」

「――ッ!」


 短節詠唱!? それも相当高度なカスタマイズを施した独自オリジナルの魔法……。


 なんて奴だ。この歳で独自の詠唱句(コード)による短節詠唱だと? そんなことが可能なのか? 聞いたこともないぞ!?


 僕は半ば興奮気味に目の前の男を見据えた。

 少なくとも僕にはできない。せめて詠唱句(コード)を弄るだけか、短節詠唱のみか。どちらにせよ二つに一つだけ。同時進行なんてとてもじゃないけど脳の処理が追いつかない。


 魔法は決して便利な技術ではない。より効率よく、より高エネルギーで出力する場合にはそれだけ脳への負担が大きくなる。

 神経に負荷をかけ、その上さらに脳にまで負荷をかけようというのだ、正気の沙汰とは思えなかった。


 それでも彼は顔色ひとつ変えずに笑いながら言った。


「はっ、道化だよなぁ、おい? 自分より格下だと思ってた奴に蹴り飛ばされて……でもってそいつに助けられる今の気持ちはどうよ?」

「ふん、君に助けを求めた覚えはない」

「そうかよ。じゃあとっとと尻尾巻いて逃げろ。すぐにでも誠がくる。そうしたら、奴と一緒に脱出しろよな?」


 当たり散らすように怒鳴る。

 そして遅れて、見知った顔の男がやってきた。


「はあ、はあ、氷室無事か?」


 名前で呼ばれるほど、親しい間がらでもないはずなのだが、辻ヶ谷は息を切らしながら僕に近づいてきて、手を差し伸べてきた。


 手を取れと、んでもって一緒に脱出しよう、と目で訴えかけてきた。

 だが、そんなことは無理だ。このまま、手ぶらで帰ることなんて許されない。


 強くなるためには、当然だがより強い魔導機を手に入れる必要がある。そのためにはより強いカラミティアを殺す必要があった。

 具体的にはアビス以上のカラミティアだ。奴らの作り出す魔導機を手に入れることができたのなら、それは僕にとって大きな飛躍となる。


 手ぶらで帰ってたまるか! こんなチャンス滅多に訪れることじゃない!


 辻ヶ谷の腕を払いのけ、僕は自分一人の力で立ち上がる。


「ち、力だ。すべてを凌駕する力がいる」

「いい加減にしろッ! バカなマネしてる暇はない! 今だって千風や飛鳥、イザベルが時間を稼ぐために戦ってる。みんな傷ついてる。お前のワガママでみんなを危険な目に合わせるなよ!?」


