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私が死ぬのを、夫は待っているらしい。  作者: 須東きりこ
1.植物学者フィアナ

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(3)



 帰りの馬車の中、向かい合って座ったフィアナとロッシュは、今日の反省と明日の打ち合わせをあっという間に済ませてしまった。

 なにしろ、フィアナは今日一日研究所にいたし、明日もヴェネラの畑に一日いる予定なので、ロッシュの出番は送迎ぐらいだからだ。


「一区切りついたという感じですね」

「はい。ロッシュもお疲れさまでした」


 二人は顔を見合わせ、にこりとする。

 冬の間、黄色のヴェネラのことで、フィアナは大忙しだった。

 帰りの馬車の中はいつもその日の反省会と、明日の対策を話し合うのに、時間が足りなかったぐらい。

 春になってヴェネラの咲く季節が終わり、争奪戦もようやく終息したのだ。


「フィアナ様、申し訳ないのですが、明日から一週間ほど休みを頂きたいのです」


 ロッシュが休みを欲しがるのは初めてのこと。

 ここに来て十か月、ロッシュは本当にずっとフィアナのそばについていてくれた。

 休んでもらわなければと思っていたので、フィアナは勢い込んで何度も頷いた。


「勿論! たくさん休んで、ロッシュ」

「休む必要があるのは、フィアナ様のほうですよ。俺が休みを取る間、フィアナ様も屋敷でゆっくりするのはどうですか?」

「それは……ちょっと無理かしら」


 首を横に振ると、ロッシュは腕を組み、うーんと考え込んでしまった。

 どうやら、ロッシュが不在になる間、フィアナには出歩いてほしくないようだ。


「私一人でも大丈夫よ。しばらくは、研究所と畑にしか行く予定はないし」

「護衛は代理をつけますが、気を付けてくださいね、フィアナ様」

「ありがとう、ロッシュ。大丈夫よ」


 ロッシュは心配そうにしつつも、休暇をとりやめるとは言わなかった。


「実家のほうで何かごたついているようなんです」

「えっと、ご実家というと、伯爵家のご領地?」

「はい。俺の両親は伯爵家で働いているんですが、前の伯爵夫人がどうやら御病気のようで」

「まあ!」

「俺が帰って何かできるということでもないのですが、一度様子を見てきます」


 前の伯爵夫人とは、フィアナの夫レオナルドの母のこと。

 レオナルドは伯爵家の長男として産まれたが、爵位は継がなかった。継いだのは第一子の姉で、夫と共に領地を治めている。

 この国では女性でも爵位を継ぐことはできるが、男子相続が優先される。弟がいるのに、姉が爵位をつぐというのは、通常あり得ない。


 弟のレオナルドに何か問題があったのではと誰もが思うだろう。だが、そんなことはない。

 王都で立派に騎士として働いていたし、明るい性格で友人も多く、頭もよくて人望もあった。

 レオナルドが爵位を継げないなんておかしいと怒る友人もたくさんいたそうだが、レオナルド本人は全く気にしていなかった。


 気楽なものだと喜んで、姉の相続を認め、レオナルド自身は実家の伯爵領から距離を置いた。

 伯爵位に未練などないと言わんばかりに、本人の実力だけであっという間に近衛騎士にまで出世。

 平民で孤児なフィアナと結婚するときも、伯爵になっていたらできなかったかもしれないと、爵位がないことを本気で喜んでいた。


 そんな事情があるからか、レオナルドは家族とは疎遠だ。

 特に爵位を継いだ姉とは、双方ともに会わないようにしているようだった。

 フィアナも姉の女伯爵にはまだ会ったこともない。

 結婚してすぐ領地に挨拶に行ったのだが、会えたのは母親の前伯爵夫人だけで、姉の一家はまさかの留守。レオナルドが行くことは知っていたのだから、あえての留守だったのは間違いない。


