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私が死ぬのを、夫は待っているらしい。  作者: 須東きりこ
3.襲撃

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9/10

(1)



 ロッシュとの再会は、フィアナが考えていたよりもずっと早く実現した。

 その日の帰り、研究所の正門を出たところで馬車が止まったので、どうしたのかと馬車の窓から外を見ると、ロッシュが馬に乗って来てくれていた。


「ロッシュ、おかえりなさい!」


 とても会いたかったので嬉しくなって、フィアナは窓を開けて声をかけてしまう。


「ただいま戻りました、フィアナ様」


 ロッシュはまだ旅装のままだった。

 もしかしたら、故郷から帰ってきてすぐに来てくれたのかもしれない。

 仕事熱心な人だと、クラリッサに会う前までなら何の疑問もなく思えたのに、今はどうしても胸の奥がモヤっとしてしまう。


(ロッシュはレオナルドに一体何を頼まれて、そばにいるのだろう)


 本当に護衛のため? それともフィアナがどこかに逃げ出さないようにするため?

 そんな疑いを持ってしまう自分がイヤで、フィアナは馬車の中に戻り、窓にカーテンをひいた。


 泣きすぎて腫れてしまった目を冷やしながら、ロッシュにどう話をするべきか考えていると、すぐに馬車は屋敷に到着した。

 いつもは屋敷の執事ヨハンが開けてくれる扉を、今日はロッシュが開けてくれる。


「おかえりなさいませ、フィアナ様」

「ただいま、ロッシュ」


 少し冷静になれたせいか、ロッシュに自然な笑顔を向けることができた。


「ロッシュ、予定より早い帰りよね? 急いで仕事に戻らなくていいのよ?」

「王都での仕事が恋しくて、急いで帰ってきてしまいました。俺から仕事を取り上げないでください」

「働き者ね、ロッシュ」

「フィアナ様には負けますよ」


 ロッシュが屋敷の中へとエスコートしてくれる。

 完璧なエスコートをしつつ、彼が赤く腫れている目元を気にしているのがわかってしまった。


「フィアナ様、伯爵領からクラリッサ様がいらしたと聞きました」

「ん……、今日初めてお会いしたわ」

「クラリッサ様は何を」


 フィアナの私室へ階段を上がろうと足をかけたところで、ロッシュがぎくりと足を止めた。

 そして突然、片手で自分の鼻と口を押える。


「ロッシュ?」


 その時、屋敷の奥のほうから、何かが割れるがしゃんという音が聞こえて来た。


「フィアナ様、こっちです」

「ロッシュ?」


 廊下の奥からこちらに向かって、何者かがやってくる気配がした。

 ロッシュがフィアナの手を引いて、階段わきにある扉から使用人用の通路へと飛び込む。

 その途端、血の匂いを感じて顔をしかめる。通路の中は血の匂いが充満していた。


「血が! 何が起きてるの」

「屋敷内に侵入者がいるようですね」

「そ、そうなの?」

「眠り香がたかれています。みんな眠っているのかもしれません。フィアナ様も鼻と口を覆ってください」

「私は大丈夫。毒や薬の類は効きにくいの」


 それでロッシュは突然、口と鼻を押さえたのだ。

 言われてみれば、屋敷の中はいつもと違う不思議な香りが漂っていた。

 今は血の匂いのほうが強くてよくわからないが、この通路の中にも香っているのだろう。

 使用人用通路を進み、地下の狭い階段に到達すると、メイド一人と下働きの中年の男が倒れ伏しているのに遭遇する。男の方は、肩から血を流していた。


「きゃっ」

「声を出さないように」


 フィアナは悲鳴をあげかけ、ロッシュに口を手でふさがれた。


「大丈夫。傷は浅いです」


 ロッシュはすぐに男のそばに膝をつき、傷の状態を確かめる。

 命に別条がないと判断すると、男の腰にあった手拭いを拝借し、自分の鼻と口を覆う。

 そして、腰の剣をすらりと抜いた。


 途端にすっと引き締まるロッシュの気配に、フィアナも息をのむ。

 何が起きているのかまだ分からないが、今は緊急事態で命の危険があるのだと、実感がわいた。


「行きますよ」


 ロッシュはフィアナを手をとり、廊下をさらに奥へと進んでいく。

 使用人用の食堂の手前、騎士が一人足を投げ出して座り込んでいた。


「おい、なにがあった」


 この屋敷で働く騎士の一人。ロッシュは傍らに膝をつくと、遠慮なく頬を叩いた。


「ロッシュ、か」


 眠りは浅かったのか、何度か叩くと騎士は目を覚ます。


「なにがあった」

「眠り香が投げ込まれた。連中は……多分、傭兵だろう。数は十といったところか」


 話しながら、騎士はぶるりと頭を振る。

 意識をはっきりさせようとしているのだろう。尻ポケットからハンカチを引っ張り出し、ロッシュのように鼻と口を覆うように固定した。


「目的は?」

「フィアナ様だ。殺すつもりだぞ」


 びくりとフィアナは体を震わせる。


「あと、花の種だろう。部屋をあさっている」


 黄色のヴェネラの種は、部屋の中に隠してある。見つかってしまったかもしれない。

