第22話 名もなき祈り
光の扉を抜けた先は、静かな回廊だった。
足音は響かず、ただ白く淡い霧が、地を這うように漂っている。
壁も天井も曖昧なその空間は、まるで夢の中のようだった。
少女は、一歩ずつ足を進めながら、胸の奥にじんと広がる余韻を抱いていた。
さきほど触れた記憶の“礫”、そのひとつひとつが、まだ心のなかで脈を打っていた。
(あれは……私の記憶じゃない。けれど、どこかで繋がってる)
言葉にできない感覚だけが、彼女の足を前へと導いていく。
やがて、霧の奥に、小さな石の祭壇が浮かび上がった。
その周囲には、欠けた円のように、半壊した石柱がいくつも立ち並んでいる。
そして、祭壇の前に――ひとりの人物がいた。
少女と同じくらいの年頃の、白い装束を纏った娘。
その髪は夜のように黒く、肩口で揺れていた。
目を閉じ、静かに祈るその姿には、不思議な透明感があった。
「……誰?」
声が自然に漏れたが、娘は目を開けずに、ただ手を合わせ続けている。
「あなたは……誰かの記憶なの?」
そう問いかけた瞬間、娘の唇が、静かに動いた。
「……私は、名を持たぬ巫女。
祈ることだけを宿命として、この地に在り続けた者……」
その声は、風のように小さく、けれど少女の胸の奥にまっすぐ届いた。
「巫女……?」
少女の目が、驚きに揺れる。
今まさに、口にされたその言葉。
それは、どこかの記録で、確かに見たような気がしていた。
星の声に仕え、想いを受け取り、還す者――
「この地に眠る“星の記憶”は、祈りとともに在る。
忘れられた願い、失われた名。それらは、語られぬまま沈むことを拒み、礫となって今も残されている」
巫女の声は静かに続く。
「あなたは、その記憶に触れた。ならば、答えて――
あなたは、なぜここに来たの?」
少女は、息を飲んだ。
なぜ――?
その問いは、これまで誰にもはっきりとは問われなかった。
けれど、今ここで向き合わなければならない問いだった。
「……私は……」
言葉にしようとして、詰まる。
けれど、胸の奥で何かが形になり始めていた。
「私……自分が誰か、何を求めているのかを、知りたくて……」
「それは“探しに来た”ということ?」
「……ううん。“思い出したい”って……思った。
私のなかにあるはずのものを、ちゃんと、見つけたいの……」
巫女は、ふっと目を開いた。
その瞳は深く、夜空のように澄んでいた。
「ならば、ひとつだけ、贈りましょう」
そう言って巫女は、小さな欠片のような光を、指先に灯した。
それは、少女の胸の前でそっと浮かび、やがて彼女の中へと吸い込まれていった。
「これは、“祈りの記憶”。
名もなく、語られぬまま終わった想い。けれど、たしかに生きていた声。
それが、あなたの中に響くなら――あなたはきっと、“ただの記録”ではなくなる」
少女は、ゆっくりと目を伏せた。
胸の奥に宿った光は、まだ静かに脈を打っている。
「……ありがとう」
その声に、巫女は何も答えず、ただ微笑み、再び目を閉じた。
そして祭壇の奥に、白い光の道が伸びていく。
少女は、その先に目を向けた。
まだ見ぬ真実が、待っている気がした。
彼女は振り返らず、まっすぐに歩き出す。
――“名を持たぬ祈り”が、彼女の中で確かに名前を得ようとしていた。
それが彼女の旅の、本当の始まりだった。




