第六章 歌姫の選んだ歌
分厚い砂のカーテンが、前方を覆っています。アリアはそっと目じりに指をあてました。
――まるで、ティーナにしている目隠しのようね――
グリーク連合に宣戦布告をしたあと、両国は戦争の舞台や日時を事細かに決定していきました。死の雨によって砂漠に飲まれたこの世界では、どの国も暗黙の了解で、奇襲をしかけることや、市街地での戦闘行為を禁じていました。貴重な資源や、命が失われるのを防ぐためです。数少ない資源や国民を、戦争によって失ってしまっては、国だけでなく人類という種が滅んでしまうでしょう。
両国の話し合いの結果、戦場は両国を隔てるポル砂漠に決定しました。両軍が部隊を展開し(とはいえロメン国のイズンたちは、当然格納庫に入ったままですが)、みんな砂嵐が止むのを待ちます。
――あとはティーナを、うまく説得できるかだけど――
結局アリアは、ティーナを再起動することなく、目隠しをして戦場へ連れてきたのです。いぶかしげにその様子を見るセブ将軍たちに、アリアははっきりした口調で説明しました。
「歌姫に少し問題が発生いたしました。些細なものではございますが、万が一のことを考え、歌姫が歌うまではわたしと歌姫だけにしていただけませんか?」
問題と聞いて、他の将校たちは不安げに顔をしかめるのでしたが、セブ将軍だけは動じずにうなずきました。
「いいだろう。我らは格納庫付近で待機している。首尾よく歌姫に歌を歌わせることができたら、君たちは格納庫まで戻ってきなさい」
他の将校たちは、まだ疑わしげな顔でアリアを見ていましたが、セブ将軍の有無をいわさぬ圧力に、誰も口を開く者はいませんでした。アリアは軽くおじぎして、それから準備に取りかかったのです。
――ティーナ、どうかお願いね――
ティーナと二人きりになり、グリーク連合が自慢の自動車部隊を進軍させてくると、アリアは祈るようにティーナの起動スイッチを入れました。目隠しをしているので、紫色のひとみに光がともったのかわかりませんが、それでもアリアは起動したと確信していました。そして同時に、ティーナが心を失っていないことも。にぎっていたティーナの手が、ほんのりと温かくなったのですから。
「ティーナ、お願い、落ち着いて聞いて。レクイエムを、歌ってちょうだい。今日だけでいいの。そうすればわたしたちは」
アリアが言い終わらないうちに、ティーナは口を開いていました。ティーナのイズニウムから、低くて胸がしめつけられるような旋律がもれてきたのです。レクイエムでした。
「ティーナ……」
それ以上はなにも言えずに、アリアはティーナの口元に拡声器をあてがいました。恐怖と悲しみを植えつける、ティーナのレクイエムが拡散されていきます。グリーク連合の自動車部隊が、一台、また一台と止まります。
「なにをしている! 早く再起動させないか! 歌姫の呪いにかかった部隊からだ!」
グリーク連合の将軍でしょうか、どなり声がむなしく砂漠にひびきます。アリアは物悲しげにほほえみました。
「再起動させても、心は消えないわ。……ティーナだってそうだったのだから」
手のぬくもりを感じながら、最後は消え入るような声でつぶやきます。しかし、どうやらアリアの予想は当たっていたようです。再起動を急ぐイズニストたちが、あわててグリーク連合本部へ戻っていったのですから。
「それじゃあ、残りのイズンたちにもレクイエムを聴かせましょう」
アリアはそのまま、ティーナに歌い続けるように指示しました。ティーナはなにも答えずに、そのままレクイエムを歌い続けます。恐怖と絶望の旋律が砂漠を包み、そしてグリーク連合のイズンたちはみな、戦意喪失してうずくまってしまったのです。
――これで、終わるんだ――
アリアはティーナをぎゅっと抱きしめて、それから手をつなぎ、格納庫へ向かって歩きはじめました。ティーナも歌うのをやめて、目隠しをしたまま、よろよろとアリアにしがみついて歩いていきます。
「うまくいったようだな。よし、こちらも兵を展開しろ」
セブ将軍の声が、拡声器に乗って聞こえてきました。音を遮断する格納庫の扉が開き、中から銅製のイズンたちがぞろぞろと姿を現したのです。格納庫の中にいたため、当然このイズンたちは歌を聴いてはいませんでした。
「進軍しろ!」
セブ将軍の命令に従い、イズンたちは砂漠の砂を踏みしめて、ザッザッと歩みを進めていきます。砂ぼこりが舞い、アリアがわずかに顔をしかめたそのとき、なぜかレクイエムとは別の曲が聴こえてきたのです。
「えっ? え、なにが……?」
なにが起きたのかわからず、固まるアリアでしたが、すぐに誰かからはがいじめにされてしまったのです。がっしり押さえつける銅製の手を見て、アリアは目をむきました。怒声とともに、アリアたちにかけよろうとするセブ将軍の前にも、他のイズンたちが立ちふさがりました。
「なんだ、どういうことだ! お前たち、いったい……?」
セブ将軍の顔が凍りつきました。アリアも顔をこわばらせて、そしてようやくなにが起こったのか理解したのです。いつの間にか奪われていた拡声器を、ティーナが口元にあてています。その目からは、目隠しが取り払われていて、紫色の光がしっかりとアリアを見すえています。
「ティーナ! どうしてこんなことを! 歌うのをやめなさい!」
しかしティーナはやめませんでした。歌っていたのはあの、『喜びを分け与えよ』でした。それが拡声器によって砂漠全土に広がっていき、ロメン国のイズンたちが、次々と歩みを止めたのです。心が芽生えたのでしょう。
「おのれ、アリア、貴様いったいどういうつもりなんだ! まさか、我らを裏切って、グリーク連合につくつもりか!」
セブ将軍が、腰に下げていた剣を抜き放ちました。儀式用の飾りがついた剣ではなく、正真正銘敵を斬るための鉄の剣でした。それを見たまわりの、心が芽生えたイズンたちが、いっせいにセブ将軍に銃を向けます。
「くっ、貴様ら、人形のくせに……!」
「わたしたちは、人形じゃないわ。それに、戦争の道具でもない。みんなあなたたちと同じ、温かな心を持っているわ。わたしが歌った『アモーレ』で、みんな心を持ったのよ」
「くそっ、アリア、なんとかしろ! やつの起動スイッチを切るんだ!」
ですが、他のイズンにはがいじめにされていたアリアには、もちろんどうすることもできません。ただ、切れ長の青い目を大きく見開き、ささやくようにたずねたのです。
「『アモーレ』って、まさかこの歌のこと?」
「そうよ、アリアさんたちが『喜びを分け与えよ』と呼んでいたこの歌は、本当はアモーレという題名なの。死の雨が降る前の世界では、『愛』という意味だった言葉よ」
「死の雨以前の世界? どうしてあなたがそんなことを?」
ティーナの口元が緩みました。
「思い出したの。わたしは自分の歌で心が芽生えるずっと前に、すでに目覚めていたんだって。アモーレを初めて聴いたあのときに、わたしは心を持ったんだって。……そしてわたしは、たくさんのことを学んでいたわ。心を持ってからだんだんと、わたしはそれを思い出したの。アリアさんのことを、この世界のことを……そして、戦争のことを」
アリアは顔をあげました。しっかりとティーナの、紫色のひとみを見すえます。青い光と、紫色の光が交差し、お互いのひとみの中できらめきました。
「……ティーナ、あなたはいったいどうするつもりなの?」