一話、夢見の悪い今日
それは、誰かの記憶だった。周りを山に囲まれた小さな家の中で、手入れを怠っているせいかひどく傷んだ茶髪の女が、膝の上に座らせた幼い少女の頭を愛おしげに撫でて。
余程古いのか痛みに傷んだ人形達に囲まれた部屋は酷く恐ろしく、少女に人形の一つを持たせて笑う女が最早正気でないのが伺えた。
「貴女は、特別なのよ。神様が、私に授けて下さった天使様のうちの一人なの。だから貴女はこんなにも白くて純粋で、良い子なの。だから貴女の瞳は、赤色なの。」
女の膝の上で、傷んだ人形の手を動かす少女の容姿は、普通ではなかった。雪のように真っ白な艶めいた髪に、鮮やかな赤色の瞳。
顔が酷く整っていることもあってか、少女はさながら天使のようだった。
産まれたことからこの部屋の中にいた少女は、この部屋がおかしいことも、女がおかしいことも知らず、全て普通だと思っている。
けれど、少女には何物にも捨てがたい強い願望があった。
「…!ママ、見て。雪が降っているわ。ねぇママ、私外に出て見たいな」
女は少女の母親だった。自分が母親に異常でないほど愛されているのを幼いながらに理解した上で、自分の持てる最大級の可愛さを持ってして、母親に甘えながらおねだりした。
母親は驚いたように目を見開いて、笑顔だった顔を無表情に戻していく。少女が受け継いだ美貌は、母親から受け継いだものであり、無表情になると狂気を感じる迫力があった。
母親は、無造作に少女を地面に突き飛ばし、近くの壁に早歩きでよる。壁に近づくのに邪魔な人形や棚を全て投げ飛ばし、頭を激しく壁に打ち付け始めた。
「神様なんであの子が外に出たいなんて考えるようにしたのですかあの子は特別であなたがわたしにくださった天使様なのでしょうならなぜああなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで」
額が赤くなり、血が滲み始め、壁に赤い痕跡を残す。真っ青になった少女は、直ぐに母親に駆け寄り、その腰に抱き着いた。
「ママ、やめてっわた、わたし、外にでないわ。カミサマにちかうわ!」
泣きそうな顔で、自傷行為に走る母親を止める少女に、ピタリと動きを止めた母親は額から赤黒い血を流しながらも、やはり美しい顔で微笑んだ。
「そうね、あなたは良い子だもの。外に出たいなんて、言わないもの。私ったら、聞き間違えたのね。おいで、今日は貴方の好きなクッキーをおやつにしましょう」
最早、狂っているとしか考えられない生活の中、少女は表情筋に鞭打って、嬉しそうに笑った。
外に出たい。けれど、それは今ではないのだと、少女は悟る。
母親は、部屋の明かりをつけた後、外を映し出す窓のカーテンを閉めた。それから、ゆっくりと少女に手を伸ばして___
ガバッと勢いよく身体を起こした。寝ている間にかいた汗が着ていた寝間着を濡らしベッタリと身体に張り付いて気持ち悪い。
荒い呼吸を整えた少女、ヴィオラは隣で双子の弟であるリトがぐっすりと眠っているのを見て、安心したようにその頭を撫でた。
幼い頃から、時々、今のように恐ろしい夢を見る。狂った生活の中で、白髪に赤い瞳のあまり見ない容姿をした少女が母親の狂気の沙汰の中で暮らしている夢。
そして、その夢の中で、ヴィオラはいつも少女の中にいた。
そして、その夢はきっとヴィオラの前世の夢なのだと、悟った。
ベッドから立ち上がって、桶から水を手で掬って顔を洗う。
そして、ゆっくりと顔を上げて、鏡に映る自分の姿を見た。
セミロングの銀髪の髪は、毎日ヴィオラの母が手入れをしているおかげで艶やかであり、鮮やかな赤色の瞳は、夢の中の自分の瞳と瓜二つだ。それが、少女がヴィオラの前世なのだと悟った一番の理由だった。
部屋の扉を開けて、ヴィオラは食卓にいるであろう父親と母親の元へと向かった。
案の定、二人はそこにいて、父親の方は村に配布される新聞を。母親は、朝食を作っていた。
「まま、ぱぱ、おはよう。」
ヴィオラが挨拶をすると、まず始めに父親の方が顔を上げた。
「おはよう、ヴィオラ」
濃い紫色の髪に、ヴィオラの一族特有の赤い瞳をした父親、イグニスは、昔から変わらず美丈夫であり、ヴィオラを感心させる。野生に生きる野獣のような美しさを持つイグニスは、この村で一番の"能力"の使い手であり、実質母親を竜王から奪うために派手に戦ったことから世界最強である。
「おはよう、ヴィオラちゃん。」
そして、その竜王から奪ってきた母親ナヴィエラがイグニスに次いで挨拶して振り返った。美しく靡く銀色の髪に、黄金色の縦瞳を持つナヴィエラは言わずともこの一族の血を引かぬ他族のしかも竜族の娘だ。
そして何より、竜王の三人いる子供のうちの唯一の女児であり、竜でもある。ヴィオラの髪はこのナヴィエラから受け継いだ物だった。
人外の美しさを誇るナヴィエラは、ヴィオラの自慢の母であり、その容姿を受け継いだことに誇りを持っている。
「リトくんは?」
「ん、まだ寝てる。」
「相変わらず、お寝坊さんなんだから…ねぇ、ヴィオラちゃ」
「いやーっ!」
まだ話し終わっていないナヴィエラの言葉を遮って、イグニスの側に駆け寄って隠れるヴィオラは、可愛らしいの一言である。
それにナヴィエラもイグニスも苦笑いを零した。普段は、ナヴィエラのお願いは何でも聞くヴィオラだが、リトを起こすことだけは嫌だった。
それは、リトがイグニスに似て怪力であり、寝起きがとても悪いのだ。ついこの間、起こそうと体に触れたヴィオラをベッドの反対方向に片腕だけで投げ飛ばした記憶があり、とても悔しい思いをしたものだった。
「母さんのお肉の一つ分けてあげるわ。どう?」
「…ぅううう