 辻ヶ谷がなんだか偉そうに叫んでいるのが耳の片隅に届き、すぐに虚空へと霧散していった。

 そんなこと僕の知ったことではない。

 僕は誰かに助けを求めた覚えもなければ、助けられる理由だってないはずだ。


「あ、あー」


 かすれた声が喉の奥で鳴る。呼吸がひどく浅かった。

 蹴られたことによる反動か思考が上手くまとまらない。

 それに腹部にも裂傷があったっけ? 感覚がなくて忘れてたや……。


 身体が重い、ダルい。なぜだか全身に鉛をくくりつけられたように重かった。


「誠……」


 このままでは全然進まないではないか。僕はもどかしさを覚えながらも無理やり床から足を引き剥がすようにして全身を試みた。


 そんな時だった。背後に気配を感じたのは。


「分かってる」


 まるで示し合わせたように二人の思考がリンクしたみたいだ。

 辻ヶ谷が僕のすぐ背後に現れ、がっしりと肩を掴んで僕の動きを封じ込めた。


「悪いけど少しの間、大人しくしててくれないか?」

「ぐあっ……!」


 だんだんと視界が狭まっていく、手刀を叩き込まれたのか上手く脳が回らない

 そしてついには視界が完全に暗転してしまった。


 ***


 千風の指示で誠が蓮水に手刀を叩きこむ。

 示し合わせたように、まるでお互いがお互いの意識を同調させたように、まったく時間差を感じさせなかった。


 錯乱した状態だった蓮水はしだいに目の焦点を揺れさせ、完璧な眠りについた。

 千風は小さくうなずく。


「早く行けよ――」


 わかってる。誠も同じようにうなずくだけで何も言わなかった。

 信用しているのだ。友達を、命をともにする戦友を。

 千風は死なない。どういった理屈でカラミティアの攻撃を防いだのかはわからないが、それでも彼が自分より強いことだけはわかった。


 だから、何も言わなかった。無粋な真似はしない。千風の邪魔をして彼を危険に陥れるような真似は誠にはできない。


「お前も早くな? 千風――」


 小さく、極々小さく千風にも誰の耳にも届かないわずかに空気を振動させるだけの声量でささやいた。

 誠が、魔法師なら誰もが持っている初期インストールされた脱出用の魔導機を起動させる。


 災害迷宮、ないし切り離された残片世界(レムナント)を脱出するための手段は災害研究機関から支給される魔導機を通してのみである。

 それ以外の方法は今のところ確立されていない。


 つまり、その魔導機が何らかの原因で不調をきたしたり、破壊されてしまえば、それだけですべてが終わる。二度と現実世界に戻ることはできなくなってしまう。


 そういう理由もあって、カラミティアを討伐する際には個人ではなく、チームを組んで挑むことが推奨されていた。カラミティアを討伐するのが困難であるためチームを組むというのももちろんあるが、それよりむしろ、脱出手段の確保の方が大きな理由だろう。


 最低でも二人以上での攻略が望ましかった。脱出用の魔法はその性質上、二人までに影響を与えることができる。

 二人までなら、一緒に脱出ができるのだ。


 誠が気絶した蓮水をおぶさり、魔導機を起動させ脱出を試みる。

 それに反応して、クラーケンは誠たちに目を向けた。


「させませんよ!」


 イザベルが魔法を唱え、クラーケンの視界を覆う。


「飛鳥――っ!! 逃げろ!」


 誠が届かないと知りながらも、手を限りなく伸ばす。

 助けたかった。目の前で仲間を失うのがひどく怖かった。

 けれど、それは叶うことなく――


 滞りなく詠唱が終わり、彼らの身体が粒子状に分解されやがて光となってこの世界から消失した。


 ***


 誠が叫んだ刹那、飛鳥の背後で閃光が散った。紅い、死の閃光が彼女へと迫る。

 振り返り、回避を試みようとする飛鳥をあざ笑うようにその閃光は彼女の周りを取り囲んだ。


 退路を断たれた。それでも、


「私はこんなところで――」


 退路がなければぶち壊して作ればいい。

 破壊を創造するため魔法を唱えようと試みるが、先ほどえぐられた太ももに激痛が走り、それが叶わない。


「馬鹿野郎がっ! 《白陽蟲(はくようちゅう)、あらゆる光輝を喰らい、星蟲(せいちゅう)と成れ――蠍星(スコルピオ)!!!」


 千風は詠唱途中の魔法をキャンセルし、とっさに彼女を守る魔法を展開した。

 それにより、彼のβ神経が崩壊する。


 唖然としたままの飛鳥。


「はあ、はあ……おい緋澄ッ! ボサッとすんな! 本当に死ぬぞ!? 死にてーのか!」

「……」


 何を思ったのか飛鳥はいきなり右腕を前に突き出した。


「二人とも逃げて――ッ! 《咎人たる聖者の礎、その不条理たらしめる天秤の下、凱歌の焔を築き給え――華粒炎(グランドフレア)》!!」


 飛鳥の最大火力の魔法が空気を食い尽くした。

 クラーケンを丸ごと呑み込みその巨体を覆う。


「はあ、はぁ……やっ、たの?」


 …………。


 ………………。


 場を沈黙が支配し、彼女は息も絶え絶えにその様子をうかがい始めた。


 …………。


 が次の瞬間、クラーケンは何事もなかったかのように姿を見せた。

 その体躯には傷一つ、焦げ跡一つさえついてはいなかった。

 飛鳥の表情が絶望に翳る。パタリと足が止まってしまい、わなわなと肩を震わせる彼女の口元を血が流れていた。


「諦めてんじゃねえ!! ここで死ぬことがお前のすることかよ!? 違うだろうが!」


 千風は諦めるやつが大嫌いだった。たった一度の挫折や失敗で人生の何が測れる?

