第28話はじまりの村
鳥の声が、遠くから聞こえていた。
エルフィナはゆっくりと目を開けた。
小さな部屋は、やわらかな朝の光で満たされていた。
昨夜、星を見ながら胸の奥で揺れた感情は、まだ微かに温度を残している。
深く息を吸うと、木の香りと薬草の匂いが混ざって、胸の中まで染み込んできた。
(……今日から、ここで)
そう思うと、少しだけ怖くて、それでも同時に嬉しかった。
「エルフィナ、起きてる?」
扉越しにリュシオンの声がした。
「はい……起きています」
「よかった。朝食、祖母が用意してくれたんだ。一緒に来て」
部屋を出ると、台所には湯気が立ち上っていた。
祖母が木の匙で煮込みをかき混ぜていて、机には素朴なパンが並べられている。
「おはよう、エルフィナ。よく眠れたかい?」
「……はい。あの……ありがとうございます」
「礼なんていらないよ。食べるといい」
祖母はそれ以上何も言わない。
言わなくても伝わるように、ただそこに在る、そんな優しさだった。
エルフィナはスプーンを手にして、小さく息をついた。
温かい食事が、こんなにも体に沁みるものだとは思わなかった。
食事が終わると、リュシオンが外へと手招きした。
「少し、村の中を案内するよ。……大丈夫、ゆっくりでいいから」
エルフィナは頷き、後ろからついていく。
外は清々しい朝の光に満ちていた。
村のあちこちで人々が動き始めている。
井戸で水を汲む女性。
家畜に餌をやる少年。
薪を割る老人。
誰もが息づき、暮らしている場所――その真ん中に、自分が立っている。
リュシオンが紹介するように言った。
「この子は、昨日話したエルフィナ。しばらく村で過ごすことになったんだ」
その言葉に、周りの人たちは優しく会釈した。
だが、それはどこか 慎重 な距離を保った挨拶だった。
「……ようこそ」
「困ったことがあれば、言いなさいね」
優しい。
だけど、完全に受け入れているわけではない。
無理もない――とエルフィナは思った。
自分は記憶を持たない。
どこから来たのかさえわからない。
こうして笑顔で迎えてもらえること自体、奇跡に近い。
そのとき、小さな子どもがエルフィナの服の裾を引っ張った。
「おねえちゃん、なまえ、エルフィナっていうの?」
「……うん。そう、呼んでもらえると嬉しい」
子どもはにこっと笑い、花を一輪差し出した。
「これ、あげる」
白い小さな花。
朝露がきらりと光っていた。
「ありがとう……」
エルフィナが受け取ると、子どもは嬉しそうに駆けていった。
それを見ていた村人たちの表情が、ふっと和らいだ。
距離が、ほんの少しだけ縮まった気がした。
「……大丈夫だよ」
リュシオンが、小さな声で言った。
「ここは、そんなに悪い場所じゃない」
エルフィナは、胸の奥にあった不安が少しだけほどけていくのを感じた。
「……はい」
そう答えた声は、昨日よりも少しだけ強かった。
この村で、日々は始まっていく。
まだ手探りで、まだ頼りなくて、それでも確かに。
エルフィナは花を胸に抱き、静かに空を仰いだ。
星はもう見えないけれど――
胸の奥では、まだ微かに光っていた。