 庭の畑の苗は無事だろうか。今年の冬、咲きそうだったのに。

 フィアナは自分の命が狙われているというのに、花の心配で頭がいっぱいになる。


「おい! ここにい」


 突然、男の声が響いたが、不自然に途中で途切れる。

 そして、どさりと重い物が崩れる音が続いた。

 フィアナはロッシュに目を覆われてしまったが、騎士が短剣を投げるのと、視界の隅を血らしき赤がちらりとかすめていったのがわかった。


 孤児育ちだったが、幼い頃から学問を与えられたフィアナは、暴力とは縁遠い世界に生きてきた。

 血を見たことぐらいはあっても、目の前で人が血を噴き出すような荒事には慣れていない。


 恐ろしさに小さく震えだしたフィアナの手を引き、ロッシュともう一人の騎士は屋敷の地下へと向かう。

 屋敷の地下には緊急脱出用の地下通路がある。

 元々は貴族の屋敷だったので設置されていた地下通路を、レオナルドが拡充したもので、フィアナも引越してきたときに見せてもらった。

 まさか、本当に使う日が来るなんて、その時は思ってもいなかった。


「いたぞ!」


 廊下の先、執事の部屋から黒づくめの男が飛び出してくる。

 そして後方からも、同じような黒づくめの男が来て、フィアナたちは前後で敵に挟まれてしまった。


 前と後ろ、両方から激しい剣戟が聞こえてくる。

 金属同士をこすり合わせる、ひどく耳障りな音。

 フィアナは悲鳴を上げないようにするだけで精一杯。両手で耳をおさえ、ぎゅっと目を閉ざしてしまう。


「ひっ」


 すると、どこからか生温かい液体が飛んできて、フィアナの頬と右半身をぬらす。

 鉄の匂いを確認するまでもなく、それが血だということはすぐにわかった。

 薄く目を開けた視界の中、ロッシュが相手をしていた男が血を噴き出しながら倒れていく。


「行け、フィアナ様を頼む!」


 もう一人の騎士が叫ぶ。


「わかった」


 フィアナの腕を凄い力で握り締めると、ロッシュは通路の奥へと走り出した。

 背後から聞こえてくる剣戟の音に心を残しながらも、フィアナはロッシュの背中を見ながら懸命に走る。

 廊下の突き当り、用具入れになっている狭いスペースに飛び込み、一番奥にある小さな扉にたどり着いた。

 屋敷を抜け出す、秘密の通路の入口だ。助かったと、フィアナは一瞬、気が抜ける。


「!」


 背後から飛んできた短剣が、ロッシュの肩をかすめ、扉に深々と突き刺さった。

 悲鳴を押し殺しつつ振り返れば、黒づくめの男が一人、肩で息をしながらも、剣を構え二人に迫っていた。


「フィアナ様、中へ」

「ロッシュ!」


 フィアナは強引に扉の向こうへとロッシュに押し込まれてしまった。

 すぐに扉を開けようとしたが、鍵をかけられてしまって開かない。

 この扉は、両方向から鍵をかけられる構造になっているのだ。


「ロッシュ! ロッシュ!」


 扉に耳を貼り付けると、鉄と鉄がこすり合わされる剣戟の嫌な音が聞こえてくる。

 ロッシュはさっきの黒づくめの敵と戦っているのだ。


「うそ、どうして、どうしてなのっ」


 涙がぼろぼろ落ちてくる。

 なぜこんなことになっているのだろう。

 フィアナはただ花を咲かせただけだ。絶滅寸前だった、珍しい花だっただけ。

 屋敷の人たちや騎士たち、ロッシュの命のほうが、フィアナにはずっと大切なのに。


「ロッシュ! ロッシュ!」


 分不相応なことをしてしまったのだ。

 レオナルドのような素敵な人に求愛されて、馬鹿な夢を見てしまった。

 自分が価値ある人間なのかもしれないなんて思いあがり、花を咲かせたことで証明しようなんて思ったから。だから、こんなことになってしまったのだ。


 レオナルドはもういない。あと二か月で自分も死ぬ。このままでは、ロッシュまで失ってしまう。

 それだけは、駄目だ。自分なんかのために、ロッシュを死なせることだけは駄目だ。


 ガチっと、扉の鍵が外される音がした。

 フィアナは急いで扉を開く。

 むわりとする血の匂い。そして、扉のすぐ横の壁に寄り掛かり、ロッシュが床に座り込んでいた。


「ロッシュ!」


 大きく肩を上下させ、ロッシュは苦しそうに息をしていた。

 右肩をざっくり斬られ、左わき腹の肉をえぐられ、出血がものすごい。

 このままでは失血死するのは確実だろう。

 フィアナは涙を袖でぬぐいながら、ロッシュのそばに膝をついた。


「フィアナ様、申し訳ありません、一人で行ってください」

「ロッシュ、だめよ、手当をしないと」

「次に追手が来たら、俺はもう戦えません。逃げてください、フィアナ様」


 ロッシュと闘っていた黒づくめの敵が二人、床に転がっていた。

 フィアナが扉の向こうに追いやられてから、敵はもう一人増えたらしい。

 二人とも死んでいた。

 ロッシュがこうなっていたかもしれない。そして、次はもっと大勢の敵が来るかもしれない。


「大丈夫、俺は死にません。ただ、もうすぐに寝てしまうし、この怪我では走れない。フィアナ様を一人にするのは、俺も怖い。だが、ここにいては、あなたは殺されてしまう。逃げてください」