 一度失敗したらそれで終わりなのか? 断じてそんなことはない。死なない限り何度だって立ち上がることはできる。それをするかしないか、諦めて前へ進むのを辞めてしまうのか?


 くだらないことで悩んでる暇があったら、今全力で逃げろよ! と言ってやりたかった。そのあほずらをぶん殴って目を覚ましてやりたかった。

 諦めるのだけはダメだ。死んでから諦めろと、それまでは死んでも諦めるなと。


「勝手に諦めてんじゃねえ! お前だけが辛いと思うなよ? 自惚れるのも大概にしろ!」


 千風は飛鳥とイザベルに号令をかける。


「緋澄ッ、イザベル――ッ! 離脱だ! 目的は果たした。ここに用はねえ!」


 声を張り上げる。迷宮内全フロアに響かさんばかりに。

 いち早く千風が魔導機を起動させる。


 カラミティアは自分の根城を荒らす奴を許さない。無断で入ってきて、そのまま逃げようとする人間を追う習性がある。

 それを彼は利用し、彼女らに危害が及ばないようにしたのだ。少しでも彼女らの生存率を高めるために……。


 ――さあ、かかってこいよ! クソイカ野郎ッ!


 挑発するような笑みを浮かべて。


「な――っ!?」


 目の前で驚愕する光景が起こった。

 クラーケンはこちらにまるで興味を示さない。


 ――なぜだ? なぜこちらに興味を示さない!?


 こんなことは初めてだった。

 もちろん何度か幻獣型を狩ったことがある。だが、こんな光景に遭遇することなど初めてだった。

 バケモノはなぜだか飛鳥に引き寄せられていた。


「うそ、何で!」


 パニックになった飛鳥は急いで離脱の詠唱を試みる。

 が、彼女の魔法が発動することはなかった。


 パキッ。


 この場においてもっとも鳴ってはいけない音が飛鳥の耳元で鳴った。

 彼女の右耳についていたイヤリング型の魔導機がクラーケンにやって破壊されてしまう。


 イヤリングの破片がその存在を粒子へと変え、静かに虚空へと消え去った。

 今、この瞬間、彼女は現実世界へと帰る手段を失ったのだ。


「お嬢様ッ――ッ!」


 イザベルの顔が悲痛に歪む。視界の端に止まったイヤリングの破片を見て理解したのだ。

 だがイザベルに彼女を救う手立てはない。イザベルと飛鳥の立ち位置はバケモノを挟んでちょうど反対側。


 今の位置関係は千風、飛鳥、クラーケン、イザベルだ。


 イザベルには飛鳥を救うことなど不可能。詠唱も始まっている。詠唱破棄をしようものなら、β神経崩壊をきたす。それこそ相手の思うツボだ。飛鳥が死んで、イザベルも死ぬ。最悪な状況が整ってしまう。


