冒険者アイリ
新人冒険者であり、シーナが使う【絶剣】の後継者を名乗る少女アイリは鬼である。
比喩表現ではない。彼女の持つ漆のような綺麗な黒髪、真っ赤な血のような瞳の色が彼女が鬼族である確固たる証拠なのだ。
鬼族はガンマレッド大陸にある日ノ本と呼ばれる島国に住んでいる種族であり、純粋な人ではない。
彼らは人族を圧倒的に上回る力を持つとともに、鬼化と呼ばれる形態変化の術を使うことができる。
故に人に恐れられ、迫害される対象になりうる。
アイリは産まれてから今まで両親の顔すら見たことがない。赤ん坊の時に捨てられ、それから鬼特有の生命力の強さでたった一人で育っていった。
鬼族は同族に対する味方意識が非常に強いことは有名だ。
ということはおそらく母親は人で、父親が鬼族であり、父親は自分が産まれたことすら知らないのだろう。だからアイリは捨てられたのだ。
母親にとっては犯されたか、それとも商売で鬼族と寝たかでできた子供だろう。邪魔者でしかない。
だがアイリはこれまでの人生を振り返ってみても、自分が不幸だとは思っていなかった。
全てはあの日、太陽にあてられて輝く栗色の君ーーシーナに拾ってもらったときに救われた人生だったのだ。今までの人生がなければシーナに会うことはなかった。だからこそ、アイリは感謝さえすれども両親を恨もうなどとは思っていなかった。
……だから目の前の仮面黒服の言葉には不快以外の感情を覚えなかった。
「どうだろう、冒険者アイリ。先程まで説明した通り我々は君を捨てた両親の居場所を知っている。君も復讐を果たしたいと思っているはずだ。『我々に協力する』と言えばすぐにでも教えよう」
仮面黒服はオペラで役を演じているかのような大袈裟な仕草を交えてアイリに語りかける。
その態度がますますアイリをいらつかせる。
これはかなりバトルジャンキーなところがあるが、それでも冷静さを捨てることはないアイリにとって非常に珍しいことだった。
アイリは気が付くことはなかったが仮面黒服のこの大袈裟な仕草は呪術と呼ばれる技であり、相手の潜在的な感情を一時的に増幅させる効果があった。
仮面黒服の目論みとしてはアイリの復讐心を増幅させ、『我々に協力する』と言わせて、今話をしている王都の貴族街にある洋館に張ってある『魂の誓約』を使いアイリを隷属させることにある。
ただ、仮面黒服には誤算があった。
アイリは両親を恨んだことなどなかったということ。
そしてアイリは他者を殺したいーー目の前の男を殺したいという感情を心の片隅で持っていたということ、さらに仮面黒服の呪術はそのアイリが持つ殺人願望を増幅させたということだ。
仮面黒服は今この瞬間正真正銘本物の鬼を生み出したのだ。
キンッ
仮面黒服が話続ける部屋に音が鳴り響く。
仮面黒服がそれに対して疑問を持った瞬間、右腕、正確には右腕があった場所からとんでもない痛みが走った。
「ガアアアアアアアアアア!!?」
仮面黒服の叫び声を契機に、部屋の外にいた仮面を被った白い服に身を包んだ男達が部屋に入ってくる。
血を垂れ流して悶えている仮面黒服もそうだが、仮面白服達もなかなかどうして戦士としての質が高い。
……だがそれでもアイリには敵わない。
再びキンッと鍔なりの音が響いた時、仮面白服の男達はバラバラに成っていた。
シーナが考案した【絶剣】には二本の柱となる技がある。
一つはたとえどんなモノであろうとも斬る技【断剣】。
そしてもう一つがアイリが使った瞬きの間に人を切り刻む【瞬剣】である。
「なんでだ! なぜ俺達を斬る!? お前が斬るべき相手は他にいるだろう!」
仮面黒服は先程までの飄々とした態度から一変して余裕のない態度で語りかける。それは先程の戦闘とは呼べないほどの圧倒的な虐殺を目の当たりにしたからであった。
自分ではアイリには敵わないと、どんな手を使っても生き延びられないだろうと悟った故の最後の足掻きだった。
だがアイリにその言葉は届かない。
「ンッはぁ……はぁ……。最ッ高♥」
アイリは仮面白服達を殺した余韻に浸っていたからだ。
