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呪いの魔術師  作者: 岸上ゲソ
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魔術師の呪い

「家に姿が見えんと思ったら…こんなところで一体何をしているのだ、お前は」

「わっ師匠っ」

 突然頭上から落ちたしわがれた声に飛び上がって振り返ると、真っ黒いローブに身を包んだ長い白髪頭の師匠が、眉間に皺を刻んで私を睥睨していた。もともと顔中皺だらけだからそんな顔をすると余計皺が目立って怖い。でも師匠は普段からこの表情なので、別に怒っているわけじゃあない。

 私は座り込んでいたせいで汚れたお尻の土をはたき、背の高い師匠を見上げ笑った。

「お帰りなさい師匠!今回は早かったですね、お話し合いは短かったんですか?」

「いいや」

 師匠は髭の無いあごをつるりと撫でて、面倒くさそうに目を細めた。

「あまりにくだらん議題だったので途中で抜けてきた。あんなものにいちいち召集をかける連中の気が知れんわ、何故時間の無駄だと思わないのか不思議でならない」

「…えっ、ま、魔術協会の会議を抜けていいんですか?師匠怒られないですか?」

「さぁな。どうだか知らんがまぁ怒るんじゃないか?―――それでグリフ、まだお前は私の質問に答えていないが、裏庭に座り込んで一体何をしていたのだ?」

 さらっととんでもない発言を何てことないかのように口にして、師匠が真っ黒い瞳でじろりと私を見下ろした。恐ろしく不愉快そうな、それでいて目つきの悪い師匠の目を見つめ、私はそうだと思い出して興奮気味にさっきまで見ていたものを説明した。

「そうです、聞いてください師匠!私、課題が終わったあとお昼ごはんを食べようと思って野菜を取りに裏庭に来たんです。そしたら、そこに野菜泥棒のキツネが居て、追い払おうとしたらそこの茂みから知らない男の人が現れたのです。キツネはその人に捕まえられ、その人はキツネを縛ると笑顔で私にお菓子を上げるから一緒においでよと手招きしました。私が悩んでいるとそこへ森に住む熊さんがやってきて、男の人を殴りつけ遠くへ放り投げました。熊さんは用が済んだとばかりに森へ帰ろうとしたのですが庭の野菜に躓いて、長い間気絶していました。―――師匠、これは弱肉強食ですよね?でも結局どれが一番強いのでしょうか、野菜ですか?それを考えていたら良く解らなくて、こうしてずっと悩んでいました」

 起こった事を説明しながら若干荒れてしまった裏庭の野菜畑に溜め息をつくと、師匠がふむ、と言って首をかしげた。

「確かに良く解らないが、とりあえず熊には礼を言わねばならんな。…それでグリフ、結局のところ昼食は食べたのか」

 表情は変わらず指摘され、はっとお腹を押さえるとぐぎょおおーととんでもない音がした。師匠がうん?と私に答えを促すのを見て、慌てて両手を振って報告する。

「ど、どうしましょう、食べていません師匠。とてもお腹がすきました」

「まぁ食べていないならそうだろうな。何せもうすぐ夕方だ。…グリフ、家に入りなさい。王都で土産を買ってきた」

「王都のお土産!?」

「あぁ、ハムだ。グリフの好物だろう」

「しっ師匠ー!」

 ひし、と腰に抱きつくと、皺だらけの手が私の頭をぽんぽんと叩き、解った解ったと言った。見た目を裏切るとても優しいこの動作は、師匠が本当はとても優しい人という証明だ。

「少々時間は早いが夕食にしよう。行く前に出した課題の結果も見せてもらわねばな。どうだ、水は出せたか?」

「はい、頑張りました!魔術構成はきっと完璧です。でも何故だか水が緑色をしています」

「…それは完璧ではないということだ。どこか間違えたな」

「そんな!」

 やり直しだな、と言う師匠の無愛想な顔を傾いた陽が照らし、肌が卵の黄身みたいな色になった。皺だらけの顔はそのせいで影が縁取り、眉間に刻まれた皺も相俟っていつも以上に怖さが増した。

「まぁまずは食事だ。王都の土産話もしてやるから、手を洗ってテーブルに来なさい」

「はい師匠!」


 私の師匠は魔術師だ。無愛想で皺だらけの年寄りで、身長が高く長い白髪頭を伸ばしっぱなしにした、偏屈者で顔が怖い魔術師だ。そして師匠は、私が世界で一番大好きな魔術師だ。



