第13話 制裁の果ての七天
青い炎が氷室を喰らう。圧倒的で絶対的な、熱を秘めた破壊の焔。その炎が彼を灼き尽くすのに時間など要らない。
一瞬にして影さえ残らずこの世を去るのが、天王寺には見えていた――はずだった。
しかしそんな約束された未来など訪れることなく、氷室は天王寺の前に姿を現わす。
「ぶはっ! し、死ぬかと思った……」
爆炎によって生じた煙の中から抜け出した氷室の全身は水蒸気によって覆われていた。
「なるほど……氷で私の炎を相殺した、か? 不意打ちによくもまあそこまでの行動がとれたものだな?」
ほう、と一人納得してうなずく天王寺。
氷室が扱える魔法の中でもあれほど高位なものはなかった。
天王寺が使った魔法はそれほどの代物だ。しかし当の本人に――氷室ですら扱えないほど高位の魔法を防がれたにも関わらず――驚いたそぶりなどまるでなかった。
あくまで片眉を動かす程度の淡白な反応。
氷室としては、天王寺の魔法を凌ぐのに、【憑依兵装】を使うのがやっとだった。恐らく、あの一瞬のうちに【憑依兵装】の使用をためらっていたのなら……彼は今頃消し炭となってこの世を去っていただろう。
それほどまでに天王寺の使用した魔法は強力だった。
本来、現代の魔法理論に則るのであれば、魔導機を使った構築魔法と【憑依兵装】では天と地ほどの差がある。
大人と子供、ゾウとアリ。その差は歴然だ。そもそも発揮できる能力の限界値がまるで違う。お話にならない。同等の物として扱うこと自体、烏滸がましかった。
しかし、今の状況はどうだろうか? 氷室の目の前では子が親を、アリがゾウを狩ろうと……実際、彼の【憑依兵装】は天王寺の魔法によって完全に潰されていた。
次元が違う。氷室の奥の手は、天王寺の普段使う魔法を凌ぐことすら、ままならなかった。たとえ、天地がひっくり返ったとしても彼が天王寺に敵うことはないだろう。
そう認めざるを得ないほどに天王寺の力は強大だった。
「くそ、なんなんだよ!?」
完全に相殺仕切れなかったのか、彼の身体は所々火傷を負っていた。ヒリつく肩を忌々しげに掴みながら、声を荒げる。
なぜ自分を襲う? 氷室にはまるで意味がわからない。これだけ力量差が歴然としていれば、彼を襲う理由など天王寺にはないはずだ。
「まあそう騒ぐなよ、虫ケラ風情が。私としても今の一撃で仕留め損ねたのは心苦しいが、アリ一匹残したところで支障はない」
運に救われたなと鼻で笑い、運の良いお前は生かしてやると、私に生かされているのだと天王寺は言った。
「なら、なぜ僕を襲った? 殺す必要もないのになぜ僕を殺そうとした!?」
自然と手に力が入る。肩に指がめり込むほど握ると、その痛みで火傷の痛みが少しだけだが、緩和されるような感じがした。
「なぜも何も、可愛い後輩への先輩からの指導だよ? 君が転入生にしたように弱い者いじめをしただけにすぎない。暇つぶしがてらね……」
私にとって、君も転入生も同じだからねと、興味もなさげに本音を話した。
――僕が弱い? よりによって転入生と同じだとッ!? あんな何考えてるか訳わかんねえ馬鹿に僕が並ぶ!? あり得ない、あってはならない、そんなことは許されないんだ!
「ふざけるなよっ!」
気がつけば氷室の身体は無意識のうちに天王寺へと向かっていた。
自分でも馬鹿だと思う。普段の氷室なら……蓮水氷室という存在であれば、常に冷静沈着。常に余裕を持ち、他を圧倒する。約束を果たすまではそうあるべきだと約束したはずだった。
だが、今の自分は? この体たらくぶりは一体どういうことだろう? 彼の胸中はひどく冷静だった。冷静に自らの無様ぶりを嘲笑していた。
――僕は約束したんだ! 僕は負けない、もう二度とッ! じゃないと合わせる顔がないじゃないか!