「えっと、その、私も行ったほうがいいのかしら?」


 義理の母親が病気なら、看病するべきではないかと、フィアナは考えてしまう。

 孤児で母親を知らないフィアナは、義理とはいえ母親という立場の人に冷たくできなかった。


「伯爵家には、レオの姉上が君臨していますから」


 ロッシュはちょっぴり困った顔でそんな風に言った。

 フィアナが看病したいと思っても、伯爵家のほうでは迷惑に思うのだろう。


「そうよね、うん、ごめんなさい」

「フィアナ様、レオの家族はその色々と特殊で……。レオが帰ってきたら、しっかり聞き出してやってください」

「そうするわね」


 フィアナが素直にこくりと頷くと、ロッシュはほっとした様子だった。


 馬車が速度を落とし、自宅の門をくぐる。

 王都の外れにある、閑静で大きな敷地を持つお屋敷は、レオナルドがフィアナと結婚を決めてすぐに購入した。

 元々は某子爵家が所有していた物件だったそうだ。

 レオナルドはさらに周囲の土地を買い足して敷地を拡げ、近代的な内装に改築。とても豪華で居心地のいい屋敷になっている。


「おかえりなさいませ、奥様」


 馬車が止まると、すぐに外から扉が開かれる。

 笑顔で挨拶してくれたのはこの屋敷の執事ヨハン。レオナルドが子供の頃から仕えていた初老の男で、伯爵家から引き抜かれてこの屋敷に来てくれた。

 レオナルドにとても忠実で、平民で孤児なフィアナのことも、奥様と呼んで敬ってくれる。


「ただいま戻りました」

「お疲れ様でした。夕食の準備ができておりますよ」


 執事ヨハンの教育がいいのか、この屋敷の使用人は誰もフィアナのことを軽んじたりしない。

 奥様と呼び、この屋敷の女主人として敬ってくれる。

 ここはとても居心地がいい。


『ここは俺とフィンの愛の巣ってやつだ』


 ふと、この屋敷に初めて連れてきてもらったときのことを思い出す。

 レオナルドはとても嬉しそうで、誇らしげだった。


『庭も広いから、フィンの好きなように畑を作れるぞ。屋敷は部屋数も多いから、子供は何人でも大丈夫さ』

『愛しているよ、フィン。この屋敷で、俺たち、家族になろう』

『この命が尽きるまで、来世だって、一緒に生きていたいんだ』


 レオナルドは結婚に躊躇していたフィアナを、いつも熱く口説いてくれた。

 孤独に慣れて、愛情を求めて手をのばすことさえ諦めてしまっていたフィアナに、辛抱強く何度も何度も手を差し伸べ、たっぷりの愛情を注いでくれた。

 レオナルドの愛に満たされ、フィアナは変わった。

 結婚式の日は、フィアナにとって、新たなる人生の始まりとも言える日だった。だが。


『すまない、フィン。どうしても今すぐやらなければならないことができたんだ。何も聞かずに一年、俺を待っていてくれないだろうか』


 結婚式から一週間後、レオナルドはひどく思い詰めた顔でそう切り出した。


『一年だけだ。その後はずっとそばにいる。フィンをずっと守れるように、俺は強くなりたい。そのために、どうしても一年必要なんだ』


 そんなこと、フィアナには到底受け入れられなかった。何かの冗談かと思ったぐらいだ。

 だがレオナルドは本気で、着々と自分が留守にする一年間のために準備を始めてしまう。


 まずあっさりと近衛騎士を辞めてしまった。

 近衛騎士といえば、この国の騎士の頂点。騎士を夢見る者にとって憧れの存在だというのに、レオナルドは引き留められても応じなかった。


 フィアナの護衛を任せるために、幼馴染のロッシュを領地から呼び寄せた。

 使用人を倍に増やし、フィアナが使う馬車を立派で頑丈なものに買い替え、屋敷の敷地を囲う柵まで補強した。


 そこまでされて、フィアナはようやくレオナルドが本気なのだとわかってきた。

 だって、フィアナは熱烈に口説かれたのだ。どうしても恋人になりたい、結婚したいと迫ってくるレオナルドに抗いきれなかったというのも、結婚した理由の一つだったぐらいだ。

 それなのに、結婚してたった一週間で出ていくと言い出されて、信じられるはずがなかった。

 何かの冗談か、駆け引きなのかと思っていたフィアナは、とても困惑した。


 出ていく理由もよくわからなかった。

 強くなりたいと言うが、あまりにも漠然としていて具体性がない。

 そもそも、レオナルドはこの国の精鋭である近衛の中で、最も腕がたつと言われるぐらい強い騎士。これ以上、何を強くなるのかと疑問に思うのは当然だろう。


 しかも、なぜこのタイミングなのか。

 結婚したばかり、まさにこれから二人で新生活を始めようというところ。なぜ結婚する前にすませておいてくれなかったのか。

 フィアナはたくさんの疑問をレオナルドにぶつけた。

 だが、レオナルドは頑なに何も話そうとはしなかった。


 仕方がないので、フィアナはレオナルドに同行しようと考えた。

 すると、レオナルドの拒絶はますますひどく、頑なになった。

 フィアナにはいつも激甘で、どんなお願いでも笑顔でこたえてくれるレオナルドは消えてしまったようだった。

 レオナルドの愛は冷めてしまったのか、自分は捨てられるのだろうかと、フィアナは絶望しかけたのだが。


『愛しているんだ、フィン。本当にすまない。だが一年だけ、俺を信じて待っていてほしい。一年だけだと約束する。俺はフィンに相応しい男になって戻ってくる。絶対だ』


 レオナルドは何度もそう言って、フィアナの前に膝をついた。

 フィアナの手をぎゅっとつかみ、置いていくのはレオナルドのくせに、まるでフィアナに捨てられたくないとすがるようだった。


 出発の前夜も、レオナルドは貪るようにフィアナを抱き、自分を刻み込むようにフィアナの肌に赤いあとを残した。

 そして、待っていてほしいと懇願してフィアナに縋りつき、涙をこぼす。

 フィアナがレオナルドの涙を見たのは、それが初めてだった。


 理由は全くわからない。

 だが、レオナルドにはフィアナに話せない事情があるということがわかった。

 そしてそれは、フィアナを裏切るようなことではない。愛が冷めたわけでもないと思えた。

 レオナルドの涙にキスをしながら、フィアナは夫を信じ、一年待つことを心に決めた。


 翌朝、信じて待っていると告げれば、レオナルドは輝くような笑顔を見せてくれた。

 自分は間違っていないと感じたことを、フィアナは忘れていない。一年間、忘れないようにしようと心に刻んである。


「フィアナ様?」


 馬車を下りたまま、ぼおっと突っ立っていたフィアナに、ロッシュが不思議そうに声をかけてくる。


「どうかしましたか?」

「いいえ、風が心地よくて。……もう春ね」


 来週はもう四月。

 春の花が咲き始め、風にも花の甘い香りがついているよう。

 そして、レオナルドが旅立った六月までもう少し。

 約束の一年まで、残り二か月となった。

 あと二か月辛抱すれば、レオナルドが帰ってくる。すべてがよくなる。


「六月まで、あと少しですね」


 ロッシュがそう言ってほほ笑み、執事ヨハンも笑顔になる。


「あと少しね」


 フィアナもそう繰り返して笑顔になる。


 六月を目前にしたこの時、フィアナはレオナルドが帰ってくることを心から信じていた。





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