 * * *



 私の名前はグリフ・デラール。短い白髪に緑の目をした、貧相な体と名前のせいで良く少年と間違われる女の子で、年齢は十四歳になる。七歳の頃にこの国オーヴスでいちばんの魔術師、そしていちばんの偏屈者であると有名な私の師匠、ジェイネルヴィアスタ・ミーニア・エル・インファンさまに弟子入りし、一番弟子として日々魔術研鑽に励んでいる。…今一番弟子と威張ってみたが、師匠の弟子は私しかいないので本当は一番も二番もない。今は独立した兄弟子とかそういう人も居ないようで、一度だけ連れて行ってもらった魔術協会本部で会議に参加していた魔術師に「一体何故、どうして弟子になれたのか」ととてもしつこく尋ねられた。そんな事聞かれても知らないし、私はただ森をうろついていたら師匠が拾ってくれて、魔術をしてみるかと聞かれたから頷いただけなので理由なんか解らない。因みにあれ以来師匠は私を会議に連れて行ってくれなくなったが、それは多分私が魔術師のあまりのしつこさに泣きべそをかいていたせいではないかと思う。師匠は魔術指導は厳しいが、普段はとても優しい人だからだ。そういう風に他人に言うと皆口をそろえてあり得ないと言うけれど。

 魔術師というのは寿命が無い。不死ではないから殺されたり事故だったりで死ぬ事はあるけど、基本的に二十を越えたあたりで皆不老になる。師匠も魔術師だから不老なはずで実際気が遠くなるくらい長く生きているそうだけれど、何故皺だらけのじーちゃんなのかは教えてくれない。呪いのようなものだ、とだけ言ってあとはさっぱりなのだ。師匠には友達がたくさんいて、良く家に遊びに来るから誰か一人くらいは知ってるかなと聞いてみたけれど、そろいも揃って「はて、インファンの姿は昔と何か違ったかな。気にしておらなんだ」と首をかしげて終わってしまった。人外に聞いたのが間違いだった。師匠の友達はどうして人間でないものばかりなんだろう、悔しい。


「あぁグリフ、そこだ。その三十二番目の構成子に沼のスペルが入っている」

「ええっ、わーあああ本当だ!」

「落ち着きなさい。直すのはいいがそんな強引にすれば、」

「ああああ消えた!!師匠、構成が全部消えました!」

「…そうだな、強引にやると構成は全部消える。この間教えたばかりだろう」

 家に入って食事中から勉強まで、そして失敗した今も全く表情を変えずに師匠が言う。声だけは若干呆れが混ざっているけれど、顔は相も変わらず眉間に刻まれた皺と睥睨しているかのような目つき、いつもどおりの恐ろしい顔だ。

「すみません、また作り直します…」

「そうしなさい。だが今日はこれで終わりだ、明日また見せるように」

 はい、と言いながら私はもう消えてなくなった、宙に浮いていたはずの水の魔術構成にがっくりと項垂れた。師匠が席を立ち、台所の方へと姿を消す。私はテーブルにほっぺたを押し付けて唸った。今回のは結構自信作だっただけにショックも大きい。

「うう、うう、くそー、五時間もかかったのに!」

 師匠が魔術協会へ行ったのは朝六時前で、それからお昼になるまで私はずっと構成を練っていた。お昼からも本当は見直すつもりで居たが、ちょっと庭で一騒動あってできず結局失敗でこの通りだ。師匠が片手間にほいほいとやってのけてしまう初級の魔術を七年見習いしてこれなわけだから、私って才能無いんじゃないかとさすがに最近思っている。


 ―――魔術というのは設計に近い。練った自分の魔力言語を対象と関連付け、対象を出現、あるいは使役するためにどのように動かしどのような処理をするか、また失敗した場合の処理方法まで考えて記述しなければならない。一度完成さえすればキーワードを示すだけで実行できるようになるのだけど、完成しなければ使えない。私が今使える魔術は六個くらいなもので、しかもどれも基礎中の基礎のものばかりだ。だから今回魔術の中でも割と難しい水系の、まぁ初級だけれど、水出現の魔術を課題に出され「ステップアップだ!」と意気込んでいたというのに!この有り様!


「うううううおおおおおおっおのれぇえええええっ」

「…グリフ、落ち着きなさい」

「師匠っ師しょ……あれ、香草茶ですか?」

 いつの間にか戻ってきていた師匠にがばりと顔を上げると、目の前にとてもいい香りのするマグカップを置かれた。きょとんとして向かい側の席に腰を下ろす師匠を見れば、自身も同じカップを持ちいかめしい顔で頷く。

「心を落ち着けるネーガの葉だ。お前は集中力が高いのはいいが、冷静さに欠ける。魔術を志すものは常に冷静でなければならない。お前も来年十五になる、成人するのだよ」

「は、はい師匠…」

 カップを傾けながら静かに言う師匠に、姿勢を正して少し項垂れる。冷静さがないとは常々言われているし、自分でもどうかと思っていたので耳が痛い。

「特にこの国の女性は十五で結婚相手を決める。魔術師を志すお前は必ずしもそうあらずとも良いが、一生一人身という訳にはいくまい。もう少し淑やかさを身に着けねば夫君など見つからぬぞ」

