第14話 四人の答え
天王寺の目の前に現れたのは、人の形をした人ならざる異形だった。
圧倒的なまでの威圧感。目の前に顕現した化物はただ悠然と天王寺という人間を見下ろしていた。
『浅はかで傲慢な醜き人の子よ、今一度我と相対することを望むのか?』
直接脳内に語りかけてくる無機質な声。その声は、人の恐怖を駆り立てるには十分すぎた。何という圧だろうか。並大抵の者では意識を保つことすらままならない。
「だが、私は王に忠誠を捧げた身。この程度のこと乗り越えずしてどうする?」
自問自答し高らかに笑い声をあげる。
「とはいえ、私の力でどうこうできる相手ではないこともまた事実。……であれば、離脱するほかあるまい」
『あなた程度の人間が逃げられると思いますか?』
言って、氷室の中のナニカが腕を天に翳した。それだけで景色が一変する。暗く昏い、黄昏時のような紅が視界を真っ赤に染めた。
天王寺は思わず舌打ちをしてあからさまに焦燥感を募らせた。
やられた……。一瞬の出来事だった。瞬きする間に魔法を完成させた。目の前の氷室の形をしたナニカ、もとい【黄昏の王】は結界を施したのだ。それも相当高度な結界。天王寺が【切り離された残片世界】から逃れられぬよう、檻の中に閉じ込めたのだった。
文字通り天王寺は現実世界から切り離された。
こうなってしまえば、彼も腹をくくるしかない。ここから脱出するためには目の前の異形を、殺すか何らかの方法で封じ込めなければならない。
天王寺は両手を握り動作を確認した。一瞬の読み違い、判断ミス、行動の逡巡が死につながる。ほんのわずかでも気を許せば、彼が二度と目を覚ますことはなくなるだろう。だから彼は、天王寺という人間は、腕に、足に、全身に……ありとあらゆる感覚器官にまで、全神経を集中させた。
これほどまでに緊張した状態で戦闘に入るのはいつぶりだろうか? 緊張と恐怖で筋肉が軋む。だが、その感覚さえ彼は心地よく感じた。
不思議な感覚だった。血が沸き、肉が躍る……そんな比喩表現がぴったりなほどに天王寺の全身は高揚していた。
「さて……手合せ願おうか? 七天の王が一柱--【黄昏の王】ッ!!」
叫んで、両足に力を籠めると天王寺は駆け出した。
***
誠とイザベルの二人はただひたすらに暗い、視界の悪い回廊を突き進んでいた。じめじめとした湿気の多い中、彼らの息づかいと靴の音だけが回廊を反響した。
「なあ、イザベル? 少し静かすぎはしないか?」
イザベルの前方を走る誠は、わずかにペースを落として彼女に並ぶ。
「そうですね……上で大きな物音がしてからここまで、災害準因子と遭遇したのは一度だけですし……不安がないといえば嘘になりますね」
実際、誠達が遭遇した災害準因子は先ほどのウサギだけだった。彼らが経験してきた他の災害迷宮ではこんな事態は起こりもしなかった。加えて災害準因子のあの強さだ。あれは、レベル5のカラミティアが従えるにはあまりにも凶悪だった。
それを考慮したとしても、この災害迷宮には不可解な点が多すぎる。もはや学生が数人単位で攻略する領分を遥かに超えていた。
それでもなお、彼らがここにとどまる理由は一重に仲間との合流だった。
バンドの数値を見てみれば、その数値は依然として五のままだ。戦闘音が止んでから、十分は軽く過ぎている。
であれば、一年組全員が【切り離された残片世界】になんらかの理由で留まっていることは確定的だ。
誠やイザベルよりも災害迷宮に詳しい飛鳥なら、無理に攻略をしようとは思わないはずだ。おそらくこちらが離脱しないことを知って、合流することが目的だろう。
氷室は……もしかしたら、一人で攻略を始めようとしているのかもしれない。彼の性格なら十分あり得るだろう。そうであれば、出会った瞬間に殴り飛ばして引きずってでも連れ帰るつもりだが……。
「止まってください、何かの気配を感じます……」
イザベルが左腕を伸ばし、誠に静止を促す。
彼は止まると気配を潜め、階下から次第に近づいていてくる気配からおおよその実力を計る。
「これは……ちょっとまずいかな? 俺らじゃ対応できないかも……? っていうか、複数の気配がするのは俺の勘違いかな?」
「現実逃避はやめてください! 勘違いではありません。来ますよ? 構えてください!」
イザベルのかすかな悲鳴と同時、眼前の床が盛り上がり、そして弾けるように吹き飛んだ。
床をぶち撒けた影が二つ、誠たちの目の前に姿を現した。それは、どうも感じたことのある雰囲気で……。
緑色の靄がかかった悲惨な視界にさらに白煙を巻き上げることでカオスな状況となったフロアを、誠は必死に目を凝らすことでなんとかしようとし……。
しだいに、わずかながら良好となった視界を――二人の姿を、彼は捉えた。
「千風!? それに飛鳥も!? なんでまたそんなとこか――」
千風たちに近づこうとする誠の襟首をイザベルが掴んだ。
「ぐえっ――!?」
間抜けな声をあげる誠を尻目に状況はどんどんと進んでいった。
複数の気配の正体。
それは、千風と飛鳥を追ってきた牙ウサギの大群だった。芋づる式にずるずると……階下より現れた化け物は、誠達が先ほど手こずった数のおよそ六倍だ。
「今だ! 緋澄、やれッ!!」
千風が叫ぶのに呼応して、飛鳥は魔導機を起動させた。その一連の流れは完全に馴れ親しんだパートナーのものだった。
「アンタに言われるのは少し癪だけど……今回ばかりは付き合ったあげる! 《咎人たる聖者の礎、その不条理たらしめる天秤の下、凱歌の焔を築き給え――華粒炎》ッ!!
