38 今、そこにある危機
それにしても異様な光景だ。
頭上に凶悪な怪獣が居るのに、誰も気付かず、群れを成した通行人は帰宅ラッシュというのもあって、足早にその下を通り抜ける。
トンネルを抜けるように巨大ジャマーをすり抜ける姿は、遊園地のアトラクションのようで呑気なものだ。
無理もない。
電磁波の身体を持つジャマーは一般人には見えない。
気付かなくて当然だし、気付いたら街は大混乱だ。
鬼塚課長は号令をかけた。
「諸君! 初動マニュアルに沿って対応して下さい。以後、巨大ジャマーを『目標』と定めます」
迅速に行動する秘密基地の職員とは対照的に、途方に暮れる若い官僚の五人は、巨大モニターを見ても反応が薄い。
若手官僚を代表して、安曇顧問が鬼塚課長へ声をかけた。
「鬼塚課長。僕達は電波が見えません。モニターの映像は丸ノ内の風景しか映っていないのですが?」
「あぁ、そうだったね」
気がついた課長はモニター下で作業するオペレーターに指示。
「君、電波伝播解析ツールを使ってレイ・トレーシングを行い、目標を視覚化して下さい」
「了解しました」
オペレーターがタッチパネルを操作している間、安曇顧問は鬼塚課長へ訪ねる。
「可視化? ジャマーを肉眼で見れるのですか?」
「あくまで映像越しに確認できるだけだよ。通常、電波伝播解析ツールは電波を光りに置き換えて、電波の拡散範囲や障害物に当たり、跳ね返る角度をシミュレートするツールだ」
課長の解説に合わせてモニターはアニメ調の画像に切り替わり、夜空は青色、建造物は灰色、中央のジャマーが黒、それぞれベタ塗りされる。
「そしてレイ・トレーシングという光の入射角データを元に、電磁波の三次元画像を作り、仮想的な肉付けを行う」
続いてアニメ調の映像にグラデーションが施され、色の層が細かく広がると立体的な像が形成される。
すると、この場にいる監視ゼロ課の職員が見ていた景色が再現。
夜景に浮かぶナマズ型ジャマーの巨躯を見た五人の若い官僚は、一様に驚きの声を上げた。
鬼塚課長が脱力気味に小言を漏らす。
「"今、そこにある危機"とは、よく言ったものだ」
室内中央、円卓型のテーブルを囲む数名のオペレーターが、男女入り乱れて報告を上げた。
「私鉄沿線、無線が妨害され在来線の運行に遅延が出ています」
「警視庁及び消防庁の無線に電波障害。通報や緊急車両に影響が出ています」
「SNSにて脅威電波被害を確認。投稿内容と現地で起きている被害状況が合致」
「医療施設で電磁波障害。電子機器が変調をきたしています」
報告を耳にした安曇顧問が鬼塚課長へ疑問を投げる。
「緊急無線と医療機器に障害? 無線も病院の機材も、電波干渉を受けないように設計されています。なぜ、障害が起きてるいのですか?」
「それは国の基準を元に電波障害が起きないよう、設計された機械だからだよ。ジャマーは多種多様な電磁波を放っている。それは国が基準とする電波を大幅に越えることもある。ゆえに緊急無線や医療機器は、ジャマーが放つ脅威電波に破壊されてしまう」
「消防無線が使えなければ急患の搬送先が見つからないし、医療機器が破壊されれぱ、集中治療室で延命を受ける患者は、生命を維持できません」
「それどころか、新生児などの保育器にも深刻な問題が起きる」
「ジャマーは人命すら左右するのですか?」
電波が見えない安曇顧問はジャマーの恐ろしさを肌で実感した。
澄ました顔を見せているが、眉間に深いシワを作りながら意見を述べる。
「課長。直ちに都民の避難誘導を指示しなければ」
「電波を肉眼で見ることができない一般人には、意味がないよ。避難誘導を促す理由付けもない」
「なら、このモニターのように加工した映像を、街頭テレビやネットのニュースに流し、確認させれば良いのでは?」
「フェイク映像として認知されるだけで、警告にはならんよ。古くは一九三八年、アメリカのラジオで、火星人の襲来をドラマ仕立てで放送し、ジャマーの脅威を知らせる試みがあったが、無用な混乱を招き事態はより悪くなった。だから我々、ジーメンスは秘密裏にジャマーを排除し、何事もなかったように事態を終結せねばならない」
安曇顧問はもどかしさを覚えながら、数時間前に自身が口にしたことを、思い返すかのように呟く。
「"安全を神話として維持しなければならない"……か」




