第二章 『喜びを分け与えよ』
――フィオ国へ侵攻する二年前――
「イズンを無効化する兵器……ですか?」
軍服を着たアリアが、研究室でセブ将軍に聞き返しました。腰にまで届く、美しい青い髪がさらさらとなびきます。
「そうだ。君たちゲルムの民も知っての通り、我らロメン国にはさらなる戦力が必要だ。自衛のため、そして資源獲得のためにな」
「イズンを無効化することで、戦争を優位に進めるということですか?」
セブ将軍は重々しくうなずきました。
「死の雨以前の世界と違い、我々はイズン兵を用いて戦争を行うようになった。そのイズンを無効化できるならば、我々は無敵だ」
――死の雨。壊れた世界を……、砂漠に覆われたこの世界を生み出した元凶――
はるか昔、この世界には非常に発展した文明が栄えていました。ですがあるとき、人間同士の激しい戦争が起こったのです。その結果、戦争による毒が空を汚し、すべてを枯らす死の雨が何年も降り続きました。
死の雨によって、世界は砂漠と化し、そして人口は百分の一ほどに減少しました。それでもなんとか生き残った人々は、死の雨による毒におびえながらも、なんとかオアシスのまわりで、細々と生活していたのです。しかし、イズニウムという不思議な力を宿した鉱物が発見されて、再び世界は一変します。
――イズニウムは、この世界の新たなエネルギー源となった。でも、オアシスの周辺からしか発見されなかった。そして再び人々は、資源をめぐって争うことになったわ。水と、そしてイズニウムを奪い合って戦争を――
とはいえ人口が極端に減少した世界で、人間たち同士が争えば、人類という種が滅んでしまうでしょう。そこで考え出されたのが、イズニウムを動力にした機械人形、イズンたち同士の戦争でした。
「ロメン国南部の銅山からは、銅とともに大量のイズニウムが取れる。そのことを他国もよく知っていた。初めは自衛のために、そして今では我が国の枯れかかった水源を補うために、我々は戦い続けなければならないのだ」
水と聞いて、アリアはぎゅっと自分の肩を腕で抱きしめました。幼いころに体験した、目も開けられないほどに激しい砂嵐を思い出し、わずかに身ぶるいします。
――わたしたちゲルムの民は、わたしが五歳のときに、国を覆うほどの砂嵐に襲われた。国は砂漠に飲まれ、わたしたちは命からがら砂嵐から逃れたわ。国を捨て、広いパニア砂漠を何カ月もさまよい、ようやくこのロメン国にたどり着いたけれど、たくさんの人が飢えと渇きで死んでしまった。父と母も――
ゲルムの民は、難民としてロメン国に迎え入れられました。しかし彼らはみな、準市民という、半分奴隷のような地位にされたのです。ただし、アリアとその祖父であるスオーノだけは、準市民ではありましたが、過酷な国外労働は免除されていました。
――おじいちゃんはイズニスト……イズンを作る技術者だった。ロメン国のイズニストは、お世辞にも腕がいいとは言えない。けどおじいちゃんは、イズンの技術が発展していたゲルム国の中でも、他に並ぶ者がない程の技術を持っていた。だからイズニストとして働くことで、国外労働も免除されたわ――
スオーノの技術を受け継いだアリアも、才能あふれるイズニストでした。だからこそセブ将軍も、アリアにイズンを無効化する兵器の開発を依頼したのです。
「もちろん報酬は約束する。そなたたちゲルム民族に、市民権を与えよう」
アリアの青い目が大きく見開かれました。
「本当ですか!」
市民権を得ることができれば、ゲルムの民たちも国外労働を免除されます。アリアの顔を見て、セブ将軍は力強くうなずきました。
「約束しよう。そなたがイズン無効化の新兵器を作り出し、我らが戦争に勝利したあかつきには、ゲルムの民に市民権を与えよう」
アリアの白いほおが、うっすらと赤みを増していきます。セブ将軍を見あげて、アリアは拝むようにおじぎしたのです。
「いったいどんな歌を聴かせればいいの?」
セブ将軍から命じられて一か月が経ちましたが、アリアは完全に煮詰まっていました。久しぶりに研究室から、祖父と一緒に住む家に帰ってきて、疲れたようにいすに座りこみます。祖父のスオーノが、アリアに温かな紅茶をついでくれました。
「ずいぶんと困っているみたいだな。まぁ、わしらゲルム国のイズニストにとって、歌選びは最も大切な儀式だからな」
スオーノの言葉に、アリアも素直にうなずきました。ロメン国のイズニストたちは、というよりも、他のどの国のイズニストたちも、アリアやスオーノのようなやりかたでイズンを作ることはありませんでした。アリアたちは、イズンの動力となるイズニウムに、歌を聴かせることで、特殊な力を宿すのです。
「ロメン国のイズニストたちも、みな驚いておったからな。まぁ歌選びもそうじゃが、そもそも『ろう』を使ってイズンを作ること自体、異端じゃからのう」
スオーノが「ふっふ」とひげをさわりながら笑います。ゲルム民族特有の、青い髪を短く刈っている代わりに、スオーノは真っ白なひげをふさふさとさせていたのです。
「材料は問題じゃないわ。ロメン国でも蜜ろうは取れるし、イズニウムの不思議な守りで、体が溶けることもないもの。問題は歌なのよ」