「っ!? あれは――」
まるで光の明滅にも似た光量の拡散。熱波による衝撃が、誠らの頰を微かに灼いた。
飛鳥が放った魔法は物凄い威力を秘めていた。
誠の感嘆とともに漏れでた疑問にイザベルが解を示す。
「あれが、お嬢様が扱いになる最強の魔法。……お嬢様が幻獣型を討ちとった際に手に入れたオリジナルの魔導機。緋澄重工の社員でもあれほどの実力者は中々いませんよ?」
ふふふと、自分のことのように飛鳥のことを自慢する彼女は少し可愛らしく見えた。
熱は爆音をまき散らしながら、ウサギたちを次々に呑み込んでいく。
鳴りやまぬ衝撃の中、千風と飛鳥の二人は呼吸を急ぐように黒煙から顔をだした。
「ぶはっ! おまっ、俺らの周りの空気まで焼き尽くすなよ!? 自分の魔法で死にかけるアホがこの世にいるか!?」
「仕方ないじゃない!? あの魔法は制御するのが難しいの! それに私に指図したのはあんたの方じゃない!? 感謝こそされ、文句を言われる筋合いはないわよ!」
千風に担がれたまま煙の中から出てきた飛鳥が、なにやら叫んでいるが、誠たちには聞きとれなかった。
「千風っ! 無事だったのか!?」
合流を果たした誠の方を見上げ、千風は不機嫌そうに答えた。
「……んだよ? 無事じゃ悪いか?」
「いや、そうじゃないけど、無事ならいいんだ」
千風たちと合流できた誠はひとまず安堵のため息をもらした。
「そういえば千風、いつの間に飛鳥と仲良くなったんだ?」
ふと疑問に思ったことを尋ねると飛鳥の方から返答があった。
「別に仲良くなんてなってないわよ。ただこいつと一緒になったから、ついてくるのを許可しただけよ?」
私は嫌々つきあってただけなんだから……。と、飛鳥は誠に応えはノーと全力の身振り手振りで否定した。
ちょっと不思議に思ったことを口にしただけなのだから、そこまで否定しなくてもいいだろうに……と誠が思っていると、丸く収まりかけていた話の腰を折らんばかりに千風が横やりをいれた。
「あれだよ、あれ。吊り橋効果ってやつ? 短い時間とはいえ、死戦を潜り抜けてきた仲だ。ひょんなことから俺に対する恋心が目覚めたってなんらおかしくはない。だろ、緋澄?」
緋澄の顔が一瞬にして紅潮した。
「は……はあ!? あんた何意味わかんないこと言ってんのよ! この私があんたに惚れたですって!? ありえないからっ! そんなこと一生ありえないからね!?」
全力で否定する飛鳥。彼女の鼻息はどこか荒い。顔を真っ赤にして、フーフーと肩で呼吸している。
彼女の反応をみるに、嫌っているのはどうやら本当らしい。仮に疑われないために逆の反応をしているのだとしても、これは明らかに不自然である。
飛鳥はアホだが、馬鹿ではない。さすがに要所要所で適切な行動ができるだけには鍛えられている。
彼女が抱える組織はそういうところだった。
だから、いまの飛鳥の行動もそれなりの理由を秘めているはずだ。
「自意識過剰もそこまでいけば大したものね。それと……あんたがしたこと、忘れてないから!」
くわっと今にも飛びかからん勢いの剣幕な表情を見せる飛鳥。相当根に持つことを千風にされたのか、彼女はかなりご立腹だった。
「ちょ、千風、お前何やったんだよ! 飛鳥のやつすごい形相でこっち睨んでるけど……ああなった飛鳥は相当厄介だぞ?」
こっち来いと千風を飛鳥から遠ざけ声を潜め、耳打ちをする。
「なに、こそこそ話してるのよ誠! あんたもぶっ飛ばされたいわけ!?」
「ちょっと待て、もって……俺はぶっ飛ばされる前提なのか?」
「あんたは当然でしょ! 私にあんなことしておいてタダで済むわけないでしょうが!?」
飛鳥の怒りは、すでに最高点に達していた。
そこにイザベルが割り込んでくる。
「あんなこととは一体どんなことでしょうか?」
聞き捨てなりませんね。とイザベルが鼻息を荒くしながら両手をくねらせ、三人のもとへと寄っていく。
その姿があまりにも不気味だったからか、千風が声を引きつらせる。
「っ! お、おいお前の従者なんか変だぞ!? 大丈夫かアレ!!」
