File.01 ちょっと持て余すティータイム
東京都、四軒寺市――憧れの街ランキングでもいつも上位の街。
といっても、生まれて以来ずっとこの街に生活の中心を置くわたしにそんな実感はない。大学の同級生は『物価が高い』と財布を心配するし、街を歩く人々は『東京じゃこのあたりは田舎だねえ』と漏らす。街のほとんどを占める住宅街はセレブ向けの豪邸ばかりで、小市民のわたしにはそのアンケート結果のような憧れはあてはまらないのだ。
そもそもランキングも全国のうちの上位なのか、関東のうちの上位なのか、東京のうちの上位なのかよくわからない。とりあえず解るのは、アンケートに答えた人々がみんな、セレブで閑静な住宅街に憧れているお金好きたちだということ。
お金、お金の冷たい街だと思われたくないんだけどな。
お金は、好きだけどさ。
「おうい、遙ちゃん!」
おっと、アルバイト先の店長が戻ってきた。
「店長、おかえりなさい」
「悪いね、いつもより余計に働かせちゃって」
きょうは、店長に急な用事があって、シフトではないわたしが働いていた。店は大衆食堂、いわゆる定食店だ。店長家族が経営していて、お給金はとてもいいほどではないけれど、温かい雰囲気の中で働かせてもらっている。
四軒寺で評価されるべきは、東京区部にない心地よい空気やのんびりした時間なのだ。お金ばっかりではない、こういう家族の温もりもいいじゃないか。
もちろん、お金はお金よ?
奥からアルバイト仲間でもある店長の娘、ゆう子が叫ぶ。
「お父さん、早く厨房戻って!」
「ああ、はいはい。いますぐに! ……お給料はあしたにでもゆう子から渡すからね。ありがとう、きょうはお疲れさま」
ゆう子とは大学の同期でもあるのだ。ゆう子も調理場から「ありがとう」と叫んでいる。わたしは店長とゆう子、どちらにも聞こえるように大きめに叫ぶ。
「いいえ、どういたしまして。では、お先に失礼」
このお店では、お客さんの前で堂々と仕事を終えたり、お昼のまかないを食べたりするのだ。お客さんも、この程度で目くじらを立てるような人たちではない。むしろ、わたしと同じように、このアットホームな温もりを楽しんでいる人たちなのかもしれない。
ほくほくとしたいい気分でエプロンを外し、荷物を持って店の裏口を出る。財布を確認してから、自転車に乗った。季節は冬、手袋をして来ればよかったな。
さて。
いまはおやつの時間には少し早い、日曜日のお昼下がり。これは退屈な時間である。どれくらい暇かといえば、先週のこの時間は兄の部屋に潜り込んで兄の八十三冊の漫画から懐かしのシーンを読み漁っていたし、先々週のこの時間にはテレビの画質設定をめちゃくちゃにいじってひとりで笑っていたくらいだ。その前の週は、お昼寝していたかな?
ではわたしはこれからどうしようか? きょうゆう子に返しそびれた漫画の七巻を読み返そうか? いいや、それよりもきょうは考えなくてはいけないことがある。暇といえば暇だけれど、暇を暇のまま過ごしていいのかといえばそうではなく、わたしは問題に直面しているのだ。
暇な時間に考えてもいい問題なのか?
そうでもない。
でも、とにかく落ち着いて真剣に向き合うべき問題なのだ。温かい紅茶でもすすりながらゆっくり考えよう。決してのんびりしたいわけではない、暇つぶしついでに考えようとしているわけでもない。
決してない。
うら若き女子大生の優雅な午後に似合う、おしゃれな喫茶店はないものかと、四軒寺駅の南で自転車をうろうろと走らせる。このあたりは大きな公園があるのもあって、駅の北よりも自然のある静かで落ち着いた地区なのだ。
しかし彷徨っているうちに住宅街へと入ってしまったのだろうか、お店の気配が薄れてきた。お琴の教室やら写真館やら、地元の人が使うようなお店はあるけれど、ゆったりと座って飲食できそうなお店はあまりない。
手が凍える。寒い。ああ、ほかほかの紅茶が入ったカップを、この冷え切った手で包みたい。どこかにないかな、喫茶店。
ふと空を見る。何も考えていないような、バカみたいに晴れた冬空だ。その空の端に、緑が見える。公園の高い木だろうか? 何となくそちらに目を向けてみた。
「お」
つい声が漏れてしまい、恥ずかしくなって辺りを見回す。安心、誰もいないようだ。
声を漏らして見つけたのは、綺麗なおうち。庭にはお花がかわいらしく植えられていて、赤い屋根がきれいな、おしゃれな洋館である。これはきっと、定年退職なさったおじさまとおばさまが夫婦で始めた趣味の喫茶店に違いありませんわ。
違いありませんわ!
とにかく、ここなら優雅な午後を過ごせそうだ。自転車を停められるようなところはあるかしら? そもそも、入り口はこちらなのかしら? メニューの看板を見つけようと、財布を手に持って洋館の周囲をぐるぐると探す。それがなかなか見つからない。
「どこかしら……」
独り言が漏れてしまったとき、いきなりその呟きに返事をされた。
「あれ、お客さんかな? きみ、誰?」
ひ、とまた声が喉の奥のほうで出てしまう。かっ、と頬が赤くなるのを感じながら、その声のしたほうを向く。
若い男の人の声だった気がする。きょうは日曜日だから、ひょっとすると経営者夫婦の息子さんだろうか? 振り向いた先にいた彼は、開け放ったフランス窓から身を乗り出して、わたしににこりと微笑んでいた。
「ここ、お店じゃないよ?」
優雅なティータイムが……