第16話 大王烏賊の猛威
「じゃあ、俺が前線に出て注意を惹くから、緋澄は攻撃魔法で支援。イザベル……だっけ? は、俺が対応しきれなくなる前に防御魔法の展開を頼むよ。んで、その間に誠が蓮水を連れて脱出を試みる……。大体の流れはこんな感じでいいか?」
千風は巨大な扉を背に振り向いた。
ここだけ明らかに他とは違う豪奢な装飾品でかたどられた、いかにもな雰囲気を醸し出す石造りの堅牢な扉。
この奥には災害迷宮の主、災害因子が待ち構えている。
その扉は今まで千風や誠たちが攻略してきたものとまったく同じつくりだった。
だから、この扉を開けてしまえば、すぐにでも戦いが始まってしまうかもしれない。
一瞬にして誰かが死ぬかもしれない。
扉の小さな隙間から霧がモクモクと煙のように立ち昇る。おそらく中の視界は相当に悪い。
事前にそれが分かるだけでも生存確率はグッと上がる。
視界が暗いのを理解したうえで行動ができるのだから。
「そうですね、随分とまともな作戦を立てられる方で安心しましたよ。ただの能無しではないわけですね? まあ、それでもあなたのことを信用しているわけではありませんが……」
信用を得るにはまだまだ足りないとイザベルは突き放すように冷ややかな目で千風を睨みつけた。
依然として批判的な態度を崩さない彼女に対し、飛鳥が肘で彼女の脇腹を小突く。
「ちょっとイザベル! 今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ? みんなで協力しないと私たちはきっと一瞬で死ぬ。それはあなたも当然理解してるわよね?」
「はい。ですがそれとこれとは話が別です。この男はどうも信用ならない。一つ作戦に追加しても?」
胸を強調するように組んでいた腕を崩し、イザベルは人差し指をゆっくり立てると、千風に対してある提案を示した。
「私はお嬢様の命を最優先させていただきます。この中で最も生き延びなくてはならないのが、お嬢様です。今の緋澄重工にはお嬢様の力が必要不可欠なのです。もちろん個人的にもお嬢様には生き延びてほしい。むしろ、私としては私情でお嬢様を守る方が八割方を占めますが……」
それでも良ければ、今回は特別にあなたに従い、力を貸しましょう。そう、イザベルは言った。
「い、イザベルっ!? そんなんじゃうまく連携が――」
飛鳥の言葉を阻み、千風はまったく迷わずに首を縦に振る。
「ああ。それで気が済むならそうしてくれて構わない。もともと俺はあんたらがいなくても、蓮水の様子を見にいくつもりだった。そこにおまけがついてくるだけで、俺にとってはなんら変わりはしない」
至極当然だと、そう豪語する千風を、誠は目を細め見据えながら、
「まあまあ、千風もそこまでムキになって意地を張らなくても……なっ? 誠意をこめてお願いすればイザベルも協力してくれだろうし……そうだろイザベル?」
仲裁に入って仲をとりもつ。
彼がそう言うも、イザベルは腕を組んだままそっぽを向いてしまう。
「あ、あははは……はあー」
頬を人差し指で掻きながら、彼は苦笑いを浮かべ深いため息をつくのだった。
「別に、俺としては意地を張ってるわけではないんわけだが? ……まあいい、他に言っておくことがないのならさっさと行くぞ? こんな場所に長居したってしょうがない」
全員がうなずくのを尻目に、彼は扉へと右手をかざした。
「ふむ、いつまでその余裕ぶった態度が続きますかね? せいぜい長いこと生き延びてカラミティアの目を引いてくださいよ?」
あれだけの啖呵を、一年のエリート組の面々を前に切ったのだ。タダで死んでもらっては困ると、せめてお嬢様の役に立ってからくたばりなさいと、イザベルは毒を吐きながら――彼を守るための魔法を唱え始めた。
「《母なる大地、風の民。天の衣を引き裂き産声を上げよ――幻夢の叫び》」
魔導器から紫色の煙が生じ、四人の身体を優しく包み込む。穏やかな風はしかし、内側から外側へとその流れを急速に加速させる。
例えるならこの風はフィルター。外界の邪気を遮断するためのベールのようなものだ。
その美しさはまるでオーロラを見ているようで。
思わず声が漏れ出してしまいそうな美しさを秘めていた。
「……来るぞ!」