「ああ、イザベルはいつもあんな感じだから気にしないで……って、ちがーう! 話をうまいことすり替えないでよっ。危うくまたあんたの話術にはまるところだったわ」
アホな飛鳥であれば、簡単に騙されてくれるとでも思ったのか、千風はかるく舌打ちをした。それが彼女に聞こえたらしく、また周りが騒がしくなる。
このままでは収拾がつかなくなると判断し、誠は話の流れを自ら断った。
「とりあえずみんな落ち着けよッ!! 今こんなところでギャーギャー騒いでいる場合じゃないだろ?」
今はこの明らかにおかしい災害迷宮をどう切り抜けるか決めるのが先だ。どう考えたってここはレベル5の災害迷宮ではない。それはここにいる全員が身をもって体験したはずだった。
千風がかわいそうなやつを見る目で誠を見ていた。
「なんでそんな目で俺を見るんだよ?」
「いや、なんだかんだでお前も苦労してるんだな~って」
「そう思うなら協力してくれよ……。イザベルもそれでいいな?」
イザベルが構いません。と小さくうなずいたことでようやく飛鳥も静かになった。
「話を戻そう、まずはこの場で一番強い飛鳥の意見が聞きたい。ここに氷室の馬鹿はいないけどどうすればいいと思う?」
誠が一番知りたいのはこれだった。氷室以外のメンバーが集まった今、自分たちがとるべき行動、判断とはいったい何なのか。実力的にも誠やイザベルに比べて申し分ない彼女なら、あるいはこの災害迷宮をも攻略できるのかもしれない。
そんな飛鳥が提案する考えなら、この場にいる誰もが納得するだろう。千風の力は未知数だが、彼が相当頭の切れる人間だということは誠も理解している。
飛鳥もようやくその気になったのか口元に手を当て思慮を巡らせ始めた。
「そうね、考えないといけないことが多すぎるとは思うのけれど……まずこの災害迷宮はとてもレベル5とは考えられない。災害準因子の強さを考えるに最低でも7、最悪の場合幻獣型に片足を突っ込むくらいの難度はあると思っていいわ」
空気が重く静まり返る。
誠もある程度の難度は覚悟していたが、あらためて幻獣型の名を聞いてしまうと絶句してしまう。それはイザベルも同じらしく、隣をみればわなわなと肩が震えていた。
「それを考慮したうえで、私たちはどうするのか? 私が提案するのは二つ」
飛鳥は腕についたバンドを確認して小さな指を二本立てた。
「一、氷室を置いてこのまま離脱する。二、氷室を探し出し、協力してカラミティアを討伐……もしくはそのまま離脱」
平然と氷室を切り捨てると言った彼女はしかし悔しそうに拳を握っていた。
氷室だって馬鹿じゃない。彼の実力を考慮すれば十分戦えるだけの余裕があるかもしれない。無理と判断すれば、すぐに離脱だってできる。そう考えての提案なのだろう。
それでも飛鳥が震えているのは己が提案した前者の意見からくるものだろう。
氷室を置いて離脱する。それはつまり、彼の生存率を大幅に下げることを意味していた。たった一人でカラミティアと相対し、生き残った者の例などごくまれだ。それも、プロの魔法師がやってのけることであり、一学生が生き残れるほど生易しいものではない。さらに今回の相手は恐らく幻獣型。いくら氷室が強いとはいえ、それはあくまで学生の域であり、生き延びるのは至難の業だ。
飛鳥はクラスのリーダーだ。リーダーたるもの、時には仲間の命を最優先しなければならない。それがたとえ仲間の命と引き換えだったとしても。
しかし、彼女はリーダーである前にどこにでもいるようなたった一人の少女である。たまたま緋澄という名のある名家に生まれただけで、その本質は変わらない。であれば、まだ十六、七の少女に命の取捨選択を強いるのは無理があるのではないか?
今にも泣きそうな彼女を見ていると、そんな残酷な選択を迫ってしまった己の愚かさを恥じるばかりだ。
「飛鳥ごめん。いまのは無しに――」
誠の声をかき消すように後ろから声がかかる。ほかでもない千風だ。
「なら、話は簡単だ。蓮水の馬鹿をぶん殴って離脱すればいい……だろ?」
その時の千風の表情は驚くほど輝いてみえた。
絶望的な二択を迫られる少女の凍りついた表情を和らげるには十分だった。