「ンッ、わかったわよ。もっと殺せって言うんでしょ? わかってるわよ♥」
アイリは悦びの声を上げながら腰にかかった妖刀をなでさする。
すると妖刀もまた悦んだかのようによりいっそうアイリの脳内に「コロセコロセコロセ」と語りかけてくる。
そしてアイリもまたその言葉に逆らうことはなかった。
「チクショウが、やってやるよ! 『呪術八式』」
右腕を失った仮面黒服が呪術で肉体を強化させ、飛び掛かってくる。
残った左腕でアイリの顔をぶん殴り殺害するつもりなのだろう。
しかしアイリはそれを理解しているのにも関わらずじっくりと眺めた上で避けない。
キンッ
鍔なりの音が鳴り響く。
「【瞬剣】」
ーーーーーーーーー
「ああ……クソ。また刀に乗っ取られてしまった」
仮面黒服を殺害し、洋館にいた他の仮面達をも皆殺しにし、貴族街から泊まっている宿まで歩く道中アイリは後悔の念に囚われていた。
といってもそれは仮面達を殺したことに対してではない。
人をコロセと訴えかけてくる剣に囚われてしまったことを悔いていたのだ。
アイリの使う刀は曰く付きの妖刀で、今まで数多の所有者を大量殺人者にしてきたものだ。
アイリはそれを承知していたのにも関わらず妖刀のデザインと性能に惹かれ、購入したのだ。
アイリはシーナから手解きを受けた一流の戦士だ。そのたぐいまれなる精神力で妖刀の声に耐えられると考えていた。
だがその考えは甘かった。
このようなことがあるとすぐに乗っ取られてしまう。
すぐに肉体の支配は取り戻せるのだが、危険だからこのまま手放してしまうというのはなんだか負けた気分になる。
だからこそアイリは妖刀を手放さない。
ーーーーーーーーー
「アイリー! 大丈夫だった?」
平民街にある宿に戻ったアイリに声をかけてくれたのは、冒険者仲間で臨時コンビを組んでいる少女ラティだった。
ラティは実力的にも申し分ないし、鬼族のアイリにも初対面のときから分け隔てない態度を取った数少ない人の一人だ。
「大丈夫? なんのことだラティ」
だからいつもは他人に冷たい態度をとるアイリもラティには優しい。
「だって貴族様に連れていかれちゃうしさ、もし帰ってこなかったらって心配だったんだよ!」
そもそもアイリがあの洋館にいたのはラティが言った通り、貴族ーー丸々太った豚に声をかけられたのが原因だった。
誰も見ている人が居なければ、護衛と一緒に貴族を気絶させて金目のものをいただいてその場を離れるのだが、今日は憲兵や騎士もいるような大勢の前で声をかけられたため着いていくしかなかったのだ。
それでいってみれば、貴族や護衛はどうやら操られていただけのようで仮面達が居て、あの話になったというわけだ。
ちなみに貴族や護衛、洋館のメイド達は仮面に操られていただけなので怪我一つさせていない。
「心配ないさ。私があの豚に手込めにされるとでも思ったか? そんなことにでもなれば無理にでも抜け出してやるさ」
「ううん、違うよ。アイリのことだから気に入らないからって貴族様とか皆殺しにしちゃって王都にいられなくなって私の前から姿を消すと思ったの」
ラティの言うことはアイリの性格的に充分考えられることであった。
そのためアイリは自分を理解してくれている、という気持ちになったがなんだか素直に喜べない感じがした。
「……あっそういえばさラティ。この前私が言った話覚えてるか?」
「ああ! 確かアイリのししょーのあのシーナさんの子供が産まれるから、故郷に帰るんだよね?」
冒険者のラティにとってシーナは憧れの存在である。シーナの話をするラティの目は輝いていた。
「うん。もうそろそろだからね。だからラティ、また私がここに戻ってくるまで待っていてくれるかい?」
「当たり前だよ、アイリー。私たち友達だからね」
ラティの言葉に嬉しげな表情を見せるアイリ。
「あっ、あと今度、私もシーナさんに会わせてよねー!」
「わかった。約束するよ」
その日の夜まで語り合う二人。
ラティと話すアイリの姿は鬼ではなく普通の女の子だった。
サーナイ伯爵領 魔族襲来まで
【164:43:31】