愛の連続小説「おもてさん」第二部・第五話 戦闘服
【1】
講演会に情報収集に行く時の久満子の服装はひたすら地味だ。
クラブ・ホステスの営業用「女」が出たら、静かな言論の場が引っかき回されて情報収集どころではなくなる。
お酒を売りに来たんじゃなくて情報を取りに来たのだ。
欲を言えば森の中の木の葉の一枚のように、会場に埋没してしまいたい。
目の前の対象に集中するとは、そう言う事だ。
なんやかやと目移りして、一向に落ち着こうとしない「自分」は邪魔なのだ。
講師の話が理解できなければ、話そのものになってしまえば良い。
中身がどうあれ、同じ人間の言葉で話されている以上、何も伝わらないと言う事はあり得ない。
講師が舌足らずなら、こちらが相手の周波数に合わせる努力をすれば良い。
見ず知らずの相手と会うなり周波数を合わせるのは、接客業なら誰もがやっている。
多少の経験と訓練を積めば、そう難しい事ではない。
講師の話を頭で受け止めて、中途ハンパに理解しようとするからオウム返しになり、底が浅いのを見破られるのだ。
夏目漱石が理解できないなら、夏目漱石になってしまえば良いのである。
【2】
とうとう待ちわびていた、そして恐れてもいた「4月某日」が来た。
今日と言う日に、どんな服装・どんな作りをして行くべきか、久満子は小娘のように思い悩んでいた。
銀田一を男として意識する度に、顔が火照るような思いがする。これが恋でなくて何だろう。
天童に悪いとは思うが、好きになってしまったのだから仕方ない。
問題は、今の銀田一から見た久満子は「通行人A」以下の存在であると言う事だ。
取り敢えず「表さん」と呼んで貰うために、踏まなければならない手続き手順を知らない久満子ではない。物には順序があるのだ。
当然、着て行くものにも工夫が要る。
「相手がこう来たら、こっちはこう行く。当面の獲得目標はこれこれで、最終的な目的はこれだ」と言う戦略意識を片時も忘れてはならない。
たかが服一枚でも人生の分かれ道になるのだ。
そもそも普通の男は、女にファッション・センスの良さなど求めない。
と言うより、見る目がないのである。
ある朝、目が覚めたら久満子が男になっていたとする。
昨日までは総天然色だった世界が、いきなり白黒テレビの中に入り込んだように感じられて、生きるのが嫌になってしまうだろう。
(数少ない着道楽の男を除けば)世の男どもの服飾に対するセンスの低さは、それほど酷い。
実は新人ホステスだった頃、久満子はママから、こんな注意を受けていた。
「女性ファッション誌はセンスを磨くための教科書。そのまま真似しちゃダメ。実際にお店に出る時は、ギアを二段落としたくらいの作りになさい。そのうち分かると思うけど、多少は隙があるくらいの方が客には受けがいいのよ。」
色々思い悩んだ末にクマコが出した結論は、「やはり保守的なかっこうが良い」だった。
まあ、「杉並あたりの団地住まい。二人の子持ちでダンナは商社勤務。ちょっとオシャレでPTA活動にも熱心な四年制大学卒の主婦」と言った線で無難にまとめておこうと。
差し当たり認知して欲しいのは「久満子」じゃなく「表さん」なんだから。