第3話 記憶のかけら
次の朝、少女は目を覚ました瞬間から何かが違うことに気がついた。
いつものように森の息吹を感じ、妖精たちのささやきに耳を傾けるが、心の中にはぼんやりとした重みがあった。
昨日、リンが言った「誰かがあなたを見つける」という言葉が、頭の中で何度も繰り返されていた。
その「誰か」とは、一体誰なのだろうか。
少女は心の中で答えを探しながら、森を歩き始めた。足元に落ちた葉がカサカサと音を立て、微かに湿った空気が肌に触れる。いつも通りの朝なのに、なぜかこの静けさが胸に響く。
「今日も魔法の練習をしようか」
少女は呟きながら、森の奥にある広場へと向かう。その場所には、彼女が魔法を使うたびに心地よい風が吹く小道があった。草花が彼女の歩みに合わせて揺れ、妖精たちが小さな羽音を立てて舞い降りてくる。
「おはよう、シエラ」
「おはよう、リン」
シエラと名乗る小さな妖精が、少女の肩に飛び乗る。彼女はこの妖精が好きだった。シエラは、陽気で元気な性格で、よく少女を励ましてくれた。
「今日も魔法の練習?」
「うん、やるつもり」
「じゃあ、少しだけ手伝おうか?」
シエラはにっこりと笑うと、羽を大きく広げて、魔法陣を描くように空中に舞い上がった。
「ほら、見ててね」
少女はシエラの動きをじっと見守りながら、自分も手を伸ばした。草花に魔力を流し込む。シエラの手のひらから放たれた光と、少女の魔力が絡み合って、空気が震えるような感覚が広がった。
その瞬間、何かが頭の中で鳴り響くような気がした。
――誰かの声。
その声は、はっきりとした言葉ではなく、ただ名を呼ぶような音だった。
「……?」
少女はその声の正体を追おうと、立ち止まる。シエラは不安そうに振り返った。
「どうしたの?」
「…だれかの声が、聞こえたような気がして」
少女の言葉に、シエラは首をかしげた。
「声?」
「うん、でも……はっきりしたわけじゃない。名前も分からない。ただ、何か呼ばれたような気がして」
シエラは少し考え込むと、やがてぽつりと言った。
「もしかしたら、それが“誰か”かもしれないわ」
その言葉に少女の心は一瞬で凍りついた。
「“誰か”?」
「うん。リンが言っていたでしょ?あなたを見つけに来る人」
その言葉が胸に響く。少女の心がわずかに揺れた。
「その人は、あなたが忘れた誰か。もしかしたら、あなたの中に眠っている記憶が、今、目を覚まし始めているのかもしれない」
シエラの言葉に、少女の胸がまた痛んだ。忘れた記憶。それが今、少しずつ戻り始めているのだろうか。
「もし、それが本当だとしたら……」
少女は手のひらに握った草をじっと見つめ、ふと不安に駆られた。
「もし、その人が私にとって大切な人だったら?」
「それは、あなたにとっても大切なことよ」
シエラは少女の肩に乗りながら、優しく微笑んだ。
「でも、その人がどんな人かは、まだ分からない。だからこそ、あなたはその答えを見つけなければいけない」
その時、少女の目に浮かんだのは、またあの夢の中で見た光景だった。崩れ落ちる塔、悲鳴、叫び声、そして最期の瞬間。
その記憶の中にいた誰かの顔は、はっきりと見えなかった。ただ、その人の存在を感じるだけだった。
「私は……誰を待っているんだろう」
その問いが胸に渦巻く。けれど、答えは見つからない。
その日の夕方、少女は再び夢を見た。
夢の中で、彼女は見知らぬ場所に立っていた。目の前には、巨大な門がそびえ立っている。
その扉は、古びて重たそうで、開けることができそうにない。しかし、扉の先には強い光が差し込んでいた。
「それが、あなたが求めている場所」
その声は、どこか懐かしく、そして温かかった。
少女はその声を頼りに、ゆっくりと歩み寄った。手を伸ばし、扉に触れる。
その瞬間、扉が静かに開いた。眩い光が目の前に広がり、彼女を包み込む。深い闇の中から、手を差し伸べる誰かの姿が見えた。
その人の顔は、まだはっきりと見えなかったけれど、確かに――その存在を感じていた。
「あなた……」
その声が、少女の名前を呼ぶ。
その声が、胸に強く響き渡った。