第四話
翌日は金曜日だった。朝教室に入ると昨日と同じように好奇の視線にさらされた。けれど、それもどこか落ちついたように感じられた。俺がその空気に慣れただけかもしれないし、教室の空気とその視線が混ざって一つの空気を形成したのかもしれない。
深森は今日も教科書とノートを並べて席についていた。背筋を伸ばし整った姿勢で椅子に腰掛けている。俺は何となく声をかけてはいけない気持ちになって、目を逸らしながら荷物を下ろした。
授業中も彼女はいたって普通だった。回ってくる順番を乱すことなく、教師に指されれば淀みなく回答してみせる。教科書をめくる際は音を立てず静かで、シャーペンを動かす様も整って見える。そんな彼女の姿が俺の視界にちらついていた。
午前中の授業を終えると昼休みがやってきた。教室がにわかに騒がしくなる。弁当を手にしたり、教室を出ていく様子はいつも通りのようでもあったし、どこか違うようにも思えた。俺はいつもと同じように健斗と机を挟んで弁当を食べる。視界の端にはやはり深森がいた。そんないつも通りが今日は心地よく思えた。
弁当がもうすぐ食べ終わるころ、すでに食べ終えたらしい深森が席を立って教室から出て行った。椅子をしまう動作がいつも以上に静かな気がした。その様子を目で追った健斗が口を開く。
「ここだけの話さ、」
そう前置きして、健斗は少し言い淀む。
「深森さんなんじゃないかっていう人もいるんだよな」
その言い方は断定というよりも、探るようだった。その言葉を聞いて俺は少し心臓が跳ねるのを感じた。それを悟られないように、できるだけ平静を装って、健斗と同じように抑えた声で返事をする。
「…何がだよ」
「だから、このクラスに“いる”って話」
そう言った健斗は弁当から目を離し、こちらに顔を向けていた。今日は簡単に逃してはくれないらしい。
「あんまり、言うなって言っただろ」
少し低い声で返すと健斗はため息をついて、顔の力を抜いた。
「別にさ、俺も何か思ってるわけじゃないんだけど。でも、なんていうか…どう接すればいいのか分かんねえっていうか」
「俺らがどうこういう話じゃないだろ」
「…まあ、そういう考え方もあるよな。」
そう言って椅子にもたれかかる。
「…多文化共生ってのはなんなんだろうな」
それっきり健斗は口をつぐんだ。俺は考えを止めるみたいに、健斗から目を離すと弁当の残りを口に詰め込んだ。
五分もしないうちに深森が教室に戻ってきた。職員室にでも行っていたのか、出て行くときには持っていなかったプリントを手に持っている。俺は隣の席につく彼女に気まずさを覚え、顔を逸らしてしまった。
**********
必要もないはずの居心地の悪さを深森に覚えながら、午後の授業を受ける。原因は明らかに昼休みの健斗との会話だ。彼女はクラスメートともあまり関わらないし、噂の対象になってしまうのも仕方がないことなのだろう。今回は運悪く–––––知っているのは俺だけのはずだが–––––そういう噂が立ってしまったというだけのことだ。
心のざらつきを隠し、ついでに隣の彼女から視線を逸らすようにしながら、俺は午後の授業をなんとかやり過ごした。帰りのホームルームの最中、横からいつもの合図が送られてきた。俺はぎこちなくならないように、さりげなく隣に視線を向けると頷きを返す。きっと彼女にはバレていない、そう思えることが嬉しかった。
ホームルームが終わると、深森は静かに教室を後にした。彼女は俺に声をかけることもなかったし、視線が向けられることもなかった。俺はそれに声をかけることもなく視線だけで見送った。
彼女が出て行った後の教室で自分の荷物を片付ける。今日も例の噂話をする声が聞こえていたが、先日よりも声が潜められていてコソコソとしているようだった。俺はそんな声を背に荷物を持って席を立った。
下駄箱を通って校舎裏に向かう。今日は変に焦ることも遅くなることもなかった。深森は今日も一足先にベンチで俺を待っていた。地面を見つめて静かに座っている。
「お待たせ」
そう告げる俺に深森は視線を下げたまま、袋を差し出してきた。
「…どうぞ」
「ありがとう」
俺は彼女の様子に少し違和感を覚えながらも、礼を言って菓子を受け取る。今日は、マドレーヌだ。
二人して言葉を発することなく菓子を食む時間が続く。結衣も噂話は耳にしているだろうに、彼女は何も言わなかった。俺は彼女がいつも通りでいることが嬉しかった。俺から何か言おうかとも悩んだが、結局良い言葉は思いつかなかった。
二人だけの放課後の時間は静かに過ぎていった。




