第4話 森に呼ばれる者
静かな夜だった。
風が梢を撫でるたび、木々は古の歌のようにざわめいた。リュシオンは村の外れ、小高い丘の上に立ち、森を見下ろしていた。
「……やっぱり、何かが変だ」
森は生きている。生まれ育ったこの地で、彼はずっとそう信じていた。木の葉のささやき、風の音、夜空に浮かぶ星々の瞬き――それらはすべて、森が何かを語ろうとしている証だった。
けれどここ数日、その森が、何かを隠しているような気がしてならなかった。
「星が落ちた夜から、森の気配が違う」
誰に言うでもなく、リュシオンは呟いた。あの晩、森の奥で光が走ったという噂が、村の子どもたちの間でささやかれていた。老人たちは口を閉ざしたが、リュシオンの祖母だけはぽつりとこう言った。
――星の巫女が、目を覚ましたのかもしれないね。
その言葉の意味を、彼はまだ知らない。ただ、心のどこかで何かが呼びかけているような、そんな気がしていた。
その夜、彼は夢を見た。
光に包まれた森の中で、誰かがこちらを見ていた。輪郭は霞んでいたが、確かにそこに“誰か”がいた。
名を呼ばれた気がした。けれど、聞き取れなかった。
朝、目を覚ましたときには、胸の奥に妙な焦燥が残っていた。
「行かなくちゃならない気がする」
誰に言われたわけでもない。ただ、そう思った。
その日の昼、彼は祖母の住む小屋を訪れた。
「星が騒いでいるのよ、リュシオン」
囲炉裏のそばで茶をすする祖母は、窓の向こうを見ながら言った。
「星が?」
「空の話じゃない。大地に落ちた星。あの森の奥にはね、かつて空から落ちた光が眠っているのよ。忘れられた魔法と一緒に」
リュシオンは言葉を失った。祖母の言葉には、いつも物語のような真実が混ざっている。
「そしてその星が、今また……誰かを呼んでいる。あんたも、感じたんだろう?」
彼は、黙ってうなずいた。
「なら、行きなさい。けれど、気をつけておおき。星の光は、望みも真実も見せてくれるけれど……代わりに何かを奪っていく」
「……奪う?」
祖母はそれ以上何も言わなかった。ただ、灰色の瞳の奥に、深い哀しみのようなものが滲んでいた。
夕刻、リュシオンはひとり森の入口に立っていた。
足元には小さな妖精の羽が落ちていた。銀の粉がついていて、月光に淡く光っている。
「……やっぱり、呼ばれてる」
森の中から、風が吹いた。名前のない声が、木々の間をすり抜ける。まるで誰かが彼の名を呼んだような錯覚。
彼はそっと足を踏み出した。
星の巫女。
森に眠る者。
誰かの記憶。
そのすべてが、今――彼を待っている気がした。