「え、ええーっ」

 師匠の言葉にショックを受け、私は早速冷静さを忘れてがたーんと椅子を弾いて立ち上がった。師匠の目が明らかに今呆れを乗せているが、それどころじゃない。

「そんな、酷いです師匠!」

「そうは言うが、そう落ち着きが無くてはな」

「師匠も嫁は淑やかでなければだめだと思っていたのですか!師匠も嫁淑女派ですか!」

「嫁淑女派?いや、私はそう拘りはないが、世間一般では」

「ないんですね!師匠は淑女じゃなくてもいいんですね!」

 勢い込んで尋ねた私に、師匠がまぁそうだがと困ったように呟いてお茶を飲んだ。

「やった!じゃあ師匠、私は師匠と結婚します!」

「――――――何を言っている、グリフ」

 少し長い間をあけて、師匠がいつもと変わらない無表情でそう言った。相手にされないだろうなとは解っていたから、その冷静な反応も返事も別にショックじゃない。

 私はにこにこと笑いながら、弾いた椅子を戻して座った。

「師匠独身ですよね。私は師匠が大好きなのです。だから師匠以外とは結婚しません」

「……………結婚と言うのはなグリフ、恋し愛する者と行うものだ」

「師匠が大好きです!師匠に恋して愛してます!師匠ラブです!」

「……………ふむ」

 師匠がポットを手に取り、空になったカップに香草茶をなみなみと注いだ。それを静かに一気飲みすると再びポットを手に取り、空になったカップに茶をなみなみと注ぐ。

「師匠、そんなに飲んだらトイレが近くなりますよ」

「ふむ、そうだな、ふむ」

 それも一気に飲み干し、相変わらずの無表情で師匠が虚空を見つめた。

「グリフ」

「はい師匠!」

「私は若者に見えるか」

「いいえ、じーちゃんに見えます!」

「グリフは年寄りが好きなのか」

「いいえ、師匠が好きです!」

「…………、グリフ」

「はい師匠!」

 私に目を合わせ、師匠がいつもと変わらない顔と口調で、でも少し小さな声で言った。

「つまりお前は、見た目がどうあろうと、ただ私だから愛している、と」

「はい師匠、師匠だから愛しています!」

 嬉しくなってにこにこしながら答えると、師匠は急に大きな溜め息をついて項垂れた。空になったカップが手から滑り、ごろりと転がってテーブルを踊る。

 私はそれを落としてはいけないと思って、カップを追いかけ手を伸ばした。

「グリフ」

「はい師しょ…………」


 ごろりとカップが転がり、テーブルの下でがしゃんと砕けた。

 私は中途半端な中腰のまま動けず、こちらを見つめる師匠、だったはずの人物を唖然として見つめた。

「何だその顔は。見た目は関係ないと言ったのはお前だろうに」

「しっしっしっしっ」

「…落ち着きなさい、グリフ」

「しっ――――師匠?」

 ああ、と頷いた師匠は、皺だらけの顔でも白髪でも恐ろしく睥睨する目つきの年寄りでもなくて、長い黒髪と凛とした黒い瞳の、びっくりするくらい綺麗な若い男の人だった。やっぱり表情が乏しいのは変わらないようでほとんど顔は微動だにしないけれど、若い綺麗な男の人は師匠と同じ口調で私の名を呼んだ。

「グリフ、口を閉じなさい。…しかし、まさかなぁ、解けるとは。解呪方法を知った時にもう死ぬまで無理だと諦めていたが」

「と、とける?な、何をですか?」

「以前何故年寄りなのかと問うたお前に、呪いだと言っただろう」

「え?あ、―――ええっ!?何がどうすればとけたんですか!?」

「……"人の恐れる顔立ちの老人のまま、未成年者に本気で愛される"、それが解呪の条件だった。まず普通に考えて無理だろう」

 若干疲れたように言った師匠に、私はただただあんぐりと口をあけた。私はただ、大好きな師匠と離れたくなくて、愛しているという気持ちを伝えただけなのに。

 そこまで考えて、私はハッとある事に気付いた。いけない、事実はどうであれそれよりも私には聞かねばならない事がある。私は慌てて師匠を見つめ、その綺麗になってしまった顔にぐっと指を突きつけた。

「師匠!それで結局私と結婚してくれるのですか、してくれないのですか!お返事をいただいていませんよ!」

「……………」

 仁王立ちした私の鬼気迫る顔を、師匠が無表情で見返した。負けるものかと見つめ続けていると、指差していた手をそっと握られ、信じられない事に――――師匠が、笑った。


「恩人であり可愛い弟子の願いを断れる訳もあるまい。…まぁ、どのみち成人してからだがな」


 そう言って微笑んだ師匠があまりに綺麗すぎて、私は叫びながらあとずさり、結局泣きながらお願いして元の年寄り師匠に姿を変化してもらった。せっかく戻れたのに悪いとは思うけど、正直あれは慣れないとつらい。

 どうせ成人するまでまだ時間があるわけだし、まぁちょっとずつ慣らすという事で師匠は納得した。まぁそれはいいにしても、何故あんな呪いを受ける羽目になったのだろう。師匠は本当に謎の多い人だと思っていたけれど、素顔がわかったところで何故だか更に謎が増えた。



 ――――私の師匠は魔術師だ。無愛想で美しくて若くて、身長が高く長い黒髪を伸ばしっぱなしにした、偏屈者で笑顔が綺麗過ぎる魔術師だ。そして師匠は、私が世界で一番大好きな魔術師だ。


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