52 マニュアル至上主義 モーゼ走行
これは僕の知らない話だ。
本城さんの後を付いて行き監視第ゼロ課の上、九段第三合同庁舎の真下にある地下駐車場に案内されている道中、安曇顧問と取り巻き四人の若手官僚は鬼塚課長に連れられ、ガラス張りのミーティングルームへ案内された。
集まった安曇顧問を含めたエリート集団は真っ白なテーブルに次々、積まれて行く辞書程の厚さがあろうかという、法律書とマニュアルを見て呆気に取られていた。
鬼塚課長が解説する。
「電波法令、総務省組織令、災害対策基本法、首都災害マニュアル、内閣危機管理マニュアル、そして……」
思わず安曇顧問は課長の話を遮り聞いた。
「こんなにあるのですか?」
「ウチもお役所なので憲法と規則の範囲内で仕事をしないとならん。このマニュアルからジャマーの被害を迅速に回復させる法令や訓令を探し、各、関係機関に手続きをする。膨大なので、我々の方で……」
「いえ、時間が勿体ないので早速、取り掛かります」
安曇顧問が取り巻き達に指示するとスーツの男達はテーブルを囲み、リレー方式で分厚い本を手渡しで回してから開く。
紙の厚みで微弱な風圧が各々の手に当たり、これは手強い相手だと実感させられる。
情報量の多い書物に早速、官僚達の意見交換が飛び交った。
「この場合、災害対策基本法の、どの項目に該当するんだ?」
「そもそも非常災害として扱うかどうかだ」
「なら、大規模地震対策特別措置法を調べた方がいいかもな」
鬼塚課長は真剣に取り組む若い官僚達を見てうろたえていた。
「い、いや……だから」
取り巻きの官僚から弱気な言葉が漏れる。
「一つの法令を調べるだけでも骨だな」
「訓令を一つ取っても、それに付随する訓令と合わせて読まないと、内容が理解できない」
「この量を短時間じゃ、消化しきれないぞ?」
「俺達だけでは人手が足りない」
一筋縄では攻略できない書物を目の当たりにして、下がり気味となった士気を、リーダーの安曇顧問が奮起させる。
「みんな、今は僕達にしか出来ないことを全力でやろう!」
四人の取り巻きは一丸となり「はい!」と強気の返事で不穏な空気をはね除けた。
この場の空気に呑まれそうになった鬼塚課長は、水を指すことを承知で皆に注目するよう投げ掛ける。
「き、聞いてくれ! ここに我々の方で作成したマニュアルが有って、ここに置かれた内容を一本化したジーメンス特別マニュアルだ。これを見れば短時間で済む」
スーツの官僚達は鬼塚課長が手に持つ、週刊雑誌程の薄いマニュアルを見て、何故もっと早く出さなかったのか? と、彼に冷めた目線を向けた。
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不法無線局探索車、DEURAS-M。
と、そんな念仏みたいな漢字をヅラヅラ並べられても、一応、この時代では中学生をやっている僕には何がなんだかわからない。
バーコードを立体的に建てた合同庁舎の地下駐車場から出発して、首都高速と平行しながら内堀通りを走り、皇居の北側をなぞるように東京駅へ向かう。
外見は銀色のSUVだけど、車内は不思議な作りをしており、運転席の後ろはテレビ台に似た設備が取り付けられ、パソコンと一体型になっていてパソコン画面には東京都の地図が表示されていた。
その左側に一回り小さいモニターが設置され、車のメーターに似た映像が映っている。
印象で語るならSF漫画やアニメに出てきそうな移動する秘密基地で、男子ならこの仕様に胸の高鳴りを押さえきれない。
運転席と助手席には紺色の作業服を着た男性職員、後部座先には本城さんと僕。
後部座席は機材を詰め込んでるわりに二人で乗車できるほど、空間がゆったりしていた。
本城さんは車内にあるパソコンに表示された地図と隣のモニターを交互に見ながら、脅威電波の拡大範囲を確認している。
そして驚くことに、DEURAS-Mは赤い回転警告灯を車の上に張り付けて、甲高いサイレンを鳴らしながら、やや速度オーバーして緊急走行している。
警察のパトカーと同じことが、この車にもできるのだ。
赤いランプに照らされ夜の内堀通りが、赤、黒と景色を見え隠れさせていた。
内堀通りは車が混雑していたが、警察車両が通過するのと同じく、前方の車は次から次に左右へはけていく。
旧約聖書に出てくるモーゼは地平を見ながら杖を立てると、目の前の大海が真っ二つに割れたと記してあるが、せっかく開けた道の先は新天地なんて希望の溢れる場所ではなく、邪悪な異類異形が待ち構える魔境だ。