 ロッシュは優しく、フィアナの頬の涙を指先でぬぐってくれる。

 息をするだけでも苦しそうなのに、笑顔までみせてくれた。


「扉の向こうに、緊急の逃走用物資があるの、覚えていますか。持って行ってください。そしてこの通路の先にある商家で、馬を貰ってください。馬に乗って逃げるんです」

「そんな、逃げるなんて、できないわ」


 こんな状態のロッシュを置いてはいけない。

 すぐに手当てしなければ、失血死してしまう。


「それに、だって、ロッシュ。逃げるといっても、私はどこに逃げればいいの? 逃げるところなんて、私を助けてくれるところなんて、どこにもない」


 今、フィアナを助けてくれるのは、ロッシュと屋敷の人々ぐらい。

 逃げ込める場所だって、この屋敷以外になんて思いつかない。


「フィアナ様が逃げるところは、レオのところです。決まってるじゃないですか」


 ロッシュは強い口調でそう言った。

 何を当たり前のことをと、レオナルドを信じ切っているいつもの口調だった。


「クラリッサ様に会ったと聞いています。あの方はレオを目の敵にしているので、さぞ悪口を吹きこまれたことでしょう。ですが、レオは本当にあなたを愛していて、あなたのためだけに生きている。俺が保証します」


 きっぱりとロッシュに断言してもらい、フィアナの胸の奥に小さいながらも温かな火がともる。

 レオナルドを信じていいのだ、自分は間違っていないのだと、かすかに自信が戻る。


「フィアナ様、東に向かってください。帝国に向かうんです。レオは帝国にいます」

「ブロス帝国?」

「そうです。これを割ってください」


 ロッシュは自分の首元を探り、ネックレスの鎖を指にかけて引っ張り出す。

 ネックレスには小さな瓶が通されていて、その中には薄い紫の水晶が入っていた。

 フィアナはロッシュに指示されたとおりに瓶から水晶を取り出すと、薄いそれをぱきりと折った。


「これで今、レオにすぐに帰って来いという指示が飛びました」


 フィアナは驚きに目を見張る。

 魔法のこもった水晶はとても貴重なのだ。

 それをレオナルドとロッシュが連絡を取るために持っているということは、レオナルドは本気で戻ってくるつもりだという証拠。胸の奥の火はまた少し大きくなる。


「レオは帝国からこちらへ向かってきます。フィアナ様と森で会えるはず。東に、帝国に向かってください。レオを信じて」

「ロッシュ……」

「行ってください、フィアナ様。そして、扉を向こうから施錠してください。扉の鍵は頑丈で、壊すのに時間がかかる。その間に、馬を手に入れて逃げ出せます」


 もっとロッシュと話をしたかった。

 レオナルドが帝国で何をしているのか知りたいし、姉クラリッサに言われたことも、予言のことも聞きたい。

 だが、遠く人々の足音が近づいてくる。

 ロッシュがぐっと剣を握る手に力を込めたのがわかり、フィアナは今すぐ行動しなければならないと悟る。


 敵が誰かもわからないけれど、狙いがフィアナであることは間違いない。

 そして、ロッシュは自分の命が尽きるまで、フィアナを守ろうとするだろう。

 今フィアナがロッシュのためにできることは、この場から逃げ出すことだけだ。


「ロッシュ、私は、レオを信じても大丈夫?」

「大丈夫です」


 フィアナの目を見つめ、ロッシュは気持ちをこめて深く頷いた。

 しゃくりあげて泣きながら、フィアナは頷き返す。


「ありがとう、ロッシュ」


 フィアナは扉を通り抜け、扉のむこうから鍵をかけた。

 これで、屋敷側からは扉を開けられない。

 かなり頑丈にできている扉なので、簡単には壊されないと、レオナルドが説明してくれた。

 扉が壊されるまでの時間で、少しでも屋敷から遠くに逃げるのだ。


 フィアナは泣きながら逃走用の装備を身に着ける。

 乗馬用のズボンをはき、靴を頑丈なブーツに替え、その上から村娘のようなワンピースをかぶる。

 現金や携帯食、水筒や薬が入ったカバンを背負い、丈夫な生地でできたフード付きマントで身を包む。


 がんがんと、扉が向こうから強くたたかれる。

 だが、頑丈な扉はびくともしない。

 ロッシュと屋敷の皆の無事を祈りながら、フィアナは闇の中に向かって走り出した。




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