ふと、脳裏に恩師の言葉が蘇る。
『ボクは君のことを待ってるから……。だから、早いとこ追いついてきなよ? それまではボクが世界を守っているからさ……?』
それはずっとずっと昔の、遠い日の記憶。平原を見渡せる小高い丘の上。
風になびく草が波のように流れる情景が浮かぶ。青天を見上げながら……約束を交わしたあの頃に、氷室の意識は引きずられる。
いつからだろう? いつしか氷室は師匠の背を追い続けていた。早く彼の隣に並びたいと、いつの日か彼と一緒に旅ができることを夢に描いて……。
乖離した意識を現実へ戻し、
「まだだ、まだ負けちゃいない!」
天王寺へ向かって加速する。
「はは、正気かい? 今ので分からなかったのかな?」
あくまで天王寺はおどけた態度を崩さなかった。普段学園で見せる態度とは真逆のそれは、言い換えれば彼にとって氷室が相手にする価値すら見出されていないことの証左だった。
氷室は意識を集中させる。体内を巡る、魔導機を装着した者のみに発生する半有半無の神経へと血液を注ぎ込む。
だが、それだけではまるで足りない。目の前の敵は今まで戦ってきた連中とは次元が違う。
だから氷室はさらに意識を、神経を研ぎ澄ませる。血を沸かせるように、神経を駆け巡る血の勢いが増幅するように。
ドクンッ。心臓が呼応する。張り裂けんばかりに。
魔導機を起動させ、詠唱を始める。
「《雷狼たる無尽の軍靴、その豪気を以って雷速と為れ》ッ!」
爆音と共に雷光が落ちる。氷室のいた場所が焼け焦げ、影が消える。刹那、氷室の体躯が弾けた。
全身に雷を纏い、限界まで筋肉を……筋繊維までもを刺激する!
一瞬にして間合いが詰まった。彼は懐からナイフを取り出し、天王寺の首元を掻っ切る。
が、そうはならなかった。
「いやー速い速い! まるで見えない。けど、見えなくても……いくら速くても、君の目が教えてくれる。だから私に攻撃は一切通らないよ?」
左手の指先で軽くナイフをつまみ、天王寺はいとも簡単に氷室の攻撃を凌いでしまった。
高速で動いた勢いで二人の間に旋風が巻き起こる。風が天王寺の白い髪を巻き上げると、
「ッ!? 何だよその瞳は!?」
天王寺の右眼には不思議な幾何学模様で構築された魔法陣が浮かんでいた。
その魔法陣がグルグル、グルグルと奇妙に回る。色も青から赤へ、緑、黄色と明滅を繰り返す。
天王寺は笑った。嘲った。嘲笑を含みながら氷室をただ、蹴り飛ばした。
魔法の関与しない純粋な蹴り。それは以前氷室が千風に対して行ったものと全くの同等だった。
位置も、距離もタイミングも。死角から放ち……威力までもが完璧に同じだった。
だから氷室に避けれないはずはなかった。天王寺が放った蹴りは氷室が蹴ることのできる八割での物なのだから。
けれどそうはならない。なぜか彼には避けることができなかった。
恐怖していたのだろうか? 天王寺の目に浮かぶ禍々しい黒い魔法陣に畏敬の念を覚えたのだろうか? 自分ではどうにもならない相手を前にただ戦々恐々と、尻尾を巻いて震えるネズミのように。哀れで、惨めで、血で薄汚れた姿になって……気がつけば氷室は地面を転がっていた。
「うぐっ……あっ、ぐ……」
口からくぐもった嗚咽がもれる。
痛い、熱い。顔が、脳が、全身が。
思考がまとまらない。恐らく顔面を蹴られたからだろう。全身が痛みにより熱を帯び、先ほど焼かれたことも彼の痛みに拍車をかけていた。
口の端を鮮血がツーっと垂れる。口内に鉄の臭いが充満し、頭がクラクラしてきた。
けれど、彼は立ち上がった。
それは、氷室のせめてもの足掻きだ。天王寺に千風と同じだと、等しく価値のない虫ケラだと言われたことに対するせめてもの悪あがき。
プライドの高い彼は、『僕は違う! 他の人間とは違うんだ!』 と心の中で思い切り叫んだ。ただその一心で立ち上がった。意識などとうの昔に断ち切られた。
無意識も、無意識。無我の境地に達した氷室は三度天王寺と相対し……。
ひとりでに右腕が上がる。糸の切れた人形のように首はカクカクと揺れ、口は勝手に詠唱句を紡ぎ始めた。
「《Code;7、8、8……開錠。七天に集いし我らが柱――【黄昏の王】……理の輪より外れし因果を欺き、我が――」
次々と多重の魔法陣が構築される。一、二、三……六、十。
氷室の中のナニカが覚醒き始めた。
そこで天王寺の表情がガラリと変わる。先ほどまでのふざけた態度は消え、彼の口元には狂気じみた笑み。
「はは、まさかこんな所でお会いできるとは……。我らが王に報告しなければ。七天にまつわる【黄昏の王】、やはりこの世界に救いはない、か?」
おもしろい。と笑いながら、天王寺は呟いた。
彼は一度右眼を閉じ、再び開眼する。すると、彼の瞳から全身を覆うように、中心に五芒星の描かれた魔法陣が張りついた。
そこからの戦いは一方的なものではなかった。もはや人間の入る余地のない、聖戦だ。
たった二人だけで行われる戦争。そこに終戦の鐘を鳴らしたのは――