焦りに口調を荒げたあと、アリアはバツの悪そうな顔でうつむきました。
「……ごめんなさい。おじいちゃんに当たるつもりはなかったのに……」
「なあに、気にすることはないぞ。イズンを無効化するイズンなど、わしですら考えたこともない難問じゃ。それはイズンに心を持たせるのと同じくらい難しいじゃろうな」
紅茶をゆっくり飲みながら、スオーノは「ふーむ」とため息をつきました。
「ゲルム国でのイズニストの仕事は、人間たちの手助けをするイズンを作ることじゃったからな。ロメン国に来て最初のうちは、わしも戦争用の兵士を作るのに苦労したぞ」
「でも、おじいちゃんの作るイズンは、強度も耐久性も、ロメン国の誰よりもすごかった」
「ほめ過ぎじゃよ。それにわしがやったのは、兵士の量産方法の確立じゃ。結局わしは、ついに自分の夢を果たすことはできなかった」
「イズンに、心を与えるってこと?」
スオーノは照れたように笑うと、そのまま立ち上がり、奥の部屋へ入っていきました。
「そうじゃ。無謀と言われるかもしれんが、それでもわしは心を与えようと様々な試みをしてみた。……まぁ、どれもうまくいかなかったのじゃが」
奥の部屋から、スオーノは大きな円盤をいくつも抱えてきました。大事そうにそれを机の上に置きます。死の雨が降る前の世界で、レコードと呼ばれていた道具です。ゲルム国にあった、死の雨以前の世界の遺跡に、大切に保管されていたものでした。
「歌選びに迷うときは、実際に歌を聴くといいぞ。イズンに聴かせる歌も見つかるかもしれないだろう?」
スオーノに言われて、アリアは苦笑しました。スオーノはいつも、このレコードを再生して、イズニウムに歌を聴かせていたのです。
「……そうね、どうせ研究室に帰っても、なにか思い浮かぶわけでもないし、今日は久しぶりにレコードを聴かせてもらうわ」
もともと音楽を聴くのが大好きなアリアです。レコードプレーヤーに、イズニウムのかけらを近づけます。セットしたレコードが回り始め、心が落ち着くようなバラードが聴こえてきたのです。言葉こそわかりませんでしたが、それでもその曲が愛と喜びを歌っていることは、アリアにもよくわかりました。
「前の世界では、電気という不思議な力を使って動かしていたらしいな。じゃが、イズニウムでも動くということは、案外前の世界も、今と同じような感じだったのかもしれないな」
しみじみというスオーノに、アリアもうなずきました。死の雨以前の世界の言葉はわからないので、二人は勝手にレコードに題名をつけていました。今聴いているのは、『喜びを分け与えよ』という歌です。どんなに落ちこんでいるときも、歌い手が心を喜ばせてくれるから、そのような題名をつけたのです。そうしてしばらく曲を聴いているうちに、アリアに稲妻のようなひらめきが走りました。
「……そうか、そうだわ! わたしたちは歌い手じゃない、だから、イズンに心を与えることはできないわ。でも、歌い手だったら……」
「どういうことじゃ、アリア?」
スオーノは目をまたたかせて、首をかしげました。アリアは興奮した様子でスオーノにせまり、その手をぎゅっとにぎったのです。
「おじいちゃん! わたしたちが心を与えられなくても、歌い手だったら? この曲の歌い手のように、歌姫のイズンを作れば? そうすれば心を与えられるんじゃないかしら? わたしたちじゃ無理でも、イズンが歌うなら、同じイズニウムから歌が出るなら」
スオーノは白いひげにふれたまま固まっていましたが、アリアはさらにまくしたてます。
「そしてもし心を与えられるのなら、イズンを無効化することもできるんじゃないかしら? 心を与えられるのなら、感情だって与えられるはず。なら、戦いを怖がるような、恐怖の感情を与えれば」
スオーノの顔が一瞬くもりましたが、アリアはそれに気づかず、一人でどんどんイメージをふくらませていきます。
「じゃあ、イズニウムに聴かせる歌も決まりね。当然この『喜びを分け与えよ』だわ。そうすればきっと、良い歌い手になるはずよ! あとはわたしが、持てる限りの力を使って、人間とそっくりの体を作れば……」
不思議なことに、イズニウムはその器である体が、精巧にできていればできているほど、強い力を宿すのでした。まるで、人形にたましいが宿るように、強い力を持つイズンとなるのです。青い目をらんらんと輝かせるアリアに、スオーノはえんりょがちに言いました。
「アリア、いったん座ったらどうじゃ?」
アリアは「あ……」とつぶやき、恥ずかしそうにいすに座りました。紅茶をゆっくり飲んでから、アリアは再び立ち上がります。
「もう行くのか?」
「うん。アイディアが冷めないうちに、いろいろ試したいの。ねぇ、おじいちゃん」
「レコードとプレーヤーじゃろう? 持っていきなさい。アリア……いや、なんでもない」
口をつぐむスオーノを、アリアはきょとんとして見ていましたが、すぐにレコードとプレーヤーをかかえて部屋を出ていきました。
「恐怖の感情か……」
砂漠をさまよっていたときに見た、死と絶望にまみれたいくつもの顔を思い出して、スオーノはぶるるっと身ぶるいするのでした。