誠が声を上げ、開け放たれた扉からは大量の霧が一気になだれ込んだ。
それをイザベルの魔法が消し去り、鮮明になった視界へと現れたのは――特徴的な蒼髪を乱れさせ、みすぼらしい姿となった蓮水だった。
「っ! アイツ――!」
千風が見たのは今にも死にそうな蓮水と、彼を襲うカラミティアだった。
バケモノの巨大な体躯は周囲を影で潜め、数十はある手足をうねらせ蓮水へと接近していた。
大王烏賊。
間違いない。あの姿かたちは数々の文献で目にしたものと一致していた。
幻獣型のカラミティア。その凶悪さは災害研究機関の折り紙つきだ。
「チッ! 間に合え――!」
千風は舌打ちをしつつも、クラーケンを目にした瞬間に飛びだしていた。
彼と蓮水との距離は五十メートル。千風が全力で走ったとしても、五秒はかかる。
五秒も時間があれば、クラーケンは蓮水を二回は地獄にたたき落とせる。
それだけの強さを幻獣型は秘めているのだ。
千風は魔法を使う。
彼が最も得意とする支援型の魔法を。
五十メートルという、果てしなく遠い距離を縮めるために。
千風は自分の身体に干渉する魔法が特に好みだ。
派手な炎をぶちまけたりだとか、氷で相手を凍てつかせたりだとかはあまり好まない。
ぶっ放した後に隙ができて次の行動へと繋げにくい魔法より、純粋に自らの身体をいじくって小回りの利かせるような魔法の方が彼には合っていた。
彼は魔導器を起動させる。
何千何万と、呼吸をするように唱えてきた――身体加速魔法を唱える。
その表情は最悪な状況下には似つかわしくないほど清々しい笑みで。
一人の少年がメロディーを口ずさむ。心地よさそうに鼻歌を交えながら……。
「《悠久なる時の彼方、現身の我、静寂の波中を潜り抜けん――天空の歯車》ッ!」
刹那、千風の身体が人間のそれを遥かに超えて加速する。
目にもとまらぬ否、視界にとどめることさえ許さぬ圧倒的なまでの速度は、迷宮内に霧のトンネルをかたどった。
「くそっ! こんなところで――っ!」
数十の流星のごとき触手が、蓮水を貫かんと一斉に地を這った。
もはや目を開けているのがやっとであろう蓮水が諦めかけたその時、彼の隣を千風が通り過ぎた。
「どけよ、馬鹿」
千風は蓮水を蹴り飛ばす。
その蹴りは鋭い。
以前、蓮水が千風に放ったものと全く同等の威力だ。
距離、速度、死角から放たれる鋭角さ。
その蹴りは寸分違わず蓮水の脳天をぶち抜いた。
再現したのだ。数日前の出来事を完璧に。
蓮水の体が軽々しく宙を舞い、ろくに受け身も取れないまま、落下する。
「ぐあっ!? ――なん、でおまがここ……に?」
信じられないものを見るように蓮水はこちらを見ていた。
それもそのはず。
蓮水にとって千風は取るに足らないクラスメイトでしかないのだから。
そんな人間が自分と同じ蹴り……正確にはそれを真似してなお、この状況下で笑っていられるだけの技量があったとなれば疑いたくなるのもうなずける。
この瞬間に蓮水の心はズタズタに引き裂かれたと言ってもおかしくはない。
見る目がない。で終わればよかったのだが、彼我の実力差を把握できてしまうほどの実力を備えているがゆえに、蓮水は今の千風の蹴りで自分が彼に劣っていると理解できてしまった。
その証左に千風はクラーケンの触手による猛攻を彼を覆うように半球型のシールドを出現させ、防ぎきってしまい――
シールドがクラーケンの触手をはじき返し、あたりには線香花火がごとき火花が散った。
千風は今世紀最大の邪悪な笑みを浮かべ、
「悪いが、何もお前だけが強いわけじゃないんでね」
彼にしては珍しく心の底から楽しそうに笑った。その笑みはまるで自身を貶めるような皮肉を含んだ笑みでもあり、
「おま――え! どういうことだよ、それ?」
遠くに飛ばされた蓮水はくぐもった声を必死に絞り出し、戦慄した。
虚空から突如、千風の指先に2、3個と魔導器が出現する。
それは千風が以前、自らの実力を隠して学園に忍び込む際にステルス化させておいた魔導器のいくつかで。
元【十二神将】とはいえ、この最悪な状況下で、魔導器を隠し通しながら生き残ることなど、できるはずもなく、苦渋の選択として魔導器を現出させた。
魔導器はその性質上、空間にその存在を出現させていない限り、魔法を現象として出力できない。
