第20話 記憶の礫に眠る声
静かな空間に、少女の足音がひとつ、またひとつと吸い込まれていく。
記憶の礫の間。そこは、空気までもが祈りのように澄んでいて、ひと息ごとに胸の奥がじんわりと熱を帯びるようだった。
壁は石造りでありながら、不思議なやわらかさがあった。
まるで長い時を超えてここに集まった想念が、石と混じりあいながらもなお、温もりを失わずに宿っているかのようだった。
少女は、部屋の中心にある半透明の小さな台座の前に立ち止まった。
その台座には何の装飾もなく、ただ一筋の光が、天井のどこからか差し込んでいる。
近づくと、淡い光の粒が空間に浮いていた。
触れられそうで触れられないそれらは、まるで過去に失われた誰かのため息のようで、ひとつひとつがとても切なく美しかった。
「……ここには、誰かの想いが眠ってるの?」
少女の問いに、老書士は後方から静かに頷いた。
「言葉になる前の記憶……なかば夢となり、なかば祈りとなった想念じゃ。
それらは“礫”となって、この場所に集まる。星がそれを引き寄せ、保っておるのじゃ」
少女は、そっと手を伸ばす。
掌のすぐ先を漂う光の粒が、彼女の指先に反応するかのように揺れた。
そして――
一瞬、世界が、静かに波打った。
脳裏に浮かんだのは、どこかの草原。
柔らかい風の匂い。
高くそびえる塔。
そこに立つ、ひとりの若い女性の背中――。
「……誰……?」
声にならない問いが、胸の奥で反響する。
老書士が静かに語った。
「この間では、名も姿も明かされぬまま、心だけが残っておる。
それは、そなたが感じたその人の“想い”……」
少女は、手を胸に当てた。
さっきの面影――微かに見えた彼女の後ろ姿。
どこかで、知っている気がした。
(あれは、私……? ちがう……でも、遠くない……)
「これは“記録”ではなく、“共鳴”じゃよ」
老書士の声が優しく響く。
「そなたの魂に共鳴したからこそ、今、その姿が映ったのじゃ。
過去か未来か、それともまったく別の存在か……それを定めるのは、そなた自身じゃ」
少女はゆっくりと頷いた。
ここには答えがあるわけではない。
ただ、問いと、想いの痕跡があるだけ。
けれどその“痕跡”は、確かに自分の中の何かを揺さぶった。
少女は再び、光の粒に手を伸ばす。
今度は、別のものが浮かび上がった。
ひとつは、小さな手を取る温もり。
ひとつは、星空の下で交わされた、静かな約束。
どれも名もなく、けれど愛おしい。
「……ここにある記憶は、みんな……誰かが、大切にしたものなのですね」
老書士は、そっと台座の脇に手を置いた。
すると、空間に新たな波紋が広がり、今度は彼女の背後の壁に、淡い光の軌跡が描かれていく。
「“記憶の礫”は、魂の深奥から掬い上げるもの。
そなたが進むたびに、新たな“気づき”が姿を変えてゆく」
その光の軌跡はやがて、壁に一枚の“扉”を描き出した。
「これは……?」
「そなた自身の心が描き出した“通路”じゃ。
この記憶の礫が、そなたの中に“次の問い”を生んだ。
その答えを求めるための扉が、ここに生まれたのじゃ」
少女は、目を見開いた。
「私が……?」
「うむ。これは誰かに与えられた道ではない。
そなた自身が描いた道。過去から未来へと繋がる、そなたの“名を持つ旅”じゃ」
光の扉の先に、まだ何が待っているのかはわからない。
けれど少女はもう、怯えてはいなかった。
小さく息を吸い、胸に手を当てる。
「――行きます」
そして少女は、静かに扉に手をかけた。
この旅が、やがて記録となるのか、それともまた礫のひとつとなるのか――
それはまだ、星すら知らぬ未来のこと。
けれど、その歩みは確かにここに刻まれていく。
星が導くその先へ。