「イザベル行け――! 緋澄は俺が何とかしてやる!」

「ですが……」


 イザベルの言いたいこともわかる。

 だが千風は何も言わず、ただ真摯に彼女の瞳を見つめた。


「分かりました……。お嬢様を、頼みます――ッ!」


 苦渋の決断だっただろう。彼女の歯ぎしりがこちらに聞こえてくるまでイザベルは歯を噛み締めていた。

 一番大切な人を守れない。そればかりか、その大切な人を置き去りにして自分だけ逃げるのだ。

 やりきれない。ぶつけどころのない怒りが彼女の背中を伝って視えたように千風は感じた。


 お嬢様を頼みます。

 そう一言だけ伝えてイザベルは災害迷宮が後にした。


「う、そ……」


 飛鳥の目元にじんわりと涙が浮かぶ。

 もうここにいるのは千風と彼女だけだった。

 もうすでに千風も離脱用の魔法を唱えている段階だ。

 だが、彼と飛鳥は同じ側にいる。全力で走れば間に合わないこともない。


「緋澄! こっちだ、急げ!」


 千風が手を差し伸べるも、彼女は動こうとはしなかった。


 否、動けないのだ。

 誠、蓮水と離脱して、イザベルもいなくなった。千風も時期にいなくなるだろう。


 目の前には山のように大きなイカのバケモノ。


 へたり込んでしまった飛鳥をジッと見つめている。

 ギョロリと眼球だけで飛鳥を舐め回す。

 ぬらぬら、てらてらとした触手が飛鳥へと伸びていき。


 恐怖で動けなくなってしまった。太ももの怪我もそれに拍車をかけている。

 へたり込んだ地面が湿り気を帯びる。飛鳥の足元からだんだん透明な泉が湧き出して……。


 死を覚悟してしまった。


 自ら進んで死を受け入れ皆を守ろうとしたあの時と、目の前に死を無理やり突きつけられ覚悟させられるのは、恐怖の度合いがまるで違った。


 飛鳥は静かに泣き出してしまって、ポロポロと涙を流し始めてしまった。

 もはや、彼女に戦う意志はない。敵を前に戦意を喪失してしまった。


 動けなくなってしまった飛鳥は表情だけで千風に助けを求めた。


 女の子の泣き顔を見たのはいつぶりだろうか? ふとそんなことが千風の頭をよぎる。

 きっと記憶の奥底を探ったって一回や二回のはずだ。そのどれもが彼にとって苦い思い出だった。

 彼の前で泣いた少女たちは二人とも二度と会えなくなってしまったのだから。


「――ッ!」


 彼女らを助けることのできなかった記憶が蘇る。

 彼が極度に人と距離を置くようになったのもちょうどこの頃からだった。


 もう誰も失いたくないと思った千風は、誰とも関わらなければすむということを考え始めていた。


 ――なぜ俺は今さらになって、こいつらに関わろうとした! こうなることぐらい理解していたのにっ! こうならないために人と距離を置いていたんじゃないのか!?


「助け――」


 ハッとして、飛鳥は両手で自分の口を押さえた。

 彼女に助けを求める資格はない。戦意をなくし、敵前で諦め、死のうとしている彼女に。

 それに気づいて彼女は自分から口を閉じた。

 敵を前に諦めるなど魔法師失格だ。

 戦意を喪失した自分に生き残る資格はない。ここで死を受け入れるしかないのだ。


 それは戦意を喪失し、泣き出して、あろうことか異性の目の前で失禁してしまった飛鳥の最後の抵抗、最後のせめてものプライドだった。


 このプライドを持ったまま死のう、そう彼女は決めた。

 本当に助かりたいのであれば、動くべきなのだ。太ももがえぐれて、神経も麻痺して足が動かないとか……恐怖で足がすくんだとか、そんなことを考えているヒマがあったら、無理やりにでも!


 足をひきづってでも、切り落としてでも、血反吐を吐きながらでも、生に執着するべきなのだ。


 結局のところ飛鳥にはそこまでしてでも生き残ろうとする、生への執着が足りないのだ。

 そんな人間を何度も千風は救ってくれた。それを自分はどうだ? 彼が自分の身を危険にさらしてまで繋ぎとめてくれた命を、もらった命を簡単に投げ出そうとする罰当たりな人間に、ここにきて生きたいなんて口が裂けても言えないだろう。


 傷だらけになりながらも頑張っている人に対して、今さら死にたくないから助けてくれなど言えるはずもなかった。

 他人の命を犠牲にしてまで、己が助かろうとするなどあってはならない。そんな資格があるはずもない。

 緋澄の人間だからとかそういう問題じゃない。人として人に物乞いをできる立場に飛鳥はいなかった。


 だから、



 飛鳥は最高の笑顔を千風に向けて、




「ありがとう、千風……」


 始めて彼の名前を呼んだ。


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