だから、千風は自らの実力をさらしてまで魔導器を視覚化させたのだ。
その結果として、蓮水には千風の実力はある程度割れてしまったが。
けれど、実力をさらさない限り、ここで全員が生き残るのは不可能なのだ。
ならば、その選択をするのは至極当然のことだろう。
死ぬことと、実力がばれることを考慮するのなら、迷わずに後者を選択する。
死んだらそこで終わりなのだ。何もかもがそこで終わる。それだけは避けねばならない。
死んでしまえば、彼の望む結果は得られない。
彼が描いた夢も、望んだ世界も何もかもが訪れることはない。
すべてが泡沫となって虚空へと消え去ってしまう。
今までの努力を無駄にする気など毛頭ない。
絵空事で、夢物語で……机上の空論のままで死ぬのなんて、千風はごめんだった。
(悪いがここは俺の死に場所じゃない。死ぬつもりも、死ぬ理由も、死ぬだけの実力でここにきたわけでもない。俺は死なないために、死ぬほどの努力をクソジジイのもとで積み上げてきた! だから俺はここでは死なない。死ぬことは許されない。)
「《紫電の雷光、貫け! 穿て! 刺し貫け! ――紫穿光》」
短節での詠唱。その詠唱速度は学生の域をはるかに超えていた。
魔法の完成までコンマ五秒。
千風の指先から雷光が迸る。
破壊力を極限まで極めた至高の閃光。
その紫電が螺旋を描き、クラーケンの触手を灼いていく。
上体をのけぞらせ、耳をつんざく雄たけびをあげながら馬鹿でかいバケモノは後退していく。
そこでようやく誠が合流する。
「千風勝手に突っ込むなよ!?」
「だが、俺が行かなければ、こいつはいまごろ死んでいたぞ?」
確かにそうだ。
けれど誠が言っているのはそういうことではない。
いきなり突っ込んでしまっては、作戦も何もないではないかと――そう伝えたかったのだ。
千風だって当然、分かっている。
そこまで馬鹿ではない。
だが、ことカラミティア戦においては作戦通りに進むことの方がむしろ少ない。
「しっかし氷室もまたこっぴどくやられたな~。でもコレ、さすがにマズくない? いくらなんでもこんなカラミティアが相手なんて……幻獣型でもとくに上位のほうじゃないか!?」
誠がおちゃらけながら言ってくるが、その顔は厳しいものだった。顔面を蒼白にし、冷や汗でびっしょりだ。
千風は鼻で笑い、大声を上げる。
「よくわかってるじゃねぇか! ならもう、そこに転がってる馬鹿を連れてお前ら逃げろよ? もうここに用はねぇ、さっさと行け!」
腕を振る千風。早く行けと、シッシと邪魔者を追い出すように。
「そんなのわかってる! 立てるか氷室?」
蓮水に手を差し伸べ、肩を貸してやる誠。
その間も千風はクラーケンの猛攻を退けつつ、最小限の動きで捌いていく。
そして脱出の準備を試みる。
飛鳥、イザベルの二人も千風を援護するように各々適切な魔法を使っていた。
「誠っ! 氷室の保護は? これ以上はもう――」
持ちこたえられない。
そう言葉が続くこともなく途切れ、飛鳥が悲鳴をあげた。
「お嬢様――っ!?」
彼女の髪のようなきらびやかな鮮血が舞い、周囲の霧が紅く染まった。
「だいじょうぶ! 触手が太ももをかすっただけ。気にしないでいいから。自分の持ち場を離れないで!」
気丈に振る舞う飛鳥。
だが、彼女の負った傷は予想以上のものだった。
何とか声が震えずにすんだものの、彼女の太ももにはざっくりと、触手がかすった跡が刻まれていた。
おびただしいほどの鮮血が流れる。
綺麗な肢体を真っ赤に染めあげていく。
かすっただけでこの傷だ。
すんでのところで避けられてはいるものの、追いつかなくなるのも時間の問題だった。
「このままじゃ……」
飛鳥が悔しそうにつぶやいた。
「飛鳥! よけろ――っ!」
誠が手を伸ばして声の限り、叫ぶ。
刹那、彼女の背後で閃光が散った。紅い、死の閃光が飛鳥へと迫り、振り返り回避を試みようとする彼女をあざ笑うように全方位を取り囲んだ。
「こんなところで――」
とっさに魔法をぶつけて相殺しようとするも、先ほど抉られた傷が彼女の行動を阻む。
「っ――!」
避けれない。
彼女の脳裏に死の面影が焼きついた瞬間だった。
感想ブクマなどありがとうございます!
大変励みになっております。




